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世界の文字

神代文字


『広辞苑 初版』(昭和 30,1955)では「神代文字」を次のように定義する。下線は筆者による。

我国で,漢字渡来以前に行われ,神代から伝えられたとされる文字。実は,亀卜の灼兆(しゃくちょう)に擬して作り,または朝鮮の諺文に仮託して偽作したものか。 日文(ひふみ)・天名地鎮(あないち)・阿比留文字などの種類がある。神代文字の有無は江戸時代国学者間の研究問題となり,平田篤胤は「神字日文伝」を著わして存在を主張し,伴信友は「仮名本末」を著わしてこれを駁し,非存在を主張した。
『辞苑』
これが,第 2 版(1976)になって上記下線部分が,「偽作。」と断定され,また,「江戸時代…」の箇所が削除される。ついで,第 3 版で「諺文」が「ハングル」に改められ,以後,現行の第 6 版(2008)に至っている。ちなみに,「広辞苑」の前身「辞苑」では,初版の 1935 年から 1943 年まで旧字旧仮名による記述の違いは当然として,「広辞苑」初版と同じ文面である。ただし,記述の最後は「…主張したが,現今では非存在説が有力となってゐる。」と締め括り,さらに[[じんだいもじ]の挿絵を添えている。

漢字渡来以前の神代の文字の可能性として初めて言及したのは,鎌倉時代の神道家の卜部兼方の『釈日本紀』(1301 年以前成立)《当該箇所 コマ番号 10 以降》である。その後九鬼家のほか神道系家門のもとで。清原宣賢が『日本書紀抄』(寛永年間)で「秘事ニシテ、流布セス」《当該箇所,コマ番号 6》と述べているように,神代文字の実物とされるものは一般に示されなかったが,江戸時代に入ると尚古思想の高まりにより,神代文字存在説も盛んになり,実物とされるものが紹介されるに至る。

神代文字の研究としては,平田篤胤が否定論から肯定論になって最初の論である『古史徴』(こしちょう)第 1 巻『開題記』所収「神世文字の論」《当該箇所》,そして『神字日文伝』(かんなひふみのつたえ)とその付録『疑字篇』(文政1,1824;序)(早稲田大学図書館)が著名である(以下 平田「上巻」・「下巻」・「疑字篇」と記す)。また,鶴峯戊申(つるみね しげのぶ)は『嘉永刪定神代文字考』(かえい さんてい じんだいもじこう,嘉永元年,1848;序)(国立国会図書館)において天名地鎮(あないち)文字を世界のすべての文字の根源であると説いた。ほか,三井寺(園城寺)住職の敬光による『和字考』(後述「秀真文字」ホツマモジ 参照)など,数多くの研究がなされた。それらの研究を集大成したのが落合直澄の『日本古代文字考』(明治 21,1888)(早稲田大学図書館)である(以下,落合と記す)。昭和に入り,超古代文献研究家・古神道研究家の吾郷清彦による詳解な『日本神代文字 -古代和字総観』(1975)(以下 吾郷と記す)が出版される。

神代文字が上古に端を発するものでないことは確実であるにもかかわらず,今日でも「神代文字と言霊治癒」をうたうものや,トンデモ本が相変わらず出版されている。しかし,オカルト風の興味とは別に,神代文字というものが近世や近代のいったいどのような資料であるのか,どのような論が展開されたのか,一度見直してみるのも無駄ではないであろう。

阿祖山文字 アソヤマモジ

富士古文書(『神皇記』,宮下文書)と同内容の『開闢神代暦代記』に掲載されている古代和字である。象形の節音字であり,最も古い古代和字の部類に入るものである。従って,このアソヤマモジは符牒的文字に止まり,未だ文章として綴られる段階のものではない。(吾郷)

出典:吾郷

天名地鎮文字 アナイチモジ[ヒフミ順]

日本語の五十音を表す 47 種の文字([ヒフミ順]ヒ,フ,ミ,ヨ,イ,ム,ナ,…)からなり,直線と点によって構成された子音と母音に相当する字母の組み合わせによって,一つの文字が形成される。ほかに 1 から 10 までの数を表す文字,百・千・万・億の位を表す文字もある。江戸時代後期の国学者鶴峯戊申(つるみね しげのぶ)は,天名地鎮文字こそ,漢字・梵字・ハングル・ラテン文字など世界中のあらゆる文字の起源であると主張した。(Wikipedia)鶴峯の弟子,東戸策は『鶴峰戊申』(神霊科学研究所,昭和 15)の中で,「此事はやがて日本が世界の祖國であり日本の 天皇が世界に君臨したまふ事が 神代からの約束であることを意味するのである」と主張する。

