nƂΑ
言語学者・文化人類学者などの専門家と、「ことば」に関心を持つ一般市民が「ことば」に関する情報を発信!
j[
悤

【地球ことば村・世界言語博物館】

NPO(特定非営利活動)法人
〒153-0043
東京都目黒区東山2-9-24-5F

http://chikyukotobamura.org
info@chikyukotobamura.org

世界の文字

エジプト聖刻文字 英 Egyptian hieroglyph(ic)


エジプト文字書体

古代エジプト語の表記に用いられた文字で,単に象形文字(hieroglyph)とも呼ばれる。古代エジプト人による呼称としては,解読の鍵となったロゼッタ碑文(the Rosetta Stone)に聖刻書体(hieroglyphic)を意味する sš n mdw nṯr 「神の言葉の文字」と民衆書体(demodic)を指す sš n šcy 「記録の文字」が残るほか,字母や文字を意味する tjt や drf という単語が知られている。現在広く使われる聖刻文字(ヒエログリフ)という名称は,ギリシア語の hiero- 「神聖」+ glyph- 「彫刻」(文字)を語源とする。→ 塚本 図は大英博物館蔵「ロゼッタ・ストーン」の聖刻文字が刻まれた箇所。

エジプト学では,聖刻書体・神官書体・民衆書体の 3 種のエジプト文字書体を区別する。これらは,派生関係を無視して字形の崩しぐあいや続け方のみを問題にすれば,楷書・行書・草書の違い,社会的威信という観点を加味すれば,むしろ真名・草・仮名の違いに比べられよう。いずれにしても,一字一字相互に還元あるいは対応させうる性質のものである。聖刻書体と神官書体はほぼ同時期に出現するため,それらの違いは書写材料に影響されたにすぎないとして,神官書体をパピルス向けの書体と見た研究者もいる。民衆書体の場合は,続け字が発達していて字母の境界が不明瞭なだけである。以後,聖刻文字(ヒエログリフ),神官文字(ヒエラティック),民衆文字(デモティック)と呼ぶ。

エジプト語を表記した最初の確実な例としては,前 3100 年頃のエジプト先王朝の王名があげられる。表音表記された初代ナルメル王の名前が,祭儀用の化粧盤などに繰り返し現れる(後述)。そして,ファラオ時代の最盛期からギリシア・ローマ時代まで,約 3500 年の間,絶えることなく用いられた。最後の資料は,聖刻文字が後 4 世紀末,民衆文字が後 5 世紀半ばである。

体系としてのエジプト文字とエジプト語は,わずかな文字がコプト文字に伝えられたのみで,広く流布しなかった。しかし,現代に与えた影響となると,他をはるかに凌ぐ可能性がある。なぜなら,原シナイ文字を介してセム系の文字につながるという説が正しければ,ギリシア文字やラテン文字,インド系の文字にまで関連するからである。

文字体系の特徴

ガーディナーの記号表(Gardiner's Sign List)はエジプト学者アラン・ガーディナー(A. H. Gardiner)により編纂された一般的なヒエログリフのリストである。古代エジプトのヒエログリフ研究における標準的なリファレンスであると考えられている。登録された古典期の字母数は,750 字前後である。ギリシア・ローマ時代には約 6 千字まで増えたが,常用されたのは一説では 1 千字にすぎない。下図はその一部である。これらによって,古代エジプト人の生活のあらゆる相が記録された。 → Gardiner → 塚本

ガーディナーの「記号表」

次にあげる表の作成には,フリーのユニコード・エジプト聖刻文字フォントフォント(Egyptian Hieroglyphs U+13000 .. U+1342F)Aegyptus を用いた。ほかに,Noto Sans Egyptian Hieroglyphs NewGardiner が利用できる。























子音表記文字

エジプト文字は母音を表記しない。これは,子音語根が語彙的意味を表し,子音に挟まれた母音の型が文法的意味を担うという,エジプト語の語構造に由来すると考えられている。ところが,同じ類型の語構造をもちながら,楔形文字を使用するアッカド語では母音が表記されることから,エジプト文字がメソポタミアの文字とは独立して発展した 1 つの証拠とされる。

