地球ことば村
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ことば村・ことばのサロン

2017・11月のことばのサロン
▼ことばのサロン

 

「文化と文化を繋ぐことば―『風と共に去りぬ』を翻訳して」


● 2017年11月11日(土)午後2時-4時30分
● 慶應義塾大学三田キャンパス南校舎442教室
● 話題提供:荒このみ先生(東京外国語大学名誉教授)
● 司会:大角翠ことば村理事(東京女子大学教授)
● YouTube映像 (講演の全内容をご覧いただけます)
  https://www.youtube.com/watch?v=lER8X_gUsPQ



司会:
今日は東京外国語大学名誉教授の荒このみ先生をお迎えして、昨年新訳を出された『風と共に去りぬ』の翻訳をなさるに至った経緯やそれを通じて考えられたことを「文化と文化を繋ぐことば」と題してお話しいただきます。荒先生についてはみなさんのほうがご著書を通じてよくご存じだとは思いますが、私から簡単にご紹介いたします。
 荒先生は東京大学大学院で英文学を専攻されたのですが、実は私も同時期、私は英語学でしたが、東大大学院に在籍しておりました。そのころから荒先生は頭角を現していらして、評判のかたでした。ご専門はアメリカの黒人文学・黒人文化、それを人権思想や女性の権利、反戦思想などとのつながりで考察されておられます。今の日本の問題を考えるのに通じるところが多い分野ですね。先生の著書を読むと、読者の心を惹きつけるようなお仕事をされていると感じられます。私はちいさな言語をコツコツと研究しているので、本当にうらやましく思います。今日のお話、期待しております、どうぞよろしくお願いいたします。


講演要旨

 大角翠さんとは大学院の同期で、それ以来、初めて去年に東京女子大で『風と共に去りぬ』についてお話しさせていただいたときに再会しました。ご近所で犬の病院が一緒だったり(笑)うれしいですね、人生ってこういうことがある。そして、翠先生のおかげでことば村のサロンにお招きいただき、ありがとうございました。
 新訳の美装版『風と共に去りぬ』は、岩波文庫から全六巻、昨年春に完結したものです。原書は1037ページの作品、それを6巻にして、各巻に解説をつけました。ですから、ただの翻訳書ではなくて、これを全巻読むと現代のアメリカがよくわかってきます。現在はいろいろな情報があってアメリカについてよく知っているようですが、実はよく知らない。この作品も、映画を見た方はラブロマンスの印象が強いでしょうが、映画は10分の1しか描き出していません。


荒このみ先生


今、『風と共に去りぬ』を翻訳する意味―作者の文体・世界観・思想に忠実に

 私はずっとアメリカ文学研究をしてきましたが、そういう人間がこの作品を訳すのはどういう意味があるのか。すでに大久保康雄訳があって、私はそれを中学時代に読んで感激したのですが、これまでの日本の読者は、この大久保康雄訳で読んでいるのですね。
 大久保訳は終戦直後に全訳されましたが素晴らしい翻訳です。戦前は何人かの人によって抄訳がなされていましたが、大久保康雄が初めて全訳をしたのです。1948年三笠書房から出版され大ベストセラーになりました。それから半世紀以上たっているわけです。今、アメリカ研究をしてきた者が、あるいは、21世紀インターネットを通じてアメリカについて多くを学ぶことができる時代に、どういう翻訳をすべきか。そのような心構えで、私は新しい翻訳に挑戦したわけです。
 半世紀が経って、作品当時の南部の食べ物など、細かい具体的な情報や背景としての南北戦争の情報も集まり、翻訳者も読者もアメリカ文化・社会についての理解が深まりました。そのような状況の中、私はこの作品を新しく翻訳をすべきだと考えたのです。第一に、マーガレット・ミッチェルの文体・世界観・思想に誠実になること―作者の価値観を翻訳する中で忠実に表したいと思いました。また、大久保訳では日本の読者がまだわかっていないことを説明する意図から冗長に流れている部分があって、マーガレット・ミッチェルの文体ではない、と思います。さらに誠実に翻訳するということから、私は下訳は使いませんでした。加えて、大久保さんという男性が読み切れなかった女性作家の思想があるとも思いました。それも含めて、新しい翻訳を出す意味があると思ったわけです。

