地球ことば村
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ことば村・ことばのサロン

2019・2月のことばのサロン
▼ことばのサロン

 

「言語学者のニューカレドニア―メラネシア先住民と暮らして」


● 2019年2月16日(土)午後2時-4時30分
● 東京女子大学同窓会館ラウンジ
● 話題提供:大角翠先生(東京女子大学名誉教授)


I. はじめに―研究者としての紆余曲折

 ご丁寧な紹介をありがとうございました。本日は、昨年9月に出版いたしました「言語学者のニューカレドニア―メラネシア先住民と暮らして」という本の内容にそって、お話したいと思います。
 先ず初めに、私がニューカレドニアの言語を調査するに至るまでの道筋について簡単にお話ししようと思います。実は私は東京女子大の学生だったころからオセアニアに縁がありました。オーストラリアと日本の大学生同士の交流をしていたサークル(JASEF)の支部を母校に作ったり、その関係で私自身もオーストラリアまで船で、当時流行っていた無銭旅行に出かけたりしていました。学部の卒論ではオーストラリア英語の語彙の特徴について書きました。指導教官は意味論研究の池上嘉彦先生でした。東京大学の院(宮部菊男先生)ではやはりオーストラリア英語の音韻と文体について書きましたが、当時はオーストラリア英語を研究する人は珍しい時代でした。1973年からはパリ大学の博士課程でアンドレ・マルティネ先生のもとで勉強しました。論文のテーマはアフリカの南東、マダガスカル島沖のモーリシャスのクレオール語の構造です。日本に戻ってからは5年間共立女子短期大学の専任講師をやり、その後、オーストラリア国立大学で博士を再び始め、ニューカレドニアの言語の研究にたどり着いたという経緯です。
 博士号を取った後、シドニー大学の専任講師となりましたが、そこに沖縄学の外間守善先生が客員教授で来られ、沖縄の名護に名桜大学という大学を新設する予定なので教授として来てもらえないかとオファーがあり、1994年に日本に帰国しました。沖縄では社会の変容に合わせた言葉の変化、特に県外から来た学生と沖縄各地から来た学生の言葉に興味を持ち、ウチナーグチ(琉球語)の文法特徴が標準語に取り込まれたり、ウチナーヤマトグチの中で新たな語彙が作り出されたりする現象について研究しました。1997年から東京女子大学に戻り去年まで教えていました。ニューカレドニアの言語で最初に研究したティンリン語に続き、2000年頃からはネク語の研究を始めました。この二つの言語は地理的に隣接していますが、音構造も文法もたいへん異なります。ティンリン語の文法書は1995年に出版しましたが、ネク語の文法はまだ未記述です。両言語とも現在に至るまで、私以外の誰にも研究されていないので、やりかけの辞書も含め、なんとか完成させたいと思っています。8割程度書けているもののその先になかなか進めません。


II. フィールドワークの日々

オセアニアとはこんな地域

 ニューカレドニアはオセアニアにあるわけですが、そのオセアニアには三つの言語グループがあります。(1)オーストラリア大陸のオーストラリア原住民語、(2)ニューギニア島と周辺のパプア諸語、そして、私の研究対象の(3)オーストロネシア語族です。オーストラリア原住民は約5万年くらい前からオーストラリアに居住していたとされ、ニューギニアも同様に、パプア人が非常に古くから現在の地に住んでいました。その為この地域の言語は非常に多様化しています。パプア諸語は実に60以上の語族からなるとも言われ、言語の数は推定で750にのぼっています。
 オーストロネシア語族は1万年から6,000年前頃に台湾を出発、フィリピン、インドネシアを経てオセアニアに拡散した、非常に広範囲に拡がった語族です。もともと中国南部から台湾にやってきた人々ではないかという説があります。先史時代のインドネシアからニューギニアの海岸地帯や島嶼部までのあたりは比較的浅瀬で人が簡単な舟で行き来できたようですが、そこから更にリモートオセアニアと言われる大海原に航海して行くには高度な造船技術や航海術などの知識が必要でした。オーストロネシア人はこのような技術や知識を携え、ポリネシアのサモア、トンガや更に東のタヒチに向かい、また別の一派はフィジーやトンガから反転しミクロネシアに拡散したと言われています。


メラネシアという地域

 メラネシアには古くからパプア人がいてパプア諸語を話していたわけですが、6,000年くらい前にそこへ高度な文化をもったオーストロネシア語族の人々がやってきました。と言っても、内陸までは至らず、海岸部や離島をかすめてさらに東へ拡散していきました。メラネシアは世界有数の言語密集地帯であり、言語構造も複雑なものが多いのですが、この接触も原因の一つだろうと思われます。同じ島の中でパプアの言語とオーストロネシアの言語が隣り合わせに存在していることもあります。オーストラリア国立大学のマルコム・ロス先生はこの言語接触について文法面でもいろいろ分析されています。


