地球ことば村
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【地球ことば村・世界言語博物館】

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日本語はどこから来たか?

「日本語はどこから来たのか?」という問に対しては、二つの正しい答があります:

(1)分からない。
(2)どこから来たのでもない。

(1)まず、なぜ「分からない」が正しい答なのかについて考えましょう。

 ヒトの集団は、そもそもの始めから何らの言語をもって旅に出ました。集団が分かれるとき、前の集団の言語を携えて別の道を歩きまし た。集団の分岐は、言語の伝搬です。ですから、一つの言語には必ず親言語がありました。この素朴な過程は否定できません。
 今から二世紀前にインド語が英語やドイツ語によく似ていることに気付いて、これらの言語が遠い親類ではないかという思いつきを語った人がいました。そし てたちまちに多くの優れた研究者がこのロマンを学問に仕立て上げました。それが19世紀の素朴進化論的な歴史比較言語学で した。

  20世紀のはじめ頃、日本語の来歴についても歴史比較言語学の方法を用いて研究しようとする研究者が洋の東西に現れました。日本語系統論が始まったので す。上代の古い日本語の諸相が琉球語・朝鮮語・アルタイ語と比較されました。しかしヨーロッパの印欧比較言語学のようなきれいな対応関係はどこにも見つか りませんでした。もちろんアイヌ語との系統関係も問題にされましたが、幾つかの特別な語彙に借用らしい関連を発見するにとどまりました。この経緯を総括し たのが服部四郎『日本語の系統』(1979、岩波)です。一方で、日本語がレプチャ語やタミル語と同系統であるというような眉唾ものの言説もありました。 また日本語アルタイ起源説では資料を強引に引き当てるなどの無理が繰り返されてきました。そのために日本の言語研究では「日本語系統論に関わらないこと」 が学風にさえなってきたのでした。

 しかし今世紀になって「国際日本文化センター」が中心になって系統論が再び国際的に論議され 始めました(日文研叢書31『日本語系統論の現在』2003)。日本語系統論に長年関わってきた外国人研究者を含めた数年にわたる論議の結果は、服部さん と同じく「日本語の系統は不詳」です。第一に、日本語との親族関係を確認できるのは琉球語(沖縄諸語)だけであること、第二に、親族関係を想定できる言語 は朝鮮語だけであること、第三に、朝鮮語のうち、扶余系の古い言語資料が不十分であること、第四に、語彙と文法要素の対応が体系的でなくむしろ断片的であ ることなど、比較言語学の方法が効かないことがらが多すぎることが再び明らかになりました。

 今回の共同研究では、比較言語学的 な方法だけではなく、言語類型地理論的アプローチ(松本克巳さん)や、特に外国の研究者による分類学的・類型論的な試みが論じられました。しかし日本語の 系統はやはり立証できないというのが今の結論です。つまり、それは分からないのです。

(2)次いで、日本語はどこから来たのでも ないという二つ目の正しい答えについて考えましょう。「どこから来たのでもない」というのは、日本語がここ日本列島弧のどこかで生まれたと主張することに なります。それには二つのシナリオが考えられます。その一つは、ある移住集団が固有の言語を持ってきたが、その集団の故郷では親戚が死に絶えたという場 合、二つ目は、二つの言語が日本で混淆してまったく新しい言語が出来たという場合です。

 第一のシナリオは可能性があります。扶 余系言語が縄文末期~弥生時代の初期に日本列島の西部から侵略を開始した。大陸・半島に残った親の系列言語は、その後、例えば、渤海の滅亡によって死滅し たという場合です。このシナリオでは、日本語の元祖が移住集団とともに日本列島に持ち込まれたことになります。この可能性を比較言語学的に厳密な方法を 使って証明することは今のところ出来ていません。第二のシナリオにも難点があります。混淆した一方の言語はおそらく移住者集団の言語でしょう。この言語に は第一のシナリオが適用されなければなりません。他方の被侵略側の言語のほうでも、それを囲む親族の言語が消滅したのでしょう。例えば、熊襲、出雲、長野 など、縄文時代に行われていた小集団の言語が消滅したように。つまり、二つの言語の混淆が徹底して元の親戚の姿が影も形も見えなくなったのですから、両言 語の周囲の親族言語も死滅した筈です。さもないと、新しい混淆言語が孤立して成り立つことができなかった筈だからです。

 日本語はク レオールだ、だから系 統関係は見えないとのだという主張があります。しかしその主張が尊重されるためには、その周りの親族言語が双方ともすべて「陥没し た」ことを前提しなければなりません。さもないとその主張は思いつきだと言われても致し方ないことになります。

  第一、第二のシナリオにせよ、クレオールにせよ、ある言語が侵入して孤立した点に変わりはありません。違いは、侵入言語が侵入先にあった諸言語を完全に押 しのけてすっかり入れ替わったか、それとも混じり合ったかにあります。後の場合、混淆がどの程度だったかが問題になります。いまのところ、基層の言語が見 えません。従って混淆の程度も分かりません。混淆であったのか否かさえ不明です。だとすると、日本語はクレオールであるというのはただの憶測に過ぎませ ん。

 しかし考古学の最近の成果をふまえて敢えて推測するならば、今から5500年頃には日本列島とその周辺にはたくさんの小集 団とその言語が在って、人々は盛んに交易をして歩いていた。遠距離の交易は千キロをはるかに超えていたのですから、それを可能にした通商用の広域通用語も 存在した。そしてその三~二千年後、人口が日本列島の西部に片寄った頃、大陸・半島からの移民が始まり、その数はその後8世紀までで120万人ほどにまで なった。この時点で日本列島の西には上古日本語が、一方その東から北にかけては後のアイヌ語の元になった言語とその他のいくつかの古い言語が住み分けてい たと考えられるのではないでしょうか。

 このようなシナリオを考える限り、上古日本祖語というのは奄美・琉球語と上古日本語との 間では考えられますが、それ以上の手がかりは無い。そして上古日本語とアイヌ語やそれ以外の文献時代以前の諸言語との間にはもともと系統関係の前提は成り 立たないと考えるべきでしょう。従って、上古日本語より前の時代に関する内的構成(方言間の親探し)を比較言語学的に正当に行うための前提はもともと存在 しないと言うべきでしょう。

 このように、「日本語はどこから来たか」という問に対する上の二つの答は結局ひとつにまとまります。それは上の(1)で述べたような 意味で「未詳」のままです。但し、上古日本語は日本列島の西部で成立したという条件をつけて。