混合体系

エジプト文字は,文脈での機能によって表語文字(logogram),表音文字(phonogram),限定符(determinative)の 3 種類に分けられ,それらが混在して使用される。表語文字は字母が描写した事物に対応する単語を,単体で表記する。表音文字は,字母が描いた単語の音形を,同音をもつ別語の表記のために利用する,いわば,漢字の仮借,当て字である。限定符は,表音文字と併用して,表記しようとする単語の意味を暗示する。言い換えれば,表語文字は単語の音形と意味を未分離のまま一体として表記する視覚記号であるの対し,表音文字は単語の音声を介した表記に関わり,限定符は単語の意味を介した表記に関わる。

表語文字

特に聖刻文字の場合は,エジプト文字全体が表語文字のみで成り立つかのような誤った印象を与えるが,文書全体に占める割合から見れば,表音文字として機能する字母の延べ数には及ばない。「ホルス」「セト」「トト」は神名である。

表語文字に音声補充を伴うこともある。

元来は標識または象徴として使われた文字が,特定単語と結びつき,もっぱらその語を表記するための文字として定着した場合も,表語文字に含められよう。

表音文字

言語に外界の事物と直結しない抽象概念とそれを表す単語がある以上,表音という手段を欠く文字体系が十分に機能できるのか疑問である。たとえば,派生や屈折の接辞,前置詞などは,表音文字でしか表記できないであろう。エジプト語の場合,表音記号が文字体系成立の証明と深く関わる理由がここにある。

単子音文字(uni/mono-consonantal, uni/mono-literal)

プルタルコス(プルターク)がエジプトの 25 文字のアルファベットとして言及したものが,これと思われる。

2 子音文字(bi-consonantal, bi-literal)

約 100 文字あるうち,常用されたのは 70 字程度である。

3 子音文字(tri-consonantal, tri-literal)

正確には,3 文字以上を含む子音文字である。約 40~50 文字あるうち,常用される字母数は少ない。

以上の表音文字は,表語文字と併用して音形を示唆または限定するだけでなく,表音文字どうしを組み合わせて音声補充をする場合が一般的である。

上記のように ḥtm の綴りが一定しない場合がある。12 の例では, t の配置が古典エジプト語と異なる。古典エジプト語では 3 のように,小さいパンの字母を大きい鳥の字母の懐に移動して表記の均整をとり,言語の線条性の忠実な反映よりも審美的観点を重視する。これを字母の転移という。

3 子音文字の実例として,「心臓スカラベ」と呼ばれるスカラベ(ガーディナー分類番号 L1 ḫpr にあたる。この音価は「スカラベ」とともに「生成,来世 dung-beetle (scara baeus sacer = 'become' and 'derivatives')」というような神学的思念を表し,ここからスカラベ型護符は死者のお守りとされる)にしばしば書かれている『死者の書』(アニのパピルス)第 30 章 B を取り上げる。つぎに,最上部を除く 1 行目から 3 行目の途中までにあたる箇所の模写図と分類番号と音価,文意を挙げる。→ 矢島

次にスカラベに現れる表意表音文字および表意文字の用法を見る。

F34 「心(心臓)」を示す。1 行目に 2 度出ているが,はじめのほうは表意表音文字として使われ,ib 「心」,後のほうは単に「心」に関係ありという表意文字として使われている。文字の下方に付した小さな縦線はこの文字が表意表音式で用いられていることを示す。
G14 「はげたか」の形だが,その音 mwt が「母」と同音のため,しばしば「母」を表すのに用いられる。 t が補助文字として付加されている。
F4 ライオンの頭によって「前方」を表すが,同音の「心,魂」をも表す。t と F34 を補助文字としている。
D52 「男根」だが mt という音価をもち,ここでは表音文字として使われている。
A40 「神」を表す表意文字(限定文字)