 この作品が出版されたのは1936年、その三年後にハリウッドで映画化されています。この映画は今でも観客を呼べる人気作品です。マーガレット・ミッチェル自身も1939年ジョージア州アトランタでのワールドプレミアで夫とともに観て、素晴らしい作品だと感動するのですね。しかし彼女は映画には一切口出しをしていません。プロデューサーのセルズニックが、ぜひ助言してほしいと何度も懇願するのですが、彼女の態度は、映画化権はあなたに売ったのだから、勝手に作ってください、というものだったそうです。
 マーガレット・ミッチェルにとっては、自分の作品は「言語芸術」なのですね。言語芸術については彼女はとても厳しいです。翻訳に関しても厳しい姿勢で作品を見ています。1037ページの作品を短くしてもらっては困る、子供用に易しいことばで書いてもらっては困る、と手紙の中ではっきりと言っています。新しい翻訳では、解説が必要だろうと考え、各巻にかなり長い解説をつけ、これを読めばアメリカ文化がわかる、という仕組みにしてあります。


『風と共に去りぬ』の背景

 この作品の背景をおさらいしておきます。マーガレット・ミッチェルは1900年に生まれ、1949年に交通事故で亡くなっています。映画を観に行こうと、アトランタのピーチトリーストリートを横断中、酔っ払い運転のタクシーに轢かれ、数日後に亡くなったのです。
 1900年から49年、つまり20世紀の前半に南部のジョージア州に生まれ育った。これは大きな意味を持っています。物語の舞台はジョージア州アトランタの周辺。タラ農園はアトランタから南に30数キロのところにある架空の綿花農園です。タラという地名はアイルランドのダブリンの北にあるタラの丘、そこから取っています。主人公スカーレット・オハラの父、ジェラルドはアイルランドから政治亡命をしてきた人という設定です。
 物語の時代は南北戦争の時。南北戦争は今に至るアメリカ史の中で一番大きな出来事です。つい数か月前、ヴァージニア州で南軍兵士の像が倒されたというニュースがありましたが、南部と北部の対立が今でも消えていないのです。南部のひとは北部ヤンキーに対する、劣等感でもあり、誇りでもある複雑な気持ちを持っていますし、北部は、南部は奴隷制度が敷かれたけしからん地域である、知的にもレベルが低いと見なす傾向がある。南北戦争がふたつを分けてしまった。


南北戦争勃発から再建時代まで

 1860年にエイブラハム・リンカンが大統領に選ばれ、その結果南部の経済を支えてきた奴隷制度を廃止するのではないか、そうなると南部は成り立ちいかなくなる、そう考えて、当時34州だった合衆国の、南部の11の州は連邦を脱退します。そして南部連合という新たな国を作ろうとした。憲法を作り、大統領、副大統領を選出し、アラバマ州モントゴメリーにホワイトハウスを作った。のちにヴァージニア州リッチモンドに移りますが。今の首都ワシントンDCとリッチモンドは近い距離にあります。国家として認められるために諸外国からの承認が必要です。そこで南部連合は政府要人をイギリス、フランスに送り、承認を求めようとします。南北戦争の4年間承認を得ようと努力しますが、結局認めてもらえなかった。戦争は国家と国家の争いですが、南北戦争は国の中のある地域が反乱を起こした内乱ということになります。
 北部も南部も、この戦争は三か月で終わると考えていました。リンカン大統領は当初奴隷制度廃止よりも、国が分断されないように連邦維持の努力をしますが、次第に奴隷制度廃止に傾いていき、1863年1月1日に奴隷解放令を出します。65年4月に南部の降伏によって南北戦争は終結、その数日後にリンカンはワシントンで暗殺されてしまいます。 そのことがあらゆる混乱を招いた、と私は考えます。1865年から1877年までの12年間を再建時代(リコンストラクション)と呼んでいますが、この時期、北部の急進派の共和党が南部を軍政下に置くのですが、その支配の仕方が良くなくて、南北はさらに対立を深めてしまいます。

 この物語は1861年4月、すなわち南北戦争が始まった時から73年までですから、再建時代の途中で終わっていますが、ミッチェルは再建時代に関してもたくさん書きこんでいます。そのような背景がある、ということをまず頭に入れておいていただきます。