なぜ言語が多様化したのか

 メラネシアでは大酋長制が発達せず、力関係の拮抗した部族から成る社会形態を現在まで保ってきました。部族間で戦争があったり逆に結婚で同盟をむすんだりしたことはありましたが、ことばが混ざることはありませんでした。つまり部族の単位が小さく互いに平等で、どれか一つの言語が優勢言語になる、ということはなかったのです。
 日本のような近代国家では国民は通常同じ言語を標準語として理解しますが、それは国としてまとまるための必然と言えます。植民地支配のような場合を見ても、まず言語を統制すること、つまり現地語の使用を禁止して宗主国の言語を強制するというのが効果的なやり方であるとみなされていました。
 人にとって言語は内省する時と、他者とコミュニケーションをとる時に重要なものですが、ほかに、「仲間意識を育む」と、「他者を排除する」の二つの相反する機能があります。例として沖縄の大学にいた時の経験ですが、県外から来た学生は皆の仲間に入れてもらうために一生懸命土地のことばをまねようとしていました。若者だけに通用する若者言葉も同じことで、同じ表現を使うことによって互いの連帯感を深めていたわけです。逆にこのことは、ことばが違う者は仲間ではないと意識されることに繋がります。これはことばの紋章的役割といわれます。メラネシアに話を戻すと、たくさんの小さい部族は言語によって自分達の結束を図っている。どの言語を話しているかが彼らのアイデンティティーにつながるのです。ここでは二言語併用、三言語併用の慣習がありますが、これも彼らがわざと言語を混じりあわさない結果です。違う部族同士で結婚した場合、子どもは両親の母語を両方しゃべる。加えて今はフランス語が共通語なので三言語併用となります。


パプア・ニューギニア

 パプアニューギニアのニューブリテン島の沖合にあるカポ島に、院生のフィールドワークに同行した時の写真です。とても面白い経験でした。水場も一カ所しかなく、トイレはビーチの一角を男性用、女性用と分けて使っていました。高床式の家の上が居住空間で梯子を上って行き、下は壁もなく土間になっていて、料理の準備をしたり豚の飼育に使っています。一晩寝て起きたら私の身体は虫に刺されて黄色く腫れあがっていました。この家は女性と子どもだけが住んでいます。一夫多妻制で、男の人は男ハウスから奥さん・子どものところへ通います。男ハウスには女性は近寄ってはいけないそうです。女性たちの耳たぶの穴(ピアス)には大きい貝がはめ込まれていて、貝をはずすとイカリングみたいに垂れ下がっていました。


カポ島


ニューカレドニアでのフィールドワーク

 ニューカレドニアはオーストラリアの北東、本島とロワイヨテ諸島などの小さい島から成っています。人口は27万6千人、メラネシア人や白人、インドネシア、ヴァヌアツ、ワリスからの移民などが住んでいます。公用語のフランス語のほか、28の現地語、一つのクレオール語が話されています。現地語はオーストロネシア語族に属するとされていますが、大変多様化した言語特徴を持っています。私が35年前から研究しているティンリン語は特にコグネート(同語源語)もほとんど見当たらない程、他の言語と異なっています。
 ニューカレドニア本島の現地語は不思議なことに、島を横に輪切りにしたように分布しています。島の中央には縦に大きな山脈があるので普通なら海岸に沿って同じ言語が続きそうですが、ここでは山脈の東側と西側が同じ言語地域になっています。
 1983年に初めてニューカレドニアでフィールドワークをした時、その予行演習のような形で先ず、ロワイヨテ諸島の一つ、ウベア島を訪ねました。ロワイヨテは本島よりもカナクの伝統が多く残っています。茅葺きのカーズと呼ばれる小屋がビーチ沿いに立ち並んでいます(写真)。


ウベア島


ティンリン語

 ティンリン語は本島中南部のプティクリ、グランクリという部落で話されている、話者260人余りのごく小さい言語です。グランクリではハンメアという方言が混ざっています。この他、サラメアという地域にも話者は少数いますが、そこでの日常語はほとんどフランス語です。
 私はプティクリ部落に滞在し、ウンボ・オレロ(ヌーヌー=おじいさんと呼ばれている)が主に私の調査のインフォーマントになってくれました。プティクリは大酋長の家(写真)があるので有名ですが、大きなカーズの入り口に人の顔が彫刻されているトーテムポールが立っています。入り口の両脇には神聖な木が植わっています。