出典:平田「偽字篇」

『成形図説』

この文字が最初に言及されたのは,薩摩藩島津重豪(しまづ しげひで)が曾槃(そうはん),白尾国柱らに命じて勧農・救餓済急のために編纂させた農書『成形図説』(文化年間,1804~1818)(国立国会図書館)で,本来は占に用いる表音記号と数字で,中国で漢字が作られる以前からある記号だという。天名地鎮文字が記されている箇所(農事部)の一部を次に示す。

出典:『成形図説』巻2 (コマ番号 11)

阿比留文字 アヒルモジ[ヒフミ順]

対馬国の卜部氏および阿比留氏に伝わったといわれる文字で,阿比留家の文書に阿比留草文字や対馬文字と共に書かれている。ちなみに,平田は「上巻」の中で「日文四十七音」(ヒフミヨソヂマリナゝコヱ)と呼んでいる。

阿比留文字は,漢字でいうと右側の旁にあたる部分に母音が,左側の偏にあたる部分に子音を配置し,子音と母音を組み合わせることで,日本のかな五十音表に対応できる形をとっている。(Wikipedia)この文字はハングルとそっくり,というより日本語の音韻に合わせて整理されたハングルそのものといってよいものである,アカデミズムの世界には,神代文字といえば,すべてハングルをタネにした江戸時代の偽作だとする風潮があるが,そのイメージを作ったのもまさにこの日文真字にほかならない。(原田実『図説神代文字入門』以下 原田と記す)

四十七音字(よこ組み)

出典:平田「上巻」

五十音字

五十音字は,子音(父字)を表わす「ヨコ九畫:ス・フ・ツ・ル・ヌ・ク・ユ・ム・ウ」と母音(母字)を表わす「タテ五畫:ウ・オ・イ・エ・ア」との組み合わせから構成される。

出典:平田「上巻」

かな文字・ハングル対照表

次の表は,日本語の 50 音をハングルで表わしたもので,当然発音はハングル本来のものではない。

出典:超入門講座 11

四十七音字(たて組み)

父字と母字を上下に配置した形式の阿比留文字。

出典:平田「上巻」

伊勢神宮文庫古字 稗田阿禮拝

阿比留文字で書かれたニ歌は,日本武尊薨去の折の偲歌。漢字混じりの訳文。
海処行うみがゆけば こしなづむ 大河原おおかはら植草うえくさ
 海処うみがはいざよふ。
はま千鳥ちとり 浜よはかず いしつたふ。

続く 3 行の阿比留草文字文章の漢字翻字。
日本日子天津御世 豊国成姫尊 戊申
(やまとほこあまつみしろ とよくむなりひめみこと つちのへさる)

出典:吾郷


阿比留草文字 アヒルクサモジ[ヒフミ順]

各地の神社において神璽や守符に用いられ,阿伎留神社には神符の発行に用いられた版木が残されている。伊勢神宮に奉納された神代文字による奉納文の中では,最も多く用いられている文字である。 また,幾つかの書体がある。(後述「神璽・守符」参照)日本語の五十音に基本的に対応しているが,歴史的仮名遣いである為に濁音や半濁音を表す文字はなく,「ん」に相当する文字も存在しない。(Wikipedia

阿比留家所伝

出典:平田「下巻」

出雲国大社所伝

出典:平田「下巻」

鹿島神宮所伝

出典:平田「下巻」

夷丘銅鍥古字 (ヒナヲカドウキザミコジ)

阿比留草文字は各所から見出されているが,武蔵国畔切神社(あきるの)所蔵の「銅鍥古字ほど古雅荘重,転移無為にして,神韻渺茫たるものを見ない。けだし神人の作品にして,古今独歩に絶品である。形体美の完璧,流麗にして枯淡なること,まさに古代和字中唯一無双というべく,格調高く,全く他の追従を許さないものがある。」と吾郷は賞賛する。この銅鍥古字は,天保元年(皇紀二四九〇,1830)の火災にあって紛失したという。

出典:落合「上巻」

半田稲荷社碑文

東京都葛飾区金町の半田稲荷社拝殿下から掘り出された碑文に書かれた文字。ドイツ人外交官 Peter Kempermann がこれを発見し,ドイツの考古学雑誌に「日本の神代文字」と題して,この碑文を掲載した。

出典:ペーター・ケンパーマン:長沢敬 訳(2012)『ケンパーマンの明治 10 年神代文字調査』(今井出版:発売)

