地球ことば村
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【地球ことば村・世界言語博物館】

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ことば村・ことばのサロン

2012・5月のことばのサロン
▼ことばのサロン

 

「エウェンの人々の言葉と暮らし」


● 2012年5月26日(土)午後2時-4時30分
● 慶應義塾大学三田キャンパス旧図書館小会議室
● 話題提供:鍛治広真先生(東京大学大学院言語学研究室博士課程)


講演要旨

鍛治広真先生 はじめまして。鍛治広真と申します。重要文化財という立派な会場を用意してくださり、それに見合ったお話ができるか大変緊張しておりますが、お聞き下されば幸いです。
 ます、なぜ、使う機会の多い便利なロシア語ではなく、エウェン語を研究対象に選んだかとよく聞かれるのですが、おもしろいから、としか答えようがありません。エウェン語という言語名を聞いたことが無い方が多いと思いますが、どこの、どんなことばか、ということからお話していきます。


エウェン語はどこで、どんな人が話しているのか

 エウェン語はロシア北東部レナ川流域以東、カムチャツカ州にかけて話されている言語のひとつです。僕のフィールドは話者が一番多く住んでいるロシア極東連邦管区のサハ共和国です。極東といっても7月の平均気温は25度くらいで、半袖で過ごせます。2月の平均気温はマイナス42.8度です。1992年に独立したサハ共和国は面積3,083,500km2、日本の約8倍あります。西部、中央、東部には方言差があり、僕はその中央方言を研究しています。
 この方はフィールドで教えてくれているエウェン語の話せるうちのおひとりで、伝統的なビーズの縁飾りのある民族衣装を着てくださっています。こちらは冬の衣装で、トナカイ皮のブーツ(ウンティ)を穿いています。
 サハ共和国は日本の8倍の面積に100万人も人がいないというところで、ほとんど人のいない場所ばかりです。その首都ヤクーツクへはハバロフスク、ウラジオストクを経由して国内線で行きます。ヤクーツクでもエウェン語を教えてくれるエウェン語の話せる人がいますし、ヤクーツクから500km以上離れたToplinoeとか、人の住んでいるところで世界で一番寒い場所、零下70度くらいになるOjnmjakon(オイミャコン)、Khonuuなどの村に行って調査をしています。今の時期ですと、夜8時でも明るくて、夏至になると全く日が暮れない白夜です。そこで夏の間は、飼っている家畜のために牧草をどんどん刈り取って長い冬に備える暮らし、という感じです。
 ヤクーツクは立派な街で、サハ共和国中央政府があり、レーニン広場にはレーニン像が立っています。レナ川が流れ、車を載せた船が行きかっています。というのも、冬になると河が凍り、そこを平らにならして車が通るので橋を架けることができないのです。春になると溶けた氷で橋がこわれてしまいますので。
 ロシアのエウェン人は19,071人でそのうちエウェン語を話すひとは7,168人で4割に満たない数です。これは音楽学校の発表会の写真ですが、こういう子どもたちは唄でエウェン語を使いますが、日常会話はほとんどロシア語あるいはサハ語を使用しています。70代以上の人たちがしゃべれる、そういう状況になっています。別の地域で10代でもしゃべるところもありますが、一般的にはこのまま行くと話せるひとはどんどん少なくなっていく危機的な状況と言えると思います。


エウェン語の系統

 エウェン語そのものについてお話します。まず、その言語系統ですが、満洲語やホジェン語と同じツングース諸語という言語グループに属しています。このツングース諸語は、モンゴル語やブリャート語などのモンゴル諸語、トルコ語、キルギス語、サハ語などのチュルク諸語と共にアルタイ諸語というグループに属すと言われていますが、本当にこれら3つのグループが同じ祖先から派生したかどうかの確証はありません。それは置いておいて、言語的な特徴が共通するところがあるので、まとめてアルタイ諸語と呼ばれています。
 その特徴とは、1.日本語もそうですが、語順が主語・目的語・動詞であること、2.膠着的な形態法を持ち、接尾辞によって名詞の格を表したり、動詞の形態を変化させたりすること、3.母音調和がある、という特徴が共有されています。ツングース系の言語としては、レナ川の西にはエウェンキ語がありますが、このあたり(アムール川流域、沿海州)には非常にたくさんのツングース系言語が密集しています。そこから離れた場所にエウェン語、エウェンキ語が分布しているということです。