翻訳に困る英語のことば

 英語を日本語にする際、何に困るかというと、私は「I」:「私」の訳し方です。日本語ではIにあたることばが「わたし、わたくし、あたし、僕、俺、・・・・」沢山あり工夫しなくてはなりません。この翻訳のときも、それぞれの登場人物に一番ふさわしいIの訳は何だろうかと気にかけました。
 もうひとつは、brother、sisterです。日本は出自の順番を気にします。英語ではたいていの場合名前で呼びますし、長幼の順が長い間読まないと分からない。しかし日本語では兄とか妹とか特定しなくてはなりません。それから伯父さんか叔父さんか、つまり親の兄なのか弟なのか、それによって漢字を使い分けなくてはなりません。1970年代にソ連が崩壊すると予言したフランスの人類学者で歴史人口学者のエマニュエル・トッド、彼が家族の形態を分析しています。それによるとアメリカ合衆国は絶対核家族である、と。日本の場合は直系家族で長子相続ですから男か女か、誰が男の第一子であるかが重要なわけです。けれどもアメリカの絶対核家族ですと、それぞれが自立していますから姉妹の区別はさほど問題ではなくて、その人の名前、メアリ、キャシーでいいわけです。
 それから、特に地名などのカタカナ表記、それも翻訳するにあたり悩むところです。


『風と共に去りぬ』の人物造型

 主人公はスカーレット・オハラ、このO’Haraという名前を見れば、アメリカの読者ならばすぐに、これはアイルランド系の人物だと分かります。ミッチェルもアイリッシュ・アメリカンでした。だから主人公をアイルランド系にした、とも言えますが、私は別の意図もあったのではないかと思います。というのは、スカーレットの父親ジェラルドがアイルランド系なのですが、母親はフランス系にしている。登場人物の人種的背景を見ただけでもアメリカの歴史が埋め込まれているのです。
 スカーレットはオハラ家の長女で、妹が二人、弟が三人います。しかし弟たちは幼い時にみな死んでしまう。娘が三人残ったわけです。奴隷を100人抱えた農園、すなわち大金持ちの家の娘、彼女の16歳から28歳までの話ですね。
 登場人物は主人公のスカーレット・オハラ、父親のジェラルド・オハラ、母親のエレン・オハラ、ウィルクス家の長男でスカーレットが恋心を抱くアシュリー、アシュリーと結婚するメアリー・ハミルトン、そしてレット・バトラー等。バトラー家はサウスカロライナ州の古い港町で、奴隷貿易で栄えたチャールストンの出身。これらの人々のそれぞれが特徴を持っていて、ミッチェルは人物造型がものすごく上手いですね。日本の作家、例えば森瑤子さんは『風と共に去りぬ』の続編『スカーレット』を翻訳・出版していますが、それだけ『風と共に去りぬ』に入れ込んでいる。林真理子さんもスカーレットに惚れ込んでいる、それくらいミッチェルはプロの作家をも惹きつける人物造型力があったのです。
 19世紀のアメリカ文学を代表するのは『緋文字』のナサニュエル・ホーソン、『白鯨』のメルヴィルですが、女性の描写が出来ていません。ミッチェルは、女性はもちろん、男性の登場人物の描写も大変すばらしいと思います。
 私が大久保訳と名前を変えたのは、ジョージア州の沿岸都市サバンナ出身のフレンチ・アメリカン、エレンの実家です。大久保訳ですとロビヤール家ですが、私はロビヤード家としました。アメリカの言語学者ロビン・レイコフにも問い合わせたのですが、ロビヤードがいいだろう、ということで。外国由来の名前も次第に英語化する傾向にあり、エレンは三代目ですから。