美女ヶ森昔時年代記

大御食(おおみけ)神社(長野県駒ヶ根市赤穂)には,通称「美女ヶ森(うつくしのもり)昔時年代記」という桐板に記された記録が伝わる。この社伝記には,日本武尊がこの地で三日三夜過ごしたことが書かれている。(Wikipedia

「美社神字」読み下し文

落合一平(直澄)が解読した「大御食神社社伝記」解読書。

出典:まぼろしの吾道之宮

阿波文字 アワモジ [五十音順]

徳島県名東郡佐那河内村の大宮八幡宮に伝わった文字とされる。大宮八幡宮の神主である藤原充長が 1779 年(安永 8)に著した『神名書』(かなふみ)に阿波文字(当該箇所 早稲田大学図書館)が掲載される。

落合によると,この文字は阿波国の他に陸前国本宮郡にも伝わっているという。下右図は,現唐桑町の御崎神社に現存する石碑。表面には阿波文字で「クヱラツカ」と記されているが,これは「クシラツカ」の誤記だと考えられている。江戸時代後期,御崎半島の沖で暴風にあった商船が,突如現われた白鯨の導きで難を逃れたという伝説がある。助かった商人はその鯨を御崎明神の使いとみなし,石碑を奉納した。それがこの石碑だという。石工が「し」と「ゑ」を読み違えたのが原因といわれる。(原田)




   



出典:原田

出雲文字 イヅモモジ[五十音順]

この文字は神代に大己貴命によって創られたものとされ,出雲大社の辺りにある「書島」(ふみじま,「文島」とも表記)という島にある石窟の岩壁に刻まれていたという。この岩壁に刻まれた文字を神道家の橘三喜(たちばな みつよし)が写し,後代へ伝えたとされる。(Wikipedia

出典:平田「偽字篇」

禁厭ノ秘事秘文

神仙道の大家宮地堅磐(みやぢ かきわ)翁が『禁厭(マジナヒ)ノ秘事秘文』を,この出雲文字で伝えている。下図は秘文 3 葉のうち首部の 1 葉。

吾郷による訳文 一部

ソトよりカマけたるやまひ禁厭マジナイヤ大己貴オホナムチ尊の奇しき重太シキ宣言ノリコト
悪気アシケカマけし者ののあたりに鏡を立て,左に桃の木,右にヒヒラキを置き,また,ウシロの左には火,右には水を置きて,ウシロよりトナへよ。
天地アメツチの中に行きふ火なれや,火の。水なれや,水の
④あらゆる悪気アシケモノの風のムタマツひ,カマけ入る悪気アシケ憑気ツキケ 土の上の火・水の悪気アシケの力を得て,青年草をき瀬に落とし,悩まむよ 弥退散ヤサケよ。
出典:吾郷

斎部文字 イムベモジ[ヒフミ順]

斎部(忌部),橘両家にのみ代々極秘裏に伝わった文字。他見は決して許されない。斎部氏ゆかりと明記された文字として,「斎部家極秘神字」があり,これは斎部氏の祖・天太玉命(あめのふとだまのみこと)が作った文字という。(原田)

出典:落合「上巻」

鏡背古字 キョウハイモジ

伊勢国山田神宮教会所蔵の古字。イムベモジの連合体とみなす。

出典:落合「上巻」

伊豫文字 イヨモジ[五十音順]

天日向愛媛神(あめのひむかえひめかみ)は,葦牙気皇主天皇(あしかひきみのしすみちみこと)の皇女であって,父天皇の命により伊予の国に天降り,そこに住居を定めた。そのとき以来伊予の別名を愛媛と称す。伊予文字は,伊予に天降られる天日向愛媛神に父天皇より授けられ,その子孫によって伝えられた文字である。(酒井由夫『にっぽん字の発掘』〈山中芸企,1967〉)

出典:落合「上巻」

牛城石窟古字 ウシガジョウセックツコジ

吉野秀政編纂『壱岐国風土記』(延享元年,1744)に記された牛城の南南西,国分の境にある石室のうちに,「鬼の文字」という古字が彫り付けてあるという。平田はこの文字はアワセ(合体字)であり,2 字となっていると述べるが,吾郷は,仔細にに眺めると,各字とも 5,6 字前後の結合体である。ただし,その意味は不明である,という。

出典:平田「偽字篇」

春日文字 カスガモジ[五十音順]

