「地球ことば村」メルマガ12号(2007.12)書評
ノーム・チョムスキー『お節介なアメリカ』ちくま新書、2007年9月
07年12月26日

 ノーム・チョムスキー氏と始めて会ったのは1966年のことだったと思う。東京言語研究所の連続講演を機に開催した一般講演会のことだった。たしか日生会館の会議室で、彼は前年に出版された「文法理論の諸相」(1965)の方法論的な部分と「深層構造論」とについて2時間ほど熱心に語った。講演が終わったところで、ベトナム戦争について話そうという誘いがあった。時あたかも、アメリカが北ベトナムにたいして空爆を始めて、日本でもベ平連が連日デモを繰り広げていた最中だった。しかし日本のお偉い言語学者先生の関心は低く、集まりがあまりにも悪くて、せっかくの誘いが無駄になってしまった。大変に遺憾なことだった。

 その当時から、チョムスキーは言語研究と反戦的政治論とを片時も忘れなかったようだ。その後40年を経ていま9.11以降、彼の政治的発言はますます鋭く、それだけに世界の関心を集めている。ここで紹介する最近の著作『お節介なアメリカ』ちくま新書2007.09は彼の新しい政治小論集であって、その多くは彼の政治論集を紹介するサイトChomsky.Infoに掲載されたもので、2002年9月から今年にかけて2007年3月までの重要な論文を収録している。原題はInterventions、つまり、アメリカ帝国の政治・軍事的干渉を指す。日本語本の題はとげ抜きであると言う他はない。

 チョムスキーはかねてからアメリカ帝国内部の産軍共同体と政府諸機関及びそれを支える保守的諸勢力との癒着について詳細な報告をしてきた。その分析の蓄積を土台にしているので、9.11以降の政治論集も外側からは容易には見えない重大な内部的な事実の関係を明晰に分析して提示してくれる。一例をあげれば、「植民地提督ジョン・ネグロポンテ」(2004年7月執筆)では、彼がイラク大使に任ぜられる直前にホンジュラスに駐在してニカラグアの国家テロ事件に深く関与していたことを指摘する。彼のイラク派遣とニカラグアの話はそれぞれ小さく新聞記事に載っていただけなので、私もこの二つを結びつけることができなかった。それをチョムスキーはこの論文の中でレーガン政権とブッシュ政権の世界戦略のなかに正当に位置づけてくれた。そのような重要な関連づけがこの小論の全てに見られて、チョムスキーとその仲間があの国でどのように超エリートのならず者達と対峙しているかを知らせてくれている。あの帝国を変革することが世界の安全のための鍵なのだから、チョムスキーとその仲間の非常に危険な仕事は人類の持続的生存のための世界的な戦いの最前線の最も重要な一翼を担っている。そしてその戦線はいま拡大強化されつつある。この小政治論集のなかの「ラテンアメリカの独立宣言」(2006年9月執筆)と「南アメリカの新たな選択」(2006年12月執筆)がそのいい証拠である。ベネズエラからアルゼンチンに住む人々が決然と独自の道を歩み始めて、アメリカ帝国を弱めた。その経緯について書くチョムスキーは、目に涙を浮かべていたに違いない。この文章の筆致が「誰が、どう世界を牛耳っているか」(2004年6月執筆)などと何となく違う。その明るさは彼の著書Language and Problems of Knowledge, MIT 1988を思い出させる。彼は1986年の春にニカラグアのマナグアを訪れて言語学の連続講義をしたが、この本はその時の記録である。この本の中で彼は中米大学の学生達に「心の研究の展望」について熱く語った。そしていまチョムスキーは、その元学生達が「南米大陸共同体」について熱く語るのを思って心地よく心を揺すぶられたのだろう。