地球ことば村
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【地球ことば村・世界言語博物館】

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ことば村・ことばのサロン

2008・11月のことばのサロン
▼ことばのサロン

 

2008年は国際言語年!全日本社会貢献団体機構助成事業
「たかがあいさつ・されどあいさつ-西ケニアの村から-」


● 2008年11月22日(土)午後2時-4時30分
● (株)オフィス・ヘンミ会議室
● 話題提供:阿部年晴(埼玉大学名誉教授)
● 文化人類学者・専門はアフリカ。ことば村の村長としても活躍中。これまで要望の高かったサロンの話題提供が実現しました。                      


講演要旨

阿部年晴先生 <たかが挨拶、されど挨拶> ふだん挨拶は日常生活の中に空気のように溶け込んでいて特に意識はしませんね。挨拶について改めて意識したり考えたりするのは、冠婚葬祭など特別な出来事の折りや人間関係に何か問題がある時でしょう。しかし挨拶はいつでもどこでも人と人が好ましい関係を保つうえで欠くことのできないものです。「たかが挨拶、されど挨拶・・・」。また、注意してみると、挨拶言葉には、その社会の人びとの基本的な人生観や世界観が込められていることが分かります。異なる言語の挨拶に接すると、そのことに気づかされます。

 <西ケニア・ルオ社会の挨拶言葉>  かつて私が滞在した東アフリカのケニア共和国西部、ビクトリア湖北東岸のルオ人の村々でのこと。「挨拶言葉」に日本のものとよく似た点があって驚きましたが、「挨拶の仕方」には興味深い違いがありました。ほんの一部分ですが挨拶言葉の方から例を挙げてみましょう。

 複数の人が一緒にいるところへ通りかかった時などには、「ミサーワ misawa!」と呼びかけ、呼びかけられた方も「ミサーワ アヘーニャ」と答えて、挨拶が始まります。「ミサーワ misawa」は平和・平安・調和などを意味しますから、「あなた方に平安を!」と言う挨拶になります。あるいは「私たちの間に平和と調和を!」という意味が込められているかもしれません。大袈裟に言えば一種の「和平宣言」ですね。「アヘーニャ」は、「とても、大変」という強調の意味です。

 「エレ ワチ ere  wach 」(ご無事ですか)と尋ねられると、「オンゲ ワチ onge wach」(無事です)と答えます。ワチは、言葉、出来事、問題(気がかりなこと)、ニュースなどを意味する語ですから大和言葉の「こと」と同じ意味内容です。オンゲは「無い」という意味ですから、「オンゲ ワチ」は文字通り「無事」ということになり、これには驚きました。じつは「ワチ」や「こと」と似た語彙は世界の各地に見られるもので、それを使った挨拶表現も広く見られます。

 「インギーマ? ingima?」((あなたは)お元気ですか)、に対して「angima maber, mi ta in?」(はい、元気です、あなたもお元気ですか)と答えるのもよく使われる挨拶言葉です。ingimaは元気・生命・健康などと訳せますが、「元気」が一番近いと思います。

 この外にも時間帯に対応する挨拶言葉があって、それらも日本のものと似た発想です。

 朝は「オヤーウォレ oyawore」。オヤーウォレは「夜が明ける」という意味ですから、「夜が明けましたね、おはよう」という挨拶です。夕方だと、「オイモレ oimore」。オイモレは「日が暮れる」という意味です。「日が暮れましたね、今晩は」。(piny oyawore は大地が開く=夜が明けるという意味、piny oimore は大地が閉じる=日が暮れるという意味です。)

