地球ことば村
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【地球ことば村・世界言語博物館】

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コリャーク語(古アジア諸語・チュクチーカムチャトカ語族)

 千島の北端に続いて、オホーツク海を東に仕切る半島がある。カムチャトカ半島である。この半島の東北の付け根にコリャーク自治管区というロシア連邦の行政組織があって、3万人余の人々が生活している。人口構成は、コリャーク人が22.1%、チュクチ人が4.8%、イテリメン人が3.7%、エヴェン人が2.6%という(1997年人口統計)。残りはロシア人である。先住民族全体の総数が約1万人、そのうちコリャーク人のが9000人足らずである。自治区全体の人口は減少傾向にあって、ソ連崩壊後1992ー1996年に19%も減り、その傾向は今も続いている。もちろん出て行くのは主にロシア人である。

 コリャーク人を「発見」したのは銃を持ったロシア人の「探検家」たちだった。その名「コリャーク」も「クォーラ(コリャーク語でトナカイ)を持つ人」にロシア語らしい語尾をつけたものだろう。しかしこの人たちはどこから来たのでもない。ヒトがユーラシア大陸の50度線を越えて寒冷地適応を果たし、その一部がベーリング海峡を東に渡って行った後も、いくつもの民族がこの地に止まった。そのなかでトナカイ飼育を生業にできた人たちの一部がコリャーク人たちの先祖になったのだろう。彼らのことばもユーラシア大陸の最東端、チュコト半島に住むチュクチ人などと共通な性質をもっていて、西の諸言語、例えばモンゴル語などとは違う。西洋の言語学は分類のしようがないから、この言語を「古アジア諸語」と名付けた。アイヌ語も、ひょっとして日本語も「古アジア語」だそうである。

 日露戦争後、日本はカムチャトカ東海岸に漁業権を獲得して缶詰工場を作った。そこでコリャークの魚を先取りして伝統的な生活を壊わす側に立ったのだが、それでもコリャーク人は、空き缶を見てさえも、オホーツク海をはさんで西側に住む日本人に親しみを感じるという。

 ソ連時代、トナカイ牧畜は集団化されてコルホーズに組織された。コリャークの子供たちは学校のそばに住んでいようと、ヘリコプターで運ばなければならないほど遠くに住んでいようと一律に寄宿学校に入れられて、他の民族の子供たちと一緒にロシア語で育てられた。その世代が既に50才を越える。だからコリャーク語で育った世代は60才を越える。厳しい気候と劣悪な生活状態のなかで早逝する人たちが多いなかで、言語と伝統文化の継承を危ぶむ人たちがいた。たしかに1979年からはコリャーク語の授業がわずかに非必修科目として導入されてはいた。しかし1989年の人口統計(母語人口も指示する)ではすでにコリャーク語を話す人口比は53%に過ぎなかった。

 ソ連が崩壊してからコリャークの人たちは生活の主導権を取り戻し始めている。西海岸の都市パラナにはすでに1991年に教員資格研究所が作られた。1998年になると、自治管区内の17小学校でコリャーク語、3校でエヴェン語、2校でイテリメン語、1校でチュクチ語授業が始まり、幼稚園でも似たような比率で民族語の教室ができた。パラナ教育高等学校では民族語の授業を必須科目とするという改革も行われた。市場掲載の導入によって古い型のトナカイ集団飼育組織が次々と潰れて、経済的な困難がむしろ増しているなかで、教育予算も極端に乏しい。そのなかでコリャークの人たちは必死に頑張っている。だからこの人たちと真剣につきあっている呉人恵さんは、雪まみれのトナカイ橇の上から『危機言語を守れ!』(大修館 2003)と叫ぶ。

《金子亨:言語学(2006年掲載)》