限定符

それ自身は発音されず,表音文字と組み合わせて用い,意味情報を付加して表語を助ける文字をいう。同音異義語を意味する面から識別する機能に着目して,この名称がある。


数字

数字は十進法に基ずく体系があり,1 から 100 万までの各位の数字を高い位の数字から順に必要回数だけ繰り返して表記する。

エジプト聖刻文字文書例

「トトメス 3 世讃歌」の一部。テーベの最高神アメン・ラーの加護のもと,新王国時代前半第 18 王朝の 6 代目のファラオであるトトメス 3 世(在位前 1479 年頃~1425 年頃)の積極的な外征と軍事的偉業が達成したことから,アメン大神殿に石碑を奉納した。 → Garduber

書写方向

ヒエログリフは,縦書き,横書き,右から左へ,逆に左から右へと,書写方向が最も自由な書体であった。

右の図は『アムン・ラーの碑文』と呼ばれ,アムン・ラー神がセソストリス 1 世に恵みを与えていることをあらわした碑文である。この碑文は上から下に読まれるものであることは明らかである。しかし,どの行から読み始めるかは,中央の線を境にして鳥や蛇が顔をっ向き合わせていることから判断する。左から行番号を付けたとすると,口から尾の方にむかって読むのであるから 2→1,また 3→4 の順となる。なお,この 2 行ずつのグループのうちどちらを先に読むかは,内容によって決めるほかない。→ 加藤

図左は,縦書きの読み方(番号順に),図右は,横書きの読み方(番号順)を示す。

カルトゥーシュで囲まれた王名

聖刻書体テキスト

Elaborate painted hieroglyphs from a Theban Tomb → Gardiner

Hieroglyphs incised upon a Limestone stela → Gardiner

ピラミッド・テキスト

宗教文書のなかでも最も古いもの。古王国時代第 5 王朝,紀元前 2400 年ごろから王のピラミッドの玄室の壁面に書かれるようになる。神を讃え,喜ばせるための呪文,オシリス神の復活のこと,復活をさまたげる邪悪なものをよける方法,王が太陽神ラーの国にむかえられるということなど,王が来世で永遠の命が与えられ,無事に暮らせるようにという願いがこめられたもの。ピラミッドに付属する神殿では日々,死者への供物が捧げられ,そしてこのピラミッド・テキストが神官によて唱えられた。行は左から右へ進む。→ 松本


ダギの石棺に書かれたコフィン・テキスト

ダギは中王国時代第 11 王朝,メンチュヘテプ 2 世時代のテーベの市長であり,大臣であった人物。見たところ大きな石の箱であるが,中には素朴な絵とヒエログリフが記されている。片側が冥界の王オシリス神への供物,もう一方はミイラ作りの神であり,死者の守護神であるアヌピス神への供物が描かれている。

記されている文字は,古王国時代第 5 王朝にピラミッドの内部に書かれるようになった「ピラミッド・テキスト」を簡略化したり,付け加えたりした「コフィン・テキスト」である。古王国時代には,死後オシリス神になることができるのは王だけだと考えられていたが,中王国時代になると,地方豪族,官僚などの地位にある人物もオシリス神となって来世での永遠の命を得ることができると信じられるようになった。前 2000 年頃 石灰岩,彩色,高さ 110 cm,長さ 291 cm,幅 127 cm ルクソール西岸,シェイク・アブド・アル=クルナ → 松本

筆記体聖刻文字 cursive hieroglyphic

聖刻文字と異なり,刻まれることはほとんどなく,パピルスや木石の表面に一般に縦書きされた。棺柩文や死者の書など宗教・葬祭文書専用の書体であるが,時には医学文書に用いられた。手が込むだけに,神官文字よりも威信があったらしい。絵画的性格を濃厚にとどめるために,一見,聖刻文字の趣ながら,字母は右向きのまま左から右へ読み進む点がはっきりと異なる。第 20 王朝以降は神官文字に取って代わられた。→ 下図 Gardiner

ナルメル王のパレット

上・下エジプトを統一した伝説の王メネス(メニ)と同一視されているナルメル王のもの。上部の 2 つのハトホル女神(初期王朝時代)の頭部の間に,王名枠セレクで囲まれたナルメル王の名前を見ることができる。また,名前などの名詞がヒエログリフで記されているが,これはヒエログリフが用いられた最初期の例で,このころから急速に文字体系が確立されていくことになる。→ 松本