サロンのようす

 <挨拶言葉に込められた「思想」> 挨拶表現にはしばしば人びとの価値観や願いが込められています。misawa(平安―調和)もingima(元気―生命力)も人間生活を支える基本的な価値で、人びとが願うものです。onge wach(無事)についてはどうでしょう。「事=wach」に気がかりなことや問題という意味が含まれているとはいえ、日々の挨拶で「無事」かどうかを訊ね合い、「無事」を願い合うというのは、現代の価値観からするとピンとこない点があるのではないでしょうか。「消極的だ」「ことなかれ主義だ」と否定的に評価されかねません。ところが、この挨拶表現は日本だけではなくアフリカ大陸でも広く見られるものなのです。私は、この挨拶表現の背景には、大袈裟に言えば「世界を肯定する」深い世界観があると考えています。言葉が足りないと誤解される恐れがありますが、現代人の思考の盲点にかかわると思われるので、問題提起のつもりで述べてみます。onge wach(無事)とは、特別変わったことがないこと、つまり、「ふだんどおりであること、ふつうであること」で、そのことを価値あることとして願っているのです。注意しなければならないのは、ここで「ふつう」というのは、ただ与えられるものではなく、それぞれの地域で人間たちが幾世代もかけて生み出し守っていく基本的な「生活の仕方、生活のあり方」を意味するという点です。人間はいい意味でも悪い意味でもそのような「ふつう」から逸脱する存在ですが、そのような「ふつう」なしには人間の生活はありえません。「無事」という挨拶言葉には人間生活の基盤である「ふつう」を守ろうとする意志と願いが込められています。「ふつう」とは何かということが問題ですが、それについては、別の機会に考えてみることにしましょう。

 時間帯に対応する挨拶も元来、共に無事に朝や夕方を迎えたことを確認し合い経験を分かち合う意味を持っていたのではないでしょうか。ルオ語の別れの言葉は「オリテイ 神の加護がありますように」で、英語のグッバイなどと同じ発想です。他の社会を広く見ると、別れの挨拶表現は、「また会いましょう」「神の加護がありますように」「お元気で、ご無事で」などの意味を持つものが多いようです。挨拶は基本的には、害意がないことを示すほかに、気遣い、共同性、祝福などの表明する行為だと言ってよいでしょう。因みに、日本語の「さようなら」は、別れの言葉としては珍しいもののようで、その意味と歴史的背景を考察する本もあります。(竹内整一 『日本人はなぜ「さようなら」で別れるのか』 ちくま新書)

 <挨拶の習俗> 挨拶は、言葉を構成要素の一つとして含む複雑な行為です。挨拶言葉に限って見れば、日本語との共通点が多いのですが、ルオの村に暮らして、日々の挨拶行為を観察していると、いろいろと違いにも気づきました。駆け足で2、3例を挙げてみます。人びとは私たちよりもはるかに熱心に時間をかけて挨拶し情報を交換します。特に、田舎の市場などでは、あちこちで人びとが派手な身振りを交えながら、長々と挨拶を交わしていて、まさに「挨拶の花咲く園」で、挨拶の時間がもったいないなどという文化とは大違いです。また、大切な場面では「あだ名(自讃名)」を使って名乗らなければならない、ある種の親族関係にある人同士は挨拶の中でお互いにからかいあったり悪態をついたりしなければならない、ことわざをつかって挨拶しなければならない場合がある、などなど、興味深いきまりもあります。しかも、隣の民族でも挨拶習俗がまったく違うこともあり、挨拶は奥深く多様です。まさに「たかが挨拶、されど挨拶・・・」。

 皆さんがご存知の少数話者言語の挨拶についても教えてください。

参考文献

  • 阿部年晴 1982「アフリカ人の生活と伝統」三省堂
  • 梶 茂樹 1993「ことばを訪ねて アフリカをフィールドワークする」大修館書店
  • 木村大治 2003「共在感覚 アフリカの二つの社会における言語的相互作用から」京都大学出版会
  • 子馬 徹 1996「握手行動の身体論と政治学 キプシギスの事例を中心に」叢書「身体と文化 第二巻・コミュニケーションとしての身体」大修館書店
  • 菅原和孝 1998「会話の人類学-ブッシュマンの生活世界(2)」京都大学出版会
  • 松園万亀男1991「グシイ-ケニア農民のくらしと倫理」弘文堂

以上




 西ケニアの人々が、長い時間とエネルギーをかけて、あいさつを交わしていることにまずびっくり。しかも私たち日本人のあいさつととても似た内容を持つものもある。例えば、Igimaが「命=元気」を意味していると聞き、逆に日本語の「元気」も大変大きな意味内容を持っている事に改めて気づかされました。子どもの名前をつけるときに、祖先の名前をもらうことで祖先の力をもらったり、みにくいものの名前をつけることで悪魔につれていかれないように願ったりするということですが、私たちもわが子の名前をつけるときにいろいろと考えます。洋の東西を問わず、名前がその持ち主に及ぼす力を感じているのだなぁと思いました。阿部先生の含蓄のある語り口に笑いが絶えず、楽しい午後になりました。

(事務局)