北村孝一 「ことわざの世界」
北村孝一(きたむら よしかつ)プロフィール
1946年生まれ。エッセイスト。ことわざ研究者(ことわざ学会代表理事)。
学習院大学非常勤講師(「ことわざの世界」担当)。
2010年4月からTV「笑っていいとも」の「ことわざアレンジ辞典」の審査員。
1978年頃、ことわざ集の翻訳を依頼されたことから、ことわざに積極的関心を抱き
世界のことわざを収集・分析する。
86年頃友人たちと「ことわざ研究会」の活動を始め、2007年「ことわざ学会」創立に参加。近年は、西洋起源のことわざの日本語への受容と変容を追究するほか、日本語のことわざ辞典の改訂に参画する。
★著書
『ことわざの謎 歴史に埋もれたルーツ』(光文社、2003年)、『世界ことわざ辞典』(東京堂出版、1987年)、『英語常用ことわざ辞典』(武田勝昭
氏との共著、東京堂出版、1997年)、『外国のことわざ』(アリス館、2002年)、『日本のことわざ世界のことわざ』(幻冬舎文庫、2004年)な
ど。
★ホームページ
ことわざ酒房(http://www.246.ne.jp/~kotowaza/)
ことわざ学会(http://www.alpha-net.ne.jp/users2/proverbs/)
目次
(1)越境することわざ
(2)二兎を追うものは一兎をも得ず
(3)虻蜂取らず
(4)大山鳴動(して)鼠一匹
(5)一富士二鷹三茄子
ことわざの世界
(5)一富士二鷹三茄子
誰でも、夢を見るならなるべく縁起のよい夢を見たいと思う。ことに新年の初夢となれば、できるだけ吉夢を願うのが人情であろう。
江戸時代から明治中期までは、正月に縁起物として宝船に七福神を描いた一枚刷りを売り歩く者がいて、これを買い求めて二日の夜に枕の下に敷いて寝る習わしがあった。その絵には、「なかきよのとおのねふりのみなめさめ、なみのりふねのおとのよきかな」という回文(上から読んでも下から読んでも同じ文)が付されていることが多い。文意はあまり鮮明ではないが、なんとなく長閑(のどか)で、心地よい響きがして、正月にふさわしい雰囲気が感じられる。
当時の人々はよい初夢が見られるように意識的に準備していたわけだが、その初夢に見て縁起のよいものを順番に並べたのが「一富士二鷹三茄子」である。
この表現、あまりによく知られていて、いまさら説明するまでもないようだが、なぜ、この三つが選ばれたかは、じつはよくわかっていない。富士と鷹が縁起がよいのは一応わかるとして、問題は、最後になぜ茄子(なすび)が出てくか、である。
「一富士二鷹三茄子」の初出は『悉皆世話字彙墨宝』(1733年)のようだが、これより前に広く流布していたものと思われる。とはいえ、江戸後期にはすでにその起源はわからなくなっていて、随筆には、駿河の名物とするもの(笈埃随筆など)、駿河で高いもので、富士山、愛鷹(あしたか)山、初茄子の値段とするもの(甲子夜話)など、さまざまな説が登場している。茄子については、語呂合わせで「成す」とするものもあるが、一種のこじつけで、さほど説得力があるとはいえまい。駿河や徳川家康とのかかわりを説くものが多いが、いまとなっては起源はよくわからないとするほかなさそうである。
ここで、このことわざをレトリックの観点からみると、「一富士二鷹」の後にまったく異質の「三茄子」をもってきたことが、きわめて効果的だったことを指摘しておきたい。茄子は、意外であるとともにユーモラスであり、強い印象をもたらして、ことわざとして今日まで伝承される決定打になったのではないか、と思う。ことわざには、「一押二金三男」や「馬方船頭お乳(ち)の人」のように三つのものを羅列する形式があり、単なる序列ではなく、三つ目に何をもってくるかで全体の印象が大きく変わることが少なくないのである。
最後に、運悪く初夢の夢見が悪かった人のために、次のようなことわざもあることを紹介しておこう。
「夢は逆夢(さかゆめ)」(夢と現実は逆さまである)
「夢と鷹とは合わせがら」(夢は解釈しだい、鷹は鷹匠しだいである)
ことわざの世界
(4)大山鳴動(して)鼠一匹
ことわざのなかにはテキスト(本文)だけでは理解することが困難で、背後の伝説や昔話(寓話)と一体のものがあることは、前にもふれた。
「大山鳴動(して)鼠一匹」もその代表的な一例だが、いまでは寓話のほうはすっかり忘れられ、ほとんど誰も意識しなくなっている。このことわざは、疑獄事件などで、世間が大騒ぎしたのに結果はまるで期待はずれ(小者が捕まって終り)といった場合にマスコミでよく使われ、おなじみの表現といえるが、あらためてテキストとして見直してみると、どうだろうか。