標準英語からの逸脱

 黒人奴隷の英語はやはり原書でも標準英語ではなく書かれていますので普通の表記にすると作者の意図が伝わらない。以前は黒人の英語の翻訳には東北弁が使われていましたが、それでは東北人を軽蔑したことにならないか、かといって関西弁にしたらおかしなことになる。(笑)
 私は東京育ちですが祖父母は福島出身でなまりがありました。そういう音を中に入れながら、私の中にある親譲りのイントネーションも使っていろいろな地方のことばを織り交ぜた日本語にしました。黒人英語をどう訳すか、これは悩みのタネですね。あるときは、1037ページ全巻から乳母のマミーのことばだけを取り出して、統一がとれているかどうか気をつけたりしました。
 この作品は19世紀半ばの話ですから奴隷制度のある時代で、黒人奴隷をダーキーとか、ニグロなどと普通に呼んでいました。今ではそれらは差別用語ですね。しかし、ミッチェルは19世紀半ばのアメリカ南部の大農園の暮らしがどのようなものかを、私たちに提示しようとしているわけですから、やはりダーキーをアフリカンアメリカンと言い換えたらおかしいわけです。ですからこれらのことばはそのまま使いました。考えてみると、黒人をどう呼ぶかはずっと変化し続けていて、19世紀半ば、奴隷ではない自由黒人が増えてくると、肌の黒いひと、あるいは一滴でも黒人の血が混じっているひとをどう呼ぶか問題になりました。アングロアフリカンと呼んだり、ブラックとか、カラードと呼んだり・・・。20世紀に入って、ブラックは軽蔑辞でしたが、ニグロは中立的な呼称と思われていました。1960年代になってブラックパワーの運動があり、ニグロは白人が貼るレッテルでけしからん、逆にブラックであることに誇りを持とうという動きになりました。それで、Black is beautifulと子どもたちに詠唱させたりしました。するとブラックに対する蔑視が少なくなっていく。ことばは面白いもので、そういう力があります。


黒人をどう呼ぶか、呼称の問題

 60年代後半からアフロアメリカン、次にアフリカン・アメリカン、次にアフリカンアメリカン、英語表記のハイフンは軽蔑辞なので取る。今はアフリカンアメリカンと呼ぶことが正しい呼称となっていますが、50年後には変わっているかもしれません。1865年の南北戦争終結後の憲法修正条項13・14・15で、奴隷制度は無くなりますが、アメリカ合衆国は州政府の権限が強くて、差別法を制定することができる。たとえば異人種間の結婚はご法度にするなど。日系アメリカ人も同じことで、カリフォルニア州などでは日系人は1950年代まで白人と結婚できなかった。そのような差別法(ジム・クロウ法)が制定され、黒人はアメリカ市民として認められなくなったのです。かれらにアメリカ市民権が認められたのは100年後の1964年、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師などの指導する運動によって、公民権法が成立、65年選挙法が成立します。ようやく「アメリカの黒人」はホテルやバスの待合室で差別されない、学校も黒人学校はできない、そうなりましたが、本当はアフリカンアメリカンも、アメリカンでいいわけでしょう?アメリカ市民なのですから。ところが今でもアフリカンアメリカンと呼ばれています。彼ら自身も白人の前では自分をアメリカンと言いにくい雰囲気がある。ちなみに、黒人同志では、平気でニグロとかダーキーとかニガーと呼んだりしますが。でも外部のものは使えません。
 このような呼称の問題がなぜ起こるのか。例えば、トイレは洗面所、WC(Water closet)、ご不浄、厠などと呼ばれます。つまり表現しにくい場所、差別的な場所なんですね。それを婉曲に表現する話法です。ひとつの婉曲語が差別的イメージに染まると、また新しい婉曲語を発明しなくてはならない。アフリカンアメリカンの場合も、あるいはアメリカインディアンと呼んでいた人々をネイティブアメリカンと呼ぶようになったことも同じことです。ことばが変わっても差別の構造は変わっていません。ただ、当事者が嫌がることばを使うことはないので、婉曲話法でいうのは社会的智慧ではあります。