グランカーズ


 プティクリの奥にあるグランクリは大きな部落でお店も一つあります。お店の主人は呪術師だと噂されていましたが、危なくないのかと思いますが、みんなそこで買っていました。次の男の子二人の写真は悪ガキ二人組と本で書きましたが、髪が黄色いでしょう?肌は黒くて金髪というのは結構あることで、オーストラリアのアボリジニの間でも見られるようです。祖先に白人がいたというわけではないそうです。ドブ川で水浴びし、皆、中で体を洗ったりして、衛生的にはちょっと。。。ブニャという伝統料理は、火であぶった大きなバナナの葉に魚、エビ、チキンや、バナナ(皮ごと)、ヤム芋、タロ芋などいろんな野菜を載せ、その上からココナツフレークを搾ったココナツミルクをかけ、それをちまきのお化けのように包んで縛ったものを、長時間熱した石や葉っぱ、土の中で蒸し焼きにするとても美味しい料理です。



 もともとニューカレドニアはフランスの流刑地でした。1878から79年に、ティンリン語の話されている地域で原住民の大きな反乱(アタイの乱)があり、憲兵に捕まった多くのカナク人は南端のパン島に流されました。この大きなバニヤンの木の下にいるのはヌーヌーの親戚にあたるティトです。また、このおじいさんのトマ・アムブウェウイさんは盲目で、パン島在住のティンリン語の最後の話者でした。残念ながら私とヌーヌーに会った1年後くらいに亡くなってしまいました。


ティト


ネク語が話されている地域

 2000年から調査を始めたネク語もまた、話者が200人程度しかいない少数言語です。ティンリン語の地域に隣接した地域ですが、プティクリと同じような衛生環境で、トイレもないところでした。本にも書きましたが、暴力やアルコールの問題も多く、滞在中は心を痛めることが何度かありました。狩には子どもも行くので、小さい子が普通にライフルを持ち歩いています。呪術師らしき人もいて、私自身も急に具合が悪くなり病院に連れていかれましたが、家族は私が毒を盛られたと言いました。
 すぐ隣のポテという部落ではオロエ語という、ネク語にかなり近い言語が話されています。私の元院生はこのオロエ語の研究をしました。ポテに住む人と、ネクに住む人の間にはかなりの姻戚関係もあったようで、彼女も温かく迎えてもらっていました。実はポテ部落の方が暴力もなかったようですし、皆優しくて、うらやましいくらいでした。
 次の写真は私が毎年滞在しているワウェ部落の家族と酋長夫妻です。


ワウェの家族と酋長


苦労続きの言語調査

 良いインフォーマントはどうしたら見つけられるのかと質問されることがあります。いろいろな所でよく、「ことばを良く知っていて、頭のいい人」が良いインフォーマントだとされています。ですが、そんな人ってそう簡単にはいないのですね。ましてや、話者の数が非常に限られている場合、そんなに理想的な人はいません。また、人は母語を使えるからと言って、その文法構造や音の体系が分かっているわけではありません。ですから母語話者に文法的説明を求めるとむしろ混乱してしまうことが多く、それよりもとにかく根気よく語や文をその使われたコンテキストと共に聞き出し、先入観を極力持たないで分析していくことに尽きます。一歩一歩、文法の仮説を立てながら、再度確かめ、暗闇の中を進む感じです。
 私に協力してくれたヌーヌーも、ワウェのルイとギュスターヴも、頭の回転が速いとは全く言えないタイプでした。何か聞くとウーンと黙り込んでしまったり関係のない話を始めたり。けれども、もっとすばしこいタイプの人たちは早とちりしてしまいます。何か聞くと、間髪入れずにこうだと答える。良く知ってるでしょうと言わんばかりですが、こんな時は大抵は間違っているのです。また、ネクの人たちは特にそうですが、忍耐力がありません。同じ事を二回繰り返して聞いたりすると、本気で怒り出すんです。でも、「これは○×△★○×△★だ」とぺらぺら~と言われて、それ、書き取れますか?(笑)「もう少しゆっくり言ってもらえませんか」というと、「○×△★○×△★!」ともっと早口で言うんです。余計にわかりません。