大中臣氏(おおなかとみ)の末裔で修験道宗家・熊野別当の子孫ともいう九鬼(くき)家に伝わったとされる『九鬼文書』(くきもんじょ,くかみもんじょ)に記された文字。上段が九鬼独自の神字で,下段は阿比留草文字と阿比留文字との混合である。

出典:吾郷

カタカムナモジ

楢崎皐月の主張によれば,1948 年頃から全国の電位分布実測調査を行ううち,兵庫県六甲山山系の金鳥山(俗称:狐塚付近)での生活中に平十字と名乗る宮司と出会い,カタカムナ神社に伝わる御神体の巻物を見せられた。楢崎はそれを書き写し,長年の研究を重ね,解読に成功したという。

カタカムナモジは,円と直線で作られた高度に幾何学的な形態をとる文字である。楢崎は次のように述べる。「声音記号を組みあ合わせた図象記号は,四重の意味を表明する記号である。言葉や語の意味を表明する,文字記号であると共に,物理的意味を説明する図象記号である。又数学的に変換される意味を示し,抽象物で示した抽象の意味を説明する記号でもある。」(楢崎皐月「日本神話は世界最高の学問文化である」アシヤ文化研究会 編『日本の上古代文化』〈正しい教育を守る会 196-)

吾郷は次のような見解を述べている。「それにしても,この文字は,各字が構成する要素の組み合せにより,一字が二音・三音に読める性質をもっている。それかといって,これは漢字のごとく,理窟文字,すなわち表意文字ではない。まことに奇妙な文字である。」

出典:吾郷

吉備文字 キビモジ[五十音順]

遣唐使として中国に渡った奈良時代の学者・政治家・吉備真備(きびのまきび)が作った文字といわれる。護符や軍事用の暗号に用いられた。

出典:平田「偽字篇」

惟足文字 コレタリモジ[五十音・いろは順]

惟足文字は江戸時代初期の高名は神道家・吉川惟足(よしかわ これたり)が伝授した文字だという。吉川は幕府の官学であった朱子学を神道の説明に取り入れた人物で,幕府神道方に重用され,吉川家は神道方を家職として世襲した。この文字は,吉川惟足が熱田神宮大宮司・為麻呂に伝授したものが熱田の神官によって後に伝えられたものだという。それは梵字や道教の符を思わせる曲線的な文字である。(原田)

 


 



出典:平田「偽字篇」

悉曇文字

出典:「悉曇文字」中西コレクション国立民族学博物館

十二支文字 ジュウニシモジ

平田『疑字篇』に掲載された十二支を表す文字。





















出典:平田「偽字篇」

象形文字 ショウケイモジ

竹内文書(後述)が伝えるという象形文字が,高畠康壽『日國是文字源』(世界大祖国史期成会,昭和 16)に 5 種類掲載されている。高畠は次のように説く「象形文字は…その遠く神代よりの由来を思うとき,唯々物の形を基本として構成されたる字と見るは当たらず。即ち神の形を基本として始まり,神意の込められたること疑ふ可からず。」さらに,エジプト文字・ハングル・契丹文字の数々は,和字を祖とするものであると述べる。次に「第一象形文字」を示す。

種子文字 タネコモジ[五十音順]

中臣氏の祖神アメノコヤネから三世にあたる天種子命の制作によるものと伝えられるために,この名が付いている。平田は『偽字篇』に「神代文字二体」と題して,2 種の種子文字を載せている。











出典:平田「偽字篇」

筑紫文字 ツクシモジ

福岡県うきは市にある重定古墳の石室に記されたとされる神代文字。竹内文書ではヤソヨモジと呼ばれる。

出典: Wikipedia

平田「偽字篇」では,「筑後国石窟文字」(チクゴノクニイハヤノモジ)としてこの文字を載せている。

対馬文字 ツシマモジ[ヒフミ順]

亀卜(きぼく)の卜兆(ぼくちょう)から生まれた文字とされ,対馬市の雷(いかつち)神社で行われる亀卜神事では,卦を読む際にこの対馬文字や天名地鎮文字が用いられる。平田「疑字篇」には「日文」(ひふみ)の一種として採録されている。(Wikipedia

出典:落合「上巻」

豊国文字 トヨクニモジ[五十音順]

豊後国大野郡土師村(現大分県大野市)の宗像家と,海部郡臼杵福良村(現大分県臼杵市)の大友家にそれぞれ伝わっていた,古史古伝の『上記』(うえつふみ)で用いられている文字。『上記』には「古体象字」と「新体象字」の 2 種類が存在し,いずれも日本語の五十音に対応している。古体象字は象形文字であり,新体象字はカタカナに似た形をしており,濁音を表す「濁り字」もある。ほかに「添字」が存在する。(Wikipedia

