地球ことば村
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聴雨軒 始末記



前回、「聴雨軒」という一文を掲載していただいた。しかし我ながらふがいないと思っていたことがある。読者もおそらく同じ思いをされたことだろうが、どうしてその「仙境 聴雨軒」という看板の写真がないのか? それを載せなければ、あまり意味がないのではないか。

あの原稿は、もともとは4年ほど前に書いたものを手直ししたものだから、現在でもあるのかどうかわからないが、ともかく行ってみよう。そう考えて、今年2005年9月、たしかこのあたりだったと思われるところをずっと先まで歩いて行ってみたのだが、どうしても見つからない。やはりこの4年ほどの間になくなってしまったのかとがっかりしながら、帰り道に懐かしの順益台湾原住民博物館を訪ねてみると、当時のスタッフはほとんど残っておらず、たった一人、英語の達者なY小姐が昔とかわらずにこやかに迎えてくれたのは嬉しかった。久闊を叙したついでに、「聴雨軒」という看板をこの近くで見たことはないか聞いてみたところ、ないと言う。それでは「聴雨軒」がトイレを意味するのを知っているかと聞くとそれは知っていて、おまけに男性トイレ「観瀑亭」も知っていた。さすが! ついでだから、そういう名前をトイレに付けている場所がどこかで見られないだろうかと聞いてみると、うーん、それはないけれど、おそらく fancy restaurant に行けば見られるのではないだろうか、と言うのである。つまり超高級レストランのことだろう。

ついでだから故宮博物院に寄ってみるとあいにく改築中で、展示場も普段の4分の1くらいしかない。そこで見物はそこそこに付属のレストラン「上林賦」で昼食をすませ、トイレに入ってみた。さすがに故宮のトイレでは高級とまでもいかないらしく、聴雨軒と瀑布亭ではなかったものの、しかし珍しく唐代の官人・官女とおぼしき服装をしたマークがついていたので、さっそく写真に収めておいた(写真1、2)。女性用の方が少し横ざまになっているのは、男性用の方からかろうじて撮影したものだからで、怪しいことをしている怪しからん男だと疑われないための苦肉の策、ではない、作だからである。

 

中央研究院の宿舎に帰って、食事中、たまたま東大文学部中文の大木康教授にお会いしたのでこれ幸い、たとえば男女の愛の交わりを「巫山の雲霧」などと言うように、トイレのことを「聴雨軒」「瀑布亭」などと和らげて表現する言い方が中国文学の中で見られるものかどうかお尋ねしてみたところ、いや、そういう表現は初めて知りました、ということであった。台湾ではそうであっても大陸ではどうなのか、それもこれまで気がついたことはなかったという。

翌る日、大木教授はさっそく上海生まれで上海育ちの男性に聞いてみたところ、聴雨軒も瀑布亭も知らなかったという。ところが台湾大学の女性の教授に聞いてみると、こちらの方はどちらも知っている。その晩、インターネットで調べてくださり、次のように知らせてくださった。台湾の女性が上海を旅行中、「聴雨軒」という店をみつけてびっくりしたという報告がネットにのっている、というのである。これらの報告を案ずるに、大陸ではトイレのことを「聴雨軒」とは一般に呼ばないらしいことが分かる。

そうか、インターネットか。歳をとると、すぐにインターネットで調べてみる、という発想が浮かばない。うかつであった。さっそくパソコンで検索をかけてみると、ありました。上海のその記事のみならず、驚いたことに、筆者が最初に見たあの「仙境 聴雨軒」という看板は幻ではなかった! 今でも存在し、しかもそれはトイレではなく、れっきとしたレストランの名前だったのである。大木先生もたぶん気がつかれたに違いないのに、私にそのことを伝えなかったのは、まずは上海の「聴雨軒」で釣っておいて、興味があったら自分で調べて見つけるであろうという、教育的配慮をされたに違いないと推察する。大木先生、おそれいりました。これぞ真にすぐれた教育者である。何ごとにせよ、手取り足取り、教えすぎるのはよろしくない。