 フィールドワーカーは今は大変進んだICレコーダーとかを持って行くと思いますし、私も今までエディロールなどを使って録音していました。けれども録音したものはまず、聞いてもわからないです。その時直接聞いて分からなかった言葉を、後で録音を聞き返してもわかるわけがない。なので私のやり方は、録音をしたあともう一度録音を聞かせて「ここは何て言っているの?」と一語一語、書き起こすのです。自分ひとりでは録音を聞いても全く、手も足も出ません。実は話者でさえ、録音を聞いても何を言っているのか分からない、ということもあります。あなたが言ったことじゃないか!と思いますが(笑)。人の語ることばは、繰り返しや言いよどみがあるし、普通、ちゃんとした文章でなんか言っていないのですよね。
 インフォーマントということばを今は使わず、言語学者はコンサルタントと呼んでいます。私の思う良いコンサルタントは忍耐力のある人たちです。ルイは忍耐力はありますが時々訳が分からなくなる(笑)。そうするとフランス語になってしまう。例えば、この語尾はこういう意味なんですね、では、このことばにこの語尾を付けるとこうなるのかな?と聞いたとします。そうするとフランス語でウィとか答える。「あの、ネク語ではどうなるの、ということなんですが」と本当に低姿勢で聞くのですが、「あぁ、そうだった、ネク語を使わないと」、とフランス語で言う。いつまでたってもフランス語から抜けられない。ギュスターブの場合はどうかというと、考えちゃうのですね。何か聞くと5分くらいウンウン言って考えている。それは分からない、といってくれればいいのですが。


ネク語の複雑さと戦う

 ネク語には特殊な動詞の接頭辞と語根がそれぞれ40も50もあって、組み合わせないと単語にならないのですが、その組み合わせが死ぬほどあるのです。例えば、「殺す」という単語はなくて、「歯で殺す」「手で締め殺す」「足で蹴って殺す」「棒で縦に殴って殺す」「棒を横に振り下ろして殺す」「先の尖ったもので突いて殺す」そういう動詞が30くらいあります。手段や様態を表す接頭辞をつけないと動詞が完成しません。
 このようなコンビネーションを調べていたときに、「火」と関係があるらしい接頭辞と、「泣いている」という状態を表す語根を組み合わせたらどうなるか、聞いてみました。この組み合わせはあり得ないだろうと思っていたのですが、「言えるよ」とこともなげに言うのです。「え!言えるの?」と言うと、「もちろんさ!子どもに火をつけたら泣くだろう!」と(笑)。ルイはこの二つを結び合わせた動詞に目的語の「子ども」をつけて文を作ったのです。びっくりしましたねぇ。
 後で別の例についても話しますが、このように小さな言語には、大言語しか知らない私たちには及びもつかないような動詞があるなど、さまざまな文法現象があるのです。それは大変貴重なことです。人間の認知能力、脳がどう働いているのか、人々は世界をどのように観ているのかなどのヒントが、いっぱいその言語に入っているのです。


思い思いにしゃべるティンリン語話者

 これは集会の時のみんなの様子です。(写真)本にも書きましたが、私たちは話をするとき人の顔を見ますよね。この人たちはみな、うつむいています。今はフランス文化の影響で変わってきてはいますが、伝統的には顔を見て話すと生意気と思われた。「谷を向いて話す人々」というエッセイの中で書きましたが、ワウェの部落に住んだ時、斜面になっているところに人々が谷を向いて座っていました。で、誰かが○○だなぁ、と言う。するとまた誰かが△△だなぁ、とか言う。一人一人が勝手に独り言を言っているよう、まるで山や空と話しているようなのです。広い自然の中、風の音と人の声が通り過ぎていきます。他の人はただそれを傍受し、何か反応してもいいし、あるいは全く別のことを言ったりする。黙っていてもいい。私たちのように、話す相手がはっきりしていて、その相手がこちらの言うことに対して返すというのではないので、相手が聞いていないと言って怒ることもない。以前、エッセイをお読みになった鈴木孝夫先生が西洋的な会話を(対面式の)テニスにたとえ、ティンリン語はそれに対しスクァッシュみたいですねと葉書を下さったことがありました。なるほど、と思いました。
 この集会では、酋長さんが何かしゃべっているのですが、みんなこのように下を向いてつまらなさそうにしています。でも実はこれが正しい、尊敬を表すやり方なのですね。


集会


人々の暮らし

 これはヤムイモ畑です。(写真)山の斜面などで、毎年場所を変える焼畑農耕です。木を切って土地を開き、火を付けてその灰を肥料にし、きれいに畝を作って棒を挿す。空気穴を開ける棒や、芽が出たときに挿す斜めの棒、それらに全部名前があります。焼畑をする時期は酋長さんが季節の移り変わりに耳を澄まし、肌で感じて決めるのだそうです。今はもうされていないのですが、昔は小さな「神の畑」を作って儀式をしていました。