豊国古体象字

出典:[吾郷]古道大系研究所 編『ウエツフミのコリヅテ』(日本神学連盟,1954)

竹内書所蔵の豊国文字古体象字

出典:吾郷

豊国新体象字

出典:[吾郷]古道大系研究所 編『ウエツフミのコリヅテ』(日本神学連盟,1954)

『古事記』書き出し箇所

出典:『上記鈔訳 歴史部』

天岩戸

日向国臼杵郡岩戸村から出土した蓋の石碑文。

訳文は下記のとおり。碑文中の大御鏡は八咫鏡(やたのかがみ)を指す。

ソヂ御酒𤭖ミキミカ 水𤭖ミヅミカ 御食𤭖ミケミカ ○○トオホエコレノ ウツハハ 火之明之尊ホノアカリノミコト コレ天之岩戸アメノイハト籠坐コモリマストキアソビノ ソナヘマツヒトツ大御鏡オホミカゝミハ 皇太御神スメオホミカミ御霊ミタマ天之岩戸アメノイハトノコシ 持出モチイダシゝナルヲ 天之岩屋戸アメノイハヤド此地コチキシ石以イハモ四枚ヨヒラタテテ カク置也オクナリ
出典:『上記鈔訳 歴史部』

寂昭イロハ四十七音字

竹内書では,「ひらがな文字は形仮名と同様空海以前から存在する古代和字の一種である。現行のカタカナは,豊国文字が祖形であり,前身であることは議論の余地がないほど明瞭である」と説いている。(吾郷)

出典:吾郷

方位図古字

竹内文書が伝える古大和字の一種。

出典: 吾郷

豊国文字の起源

徳政金吾は『古代埃及と日本』(昭和 8,1933)の中で,「日本神話の高天原は古代エジプトにあり,日本とは神官に率いられた民がはるばるエジプトの地から渡来して建てた国なのだ」という。さらに,「豊国文字はエジプトのヒエログリフ(神官文字)の変形にほかならない」と主張する。徳政はその考証のためにヒエログリフを五十音図の形に整理し,豊国文字の五十音図と対比している。












出典:吾郷;豊国文字:『上記鈔訳 歴史部』

豊文字・カローシティ文字・ブラーフミー文字

鹿島曻は,紀元前 3 世紀頃のインドで用いられたブラフミー文字(下図中の P),カローシュティー文字(同 K)に豊国文字(同,豊・越・ウガヤ・サンカ)と一致するもの,類似するものがあるとして,この文字は古代インドのサカ族がシルクロードから日本列島に渡来して運んだものだとする。次の表は,それぞれの文字の類縁性を示すものである。

出典:鹿島曻『倭と王朝』(新国民社,1978)

中臣文字 ナカトミモジ[五十音順]

中臣氏の祖神アメノコヤネから三世にあたる天種子(あめのたねこ)が天地自然の音である五音(アイウエオ)に基づいて作り上げた文字という。外見は道教の霊符を思わせるものがある。霊符に用いられる文字の多くは漢字を崩したものである。(原田)

出典:平田「偽字篇」

南朝古字 ナンチョウコジ[五十音順]

かつて吾郷は,洲本市在住の谷中光から門外不出の「南朝伝神代文字」なる五十一字のコピーを提供された。吾郷は,この南朝古字は,南朝における忠臣にして学者の誰かが,アヒルクサモジ・アワモジ・梵字などを参考にして,一種の暗号文字として募集・合成・創作して,南朝同士間の秘密往復文書などに用いられたものと推測している。(吾郷)

出典:吾郷

南洋文字 ナンヨウモジ[五十音順]

荒深道斎『挙て磨け八咫鏡』(純正真道研究会本部,昭和 7)で,「日文の古いもので数万年前に最雲文笹雲文字があり,一万年前には,この南洋文字に似た匂玉文字があった」とこの文字を紹介している。これは,デーヴァナーガリー文字と殆ど同じものである。

出典:吾郷

次の図は,デーヴァナーガリー文字によるヒンディー語で /pa/ の音を,赤字の母音記号を添えて他の音を表わす方法を示す。上掲「南洋文字」の「は行」と対照すると,両者の類似が明らかになる。

出典:Omniglot Hindi

ヒスミヱモジ [いろは順]

