地球ことば村
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キルギス語(チュルク語)

 キルギス語はチュルク諸語の直系本家らしい。チュルク系諸言語はイスタンブールからヤクーツクまでユーラシア大陸の東西南北に連なるが、そのなかでキルギス語は、いくつもの小さなチュルク系の言語に囲まれていて、しかも8世紀以前の諸古代突厥碑文などにも名指されているのであり、古くからチュルク語の故地の近くに留まってきたと思われるからである。しかし古キルギス語を話した人たちが昔から天山を北方から望む今の地に住んでいたのではなかろう。おそらくはもっと北のサヤン山脈に近いところで馬を駆っていたに相違ない。なぜなら、突厥碑文の多くがモンゴル、トゥヴァ、ハカスの地域から見つかるからで、玄奘三蔵が天山北路から北へ山越えをしたときには、法師はまだキルギス人には会わなかったのかも知れない。

 言語構造の面でも、キルギス語の由緒正しさは際だっている。まず母音調和はチュルク語のなかで最も発達していて、口蓋調和を基調として円唇同化唇音牽引とをもつ。句構造はきれいに膠着的で諸文法要素が接辞で表示される。格は「ガ、ノ、ヲ、ニ、ヘ、カラ」に当たる6格をもつなど、「アルタイ」的構造の見本のような文法組織をもっている。

 キルギス語は大きく北部方言と南部方言に分かれる。北部方言は首都ビシュケクを中心として主に牧畜を生業とする地域で話されている。この方言がキルギス文語の基礎になっている。一方、南部方言はウズベック語、ウイグル語、タジク語の影響を受け、アラビア語の語彙を多く取り込んでいる。南部方言の話されている地域は主に農業を生業としていて、キルギスの政治的・社会的な南北対立は方言の上にも影をおとしている。

 キルギス語を話しているのは、キルギス共和国の国語としてキルギス共和国内に200万人余、さらに新彊ウイグル自治区内、カザフ共和国などでにもそれぞれ1万人に越える人々である。こうしてみると、確かにシルクロードの時代からの安定した民族語であるように見える。しかし1826年に帝政ロシアに占領され、その百年後にはソ連の一自治州になった。その頃は、ロシア語を強制されて、公の席でギルギス語を話すことは危険だった。しかしソ連崩壊後、1993年に新憲法のもとに正式にキルギス共和国を構成してからは、公用語をキルギス語とロシア語の二言語と定め、ロシアとは上手な距離をおいて、少なくともつい三年ほど前までは、比較的安定した域内国際関係を保ってきた。1997年の統計で共和国総人口450万人、内キルギス人52%、ロシア人22%、ウズベック人13%など80もの民族が住んでいるのであるから、特に南部では、言語を三つや四つ知っていなければうまくは生きていけない。世界的作家のチンギス・アルトマートフ氏は主にロシア語とキルギス語で作品を書いているが、カザフ語もウイグル語もできるという。

 キルギス共和国の首都はビシュケク。日本からの直行便はまだない。一番近いのは中国のウルムチからの便である。天山北麓とパミール高原に囲まれて、中央アジアのスイスと自慢するほど風光明媚な親日国である。立派な「日本センター」がある。キルギスにはムックリのような木製口琴がある。山並みを背負って口琴を奏で、夜は二晩も三晩も英雄叙事詩「マナス」を楽しんできたのだろう。

 2005年3月大きな政変があった。帰趨はまだ分からない。ユーラシア中部の政治的運命にとってよい転換の始まりであることを祈る。

《金子亨:言語学(2006年掲載)》