ヤムイモ畑


 最近はツーリストが部落にまで来るようになって、その人たち相手に民芸品を売ったり料理を作ったりします。実は裏で見ていると衛生状態も良いとはいえません。皿類もちゃんと洗わないし。。。狩りで獲った鹿肉を串焼きにするのですが、いちどきに串に刺した肉をたくさん用意し冷凍庫に放り込む。ラップで包むなんて勿論ないし、串が地面に落ちてもお構いなしです(笑)
 獲れた鹿肉を大きいまま小分けにしないで冷凍庫に入れてしまったことがありました。その後は大変でした。クチューム(儀式用)にするために鹿肉をとり出そうとしたら、もう冷凍庫のなかでひっついてしまって出せなくなってしまいました。何週間も電気を切っていましたが結局冷凍庫を壊しちゃいました。
 腐った倒木の中にいる芋虫はカナクの人にとってのご馳走です(写真)。本来は獲ってきたら一週間くらいココナツを食べさせます。するとお腹の中の腐った木が排泄され、代わりにココナツの味になるんです。でもその時は私は帰国前で時間がなかったので、捕獲されたやつをそのまま水でさっとゆでて出されました。せっかく私の為に捕ってきてくれたのだからとがんばって口に半分くらい入れたのはいいのですがそこからどうにも先に行かない。でもやっと食べたらウニヨっと。すると、これはみな変態していて、いろんな段階のがいる。みんな味が違うから食べろ、と(爆笑)。地獄でしたね。羽がはえかかったヤツはゴキブリそのもの。


いも虫


 カナクのお金は、ひもに貝やコウモリの毛などをくっつけたもので、一軒家が買えるくらい貴重なものだと言うのですが、最近ではおばあさんたちが内職で自分で作っているというのです。え?そんなことできるの?と思いました。

 最初に部落を訪れる時は酋長にクチュームと呼ばれるものを贈ります。布の腰巻きとか、棒タバコとか、紙幣などで、自分はどこの誰ですと仁義を切るみたいな感じ。すると、酋長さんが「よく来た、これからはここがあなたの家族だと思いなさい。いつでも来なさい」と言ってくれる。写真は儀式のときに人々が並べて置いたクチュームです。


クチューム


 これは私の家族の新しく建てた小屋で、地域によって家の形態が違います。これは鹿を吊して解体するところです。狩りにも同行したことがありますが、その度命を絶つことに直面し、切ない思いがしました。コウモリもカナクの好物です。大コウモリは花しか食べないから内臓もきれいなのだとか。昔のコウモリの狩りの仕方にはいくつかの方法がありました。長さの違う三つの棒を持って群れが通る場所で待つ、というのも。そうやって棒にぶつかったのを捕まえる。落ちたこうもりは上から棒で叩く。
 この話を聞いている時に叩くという意味の<タ>という動詞を見つけました。この単語は「殺す」という意味にもなります。目的語が「死んでいる」ことをしっかり言いたい時は前に述べた手段、様態を表す接頭辞が必要になります。


III. ティンリン語とネク語はこんな言語

ティンリン語の発音

 ティンリン語はネク語に比べると子音が複雑で、以下のようになります。

・3つの閉鎖音の区別(口音、半鼻音、鼻音)
 三種類の鼻音化の過程があります。
 puu「臭う」、mbuu「柔らかい」、muu「もてなしを受ける」

・軟口蓋・唇音化した閉鎖音、鼻音、摩擦音
 聞いていて区別がつきにくい単語がとてもたくさんあります。
 pù「蝙蝠」pwù「夜」、maa「赤」mwaa「遠い」、fi「行く」fwi「する」
 hi「足」hwii「サトウキビを噛む」、kâ「パパイヤ」kwâ「試合」

・2種類のt, d, n(歯音とそり舌音)
 「叩く」の<ta>は日本語の<た>と同じ様に歯に付いて発音されますが、
 「血」の<tra>音は、舌が硬口蓋の後ろの方に付く。
 このそり舌音を私はtraと表記しています。
 ta「叩く」tra「血」、nô「骨」nrô「ために」、di「葉」dri「さんご」


ネク語の発音

 ネク語はティンリン語のすぐ隣の言語ですが、以下のようにその発音は体系的に全然違います。

・ティンリン語のような歯音と反り舌音の対立も、hも無い。
 かわりに声門閉鎖音('で表記)や幾つもの口蓋化音を持つ。
 日本語には雨(あめ)とか牛(うし)とか母音で始まる音がありますよね。その発音の時に、私たちは無意識に声門を閉じています。それを閉じないで言えますか?ネク語にはその区別があるのです。声門を閉じたイと閉じていないイは違う意味になります。

