地球ことば村
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【地球ことば村・世界言語博物館】

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ルクセンブルクの言語状況



 「ルクセンブルク」と聞いて、それがどこにあるのか思い浮かべることができる方は少ないのではないでしょうか。「ハンブルク」など雰囲気の似たドイツの街の名前を思い浮かべて、ドイツの街だと思う方も多いようですが、ドイツではありません。もしくは、フランスはパリにあるリュクサンブール公園を思い浮かべて、フランスの地名だと思う方もいらっしゃるようですが、これも違います。ルクセンブルクは、れっきとした独立国で、現存する世界唯一の大公国です。ベルギーのブリュッセルやフランスのストラスブールと並んでEUの拠点ともなっているこの国は、金融業を主な産業とする、世界有数の経済大国でもあります。

 東にドイツ、西にベルギー、南にフランスと国境を接するこの国は、ヨーロッパの大きな言語グループのうち、ドイツ語や英語が属するゲルマン語圏と、フランス語やイタリア語が属するロマンス語圏が接触する地域に位置しています。この国の公用語は、ドイツ語とフランス語、そして1984年言語法により「国語」として定められたルクセンブルク語です。さまざまな国や民族がせめぎ合うヨーロッパにおいて、多言語併用国家は珍しくありません。しかし、ルクセンブルクでは国内全土において上記の3言語を併用し、場面や状況に応じて使用言語を切り替える点において、地域ごとに使用言語が定められているスイスやベルギーなどの国と異なっているのです。したがって、ルクセンブルク人は、上の3言語を母国語として非常に高いレベルで身につけているマルチリンガルです。それに加えて、英語ともう1つ2つの言語を習得するので、5, 6 言語を話せる人などざらなのです。英語を習得するのでさえ苦労が多い日本人からしてみれば、うらやましい限りです。

 とはいえ、初めてルクセンブルクを訪れた方は、この国がまるでフランス語圏であるかのように感じるかもしれません。特に首都ルクセンブルク市の街中では、それだけフランス語が飛び交っていることが多いのです。また、バスの運転手さんやお店の店員さんにドイツ語で話しかけてみても通じず、結局フランス語でやり取りすることになる場合もよくあります。ドイツ語が話せないこれらの人々は、ルクセンブルク人ではなく、フランスやイタリア、ポルトガルから来た移民である可能性が高いのです。ルクセンブルクは、総人口約 55万人の国ですが、そのうち約45%、すなわち半数近くが外国人によって占められています(2014年現在)。重要なEU機関もある首都ルクセンブルク市では、さらに外国人の割合が高くなるため、約60%程が外国人であると言われています。外国人の多くは、上で挙げたロマンス語圏の出身者であることが多いため、彼らにとって習得が容易なフランス語を用いて生活しているのです。

 ルクセンブルク社会の中にもう少し溶け込み、ルクセンブルク人たちと接していると、まるでカメレオンのように器用に言語を切り替える(コードスイッチング)その姿に感心します。もちろん一対一で話をしている場合は相手に合わせた言語で話すのですが、例えば、複数人で会話をしている場合、メンバーが入れ替わり立ち替わりすると、その度に使用言語が変わることがあるのです。筆者は、2年間ほどルクセンブルクに留学した経験があるのですが、カレイドスコープのようにくるくると変わる言語に、初めは戸惑いと眩暈を覚えたものです。

 ルクセンブルク人が言語を切り替える要因には、話し相手以外にそれを用いる場面や状況などがあります。基本的には、話し言葉の領域ではフランス語かルクセンブルク語、書き言葉の領域では、ドイツ語かフランス語が用いられます。フランス語は、15世紀以来ルクセンブルクの公用語としての地位を保つ※1プレステージの高い言語で、伝統的に書き言葉の領域で優勢だった言語ですが、今日ではロマンス語話者の外国人が多いために、話し言葉の領域でも優勢となっています。これに対し、ルクセンブルク人の母語ルクセンブルク語は主に話し言葉で、ドイツ語は主に書き言葉で使用されています。ただし、書き言葉といっても、チャットやメールなどではルクセンブルク語が使用されたり、話し言葉であっても公の場でのスピーチや学会発表などでは、フランス語やドイツ語が用いられたりすることが多く、その多言語状況は一筋縄では理解できないところがあります。

 最後に、ルクセンブルク人の母語、ルクセンブルク語について言及したいと思います。これは、もとはドイツ語の方言で、1984年の言語法により「国語」へと昇格した新しい言語です。この言語は、さまざまな言語や文化が混じり合うこの国において、ルクセンブルク人のアイデンティティを支える大きな柱となっています。言語とは、ある社会の文化に根付いてそれと共存し、影響を与えあいながら発展するものです。人類の文化財の一つとも言える言語が、世界各地で危機に瀕している今日の状況は、憂慮されるべき事態です。そんな中で、一方言から一つの言語へと昇格したルクセンブルク語のような例は非常に貴重です。生まれて30年のこの言語が、どのように発展していくのか、今後も見守りたいものです。


※1 第二次世界大戦の際の、ドイツによる占領時を除く。この時期、ドイツは強硬な言語政策を推し進め、ルクセンブルクでのフランス語の使用を禁じた。(本文に戻る)


(2014年5月)
西出佳代(北海道大学大学院文学研究科専門研究員)


★ ルクセンブルク語について詳しくは、世界のことば「ルクセンブルク語」をご覧ください。