地球ことば村
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ことば村・ことばのサロン

2017・7月のことばのサロン
▼ことばのサロン

 

「ネパールにおけるマイノリティ運動と国家の行方」


● 2017年7月1日(土)午後2時-4時30分
● 慶應義塾大学三田キャンパス南校舎471教室
● 話題提供:丹羽充先生(一橋大学社会学研究科特別研究員)
● 司会:田中真知(作家)


司会

 先日初めて丹羽先生に会う機会があり、お話しする中でネパールの多様な言語・文化が国家の行方にどう影響しているかを伺いました。私もネパールには以前から関心がありましたので、ぜひことば村のサロンでお話しくださいとお願いした次第です。博士論文を読ませていただきましたが、ネパール人の生活の中にある不信感、それがキリスト教と関わり合っているという指摘が大変面白かった。そのことも今日聞けたらと期待しております。


講演要旨

 現在のネパールは憲法問題もふくめて、内部的にかなり混乱している状況にあり、今後どうやって国ができていくのか、言語や文化の多様性とからめて、考えてみたいと思います。


自己紹介

 僕は父の仕事の関係で15歳の時に渡米し、南部テネシー州で高校生活を送りました。テネシー州はキリスト教福音派が強い地域で、学校でも進化論も生物学的知見だから、と条件をつけないと教えられません。近所にあったデイトンという町では、1925年にいわゆるサル裁判が行われています。そこでは、進化論を教えた生物教師が裁判で負けたと記憶しています。いわゆる「原理主義(Fundamentalism)」ということばは、こうした保守的なキリスト教福音派を指すために用いられるようになったものです。そうした勢力が今でも相当の力を誇る地域で過ごしたために、宗教・文化というものにぼんやりとした関心を抱くようになりました。ことばは通じても話している基盤が違うということを意識させられたのです。
 19歳で帰国し、慶應義塾大学商学部に入学し、卒業後は一時民間企業に勤めました。しかし、効率化でできた余暇は遊ぶのではなく仕事で埋められ、終わりがない、それにすごく違和感を覚えて退社し、大学院に入りました。そこで、宗教や文化に関心があったことを思い出し、宗教や信仰(信念)について研究しました。
 具体的には、修士課程ではアメリカ合衆国のキリスト教原理主義者の「信仰=信念(belief)」について、博士課程ではネパール連邦民主共和国のプロテスタントの「信仰=信念(biswas*)」についての民族誌的調査を行い、現在は2015年に発生したネパール大震災の復興活動についての研究、2007年暫定憲法で導入された「世俗主義」について研究しています。(それ以前はヒンドゥー王国)

*キリスト教プロテスタントの信仰を表し、「選択」の意味が含まれていて、ヒンドゥー教では使わない。

丹羽充先生


0 ある宣教師との対話~この講演の目的

 調査中に出会った、ネパール滞在約50年に達する尊敬すべき宣教師とのエピソードを紹介します。彼はライ族のカリン語(元来は無文字言語)に、デーヴァナーガリー文字を流用して新約聖書・旧約聖書を訳し、カリン語の辞書も作成した人です。

宣教師:私たちの聖書の翻訳には、言語の保存という意味がある。
丹羽:そもそも言語は保存されないといけないのか。言語の統一は近代化の前提ではないのか。
宣教師:私たちは近代化より重要なことがあると考えている。
丹羽:しかし現地の人が近代化を求めるとしたら・・・?

 今日は、言語の多様性は、無条件に称揚されうるのだろうかという問いを提起したい。ただし、言語の専門家ではないので、それだけでは間が持ちません。そのため、言語を含めた文化の多様性は無条件に称揚されうるのかという、より一般的なものへと、問いを拡張したいと思います。より具体的に本発表では、ネパールにおける国民統合政策とその失敗を検討したい。すなわち、ネパールにおける国民統合の三つの柱とされてきた、国王、ネパール語およびヒンドゥー教をめぐる動向に焦点を当てていこうと思います。