・母音の数は多く(10個の母音と6個の鼻母音、長短母音の区別)、狭、半狭前母音に円唇、非円唇の区別がある。(例:mwârrï「月」)

 以下をごらんください、ネク語とティンリン語がどれほど違うかわかっていただけるでしょうか。
 「足」、ネク語 ジュアン(djuâ)⇔ ティンリン語 ヒ(hi)
 「心」、ネク語 ウェンネンメ(wênême)⇔ ティンリン語 ヴェハ(veha)
 「名前」、ネク語 ネ(ne)⇔ ティンリン語 ファリン(farrî)
 「男」、 ネク語 ッオッエン('ò'ê)⇔ ティンリン語 モウ(moo)


ティンリン語の同音異義語nrâ(ネク語にはない)

3人称単数主格形(動詞に前置);主語指示詞;継続・進行(主格形代名詞の後);
過去(動詞に後置);所有の前置詞などなど。

  nrâ trarrî  nrâ nrâ nranri nrâ nrî
  3単 不在だ 過去 主語 山羊 所有 3単・所有
 「彼の山羊は存在しなかった。(=彼は山羊を持たなかった。)」

 上の文のnrâやnrîは全部、反舌音です。これらは文中の場所によって意味が変わります。同語源なのかどうかはこれからの研究です。


ティンリン語の所有構造

 所有構造も以下のように大変複雑です。私たちは「目」と単独で言えますね。でもこの言語では誰の目と言うように、所有者をつけないと言えません。調査で、手を見せて、これは何というのと聞くと<ベンロ>と答える。なので、あぁ、「手」は<ベンロ>なんだと思うじゃないですか。でも隣の女の子の手をとって<ベンロ>と言ってみると笑われてしまいました。<ベンニン>というのが正解です。つまり「彼女(ニン)の手」と言わないとダメだからです。このタイプの所有には二種類あって、身体部分の多くは分離不可能所有です。

[分離不可能所有]: 身体の部分、親族名称など。必ず所有者が所有物を指す名詞の後ろに直接つく。(例 nrîfò-rò「私の口」)

 ところが不思議なことに、内臓は分離可能なのですね。初め、なんでだろうと思いました。どうやら、内臓は動物の内臓が想像されて、人が目にするときは既に解体されている。だから、もう所有者は存在してないという訳です。親族名称でもこの2タイプはあり、例えば「夫」は分離不可能ですが「妻」は分離可能所有の形にあらわれます。

[分離可能所有]:
・一時所有前置詞 nrâ、rre / rrê、ò
 wake nrâ nrû 「あなたの仕事」;mwâ rrê kevi 「私たちの小屋」、nre ò rò 「私の火」

 分離可能所有も複雑な形があります。何を持っているかによって、前置詞が違います。鍋、火、小屋、舟など彼らの文化にとって重要なものは特殊な前置詞を使う。日本語は所有は全て、「の」ですんでしまいますよね。それに加えてこの言語には所有分類辞というやっかいなものがあります。何を持っているかによって、以下の7つが使い分けられます。

・所有分類辞:肉類、澱粉、果物、サトウキビ、飲み物、植物や種、慣習的な所有で区別する。
 madre ere-toni「トニーのオレンジ(果物)」;meò hwee-toni「トニーのチキン(肉)」
 tri hwiie-nrî「彼のサトウキビ(噛み物)」;naasi e-rò「私の米(澱粉)」
 nawa êê-nrî「彼のココナツ(植物)」;nawa odho-nrî「彼のココナツ(飲み物)」
 nawa hêê-nrî「彼のココナツ(所有物)」

 同じココナツでも、食べる時、飲む時、植える時、一時的に持っている時などでそれぞれ違います。所有している目的と所有物によって使い分ける。
 「食べる」という動詞も日本語では「食べる」しかないですが、この言語では食べるものがタンパク質なのか、野菜なのかで違う単語を使わなくてはならない。肉やサトウキビと芋とでは違う。
 世の中には、近代化していないところの言語は単語も少なく文法も単純じゃないか、難しい話をしないだろうから、と思っている人が多いですが、実はすごく複雑で、要は関心事が違う、世界の観方が違うということなのです。エスキモーには雪に、アマゾンでは植物に関することばが多いのも一例です。それぞれに民族が培ったすごい知識が裏付けられているのです。この言語もそうですが、例えばある魚の名前がある木の名前と同じだったりする。私たちは偶然だろうと思っていますが、実はそうではなくて本当はその魚の生息する川岸にそのタイプの木が生えていて、その木の種が川に落ち、この魚が食べるということをその部族は知っているのです。アマゾン部族の多様な薬草の知識も有名な話です。