英語の地方差・教養差

 黒人の英語の翻訳の他、タラなどのジョージア州北部と南部、南部でも沿岸部ではことばが違う。エレンにはフランス語のなまり、チャールストン出身のレット・バトラーは少し間延びした、上流階級のほんわかしたなまりがある、それが鼻につくとスカーレットは言うのですが、それをどう表現するか苦労したところです。フランス系アメリカ人であるクレオールの英語を喋る若者、彼の間延びした英語もうまく表現できたかちょっと心もとないところがあります。
 オハラ家の隣家のタールトン家も100人の奴隷を持つ上流階級の家です。物語の最初は、1861年の4月、タラ農園の館で、大学を放校になって戻ってきた隣家の双子とスカーレットが話している場面です。この双子は勉強嫌いで4回も放校になっている、その彼らの英語は無教養な、文法の間違いが多い英語で、例えばshe doesn’t とすべきところを she don’tと言う。これを日本語にするのは難しいですね。また、物語が進んでから登場する、南北戦争の兵士だった貧乏白人のウィル・ベンティーンの英語は、無教養だと批判されているのだけれど、普通の英語をしゃべっている。また、タールトン夫人は馬の種付けが非常に上手くて、馬の誕生や種付けの話題が大好きなのですが、19世紀のお上品な伝統は、レディは馬に限らず、人間の誕生も話題にしてはいけないとしていた。スカーレットはそういうタールトン夫人が自分の尊敬する母・エレンと大いに違う、エレンのようなgreat ladyになりたいと思う一方、タールトン夫人と娘たちのざっくばらんな様子に惹かれるところもある。タールトン夫人をこのように造型したこと、これもミッチェルが意図したことだと思います。

 大久保訳ではスカーレットの人物描写として、「個性的な美貌と火のように激しい気性の持ち主」とあり、新潮社の新しい訳では「個性的な美貌と激しい気性の持ち主」となっています。大河小説の場合、登場人物をどんな人か忘れることがあるので、訳者がこのような人物描写を初めにしておくことがあるのですが、私はこうした訳者の主観的な判断を読者に押し付けることを極力避け、年齢や結婚、その相手など、事実のみを説明として入れました。


会場のようす


南部の情景~南部の人間模様

 各巻の表紙写真ですが、第一巻は大農園の館、第二巻は綿花畑、第三巻は南部連合のホワイトハウス、第四巻はアトランタ郊外のストーンマウンテンの側面に彫られた南北戦争の武将たち、第五巻は南部の典型的な道で南部特有のスパニッシュモス(苔)が木からぶら下がっています。第六巻はジョージア州の州花、チェロキーローズです。今まであまりにも映画の印象が強くて女主人公が表紙になる事が多いのですが、この作品はまずなによりも南部の物語ですから、南部のさまざまな情景を表紙に取り上げました。
 新潮社の第二巻のアトランタ陥落の場面の表紙ですが、これは本文に誠実ではありません。アトランタ脱出のために、レット・バトラーはどこからか馬→荷車と馬を盗んでくるのですが、もう、よぼよぼの馬なのです。この表紙はたくましい馬で、原文に誠実ではないのではと思います。

 スカーレットが惚れ込んだ相手、アシュリー・ウィルクスは文学や絵画、音楽が好きで、常に北部やヨーロッパを向いていて、ニューヨークから本を取り寄せたりする。ジョージア州北部の人から見ると、彼は変わっているということになります。なぜ変わっているかといえば、祖父がヴァージニア州から来ている、だから文学なんかが好きなのだとある。そうすると、ヴァージニアはどんなところか、と疑問がわいてきます。独立以前の植民地時代、イギリス人たちは後にヴァージニア州となる地域のジェイムズタウンというところに1607年初めて定住地を作ります。1492年のコロンブスの新世界発見以来、旧世界の人々は定住地を作ろうとしますが、疫病や食物不足などで失敗する。初めて成功したのが1607年のジェイムズタウンなのです。1620年にイギリス国教会に反対する分離派がメイフラワー号で、のちにプリマスと名付けた場所にやってきた。1630年にジョン・ウインスロップに率いられた清教徒が300人ほどやってきてマサチューセッツに植民地を作り上げていく。
 このように、今のマサチューセッツ州のあたりと南部ヴァージニア州のあたり、それと商都ニューヨークが中心となって合衆国を作っていき、1776年独立する。ヴァージニアの人は建国当時非常に力を持っていたわけです。やはり大農園で奴隷を使ってタバコやコメ、インディゴを作っていて、早くから豊かになり、したがって文化が高まった。ヴァージニア州の旧家はファーストファミリー・オブ・ヴァージニアと呼ばれています。FFVは旧家の出身ということです。
 アメリカはデモクラシーの国と言われますが、名門大学の募集要項に「あなたの先祖にメイフラワー号に乗ってきた人がいたらそれを書きなさい」とあって書いた人は受け入れてくれるらしい(笑)。そのようにFFVだと今でも意味を持つ。
 アシュリーの祖父はヴァージニア出身だということで、ジョージア州北部では浮き上がってしまうのですね。