この文字は,日隅東(ヒスミ・アズマ?)なる者が,或る神家の御門人尾崎某に伝わっていたものを筆写したものとされる。

出典:平田「偽字篇」

ヒフモジ

かつて山根菊子は『光は東方より』(改訂. 日本と世界社, 昭和 13)の中で「キリストは日本で死んでいる」と説き,「ヘブライ文字はヒブ文字という。高皇産霊天皇のお作で,これを民族の国王に授けたものである」,さらに,「ギリシア文字は皇続十一代神皇霊天皇のお作である」と記している。吾郷は,「ヒフモジとヘブライ文字の行書体とが,あまりにも似ているのに,われわれは驚嘆する。山根女史発言のごとく,いずれヒフモジが竹内家所伝のものであることを立証する日も近いであろう。」と述べている。




   ヘブライ文字



Omniglo “Paleo-Hebrew script”

北海道古代文字 ホッカイドウコダイモジ

北海道で発見された古代文字。落合「上巻」には「夷奴字」(アイノモジ)として多数の例が載っている。(『日本古代文字考』 上巻 コマ数 50~56) (Wikipedia

手宮古字

1866 年(慶応 2)に発見された手宮洞窟の岩絵を文字とする説もある。この彫刻は小樽市にある続縄文時代の遺跡であり,1921 年(大正 10)には国の史跡に指定されている 。別掲「手宮の古代文字参照。」

アイノ及び北海道の古代文字

出典:『東京人類学会雑誌』 第 20 号 明治 20 年

秀真文字・ヲシデ ホツマモジ[いろは順]

秀真文字・ヲシデは,いずれも江戸時代中期には存在したことが確認されている『ホツマツタヱ』『ミカサフミ』『フトマニ』を記述している文字である。この 3 文献は「ヲシテ文献」と呼ばれている。平田「偽字篇」には「土牘秀真文」(はにふたほつまぶみ)として収録されている。

『秀真伝』『三笠文』の神話によれば,天地開闢のとき,あらゆる存在は音声から生まれた。アイウエオの五音は空・風・火・水・地の五元と対応しており,その五音の展開から生まれる四十八音が,世界の秩序と,人体の調和を保つ基本原理になっている。この文字は,人間に正しい音韻を教える(ヲシデ)ためのものだという。(原田)なお,この文字は,伊予城下にある八幡神社にも伝わっているという。別掲「伊豫文字」

出典: 平田「偽字篇」

『ホツマツタヱ』

『ホツマツタヱ』は,五七調の長歌体で記され,全 40 アヤ(章),10,700 行余で構成された,研究者によれば記紀の「原書」であるという,その成立時期は,記紀との内容比較から『古事記』『日本書紀』よりも古いという主張もあるが,写本の出現時期などからは少なく見積もった場合,江戸時代中期までしか遡れない。しかも,学会・学界・学者からは偽書とされている。(Wikipedia

出典: 『ほつま』昭和 49 年 8 月 1 日 復刊 7 号・通巻 6 巻 8 号

『ミカサフミ』

出典: 松本善之助 監修 ; 池田満 編(1999) (ホツマ刊行会 ; 展望社 発売)

『フトマニ』

『ホツマツタヱ』『ミカサフミ』が「歴史書」であるのに対し,『フトマニ』は占術と関係の深い歌集である。『フトマニ』によれば編集者はアマテルカミ(天照大神)であるという。『ホツマツタヱ』『ミカサフミ』と同様に,確実に遡ることができるのは江戸時代までである。(Wikipedia

出典:『ほつま』昭和 56 年 4 月 1 日 復刊 87 号・通巻 13 巻 4 号

敬光『和字考』

近江園城寺法明院の学匠敬光(元文 5~寛政 7,1740~1795)の和字論。

出典:鳥居礼(1989)『 [ホツマツタヱ]入門』(東興書院)

水茎文字 ミズクキモジ[五十音順]

国学者・中村孝道(1818~1844)が音声の配列のために作り出し,後に大石凝真素美(おおいしごり ますみ,1832 ~1913)が天津金木学(あまつ かなぎがく)という独自の行法によって感得したという文字。天津金木は積木状の木片の 6 面を白・黒・青・緑・赤・黄に塗り分けたもの。この配列・運用によって森羅万象が表現できるばかりか,未来の予測まで可能になるという。「水茎」というのは木を組み合わせるという意味の「瑞組木」に古語で筆・筆跡・書簡を意味する「みずくさ」をかけての命名である。