ネク語の所有分類辞

 ネク語には4種類あります。ôjò-は飲み物、野菜、肉はò-、根菜はtjî-、gi-は土地などの所有物。
 ネク語には「~を持つ」という構造に2つのタイプがあります。(ティンリン語は1つだけ)

(A) (ui type) =存在文(ほとんどの名詞。「誰々の何がある」から派生)
  I have a brother. と同じですね。ネク語にはもう一つのタイプがあります。
(B) (tòpè type)(分離可能名詞のみ。tòpèという所有動詞を使う)

 分離不可能名詞はAの存在文構造でしか使えないということを、数年前に見つけました。Aの構文にmooが現れると「夫」の意味になりますが、Bの構文に現われると「男」という意味になります。「子ども」だと前者では「(自分の)子ども」、後者では単に「子ども」になって、文としては「子どものお守りをしている」という意味になります。私見ではtòpè typeは後から発達したものではないかと思います。


動詞類別接頭辞(ティンリン語、ネク語)

 これがさっき言った、身体部位、道具などの手段や特定の動作などを示す動詞の接頭辞です。

[派生動詞の概念構造]

 動詞語根:「移動した、変形した、壊れた、怪我した、現れた、消えた」などの主語や目的語の結果状態を表わすものと、行為の結果、「うまく行った、失敗した」などの評価をあらわすものがある。接頭辞と語根が一緒になって初めて動詞の意味が生まれるのです。

de-jâ「平手で叩いて横に2つに切る/割る」;nyâ-jâ「こぶしで殴って横に2つに切る/割る」;dji-bai「足で蹴って潰す」;tè-bai「上を踏んで潰す」;dji-jâ「足で蹴って2つに折る」;dji-jâ「上を踏んで2つに折る」;dji-jajue「蹴ってひっくり返す」;tè-jajue「踏んでひっくり返す」

 de-jâのjâは「横に割られた」結果、deが「手」を使った動作を指しているのですが、「手」そのものは全然違う単語であらわされます。ですから、このdeとjâが一緒になって、初めて意味を持つ。次のdjiもtèも「足」に関係するのですが、djiは足を振り回すポイント的な感じ、tèは面積のあるところを歩く感じ。「潰す」はbaiですが、djiが付くと「足で蹴って潰す」、tè-baiは「上を踏んで潰す」。コンビネーションでいっぱい単語が出来ちゃうのです。

ネク語文の例
・ è tè-tra ârrâ 「彼は歩いていて石の上でするっと滑った」
・ ïra-inyô è kâ-mirrinyô pârrâ-inyô 「私の子は私の髪をさわってくしゃくしゃにした」
・ è nyâ-bwirri jò  「彼は私をこぶしで殴ったので頭がふらふらした」
・ rri taa-maa djerri 「いつも人が座っているので地面の草がなくなった」
・ è bò-warri sîbë na taaki 「犬はねずみを噛もうとしたが、横を噛んでしまった」
・ è kâyâ-pri sîbë na taaki 「犬はねずみを歯でしっかりくわえて放さない」
・ è mâ-viaa na be?ê 「(幹が割れていた)木がひとりでにまた閉じた」


カテゴリーとプロトタイプ

 ニューカレドニアの(ティンリン語、ネク語以外の)現地語の辞書を書いているフランス人の研究者もいますが、大半は名詞とか動詞の区別をせず、単に意味だけを載せている。彼らは、現地語には品詞というようなものはないので、書く必要がないのだ、と言います。でも実はしっかり分析すれば品詞の区別をつけることができるので、彼らと議論したことがあります。要は、一つの語が複数の機能を持つこと(幾つかの品詞にまたがる)をちゃんと理解し、記述することが重要なのです。
 複数の機能というのは、例えば「椅子」という単語。普通、名詞だと思いますよね。でも言語によっては、動詞にもなる。「足が四本ある」というような意味を持つこともあるということです。エスキモー語研究をしている方が言っていましたが、「石」という単語があるが、名詞として以外に、「石る」とでもいうような動詞の意味にもなる、と。そのように一つの単語がカテゴリーをまたいでいろんな意味になる。前置詞にもなるし副詞にもなる、というふうに。ティンリン語もこのようなマルチの品詞を持つ語がたくさんあります。

