地球ことば村
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【地球ことば村・世界言語博物館】

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ことばでこころを壊してはいけない

 このごろまた若者ことばに関心が集まっています。ある新聞では「方言を話そう」という特集記事のなかで、一つの社会方言として「若者方言」について言及されていて、最近「ださい」「うざい」「きもい」などという言葉が全国的に若者の間に流行ってきているという指摘がありました。また月刊『言語』では「若者ことば大研究」という特集(2006年3月号)を組んでいます。
 いつの時代でも独特な若者ことばがありましたし、その時々の「大人たち」からかなりこっぴどく叱られてきたものです。ですから、別に目くじらを立てることはない、ほっておけば、収まるべきところに収まるものだと言うのも一つの立場です。また上の特集のように几帳面に採録して研究するのも後世の役に立つことなのでしょう。
 しかし見逃してはいけない問題があります。例えば、小さな子たちがすれ違いざまに、「ウゼェ−、ダッセェ−」と聞こえよがしに歪めた口で呟いて通り過ぎます。言われる側の人は青年からお年寄りまで。「失礼ね、この子」と反発できれば強い方です。おとなしい人だったり、ちょっと事情がある人ならばその揶揄がこころに突き刺さって、その子を憎むようになりかねません。電車のなかで、厚手のソックスを履いた女子中学生たちが前の席に座っているお年寄りをちらっと見て、「キモ−ィ、アリエナァ−イ」と甲高い声で罵る。言われた当人は幸いにして気づかないか、そもそも何をいわれているのか分からないことさえあります。しかしそれも繰り返されると、やがて自分のことだと気が付いて、そのようなギャルに遭わないように時間帯をずらして電車には乗るようになる。大学でさえ似たようなことが起こります。天真爛漫な一群の新入女子学生たちが向こうの席に格別人目を引くでもない真面目そうな学生を見つけて、「あいつ、ダッセェ−」と叫ぶ。女の子達は図に乗って、ことごとにその学生を囃し立て揶揄しつづける。「あいつ今日もいた。ウゼェ−」。そのおとなしい学生は大学へ行くのがすっかり嫌になり、入学早々にこころを病んでひきこもりになってしまう。こういうことは友達同士でも起こります。面と向かって「ウゼェー」と繰り返したり、ケイタイにしつこく「死ね」と送りつけたり。やる方は遊びのつもりでも、受け取った方は痛み苦しんだ末に自殺を試みるまでに至ります。
 近頃になってやっと、ことばの攻撃がモラル・ハラスメントの一つだという認識が広まってきました。しかし実は古い深刻な話なのです。北海道で「ゾク、ウゼェ−」という揶揄があると聞いたことがあります。「ゾク」とは暴走「族」ではなく、民「族」の「ゾク」でアイヌ民族に対する差別発言だという話でした。この揶揄はもはや人権にかかわる社会的な犯罪です。差別を胸に溜め込んでこころを痛める子が未だにたくさんいるのです。知里真志保先生が東京の街角に立つ「アイス」という看板がことごとく「アイヌ」に見えて耐えられなかったと書いておられる。こころの痛みが凝り固まって幻覚の状態に到ったのでしょう。ロンドン時代の漱石も下宿のおばさんが絶えず黄色い猿の悪口ばかりを言っているという幻覚に悩まされたといいます。
 若者ことばについて大切なのはそのコミュニケーションのあり方です。「ウゼェー、ダセェー」のように、聞こえよがしに人を揶揄する目的で使われている表現は、口調も独特で、嫌らしげに吐き捨てるように言いなすので、軽い気持ちで言っても、人を傷つける。仮に気づいて振り返って文句のひとつも言ってやろうと思っても、悪態をついた相手はもうそっぽを向いていて、詰問したところで、「あんたのことじゃネェよ」が嘯くのがオチなので、余計に腹立たしいものです。このような揶揄や悪態も、小集団によって繰り返し行われると、正真正銘のいじめになります。いじめの体験はこころに澱のように残るので、子供の頃のいじめを根に持って何年も経ってから復讐をした青年もいるほどなのですから、ことばがこころに刻む傷はたいへんに深いものだと心がける必要があります。
 「ウゼェ−、ダッセェ−」などは、外見の一特徴を捉えて人格を否定する類の評価ですから、陰湿で主観的で自己中心的な悪態で、ひとのこころに棘を立てます。それに「死ね」などが加わると、ことばによるハラスメントどころでは済みません。「人を殺すに包丁は要らぬ、言葉ひとつで沢山だ」と言った人がいました。「あんたみたいな嫌な子は生まれてこなければよかったのよ」と母に言われて、少女が命を絶つこともあるのです。若者ことばについて考えるとき、ことばの怖さについて真剣に考えましょう。ことばはこころを慈しむために使われるはずのもので、ことばでこころを壊すようなことは決してあってはいけません。