水茎文字には不思議な伝説がある。滋賀県近江八幡水茎町にある岡山の山頂から見下ろす琵琶湖は景勝地として知られ,「水茎の岡」として万葉にも登場する歌枕の地である。大石凝によると,天気のよい日にこの岡に登り,湖面をみるとそこに刻々現われては消える水茎文字(波紋)が観測されるという。(原田)

出典: 原田

物部文字 モノノベモジ[ヒフミ順]

秋田県大仙市協和の唐松神社(天日宮 アマツヒノミヤ)に伝わる祝詞の表記に用いられた文字。

出典:原田

守恒文字 モリツネモジ[五十音順]

守恒文字の由来については,平田の「中村松亭紀守恒」なる人物が伝授した文字であるとの説と,落合の「天武天皇ノ新字」なるものではないか,との説がある。

この文字が重視されるようになったのは,昭和に入ってからのことである。昭和 9 年(1934),酒井勝軍(さかいかついさ)は現広島県庄原市本村町にある三角山・葦嶽山こそ世界最古のピラミッドであると宣言した。酒井は「竹内文書」の中にピラミッド築造に関する記録を見つけたと主張。やがて竹内巨麿により。ピラミッド御神体石なるものが提示された。その石には,モリツネモジで,葦獄山築造の記録が掘り込まれていたのである。

酒井によると,「竹内家に伝わったモリツネモジの金石文はピラミッド御神体石だけではなく,モーゼが日本にもたらしたというオニックス(縞瑪瑙)にも記され,さらに,ヘブライ文字として猶太経典トーラを綴り,ギリシア語として基督経典バイブルを綴った如く,梵字として仏典を綴って居る。而して此等の秘密が我日本で何の争いなく談笑の間に解決されるといふことは奇妙という外はない,」と述べている。(原田)

 
 

平田「偽字篇」

吉見百穴文字 ヨシミヒャクアナ(ヨシミヒャッケツ)モジ

吾郷は,現在の埼玉県比企郡吉見町の吉見百穴を踏査した際の一文を次のように記している。『一所ニハ―むかし恋しきかたみなりけり―ト歌ノ下句ヲ記セリ。又一所ニハ馬状ノ畵アリ。古雅愛スベシ。又一所ニ左ノ古字ヲ記セリ。按ズルニ百穴ハ墳墓ニシテ,古代ヨリ弘長ノ頃マデ漸次ニ作リ成シタルモノナルベシ。穴は横穴ニテ南向きナリ」(吾郷)

出典:吾郷

琉球古字 リュウキュウコジ

琉球古字といわれるのは,下図の 6 行目に記される 17 種類の文字であり,上から十干(五行)と十二支を表わしている。この十二支文字について『琉球神道記』(慶長 10,1605)はつぎのように伝えている。

其の昔,女官や巫女が集まり,波上(現那覇市若狭)の拝殿に社屋を建てようとした。ところがその竣工が悪い日にあっていたため,天人が降りてきて,占い師になぜ悪い日を選んだのか聞いた。占い師が日取りのことを聞かれなかったから答えなかったまでだ,と答えたため天人は聞かれなくとも教えるのが占い師の職分だ,と怒って文字を奪い,天に帰ってしまった。占い師の手元に残されたのは十二支の文字だけで,後の人はその文字を用いる占しかできなくなったという。(原田)

出典:『琉球神道記 下』(仲原善忠文庫 琉球大学附属図書館)

ワラビモジ

白川神道の大家志賀龍照によって,この神字は「ワラビモジ」であることがはじめて判明した。この「ワラビモジ」は「クサビモジ」ともいい,縄をもじったような形をしているところから「なわ文字」とも呼ばれる。神霊から教示された神字は「その内容が非常に重要で,貴重な意味をもつものである」ということを神霊に教えられた程度で,全く解読することはできない。(吾郷)

出典: 吾郷

竹内文書 タケウチブンショ

竹内文書(たけうちもんじょ,たけのうちもんじょ,磯原文書,天津教文書ともいう)とは,神代文字で記された文書と,それを武烈天皇の勅命により武内宿禰(たけしうちのすくね)の孫の平群真鳥(へぐり の まとり)が漢字とカタカナ交じり文に訳したとする写本群と,文字の刻まれた石,鉄剣など,一連の総称で,いわゆる古史古伝の書物である。また,天津教の聖典であり,原本は後述の裁判に提出されたが,のちに焼失したとされる。一般には研究家らからは偽書とされている。( Wikipedia

竹内文書の決定版ともいうべき竹内義宮『神代の万国史』(北茨城 : 天津教総庁,1970)は 65 種を越える古代和字を載せている。そのため,2,3 の例外を除き,古代和字の殆どを網羅しているが,類似のものも多い。