エウェン語の音素・文字

 エウェン語には、実際にどういう文法なり音声なりの特徴があるか、ということを簡単にお話します。文字は基本的にロシア語で使っているキリル文字です。Ж, Ф, Ц, Зはロシア語からの借用語にしか使われない文字で、文中にロシア語が出てきたときに使うというものです。Ҥ, Ө, Ӫは逆にロシア語では使わない字で、エウェン語では必要があって使っている文字です。
 決まった正書法があって、東のオホーツク側の方言を基に作られています。
 発音ですが、子音数が17ありまして、破裂音、破擦音、日本人にとってそれほど難しい発音があるわけではありません。それからこのsですが方言によってはhになることがあります。例えば東部方言では目のことをヤーサルといいますが、中央ではヤーハルといいます。母音の音素は「張り母音」と「弛み母音」の二つのグループに分けられ、ひとつの単語の中の母音は、どちらか一方のグループでなくてはならない、という母音調和があります。単語だけでなく、単語に付く接尾辞にも母音調和が見られます。例をあげると、「大きい」を「やや大きい」に弱めるような、形容詞の意味を弱める<sta>という接尾辞は、弛み母音の単語につくときは<stә>と弛み母音に変化します。名詞と形容詞の区別はなかなかつきにくいもので、この<sta>は名詞にもついて、例えば<haman>(シャーマン)について<hama-sta>となると「衣装のそろっていないシャーマン」という意味になります。この<haman>は「知る」という動詞<ha->から作られていて、東部方言では<saman>、あるいはシャマン、エウェンキ語でもサマン、シャマンと言い、それがロシア語や日本語で借用語として用いられる「シャーマン」の語源になったとも言われています。


教科書エウェン語の文法−日本語との共通点

 これは教科書です。学校でエウェン語を勉強する時間があります。先ほどお話したように、語順は日本語と同じです。「私は―お茶を―飲みます」のようになります。ほかにも日本語と同じ被害受け身というものがあります。「雪に降られた」というようなものですね。
 エウェン語で<Iman−ra−n>は、「雪が―降った」ですが、<Әtitәn imana−w−ra−n>は、「おじいさん<Әtikәn>は雪に降られた」とwが受け身を表しています。このwは迷惑の受け身でなくても、もともとの受け身でも使われます。