感覚的にいうと、「大山鳴動」はマスコミの空騒ぎや当事者たちの動揺にぴったりの比喩で、「鼠一匹」も小物の比喩としてわかりやすい。しかし、論理的に考えると、「鼠一匹」がどうしたのか、捕まるのか、現れるのか、いま一つはっきりしない。
明治期のテキストには「大山鳴動して一鼠出(い)づ」とか「〜鼠一匹出づ」とあるが、いまではそういう明確な言い方をする人はいなくなった。そして、はっきりしないにもかかわらず、それで通用するところが面白い。日本人の言語表現の特徴の一端が表れているといえよう。
ところで、この表現、大山を「泰山」と書くこともあるので、漢籍に由来するものと思われがちだが、じつはホラティウス(古代ローマの詩人)にも用例があり、明らかに西洋起源である。ラテン語では、Parturiunt montes, nascetur ridisulus mus.(山々が産気づいて、こっけいな二十日鼠が一匹生まれる)といった。これもいささか理解しにくい表現だが、その背後には、山が激しく振動して、何かが出現するという評判が高くなり、多くの人が集まって見ていたところ、地響きとともに二十日鼠が一匹ひょっこり飛び出した、というごく短い寓話があったのだった。
その寓意は、大きな口をたたきながら、結果はちっぽけなことしかできない人物を批判するもので、ことわざもこれに沿って使われる。この寓話は、イソップ寓話集(シュタインヘーヴェル本)にも収録されたから、ヨーロッパでは広く知られ、近代に入ってからもことわざと一体のものとしていつも想起されることになった。
ひるがえって、日本での意味や用法を考えると、大騒ぎして結果はたいしたことがないという点は共通するものの、対象は主として社会的事件の顛末で、西洋の用法とは大きな隔たりがある。おそらく、日本にもたらされた後、かなり早い段階で寓話が脱落してしまったせいであろう。
ことわざの世界
(3)虻蜂取らず
西洋由来の「二兎を追う者は一兎をも得ず」が浸透するにつれて、しだいに使われなくなったことわざに「虻蜂とらず」がある。かつてはよく耳にし、自分でも口にしてきたが、最近はあまり聞かなくなった。
その衰退の原因は、直接には、ほぼ同義の「二兎を追う者は……」の影響を受けたことに間違いないが、「虻蜂とらず」という表現自体にも遠因があるのではないかと思う。二匹の兎を追うのは、兎狩りなどしたことがなくても、何となくわかる。しかし、虻と蜂を両方取ろうとする状況は、どうもぴんとこないのではないだろうか。
虻と蜂は、一見したところよく似た昆虫だが、蜂は蜜を採ったり子を食べたりと利用価値があるのに対し、虻はうるさいばかりで効用はなさそうである。いや、昔から、むしろ病を媒介する有害なものとして一般に忌み嫌われてきたといってよいだろう。にもかかわらず、なぜ、一時に虻も取ろう蜂も取ろうとするのか。
古いことわざ集をひもといてみても、「あぶもとらず蜂もつかず」(言彦抄、宝暦頃)、「あふもとらすはちもとらす」(諺画苑、1808)、「あぶも取らねば蜂も得とらん」(国民の品位、1891)などの異形(おそらく「虻蜂とらず」よりは古い形であろう)は出てくるが、ことわざのテキストのみによってこの疑問を解くことはできそうにない。
じつは、この例のように、用法は確立されているが、テキストだけではその意味を十分説明しきれないケースが、ことわざには時折認められる。たとえば「物いわじ父は長柄(ながら)の橋柱」、「蛙の願立」など、ことわざの背後に伝説や寓話が存在し、これらを知らなければ、ことわざもほとんど理解できないものである。ここでは長柄の人柱伝説などの説明は省くが、ことわざが単なる定型表現ではなく、伝説や寓話(昔話)などのフォークロアのジャンルと隣接し、密接な関連を持っていることを示す事例として興味深い。
ちなみに、虻の登場する昔話といえば、今昔物語などにも収録された「わらしべ長者」がよく知られている。わらしべ一筋を手にした若者が、うるさくつきまとう虻をこれにくくりつけて歩くうち、大きな柑子(蜜柑)三つと交換するように求められ、そこから次々に運が開けていく話である。
残念ながら「虻蜂とらず」との関連は見出せないが、このことわざの背後にも、いまは失われた別の昔話があったのではないか、と私は想像する。
ことわざの世界
(2)二兎を追う者は一兎をも得ず
「二兎を追う者は一兎をも得ず」──誰でも知っていることわざで、多くの人が自分でも使ったことがあるに違いない。あらためて説明するまでもないが、比