下図左側の面(表面)には,上エジプトの白冠をかぶり,こん棒をもった王が,ひざまずいている敵(下エジプト王)の髪をつかみ,討とうとしている場面が表されている。右図(裏面)中央には「パレット」とよばれるものの名残が,2 頭の動物の長い首を交差させているデザインで縁取られている。パレットというのはスレート(シルト岩)でつくられた小型のもので,丸い石とこのパレットでマラカイト(孔雀石)をすりつぶし,美容と目の健康をかねてアイシャドウにもちいたものである。硬砂岩(片岩)高さ 64 cm 幅 42 cm 厚み 2.5 cm 1894 年クイペルによって発見された。 初期王朝時代前 3000 年ごろ


パレルモ・ストーン

古代エジプトの第 5 王朝 (前 2494 頃~2345 頃) のネフェルイルカレ・カカイ王の時代に刻まれた石碑。第 1 王朝よりの各王の治世年代や主要事件が記されており,史料として価値が高い。現在は 6 つの断片しか残っていないが,最大のものがシチリア島のパレルモの博物館にあるため,この名がつけられた。

ヒエログリフでは,指幅・手幅・下膊の長さが基本の長さとなっていた。この年代記の各枠の下の狭い部分(下図参照)には,年ごとにこれらの記号を用いて長さの測量の結果が刻まれている。これはおそらく,その年のナイルの増水の量を記録したものであろう。ナイルの水量はエジプトの社会にとって切実な問題であったので,年代記にも特に欄をもうけて記入したものと考えられている。→ 加藤 → Diringer


ハトシュプスト女王のオベリスク碑文


カルナック神殿に突き出す巨大な石柱の一つ,ハトシェプスト女王(紀元前 1503~1482 年)のオペリスクは,高さ 29.5 メートル,重さ 325 トンの赤色花崗岩である。現在,エジプト国内に建っているオペリスクのなかでは最高最大である。図は,オペリスク基部の南側にある長い碑文である。→ 『沈黙の世界史 2』


結婚のスカラベ

次は,アメンヘテプ 3 世の「結婚スカラベ}と呼ばれるものである。最初にアメンヘテプ 3 世(ツタンカーメンの祖父)の王の 5 つの名が書かれている。その次に 3 世の妻(ティイ,ミタンニ王国の王女)の父と母の名があり,そのあとで,3 世の勢力範囲がどこまで及んでいたかということが,スカラベ(昆虫,フンコロガシ,8.5 cm,凍石製)の底面に彫られた。→ 秋山

古代エジプトの王名は正式には 5 種類あったとされる。上から,ホルス名,ネプティ名(上エジプトのネクペト女神と下エジプトのコプラのウアジェト女神の庇護の下にあるとの意),黄金のホルス名(王がホルス神の化身であることを意味する),上下エジプト王名(王が戴冠の時に与えられる名・即位名),サー・ラー名(誕生名)である。

死者の書

古代エジプトで冥福を祈り死者とともに埋葬された葬祭文書。パピルスなどに,主に絵と筆記体ヒエログリフで,死者の霊魂が肉体を離れてから死後の楽園アアルに入るまでの過程・道しるべを描いた書。→ Diringer

アニの死者の書

このパピルスは左から右へ読む。オシリスが死者の審判をする場面で,アニとその妻につきそっているのは,ミイラ作りの神アヌビスである。中央でアニの心臓と羽が秤にかけられている。羽は秩序をつかさどる女神マアトの象徴である。「アニの死者の書 Ani Papyrus」は前 1275 年頃にヒエログリフ筆記体で書かれたもので,1880 年代に大英博物館がエジプトで購入したものである。安全に運搬するため 37 枚に切断され,額装された。最近の保存技術とデジタル化のおかげで,現在では元の姿に近い形で見ることができる。→ 『人間と文字』