教科書の内容
画像をクリックすると拡大した画像が見られます。

教科書の内容


日本語との相違点

 日本語と違うところも見て行きましょう。
 ひとつは人称接辞です。主語の人称に応じて、動詞の語尾が変化する、語幹にそれぞれ違う接尾辞がつくということです。手間がかかるけれど、彼、私などの主語がなくてもはっきり分かるということがあります。
 それから、否定文の作り方に違うところがあります。日本語ですと、「食べ―ない」などと動詞の後ろにつけますが、エウェン語の場合は否定動詞というものを使います。例えば「私は―お茶が―好きです」<bii čaaj-u ajawram>を「私は―お茶が―好きではありません」にする時は、<bii čaaj-u əsəm ajawra>となります。否定の現在と過去は違う否定動詞を取り、また、それぞれの否定動詞は人称によって違う接尾辞を取ります。ちなみに、ロシアの人はお茶が好きで、お茶を表す<チャイ>というエウェン語もロシア語からきていますが、エウェンの人たちもお茶が大好きで、砂糖、ミルク、時にはバターを入れて、食事時もお茶の時間にもよく飲みます。
 エウェン語と日本語の違う点の3つ目は所有表現に違いがあるということです。日本語の場合は「私−の 頭」というように、所有者に助詞をつけて表しますが、エウェン語では所有物に人称接辞が付きます。<私>は変わらずに、<頭>に印をつけるということです。<bii dɪl-ʊ>「私の頭」のように、<dɪl>に人称接辞をつけるので、所有者を言わなくても誰のものか分かる、ということになります。また、日本語では「私は~を持っています」と「持つ」という動詞を使って所有表現をしますが、エウェン語には「持つ」にあたる動詞がありません。「私のところにお茶がある」というような言い方をします。あるいは、「私は ~+持ち だ」というように名詞に「持っている」という意味を表す接辞をつけ、英語のbe動詞にあたる動詞を使って表します。この接尾辞はほかの表現にも使われ、「お茶」が「ミルク+(持ち)」だとミルクティーということになり、所有というより付随を表しています。「私は―眼鏡+(持ち)―来た」など、着用、携帯の意味も表します。「2つの―皿−肉+(持ち)」は2枚のお皿にそれぞれ肉が乗っている、あるいはお皿に2枚の肉が乗っている状態で、内容物を表しています。


サハ共和国の多言語状況について

 エウェンの子どもたちの学校の教室にはエウェン語の人称代名詞の表が貼ってあったり、絵入りの辞書があったりします。サハ共和国の中ではサハ民族が一番多くて43万3000人、これは東京町田市の人口くらい、次にロシア民族が多くて、この2民族で全体の90%近くを占めています。公用語はサハ語とロシア語で、ほとんどの人が民族語とロシア語とのバイリンガル、あるいはサハ語とロシア語のバイリンガルです。ユカギール人のユカギール語話者は40%、エウェン人のエウェン語話者は37%、エウェンキ人のエウェンキ語話者は21%でそれぞれ年長者が主です。
 各言語の使われる場面ですが、ロシア語は議会・式典・大学の授業・空港アナウンス・TVや映画演劇・出版・インターネット、それから家庭内でも使われています。サハ語はお祭り・学校によっては授業(算数・歴史など)で使われる・ヤクーツク空港でのアナウンス・TVラジオの一部時間・サハ共和国ウェブサイト、それから家庭内です。政府第一庁舎の入り口の左右の柱には、それぞれロシア語とサハ語の看板がかかっていますし、ヤクーツクのホテルのドアにかける「起こさないで」のサインは英語・ロシア語・サハ語の3つで書かれています。そのほか銀行や航空券売り場なども2言語が使われてています。
 エウェン語の使用状況を事例で見て見るとー
① Tolinoeの事例:交通の不便な場所です。ここに住む奥さんは、親もエウェン人で親とはエウェン語かロシア語で話します。子どもはロシア語しか話しません。訪問者とはロシア語で話します。
② Khonuuの事例:ヤクーツクから飛行機で2時間くらいの場所です。夫がロシア人のエウェンの女性で、夫とはロシア語、自分のきょうだいとはエウェン語あるいはサハ語で話します。
③ ヤクーツクの事例:エウェン人の女性で、夫はサハ人。家ではサハ語、職場ではロシア語かサハ語を話し、出身地からの電話や来訪者とはエウェン語あるいはサハ語で話します。
 このように、エウェン語を使う場面はプライベートな場面が多く、公的な場面はほとんどありません。少数民族研究所というところがエウェン語のウェブサイトを作っていることや、役場の横断幕には、エウェン語で「私たちのことば、唄、踊りを守りましょう」と書かれていて、エウェンの文化を守ろうとする姿勢が伝わってきます。その横断幕の下にはロシア語の訳文が添えられていて、エウェン語が必ずしも誰にでも通じるわけではないことを示していますが、自身の文化を残そうと言う姿勢は伝わってきます。
 以上、ご清聴ありがとうございました。

以上

(文責:事務局)