1 ネパールの概況

 正式名称はネパール連邦民主共和国です。北に中国チベット自治区、それ以外はインドと接し、海に面していない内陸国。海抜70メートルから8000メートルで多様な自然相があり、面積は北海道の1.8倍ほどの14.7万平方キロメートル、人口はおよそ2600万人です。資本主義と共産主義に接していて、地政学的に大変難しい国です。環境問題も深刻な状況です。
 多カースト・民族国家、多言語国家で、2011年国勢調査によると、「カースト・民族(jat*)」の全項目は130、「言語」の全項目は125となっています。

*ネパールにおいてカーストと民族は同じ語で表され、またそれらはほぼ同じ意味で用いられる。


2 中世から近代へ

① ネパールの統一
 現在のネパールは17世紀後半にゴルカ出身のプリトビナラヤン・シャハ王が三つの独立王国だったカトマンドゥ盆地を制圧し、そこから領土を拡大していくことにより成立。その際、さまざまな「カースト・民族」「言語」集団を統合しようと、サンスクリット化もしくはヒンドゥー化が進められ国民統合の前駆的試みとなります。ヒンドゥー教は在地のさまざまな宗教的伝統を柔軟に包含しつつ、ネパール全土に浸透していきました。
 1800年代の中葉からラナ家が国王を傀儡化して専制政治を敷き、1854年のムルキ・アイン(国法)により、いわゆるカースト制度が導入されます。誰と誰が結婚すると罰金とか、いくつ階級が下がる、とか、結構細かく決められています。
 1951年にラナ家を追い払ったトリブヴァン国王が中央集権体制の確立に向かいます。ここから国民統合のプロセスが始まりました。1955年王位を継承したマヘンドラ国王はクーデターを起こし、政党を禁止した新国王体制=パンチャーヤト体制を敷いて、欽定憲法を制定し、国民統合を加速度的に推し進めます。

② 1962年憲法
第1部第3条 王国:(1)ネパールは独立的、不可分的な、および主権を有する王制のヒンドゥー王国である。
★ この憲法によって、ネパールはヒンドゥー王国であると規定されました。

第1部第4条 国語:ネパールの国語は、デーヴァナーガリー文字によるネパール語である。
★ ネパール語こそが国語であると位置づけられました。

第3部第14条 宗教に関する権利:誰しも伝統に即して、永遠の過去から継承されてきた自身の宗教を引き受け、実践する権利を有する。ただし、何人も他者に宗教を変えさせてはならない。
★「永遠の過去」と訳した「サナータンデキ」という表現の「サナータン」という単語は、19世紀ヒンドゥー教改革者がヒンドゥー教を指すために用いた「サナータン ダルマ:永遠の法則」に由来していて、強いヒンドゥー的な含みを持っています。

 1962年憲法は、国王、ネパール語、ヒンドゥー教を三本柱とする国民統合の試みを明らかに含んでいました。公教育はネパール語でしかやらないとか、民族団体は作らせないなど、政策の実施にはさまざまな手段が動員されました。


3 人民革命1

① マイノリティの覚醒
 1972年にマヘンドラ国王が逝去し、ビレンドラ国王が王位を継承しパンチャーヤト体制を維持するかの国民投票を実施、僅差で否決、1989年~1990年には人民革命が起こってパンチャーヤト体制は崩壊、複数政党制の民主主義が実現されます。
 ネパール研究の第一人者・名和克郎さんは次のように書いています。
 「一般から新憲法への提案を募集した憲法勧告委員会の議長は後に、ほとんどすべての提案が言語的、宗教的、民族的、地域問題に関するものだったことに触れ、こうした『周辺的』な問題に議論が集中したのは不幸なことだったと述べた。・・・・結果として、こうした『周辺的』な議論は1990年憲法の制定過程においても、部分的にではあるが考慮されることになった。」
 エリートにとっては「周辺的」と思われる問題は、マイノリティにとってはまさに琴線に触れる問題だったのではないでしょうか?いずれにせよ、彼らの要求は1990年憲法にある程度反映されることになります。

② 1990年憲法
第1部第4条 王国:ネパールは、多カースト・民族的、多言語的、民主的、独立的、不可分的で主権を有するひとつのヒンドゥーの立憲君主制国家である。
★ 多様性を認めるというポジティブな言及が見られるようになり、また、国王の権力が大幅に削減されました。

