地球ことば村
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【地球ことば村・世界言語博物館】

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「世界の文字」について

Unicodeの普及に伴い,多言語環境を整えることが一昔前に比べ飛躍的に容易になりました。

古代から現代まで,文化的・宗教的・歴史的・学術的観点で重要な意味をもつさまざまな言語と文字を,ご覧くださる方がご自身の手で書き記す際に,このページが何らかのヒントを提供できる契機ともなれば,と念じています。

ご意見やご指摘などをお聞かせください。

稲垣徹
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世界の文字

漢字文化圏の文字


7世紀に,アジアの民族が,独自の文字を創作し始めるまで,東アジアの広大な地域の中で,言葉を書き表わし得る文字としては,漢字しかなかった。その頃を境目として,それ以後各地で各種の文字が次第に作られていくことになる。それは北方地域に回教を背景として入ってきたアラビア文字で表現されるイスラム文明や,いわゆるシルクロードとチベット地域から流伝した仏教を背景とするインド系文字のインド文明,あるいはのちに到来するラテン文字を媒介とするヨーロッパ文明とは,全く異質の,大きい文字文明であった。西田(1984)

中国とその周辺には「漢字字形を総合的・部分的に取り入れた」文字群や,「表記する言語や,文字の性格は漢字と異なるものの,一見漢字にみえる」文字群などがある。ここでは,漢字と漢字関連文字を次の5つに大別して,個々の文字の特徴を概観する。 を付した文字には,コンピュータで利用可能なフォントがネット上に存在する。

漢字甲骨文, 金文, 簡帛文字, 古文, 籒文, 小篆, 隷書, 楷書・行書・草書
変用漢字白文字, リス音節文字
変形漢字苗変形漢字, 壮文字, 布依字, 瑶字,字喃, 水文字, カイダー字
派生漢字女書, 仮名
擬似漢字契丹文字, 西夏文字, 女真文字, 則天文字, 国字

漢字

漢字は,殷周時代の甲骨文や金文以降,時代とともに,大篆(籒文とも呼ばれる。紀元前8世紀),小篆(紀元前2世紀),隷書(2世紀),行書(4世紀初め)と字形を変えながら発展し,5世紀(南北朝)には,すでに標準字形である楷書が成立していて,高度に発達して文明を担っていた。

甲骨文

甲骨文とは,殷代に,主として王を中心とする祭祀や外交および日常生活などの卜占に使用した亀甲や獣骨の上に彫り付けた文字のことである。また,甲骨文はそのような卜占の内容の記録であるところから,別に甲骨卜辞とも呼んでいる。甲骨文の書体は,時期によって文字の大小などの変化が認められるが,かたい亀甲や獣骨の表面に鋭利な刀子で文字を一気に彫り込む技法に変わりがなく,いずれも,鋭い直線の組み合わせで文字が構成されている点に特徴がある。

甲骨文は1899年に劉鶚によって発見されたもので,河南省北部の安陽県小屯村で出土した。この地は古くから殷墟,すなわち殷の都の跡として伝えられているところであり,殷の第20代の王である盤庚以来,殷が滅亡するまで都がおかれていた場所とされる。

【甲骨文フォント】 次に挙げる甲骨文フォントは、ユニコードの私用領域 U+E000..U+F0BF に、「京都大學人文科學研究所所藏甲骨文字索引」に収録される4,284項目を収録順に並べたものである。入手先:漢字データベース:甲骨文字フォント

【関連サイト】


金文

金文(きんぶん)は,主として青銅器に鋳込まれた文字のことで,普通には容器や楽器の表面に表された文字を指す。これらの青銅器の多くは祭祀用具であり,とくに容器は彝器と呼ばれて宗廟に供えおく祭器であった。また,容器の鼎と楽器の鐘をとって,金文のことを鐘鼎文(しょうていぶん)ともいう。

殷の文化圏に広がった金文は,周の言語の表記に採用され,多種多様の民族が混在する広い領域をもつ周の文化圏の共通した文字として伝播した。そこに,後に漢字と呼ばれる文字の最も初期の発展があった。西周の後期から春秋のはじめ頃にかけて金文が各地に伝播したのは,金文が言葉を表記する基準として概念を単位としていたからと考えられる。

甲骨文の書体が鋭い直線で構成された刻体であるのに対して,金文は肥筆(ひひつ)といって肉ぶとりでふくらみをもった毛筆の筆跡を多分に残している。紀元前6世紀以後になると,各々の地方的な特徴をもった字形,たとえば,南方の呉,越,楚の地域では長い字形を極めて装飾化したような字形をもった金文が現れる。

【金文フォント】 金文フォントは,文献処理実験室 サイトから 古漢字字型2.4版 をダウンロード・解凍して取り出したフォントの中から,《中研院金文》を用いる。ここに掲載した文字は,白川静『字統』を参考にした。

解凍したフォントには金文字型 1,533 字の他,小篆字型 7,475 字,甲骨文字型 760 字,楚系簡帛文字字型 1,095 字も収録する。フォントの利用方法は閱讀安裝及使用說明を参照。 つぎに,4種類のフォントを比較したサンプルを示す。