喩的な意味は、二つの目標を同時に追求しようとすると、どちらも中途半端に終わり、結局、一つとして自分のものにならない(達成できない)ということであ
る。
この表現、特に予備知識がなければ、漢文から入ってきたものと受け取るのが、日本語の普通の感覚であろう。漢文でなければ、兎を一兎(いっと)、二兎
(にと)とはいわない(匹とか羽で数える)し、「~をも得ず」もいささか古風な文語調で、漢文の書き下し文を思わせるものがある。
しかし、現在判明しているかぎりでの初出は、『西洋諺草』(明治10年)であり、英語からの翻訳である。ただし、ほぼ同一内容のことわざが、ロシアを含むヨーロッパ全域に認められるから、英語のことわざというより、まさに“西諺"(当時の表現)というべきだろう。
この西洋起源のことわざは、『西洋諺草』の紹介からわずか2~3年のうちに『修身児訓』などの教科書に登場し、15年後には、巌谷小波の短編「暑中休
暇」(明治25年)で少年同士の会話にも使われる。さらに、同じ年の尾崎紅葉『二人女房』には、明らかにことわざをふまえた「二兎を逐ふのであるから難
い」という表現まで出てくるのだから、その浸透ぶりはきわめて広範、かつ急速なものがあった。
『西洋諺草』に紹介された西諺は700余。その中で日本語に定着したものは10点程度だから、70分の1以下の狭き門である。この関門を突破した「二兎
を追う者は~」の定着にはさまざまな要因が絡み合っているが、何よりもその比喩が日本人にとってわかりやすかったことが大きいだろう。「兎追いしかの山」
の歌詞にみられるように、かつては山野に野生の兎が多数生息し、兎狩りもよく行なわれていた。
そして、もう一つ、漢文調の訳文も西洋臭さを消し、受け入れやすくしていたのではないか、と思われる。
ことわざの世界
(1)越境することわざ
“ことわざ”というと、古くから言い伝えられてきた庶民の知恵、あるいは民族の知恵というイメージが強い。たしかに、そういう側面が色濃くあることは間
違いなく、今日でもよく耳にすることわざの中には、「井の中の蛙大海を知らず」のように平安時代から使われてきたものもある。また、それほど古くなくて
も、「なくて七癖」のように、江戸時代の文献で確認できる庶民的表現も数多くある。
とはいえ、だからといって、ことわざは日本の伝統文化であると単純に決めつけられると、それは少し違うと、いわざるをえない。ことわざが日本だけのもの
と思い込んでいるのは論外だが、日頃私たちがよく使うことわざの中に外国起源のものが意外なほど混じっていることに注意したい。
たとえば、私たちは日常会話のなかで、「二兎を追う者は一兎をも得ず(だ)」とか「溺れる者は藁をもつかむ(で…)」ということがままあるが、西洋起源
であることは知らないか、ほとんど意識していないといってよいだろう(『日本国語大辞典』第2版にも起源についての記述はない)。あるいは、「鉄は熱いう
ちに打て」や、ちょっと古くさいが「艱難汝を玉にす」を挙げてもよい。(西洋起源については文末の★参照)
これは、一見外来語に似た現象のようだが、外来の単語ではなく、一つの文が日本語のかなりコアな部分にしっかり定着している点で、注目に値しよう。
ことわざは基本的に口承されるものであり、少なからぬ人々が共感し口にしなければ、たちまち消えていく運命にある。にもかかわらず、こうした表現が定着
してきたことは、ことわざ自体、特定の言語や文化の境界を越えていくインタナショナルな性格を元々もっていることを示唆しているのではないだろうか。
★
二兎を追う者は一兎をも得ず
※英語では、If you run after two hares, you will catch neither.
ヨーロッパ諸言語のことわざは類似の表現が多くあり、英語以外の言語からも日本語に入ってきているが、ここでは英語のみ示した。
溺れる者は藁をもつかむ
※A drowning man will catch at a straw.
鉄は熱いうちに打て
※Strike while the iron is hot.
これはオランダ語から最初に入り、『和蘭字彙』(1855-58)には3種のテキストとその和訳が収録されている。
艱難汝を玉にす
※Adversity makes a man wise.
訳文との隔たりが大きいが、漢文には見当たらない表現で、格言として漢語ふうに訳したものと思われる。拙著『ことわざの謎』2章(光文社新書)参照。