タラ農園はどういうところに作られたのか

 第三巻でチェロキーについて詳しい解説をつけてありますが、1830年代まではチェロキー部族の土地でした。開拓者たちは土地所有者になりたい、たくさんいる先住民インディアンたちをどこかに閉じ込めてほしい、と考えるのです。1830年に強制移住法という法律が議会を通ります。どこそこの土地に住んでいるインディアンは何月何日までにミシシッピー州の西に移住しなければいけないという法律です。ミシシッピー州以西から西海岸までは、1803年に時の大統領ジェファソンがフランスのナポレオン一世から安い価格で購入した土地ですが、1830年当時は、全く未知の、不毛の土地だったわけです。そこに先住民たちを押し込んでしまおう、そうすればジョージア州などは白人だけの土地になる、と。第一巻で出てきますが、1822年に無一文でアイルランドから政治亡命してきたジェラルド・オハラはポーカーゲームで広大なタラの土地の権利書を手に入れますが、そこにはまだ1830年代まではチェロキー部族がいました。彼らは文明的な部族で、文字も持ちましたし、調和ある共同体を作って住んでいたのですが、強制移住法で追い出されてしまいます。物語は1861年ですからほんの30年前まで、タラにはチェロキー部族が住んでいたのです。

 タラは綿花農園ですが、コットンキングダム(綿花の王国)と呼ばれたように19世紀前半のアメリカ南部の綿花輸出量は世界の三分の二を占めていました。綿花を作れば大金持ちになれたのです。南北戦争のとき、南部の綿花輸入が断たれ困ったイギリスはインド綿やエジプト綿の栽培を奨励することになります。


アメリカに貴族階級はいない

 大久保訳で間違っている箇所に、「フランス系の「コースト」貴族の出である母親の優雅な顔立ち」というくだりがあります。アメリカには貴族制度が存在したことはありません。 原文では「a Coast aristocrat of French descent」ですが、アメリカでaristocratは単に上流社会の人間あるいは裕福な人を指すか、皮肉を込めて気取り屋を意味するのです。それを貴族がいるように訳しては間違いです。第一巻で貴族という人物描写をしてしまうと、誤訳というだけでなく、実はこの1037ページの本の中でミッチェルが意図したことが何だったかが全くわからないことになってしまうと思うのです。「ジョージア州の海岸地方は、古くからの門閥階級に、あまりにも整然と占拠されていて(大久保訳)」:新潮社の新訳では「ジョージア州沿岸の社会は、貴族階級が確立してがっちりと固められており」とあります。これは全く間違いで、エレンの祖父にあたる人はフランスから流れてハイチにやってきて奥地で農園を開拓し、大農園主になりますが、1791年から1804年のハイチ黒人革命では、そうした大農園主は殺戮対象になるのでアメリカの沿岸都市、フィラデルフィアやニューヨーク、チャールストン、サバンナに逃れた。そういうフランス人たちが例えばチャールストンには3000人くらい住んでいたのです。つまりエレンの祖父も上流階級ではありますが、全く貴族階級ではない。ミッチェルが言いたかったのは、アメリカは普通の人が自分の才覚でプランテーションを発展させ、金持ちになり、アメリカ合衆国を作り上げてきたということなのです。
 チャールストンに住んでいるバトラー家も上流階級ですが、レットは20歳で勘当され無一文で追い出されてしまう。上流階級といっても祖父はもともと海賊で、それはバトラー家の最大の秘密でした。アメリカでは一代で大金持ちになり、すると二代目は上流階級、貴族「的」階級とみなされるようになる、しかしもともとは貴族ではなくコモンマン(普通の人)なのです。