 空間を表す表現と認知(山側、谷川、川上、川下)について。東西南北ではなく、誰々が山側から来た、というように言います。でも山なんて見えないのにどうして分かるのか。どうやら彼らにはほとんど本能的にそれがインプットされているようです。空間の高低についても色々な単語の組み合わせがあります
 言語と認知能力はどう関わっているのかは大きなテーマで、今、言語学は心理学、脳科学などの分野の研究との共同研究も進んでいます。色の名前などは言語による差が大きいですが、核となる色は普遍的なものだという考えがある一方、そのことばがあるかどうかで認知能力に差が生まれるとか、記憶に違いがでるのでは、ということも議論されています。サピア=ウォーフの仮説というのがありますが、簡単に言うと、人は自分の言語を通して世界を見ている、思考も言語の影響を受けている、というものです。その後、チョムスキーが言語生得説を唱え、そこではサピア=ウォーフの説は退けられていました。現在、世界の多くの言語が解明されてきて、個々の言語の特殊性と話者の世界観、認知能力との関係性が注目されるようになってきたのです。


会場のようす


IV. 少数言語のこれから

 現在世界には約7000~8000もの言語が話されているとされています。ところが、世界の95%の人々が実はたった5%の(大)言語を話していて、残りの大多数の言語はほんの少しの人々に話されているんです。これらの言語は多くが赤道近くに密集しており、そのほとんどが消滅の危機に瀕しています。これらの言語の大半は文字体系をもたず、十分な記録もありません。そのため、言語が消滅するようなことになればそれとともに、話者の伝統文化、世界観、認知体系などの貴重な遺産も永遠に失われてしまいます。
 言語消滅の理由にはいろいろありますが、大まかには次のような要因があります:
・植民地主義の結果、現地語の使用の禁止・制限が行われた。
・もともとは遠隔な地で外部との接触もなかったところに、外部からの圧力が加わった。社会のグローバル化、近代化の影響によって人が都市部に流れたり、伝統的生活、文化の変容により言語も変化した。
・言語間の優劣が生まれ、優勢な言語が弱い言語を駆逐することになった。社会的利益を追求するため、話者は自主的に言語の切り替え(大言語へのシフト)を行った。また、話者が高齢化し、次世代への継承も行われていない。

 最近では伝統文化、伝統言語の価値を再認識する傾向が強まり、現地語の保存、復興や研究にも力が入れられるようになってきました。しかしこれも簡単には行きません。例えば、ニューカレドニアでは公的機関でも言語の調査をしたり、学校教育に現地語をとり入れたりしていますが、28もの言語がある中で話者数の多い6言語が選ばれていて、言語間の上下関係を生み、採用されなかった言語はますます衰退してしまうことになります。
 既に衰退してしまった言語を消滅の危機から救うことは非常に難しいことです。先ずは話者が自分たちの言語を使い続けたい、という強い意志が必要ですが、それだけでは足りなく、話者の外の世界の人々の『言語意識』を高めることが重要です。それには次のようなことがあげられます。
・家庭、学校、メディアで、また、社会・文化的、経済的活動の中での使用を促す。
・国や地域としての言語政策とその実践の推進。
・危機言語の記録に対する支援:資金的援助、研究者の養成、出版助成等。
・危機言語の保持のための資料(学校用教材も)の収集と情報の公開。
・言語保持、活性化に関する全ての活動の情報を広く広報し共有する。


さいごに。母語以外の言語を学ぶことは大変意義のあること

 人が外国語を学ばなければならない状況というのは、往々にして自分たちの言語が他の国では通じない、コミュニケーション上、優勢言語ではない時です。逆に言うと、英語が母語の人たちは、英語が今や国際語なので、どこに行っても通じる、あるいは通じなくても相手が英語を学んでくれることを当然と思ってしまいます。日本人も英語が話せないと、困っている外国人がいた時に英語が話せない自分が悪いと思ってしまう。これは甚だ不公平ですよね。本当は(外国人は)日本に住んでいるならば少しは日本語を話せるように努力してもらいたいものです。
 実はこういう考えがあります。母語しか知らない人は自分を成長させる機会を失っています。外国語を学ぶことは(大きく言語教育と言ってよいと思いますが)、言語そのものについて学ぶだけでなく、外国語を習得する中で言葉を取り巻く環境や話者社会、話者の思想、発想、状況、対話目的、評価といった様々な視点から意識的に見ることを含んでいる、大変意義深いことなのです。そういう意味でも、世界に現存する、多くの価値ある少数言語にも大きな関心をもって頂きたいものです。


(文責:事務局)