大日本天皇國太古代上々代神代文字之卷

1930 年には,天津教が不敬罪で特高警察に弾圧された(天津教弾圧事件)。このときに検察は国語学者の橋本進吉や教育者の狩野亨吉などの学者を証人として出廷させ,竹内文書の内容と神代文字を全否定させた。次の文章は,狩野が『思想』(昭和 11,1936:6 月)に掲載した論文『天津教古文書の批判』の中で,竹内文書(第六 神代文字之卷)から引用した箇所である。

出典:青空文庫

竹内文書に現われる各種文字(1)

天越根数文字 アメコシネカズ

「天越根数文字と云ふは数の字なり。古代和字は多く五十音又は日文(ひふみ)体に配列せらるるものなりと雖も,いつの間にかヒフミヨイムナヤコトモチロと,数の字として之を使用するに到りしものなり。ヒフミ文は元来が祝詞のことばなり。神代より伝はりたる祝詞なり。」(吾郷)

出典: 吾郷

ウマシモジ[五十音順]

竹内文書では,この書体が片仮名の書体に似ていることから,アヂチモジ(アルファベット)の原始型も「わが太古の神々が創作し給うたもの」と誇示する。(吾郷)

出典: 吾郷

キネクサビモジ[五十音順]

中東地域には,古代楔形文字が多く残されている。日本では,竹内文書が数種類の楔形文字を伝えている。このキネクサビモジはその代表的なものである。古代ペルシア文字と対比すると形態の類似性が際立ってみえる。

 出典: 竹内





楔形文字


ペルセポリスの廃墟から発見されたエラム語の碑文。出典:クリストファー・ウォーカー 著 ; 大城光正 訳. 『楔形文字』(学芸書林, 1995)

クイボクモジ[五十音順]

このクイボクモジは,上古第十七代世樴角天皇の御親作とされる。なお,吉見百穴文字(別掲) 7 字中 6 字までが,このクイボクモジ中に見出せるという。(吾郷)

出典: 竹内

竜文字 タツモジ[五十音順]

吾郷は竜文字について次のように述べている。「タツモジの形態としては,一見…ティバー・ナーガリ文字を思わせる…けれども仔細に点検すれば…梵文観音経の字体に…,それよりもチベット文字に近い…パスパ文字のほうが一層よく似ている…が,タツモジはヨコに長く…パスパ文字一字一字がタテ書きに成っている…要するに,この文字は,これまでの古代和字関係文献には見出すことのできなかった珍しいものである。」

出典: 吾郷

ヒタラモジ[五十音順]

ヒタラモジの中の数文字が,フィリピン諸島でかつて用いられた各種文字に類似しており,これは,音韻の面からもフィリピン諸語が南方諸島系として,わが国古代語音と同系であることを示すものであるという。(吾郷)

出典: 竹内

竹内文書に現われる各種文字(2)[五十音順]

歴代の太古天皇はその在世中に新しい文字を作る慣わしでもあったかのようで,その中には日文真字・草書や豊国文字の旧字・新字などのほかに『竹内文書」以外に類例がないものまで数多く含まれている。

ウマシモジクサビモジコソナモジメモスビモジ

サカリヒミモジスイチモジチニモジツクリモジ

テントヨモジトヨノモジ鳥足文字ハンチモジ

ヒカリモジモモキモジヤソヨロツモジヤソヨモジ
出典: 竹内

神璽・守符




















出典: 宮崎小八郎は『神代の文字』(霞ヶ関書房,1974)


出典: 吾郷

ボリビアで発見された神代文字

本稿の最後に,安藤妍雪氏の御高説を拝読する。

ボリビアの山中で発掘された男女二体の神像の台座に付けられたプレートに書かれた文字があり,ボリビア政府は解読できず,中国の考古学者,日本の外務省にその意味の調査を依頼したが不明のままであた。最後は,日本の古代史研究家によって,超古代のある天皇が書いた神代文字で「アイウエオ カキクケゴ サシスセソ タ」であることが分かった。解読のきもは書字方向にあって,横倒しで書かかれたものを回転して本来の縦書に戻すと右端の図のようなるのであった。「このように,文字の文化一つ考えてみても,「霊(ひ)の元(もと)つ国」(=日本)から出ていることがわかります。」と安藤は述べる。


台座拡大図
出典: 安藤妍雪(2001)『世界の言語は元ひとつ』(今日の話題社)

関連リンク・参考文献


[最終更新 2017/08/20]