冥界の支配者オシリス神の前に進むアニとその妻トゥトゥ。

最後の審判の光景を描く。天秤にアニの心臓とアマト(心理を象徴する羽形のもの)をのせ,犬の頭をもつ墓地の守護神アヌビスが計量する。


メルエンプタハ王の戦勝碑


『イスラエルの碑』とも。上部の浮彫では,メルエンプタハ王(Merneptah 在位前 1213~1203 年)は儀式に臨む正装で,カルナクのアメン・ラー神から勝利の象徴である半月刀と〈ヘカ〉が贈られている。その下にはヒエログリフの文章が 28 行あり,王が英雄として輝かしい業績を残したという讃歌が刻まれている。→ 松本
とくに注目されるのは,この碑文の最後の部分に「海の民」との戦いにおいて王が打ち破った地名が記されており,そのなかに「イスラエル」の名が見られることである。右から「イシリアル」と刻まれる。


現在知られている中で,エジプト史上最古の「イスラエル」という民族名の記述である。この記述が『旧約聖書』出エジプト記にあるイスラエル人のエジプトからの脱出が,父王のラメセス 2 世の時代であるとする説の根拠となっている。(灰色花崗岩 高さ 3.18 m)

ネサネブエタシェルゥのパピルス

天地創造の図。天の女神ヌゥトと大地の神が大気の神によって離されたためこの世ができたと記している。周囲にいるのは主だった神々。第 3 中間期第 22 王朝時代(前 950~730 年頃)大英博物館 → 『人間と文字』

王名表

エジプト歴代の王の名と称号を列挙した一覧表で現存するものを指す。その中には,各王の在位期間や在位中の主要事項についての情報を含むものもある。→ 矢島・遠藤

アビドス王名表(一部)

アビドスのセティ 1 世葬祭殿に残る王名表で,プトレマイオス朝時代の神官マネトがのこした『エジプト史』に記されているとおり,メネス王からセティ 1 世(前 1294~1279)まで 76 人の王名が記されている。

サッカラ王名表(一部)

先祖の王たちを王族以外の人間が記念し,崇拝した例。これはテンロイという名の書記の墓から発見されたもので,第 1 王朝からラメセス 2 世の治世まで,57 人の王の名が記されている。

解読

近代に入ると多くの学者達がヒエログリフの解読に挑んだ。特に有名なのは 16 世紀のヨハンネス・ゴロピウス・ベカヌスと 17 世紀のアタナシウス・キルヒャーであるが,解読に失敗したり,全く根拠のない独自の解釈に終わった。初めて解読に成功したのは 19 世紀のフランス人学者ジャン=フランソワ・シャンポリオン(Jean-François Champollion)であり,彼はキルヒャーの収集した資料を研究し,ロゼッタ・ストーンの解読に成功した。

ロゼッタ・ストーンは,エジプトのロゼッタで 1799 年に発見された石版で,紀元前 196 年にプトレマイオス 5 世によってメンフィスで出された勅令が刻まれた石碑の一部であった。縦 114.4 cm,横 72.3 cm,厚さ 27.9 cm,重量 760 kg,古代エジプト期の暗色の花崗閃緑岩でできた石柱である。碑文は 3 種類の文字,神聖文字・民衆文字・ギリシア文字で,本質的には同一の文章が記述されている。

ロゼッタ石のギリシア語の部分には,プトレマイオス王とクレオパトラ女王の名がくりかえし現れているが,ヒエログリフの部分は破損が激しいために,プトレマイオス王の名前しか見あたらなかった。そこへ,ナイル上流のフィラエ島で発見されたヒエログリフとギリシア語で書かれた短い碑銘の写しをシャンポリオンは手にする。そこに記された王名・女王名を手がかりに,プトレマイオス王とクレオパトラの名構造を解読した。

ダシエ氏への書簡

シャンポリオンの「ダシエ氏への書簡」(1822 年出版)の中の表。一覧表にされたのはエジプト表音文字を構成する様々な民衆文字と聖刻文字。対応するギリシア文字を伴う。→ヴィヴィアン・デイヴィズ

ヒエログリフからデモティックへ

ヒエログリフからデモティックへの変遷の過程を次に図示する。→ 世界の文字研究会

関連リンク

[最終更新 2018/08/20]