南部の女性をしばるもの

 第一巻188ページで、ミッチェルは次のように言っています。「あとにも先にもこの時代ほど女に備わる自然な資質を低く見積もっていた時代はなかった」。「この時代」というのは19世紀半ばですが、書かれたのは1920年代半ばからの10年間です。その頃でも、アメリカの南部はこの言葉に当てはまるような、女にとって不自然なことが強要された社会でした。それは1965年まで、私は続いたと思っています。65年は公民権法もありますが、もうひとつはヴェトナム戦争の悪化です。それによって、アメリカの体制側は自信を喪失する。1966年はブラックパワーの年でもあり、NOWという全米婦人組織、ベティ・フリーダンが中心になった女性の権利を訴える組織が作られた年です。ミッチェルは南部の女性たちの置かれた状況を、188ページに記されたこの文章で言いたかったのではないかと思います。

 常にイギリスを向いているアメリカでは、1837年から1901年までのヴィクトリア女王の治世時代に強調されたお上品な伝統「genteel tradition」が踏襲されます。ヴィクトリア女王は夫プリンス・アルバートが1861年に亡くなって以来ずっと喪服を着ていた。そのような恭順の姿勢がアメリカの女たちに強いられていた時代です。また「女の領域」という考えかたが建国時代からあって、とりわけ19世紀には女は「家庭の天使」であって、公の場に出てはいけない。中産階級以上ではこういった道徳観念が守られています。「共和国の母」は家にいて、子どもたちのしつけをする。この作品に出てくる「活人画」、例えば南部の女神の象徴を生身の人間が演じる静止画ですが、これをスカーレットが演じる場面がある、しかしこれはあくまで戦争協力として許される行為でした。男の世界である病院に行って傷病兵の看護をする、これも戦争協力として許されるのです。男手がなくなって初めて女は外に出ることが許される。戦争は身分や男女差を平準化する作用があります。日本でもGHQの指導のもと、1946年、戦後初の衆議員選挙で39名の女性議員が誕生しました。翌年は半減し、それが30数名に復活するのは2000年以降のことになります。
 スカーレットは少女時代、母親と乳母によって、レディのしつけを受けるのですが、レット・バトラーがその後の教育係の役割をします。寡婦として喪服を着ているスカーレットを、レットはわざと寡婦には禁じられていたダンスの輪に引き入れます。自分の人生が大事だということをレットは盛んに言います。婉曲にしか触れられなかった妊娠についても、レットはそれは自然なこととして肯定すべきだ、と。妊娠した女性のお腹から、男性たちは目をそらしてあらぬ方を見る、そのほうが、よっぽど卑猥だ、と。まさにそうだと思います。レット・バトラーは21世紀に繋がる発想をしている。だからこそ、私たちはレット・バトラーに惹かれるのだと思います。

 もうひとつ、大久保さんの訳で間違っているところは、先ほど出たスパニッシュモスですが、「松ら(しょうら)のしげる彼ら(農園主のこと)の王国からサバァナへ」と訳しています。今ではスパニッシュモスが木からぶら下がっている写真などを目にすることがありますが、大久保さんの時代には情報がなかったのでしょう。これは無理もないことだと思います。新潮社の新訳では「彼らは苔むした王国からサバァナに」となっていますが、スパニッシュモスは「むさない」のですよね。(笑)ぶらさがっているわけです。植物を知らなかったり、アメリカをしらなかったりするための難しさですね。でも原文を読むと、「moss-hung kingdoms」とありますから、hangしているわけです。だから「むしていない」というのは英語を見てもわかる。(笑)