第1部第6条 国語:(1)ネパールの国語は、デーヴァナーガリー文字によるネパール語である。ネパール語は公用語とする。(2)ネパールの様々な地域で母語として話されているすべての諸言語はネパールの国の言葉である。
★ ネパール語以外も考慮にいれようというわけです。「国語」と「国の言葉」が別々に想定されています。やはりネパール語のほうが上位にある。しかし言語多様性を認めようという方向です。

第3部第19条 宗教に関する権利:(1)誰しも伝統に即して、永遠の過去から継承されてきた自身の宗教を引き受け、実践する権利を有する。ただし、何人も他者に宗教を変えさせてはならない。(2)あらゆる宗教的集団は、法に従って、自らの独立した存在を安定させ、自らの宗教的場と宗教的財産を運用し守る権利を有する。
★「永遠の過去から継承されてきた」というヒンドゥ―教を彷彿とさせる表現は維持されているが、マイノリティの側から見れば、一定の承認を得ることができたように見えます。


4 人民革命2

① 1990年の人民革命①以降のアイデンティティ・ポリティクスの無尽蔵な高まり
 この時期についてネパール研究の先駆者石井溥さんによれば、今までいじめられていたと感じていたマイノリティの不満が爆発し、特にジャナジャーティ(民族・特に先住民)、ダリット(旧不可触民)、マデシ(南部インド系住民)などの包括的社会範疇の用語は1990年以降急速に普及した、と。社会範疇間の対立も顕在化し、民族教会やカースト団体の結成も盛んで、ネパール(先住)民族連合も1991年に発足している、と。
 マイノリティの間では、承認要求のみならず、旧支配層への過去の遺恨と再分配要求も高まっていき、その結果、カースト・民族数や母語数が激増します。
*カースト・民族数 1991年:65→2001年:103→2011年:130(国勢調査の全項目)
*母語数 1991年:35→2001年:93→2011年:125(国勢調査の全項目)
 このように多様性の流れにのって「自由」「権利」「平等」といった観念が流通するようになります。

② ネパール共産党毛沢東派(マオイスト)の台頭(1996年~2006年)
 そのような時期に、マオイストが武装ゲリラとして登場し、農村から都市を攻める中で既存の社会構造や秩序に問いをつきつける人々を組み入れて行きます。マオイスト統一人民戦線議長から後に首相となったバブラム・バッタライの政府への要求の一部をご紹介しましょう。
*王及び王家の全ての特権は廃止されるべきである。
*ネパールを世俗国家と宣言すべきである。
*あらゆるカースト・民族的な搾取と抑圧は終わらせるべきである。ジャナジャーティがマジョリティであるところでは、彼らが自治政府を作ることが認められるべきである。
*ダリットに対する差別は終わらせるべきである。不可触制は除去されるべきである。
*全ての言語と方言は繁栄の平等な機会を与えられるべきである。高等学校までの母語による教育の権利が保障されるべきである。
*丘陵部とタライの地域的な差別は終わらせるべきである。後進的地域は地域自治を与えられるべきである。村落と農村の間は平等に扱われるべきである。

 差別や不平等は是正されなくてはならないが、しかしこれらの要求を見ると、そもそもどうしてネパールという国の下にまとまっていく必要があるのかとすら考えさせられます。(マオイストの主張は時として本気なのかと疑わしいことがありますが)
 ベネディクト・アンダーソンによる「想像の共同体」論議が思い出されますが、少なくとも国家という共同体においては、「想像」だとしても、なんらかの共有物がなければならないのでは、と僕は考えています(もちろん国家という共同体が、そもそも不適切ではないかという議論は、また別の問題ですが)。
 1990年憲法を作ったビレンドラ国王や多くの王族が2001年にディペンドラ皇太子に殺されるという事件の後、王位を継いだギャネンドラ国王はマオイストを強権的に制圧しようとしますが、マオイストは多くの国民の支持を得て、人民革命2を実行し、その結果2006年に和平協定が結ばれ、2007年に議会が招集されて王位は撤廃され、連邦民主制に移行することが議決されます。2007年には暫定憲法が作られました。

