ユーラシアのグリフォン


旧聞に属するが1997年の夏の始めノヴォシビルスクの人文科学研究所を訪れたとき、不思議なものを見せてもらった。それはちょうど手の平にのるほどの赤い素焼のほぼ菱形のかけらで、大きなとたてがみと牙からして明らかにグリフォンの像の一部であった。このグリフォンとかグリフィンといわれるのは、獅子の胴体に鷲の頭をもった伝説の獣のことで、その昔ギリシの神々の天車を引いたり、イェルサレムに爪痕を残したり、コーカサスの山中に住んでいたり、バイカル湖南東のバジリク古墳に現れたり、つまりはユーラシア大陸の全域を縦横無尽に駆けめぐっていた幻獣、ユーラシアの力と勇気と英知のシンボルである。中国古代の麟麟は、胴体が鹿に似ていてあまり怖くはないが、これもグリフォンと無関係ではないのかもしれない。しかし例のグリフォン像の破片を見せてくれた若い考古学者はさらに驚くべきことを語った。この素焼の像はなんとアムール川中流の新石器時代,紀元前三千年頃の遺跡から出土したものだというのである。もし,これが本当だとすると、グリ一フォンが今から五千年前に、新潟一から一衣帯水、目本海を隔てて、シホテ・アリン山塊の山向こうまで来ていたことになる。奇しくも三内丸山の時代である.
グリフォンと同じようにユーラシアの人々もよく旅をする。ユーラシア全体が古来、人々の縦横に往来し、互いに触れ合い交じり合う広い舞台であるとさえいえよう。確かにトルコ人の祖先が南シベリアを出発したのはそう古いことではない。もし、ハンガリー人の租先であるというフン族をチュルク系と認めなければ、トルコ人が一番酉まで行って国を建てたチュルク系の民族ということになる。北へ行ったチュルク系の人々もいる。十世紀代のいつかヤクート人の祖先は南シベリアの故土を出て、バイカル湖周辺に三百年ほども留まり、さらにレナ川沿いに北極圏に達した。この人達は自称をサハといい、あろうことかスキタイ人の末裔であると主張する。いまはサハ共和国を造り、サハ航空という飛行会杜までもっている。また、モンゴル人の行動半径の大きさは驚異である。モンゴル帝国の時代にどれほど多くの人々がどんなに遠い距離を歩いたかは想像を絶するほどであって、蒙古軍が攻めた範囲というのは、実に、西はポーランド、東はサハリンまでであった。
ツングースの人達も人後に落ちない。彼らは何千年かまえに黄河流域を出てから、狩をしながらタイガ(針葉樹林帯)に広がり、イェニセイ川からチュコト半島にまで広がった。また、この人達の遥か前からユーラシア全域に住んでいた人達がいた。われわれ日本人の祖先も多分その一部なのだろうが、いわゆる古アジア語族群のひとびとである。この人たちの生活はあまりにも昔からから続いているので、中国の歴史の記録にさえほとんど現れないほどである。さらに古く歴吏に記録されない旅も多い.松本秀雄氏(元大阪医大学長)はGm型遺伝子が類似していることから、形質的にいって日本人の原郷がバイカル湖周辺にあると主張している。確かにブリヤートの人達は日本人の一部の人達と顔付きが実によく似ている。一緒に飲んでいると、つい古い親戚だと思ってしまうほどである。もっとも目本人と似ているのはブリヤート人だけではない。ニヴフ(ギリヤーク)の民族学者タクサミ氏はよく日本に来るのだが、彼は電車に乗る度に周りの人達を見るときまって「あの人はエヴェン、この人はウイルタ」と日本人の一人一人をシベリアのいろいろな民族に引き当てては喜んでいる。しかも当の本人はどこから見てもニッポンのおじさんそのものであって、スーパーで買物をする度に日本人のくせに、どうして日本語ができないんだろうと不審がられていたものであった。タクサミ氏の属するこのニヴフという民族は大変不思議な人達で、今でこそアムール川河口とサハリン島北部に四千人ほどが住んでいるに過ぎないが、昔は多分アムール川流域の沿海州全域と北海道東北部を生活圏としていたのではないかと思われる。
最近日本語の形成についての論議が新しい展開を見せつつあるが、どうも問題の目本語形成の時期は早くとも紀元前三千年ではないだろうか。それはちょうど縄文時代中期以前の時代である。私も,もともとの日本語が五千年ほど前には基本的に日本列島内で混成的に成立したのではないかと思っているものの一人であるが、この頃日本の東半分には高い文化が栄え、しかもこの文化は北海道を含む日本列島弧北東部地域全体に及んでいたらしい。
また別の考古学的資料からすると、北海道の少なくとも東部と沿海州を含むアムール川流域とが同じ文化をもっていたという説もある。この頃は後にニヴフ民族になった人々もこの地域に広く住んでいて、アイヌ民族を作った人達、扶余韓.祖語期の古朝鮮諸民族などと隣り合い、共々に日本語の形成に何ら〃のかたちで参加し、古い日本語と対決して自分自身の言語と民族を成立させていったのではないだろうか。
あるときコリマ川のほとりでユカギールの老人からこんな話を聞いた。「われわれの祖先は昔たくさん住んでいた。彼らがツンドラで焚く火は星の数ほども輝いていた。その輝きを映したのがあのオーロラだ。」いまユーラシアの民族はいたるところで二十一世紀に向かって新しく歩み始めている。この人達と話す度に、私達日本人を含めて古いユーラシアの諾民族が、あのグリノォンの勇気と英知をもって共々にユカギールの星空のように輝く道を拓いて行きたいと願わずにはいられない。

(『青淵』560号、1997年11月号所収,数語を訂正)