上海の「聴雨軒」は簡体字で書かれてはいるが、なんと洋装店の名前であった。店名とともに店の様子が次のサイトで見られるから、興味のある方はアクセスしてみることをお勧めする。ついでに大陸の中国語と台湾の中国語の違いもほんの少しではあるけれども載っているので、その点でも多少の参考になるかもしれない。
http://blog.sina.com.tw/archive.php?blog_id=6788&md=entry&id=2356

さて、台湾で私がみた「聴雨軒」である。インターネットで調べてみると、「黄色の地に黒字で 仙境聴雨軒 と書いた看板が路肩に立っている」と、まさに私が見たとおりのことが記され、ほんとに立派なレストランなのだった。住所はといえば「台北市士林至善路三段...」とある。故宮博物院や順益台湾原住民博物館のあるのが至善路二段だから、やっぱりすぐ近くにあったんだ! なぜこの間見つからなかったんだろう? しかしこうなったらトイレはともあれ、是が非でもこのレストランで食事をしてみたい!
http://home.kimo.com.tw/listen350/main.htm

家内があとから台湾に来て私と合流したので、いつもお世話になるSさんのご厚意で、SさんとSさんのお母さん、それに私ども夫婦、そしてご主人の運転で9月某日、聴雨軒探訪に出かけることになった。近いはずと思ったのはとんでもない勘違いで、このあたりの一段はむやみと長い。外雙渓に沿ったゆるい勾配のある山道をうねくねと進み、まだかまだかというくらい先まで行って、もうあきらめようかというところで、あった! 黄色の地に黒字で「仙境 聴雨軒」の看板!(写真3)申し訳ない。看板だけをとった写真が失敗で、余分な人物が写ってしまったのしかない。ご勘弁ください。禿げたのがそれがしで、隣がお連れ合い様である。せっかくのイメージがぶっこわれたであろうことがまことに残念無念。しかしこれでは博物館の先を少しばかりがんばって歩いたくらいで見つかるわけがないのも無理はなかった。Y小姐が見たことないというのもむべなるかな。私が博物館への通勤の途中しょっちゅう見ていたというのも錯覚で、どこかへ行ったときに1,2度見たことがあったのだろう。申し訳ない。

さっそくレストランの門(写真4)に入ってみると、外雙渓(写真5)に沿った広い庭園風の敷地に風通しのいいあずまやが点在しており、涼しそうである。冬はさぞかし寒かろうと思ったが、小さな交番風の小屋もいくつかあるし、レストランです、という感じの本館もあるから、そこに入れば寒くはない。写真もあげておくが、ここでも人物がはいってしまった。申し訳ない(写真6)。ご馳走もまずまず満足すべき味だった。ここは豆腐の煮込みが名物料理なのだそうである。レストランの宣伝ではないから詳細には立ち入らない。興味のある方は聴雨軒のホームページにアクセスされたい。で、われわれの興味の中心であるトイレは如何に? これがつまらないことになんという特徴もない、ただのトイレだった。つまり高級レストランとは言えないということになろうか。

 

お茶屋さんかと思った「聴雨軒」がなんと女性用トイレらしいことになって興奮し、そうなのかと思ったらやっぱりレストランであることが判明したという。大山鳴動して鼠一匹、なんともしまらない話しになってしまった。「茶坊」ともある通り、もちろんお茶も飲める。レストランに「聴雨軒」という名前をつけるのだから、大陸ばかりではなく台湾でもそれがトイレを意味していることを知らない人がいる、ということになるだろう。一斑をもってその民族、あるいはその国の全般を判断しては誤ることになるという、これまたごく当たり前のことになってしまって、ますます申し訳ない。ご寛恕のほど、ひらにお願い申し上げる次第である。

(土田滋)