③ 2007年暫定憲法
第1部第3条 国家:多カースト・民族的、多言語的、多宗教的、多文化的な性質を有しつつ、共通の大志を抱き、国家の独立、統合、国益およびネパールの半生のためにひとつになることによって、すべてのネパール国民は集合的に国家を構成する。
★「共通の大志」とは何かがよくわからないですね。ここでも多様性が称揚されていくわけですが、多宗教的、多文化的という言葉が盛り込まれました。1962年憲法におけるヒンドゥー的なサナータンデキ(永遠の過去から)という言葉は使われなくなり、代わりに「祖先から受け継いだ」という言葉になっています。

第1部第4条 ネパール国家:(1)ネパールは独立的で、分割不可能な、主権を有する、世俗主義の、包摂的な連邦民主共和国である。
★王政の撤廃と世俗主義の導入が明記されました。多様性を中に取り込んでいく、という意味の包摂的という表現が用いられました。

第1部第5条 国語:(1)ネパールで話されるすべての母語は国語である。(2)デーヴァナーガリー文字で書かれるネパール語を、政府による職務のための言語とする。(3)上記(2)にかかわらず、在地の機関あるいは役所が〔いかなる〕母語でも用いることを妨げない。政府によつ職務のために用いられた母語について、国は翻訳して記録しなくてはならない。
★すべての母語は国語、というと、僕がネパールに帰化したとして、母語の日本語も国語になってしまうのか?ネパール人に聞くと、みんなを幸せにしようと、実現できないことも盛り込んでいる、と言います。国語と「国の言葉」の違いは取り払われました。翻訳についても、実際にはできるわけがないのでは、と思います。

④ 2015年憲法
 さまざまな圧力団体から要求をつきつけられ、憲法制定は先延ばしになっていましたが、2015年に制定されました。しかしそれは4月25日に発生したネパール大地震のどさくさに紛れて、という印象が強いです(政府からすれば、復興を迅速に行うためにまずは憲法を作成すべきとのことだったようですが・・・)。

第1部第3条 国家:多カースト・民族的、多言語的、多宗教的、多文化的特徴を有しつつ多様な地理的状況の中で共通の大志を抱き、国家の独立、領土的統合、国益およびネパールの繁栄のためにひとつになることによって、すべてのネパールの国民は集合的に国家を構成する。
★ さらに、地理的な多様性が加えられました。

第1部第4条 ネパール国家:(1)ネパールは、自由で、分割されえない、主権を有する、世俗主義の、包摂的で、民主的で、社会主義を志向する、連邦民主共和国である。補説:本条で「世俗」という際、永遠の過去から継承されてきた宗教文化の保護はもとより、宗教的および文化的な自由を想起しなければならない。
★ 補説を見ると、これは結局「世俗主義」と呼べるのかどうか疑問を抱きます・・・。「永遠の過去から継承されてきた宗教文化の保護」というのはヒンドゥー教を保護するということでしょう。「宗教的および文化的な自由」というのは、キリスト教などは存在してもいいよ、ということだと思います。2007年暫定憲法のころから、ヒンドゥー過激派が台頭してヒンドゥー王国回帰の要求があった。それとマイノリティの要求との調停を考えてできた補説だと思います。

第1部第6条 国語:ネパールにおいて話されるすべての母語は国語である。
第1部第7条 政府のための言語:(1)デーヴァナーガリー文字で書かれるネパール語を、政府による職務のための言語とする。(2)ネパール語に加えて、州内の多くの人々が話すひとつの、あるいは複数の国語を、州法に基づいて州の政府のための言語と定めてもよい。
★ もともとカースト・民族を単位に連邦制を構想していたので、7条の(2)はそれとの関係でできたと考えられます。

第3部第26条 宗教的自由の権利:(1)宗教を信仰するそれぞれの個人には、自身の信仰に則って宗教を奉じ、実践し、また護る自由がある。(2)それぞれの宗教的集団には、宗教的場と宗教的組合を運営し、また保全する権利がある。しかしながら、宗教的場と宗教的組合の運営と保全は、また組合の資産および土地の管理は、法を作り施行するのを妨げるものではない。(3)本条において与えられた権利を行使する際、誰しも公共衛生、品位や道徳に反するような、あるいは公共の平安を乱すような行いをしたりさせたり、また誰かの宗教を変えさせたり、さらに他の宗教の妨害をしたりさせたりしてはならない。こうした行いは、法に則って罰せられる。
★ 布教は明確に禁止されている一方で、宗教的自由に関しては保障されています。