アイリッシュ・アメリカンという意味

 もうひとつ、父親はアイリッシュ・アメリカンで、スカーレットにも半分アイルランドの血が入っています。なぜそうしたのか。1848年くらいから5年くらいに渡ってアイルランドではポテトファミン(ジャガイモ飢饉)が起こります。それによって、ケネディ大統領の祖先もアメリカに移住してくる。そのころアメリカにやってきた200万人くらいのアイルランド移民は、貧しい農民階級でした。イギリス領北アイルランドのアルスターのあたりは長老派教会のプロテスタントが住んでいる。南のアイルランドにはカトリックが多い。19世紀にアメリカに来たアイルランド農民はほとんどがカトリック教徒だったのです。ケネディが大統領に選ばれたとき、初めてのアイリッシュ・アメリカンでカトリックだ、ということでアイルランド系の人々はとても喜んだのです。第一次世界大戦時のウッドロー・ウィルソン大統領もアイルランド系ですが北アイルランドの出身でプロテスタントだったわけです。現代のキリスト教とイスラム教の対立以上に、19世紀にはカトリックとプロテスタントは対立が激しかった。それで、この物語の中で修道院に関してふたつ記述があります。ひとつはエレンとジェラルドの結婚の時―エレンの実家ロビヤード家は上流階級ですし、ジェラルドはアイリッシュ系の小男で、あんな男と結婚してはならない、と父親に反対されたエレンは、許してくれないのなら「チャールストンの修道院に入ってしまうわ」と言います。「娘が尼になるくらいなら、ジェラルド・オハラと結婚する方がまだましだった(第一巻第三章132)」と父親は結婚を許す。それほど、カトリックの修道院は恐怖される場所だったのです。
 もう一か所が、スカーレットの末妹キャリーン、ブレント・タールトンと恋人関係だったのですが、彼が南北戦争で死んでしまう。それで、チャールストンの修道院へ入るのですが、タラの経営を継いだ貧乏白人のウィル・ベンティーンは彼女が問題なく修道院に行けるように考えてやります。それくらい、修道院、カトリシズムに対する偏見が強かったのですね。カトリシズムは謎に包まれている、わからないから怖いのです。


アメリカン・サーガとしての『風と共に去りぬ』

 最後になりますが、では、『風と共に去りぬ』では何が去り、何が生き残ったのか。映画では、南部の文明が風と共に去った、というようなキャプションが入るのですが、みなさんは何が去ったと思われるでしょうか。いろいろな解釈が可能だと思いますが、何が去り、誰が死んで、何が、誰が残ったか、それを見ていくと大変面白いのです。
 館では、アシュリーのトウェルブ・オークスの館、スカーレットのあこがれたギリシャ神殿のようにシンメトリカルで非常に美しい館も、戦争で焼き払われ礎石しか残っていない、ところがミッチェルはタラの館を焼かせないのですね。なぜそうしたのか。タラの館はジェラルド・オハラが長いこと一人で暮らしていたために、いいかげんに増築を重ねて美しくない館なのです。それが残った。
 それでは人物の中で誰が死んでいったのか。エレン・オハラ、エレンの死後、気がふれたジェラルド・オハラ、アシュリーと結婚し、2度目の妊娠で死ぬメラニー・ハミルトン、その兄でスカーレットの最初の夫チャールズは戦地ではしかで死ぬ、アシュリーの父ジョー・ウィルクスも兵隊にとられて戦死する、アシュリー自身は生き残りますが、茫然自失の亡霊のような状態でいる。アトランタの精神的バックボーンだったミード先生夫妻は三人の息子すべてが戦死し、家も失って未来が無い。
 一方、生き残ったのはスカーレット、マミー、タラの経営をすることになったウィル・ベンティーン、貧乏白人の彼がスカーレットの希望でもあったタラ農園の再興を担っていく。彼は、つまりコモンマンですよね。アメリカはコモンマンの創った国、普通の人が進取の気性を持って努力すれば土地持ちに、金持ちになれる。スカーレットは乳母日傘で育ってはいますが、レット・バトラーが「あなたはレディではありませんね」と言いますね。一巻の最初で、スカーレットはレディ教育を受けておしとやかにふるまってはいるけれど、「眼はスカーレットだった」と書いています。眼はそのひとの性質を表すところですから、彼女は自分自身を持っている、そういう女だということを最初からミッチェルは言っているのです。
 この物語は南部を舞台に、南北戦争を時代背景に書かれている、しかしミッチェルがこの中で書きたかったのはコモンマンの物語、たまたま南部に、南北戦争時に生まれたひとりの女が、自分の才覚で生き延びていく物語、レット・バトラーを取り戻すことはできないとしても、彼女はタラの農園にもどって、これから自分の未来を生きていく、その力強さが最後の文章で書かれていると思います。ですから、『風と共に去りぬ』はコモンマン、セルフメイドマンの築いたタラ農園の未来が約束されているアメリカン・サーガである、と私は思うわけです。その思いでこの翻訳をいたしました。ご清聴ありがとうございました。


(文責:事務局)