 「多様性」という点では、ネパールはどんどんユートピアに近くなってきたように思えます。それでもまた、2015年憲法には繰り返し修正が求められています。マイノリティによる権利要求が無尽蔵に行われるようになり、権利要求が応じられない場合は、実力行使にも出ます。例えば2015年9月から2016年2月までの国境封鎖など。医薬品や人道支援物資も入らないような戦時よりひどい国境封鎖で、レストランも椅子やテーブルを薪にするような、そんな大変な事態が21世紀の首都で生じていました。


会場の様子


5 母語を捨てる人々

① カトマンドゥにおいて失われていく母語
 1980~90年代に教育や職を求めてカトマンドゥに移住してきた人々とその子孫の中には、例えばマガール族のように母語忘れてしまったひとも少なくありません。マガール語は首都では使用価値がないからです。現地の人の判断として、言語を護ろうとは思っていないわけです。むしろ言語は権利要求の道具として使われているように見えます。

② カトマンドゥにおいて失われていくネパール語
 中流・上流階級は子どもたちを私立学校へ通わせるようになっていて、そこではネパール語の授業以外はほとんどの科目が英語で行われているため、質の高い授業を受けている子は、ネパール語が出来なくなっています。ネパール語で100まで数えられないのは普通のことです。

 言語の多様性と謳われていても、そもそも今日のカトマンドゥでは現地の人自身が母語を重視しているようには見えません。カトマンドゥのエリートからは言語多様性はおのずと失われるだろうと推測でき、そして、それこそが現地の人々の判断に他ならないのであれば、それはそれで仕方がないことなのかな、と僕は思うのです。


6 宗教対立主義の予感

① ヒンドゥー教過激派について
 いわゆるヒンドゥー過激派はネパールが世俗主義になること、なったことに非常に不満を持っていました。最近はキリスト教会を爆破する、神父を狙撃する、家に放火するなどのテロも起こしています。他方、過去にサンスクリット化によってヒンドゥー教に統合された、例えばキラント教などが、自らをヒンドゥー教から差異化しようとする動きも見られるようになりました。今後宗教対立がひどくなっていくのではないかと予感されます。

② プロテスタントのある知識人の見方
 世俗主義の導入の際、各宗教が同等になるとプロテスタントは喜びましたが、世俗主義に警鐘を鳴らすプロテスタント知識人も現れました。新聞に掲載された記事ですが、その知識人はネパールという国が維持されるためにはヒンドゥ―教国家であり、ヒンドゥー王国であった歴史を受けいれ、かつ維持していくべきだと主張しているのです。当然プロテスタントからは反発がありますが、僕は一定程度はこの主張に賛成の立場です。

 ネパールには昔からイスラム教徒もいます。ヒンドゥー政党の、元首相をしたある人物に聞いたのですが、この方自身はヒンドゥー教徒ですが、2007年の世俗主義導入の際、イスラム教徒の一部から次のような声が聞かれたそうです。インドは世俗主義国家だが宗教紛争が絶えない、ネパールも世俗主義を取らずにヒンドゥー国家のままでいたほうが、宗教対立が起こらないのではないか、と。この話がとても印象に残っています。


7 おわりに

 国民統合に失敗した結果、多様性は重んじられるものの、それ以上にネパールの人々は生きにくくなったように見えます。そもそもネパールという国が共同体の単位として存在しなければならない意義がよくわかりません。文化や言語の多様性を犠牲にしてでも国民統合を果たしたほうが幸せだったかもしれません。あるいは国という共同体のあり方を見直す段階なのかもしれません。
 私たち日本人はすでに国民統合を経ています。その立場から見ると、言語や文化の多様性は護られるべきものかもしれません。ただし、ネパールの現地の人々にとっては、かならずしもそうとは言えないのではないでしょうか。


(文責:事務局)