【関連サイト】


楚系簡帛文字

「簡帛」は、簡牘と帛書とを略した呼び方であり,帛書とは帛に書かれた書物を言い,簡牘とはまた竹簡,木簡と木牘の総称である。簡は,比較的細い竹もしくは木の札のこと,牘は簡より幅の大きい札を指す。今日知られる資料で最も古いものは戦国期のものであり,しかもそのほとんどが六国の一つ楚の国のものである。楚簡はいずれも墓中から発見されたもので毛筆で墨書し,内容は副葬瓶の物品名や数量を記した一種の副葬品目録である遣策(けんさく)のほか,卜占の記録や日時の占書,古書の断簡などである。

【簡帛文字フォント】 前掲古漢字字型2.4版に収録される《中研院楚系簡帛文字》を使用。


古文

魯の地方にあった孔子旧宅の壁から発見された経書は,秦始皇帝の焚書を避けるために隠されたものであった。経書には,秦より以前に,魯や斉など儒家の盛んな地域に用いられた書体が使かわれており,それを「古文」と呼ぶ。次項で取り上げる「籒文」とともに,戦国時代に用いられた書体である。『説文解字』(後述)の字形から大まかな特徴を挙げると,古文は幅の細い線で縦長に書かれ,字画も簡単であるのに対して,籒文は肉太な画でほぼ方形にまとめられ,筆画も繁雑である。 [出典] 阿辻哲次(1985)『漢字学―説文解字の世界』(東海大学出版会)

【古文フォント】 『説文解字注』データ(後述)のフォントを用いる。


籒文

西周の宣王(前827~782在位)の時代の書記官であった籒(ちゅう)が作ったとされる書体。これを簡略化した小篆に対し,「大篆」または「籒書」ともよばれる。

【籒文フォント】 『説文解字注』データ(後述)のフォントを用いる。


小篆

秦の始皇帝は前221年に天下を平定すると,統一政策を遂行する必要から度量衡や通貨などとともに文字の統一に着手した。小篆と呼ばれる字形は,当時,各国の統治者の間に流布していた篆書を統一したものであった。小篆は,秦の土地に伝承された篆書,大篆を簡略化した形であった。これを統一文字として全国に普及する任に当たったのが丞相の李斯(りし)であり,また,焚書坑儒を建議した人物ともいわれる。

【小篆フォント】 前掲古漢字字型2.4版に収録される《北師大説文小篆》を用いる。ここに掲載した文字は,白川静『字統』を参考にした。


説文解字とフォント

中国最古の文字学書として知られる許慎の『説文解字』(紀元100年成書)は,もともとは経書研究の一環として古文と今文の解釈の違いを整理するために作られたものであった。『説文解字』には約9,300字が収められているが,許慎はすべての字について「六書」によって文字の成り立ちを説明し,あわせてその文字がつくられたときの最初の意味(本義)を述べた。字形の解釈には小篆を基礎とし,さらに「古文」と「籒文」で補足して解釈の正確を期した。この『説文解字』に,清の段玉裁(1735~1815)が詳細な注釈を加えた書が『説文解字注』である。下図右:段玉裁撰『説文解字注』(世界書局 , 1962, 嘉慶13刊の影印)下図右:許慎撰『说文解字』(中華書局 , 1963, 同治12年陳昌治刻本の縮印複製)

【『説文解字注』フォント】

小篆フォントは,前掲の《北師大説文小篆》のほかに,『説文解字注』のデジタル化を目指すプロジェクト説文解字注データによるフォントが利用可能である。この説文解字注データは,親字・本文はほぼ全て入力されているが,注はまだ完全に入力されていない箇所が残っている。親字などの字形は説文解字注に出現する順に Unicode CJK Unified Ideographs 領域に配置される。本データのWeb上での検字には,説文解字注フォントをインストール後に 一覧表 から行う。 フォントは, Агитпункт Beu VII から SWShow.jar をダウンロード・解凍して取り出した説文解字注フォント SW.ttf を用いる。同梱されているSWShow.jnlpを利用すると,右図のように小窓に入力した文字に対応する小篆を検索し,下部にその字形を表示する。なお,上記フォントを利用しない場合は,説文解字注のページに記される小篆の上でクリックすると,その画像をクリップボードを経由して利用することができる。

下図は,SW.ttf (1行目)と画像(2行目)による出力の比較である。

【説文解字・説文解字注データベース】

関連サイト


隷書

篆書は,西南地域にも広がり,その地で使われていた文字と入れ替わったこともあった。しかし,篆書には,書写に不便であるとか,字形が繁雑すぎるなどの種々の欠点があったから,各国で実用文字として使われはじめたのは,「隷書」と呼ばれる別の文字であった。漢代になって,はるか西方の敦煌や居延から出土した木簡にも隷書が多く使われているように,実用文字として隷書が篆書を抑えて各地に広がっていった。

隷書のおもな特徴に,左右の払いで波打つような運筆(波磔)をもち、一字一字が横長であることがあげられる。字体が篆書と異なり横長になったのは、記録媒体が柾目の木簡に変化したためで、柾目を横切る横画に大きな負担がかかるためであるといわれる。[出典] Wikipedia 隷書体

【隷書フォント】 下記の例は,書家の青柳衡山氏が書いた文字をもとにした隷書体の毛筆フォント青柳隷書しもを用いたものである。例文は Web漢字体系 から引用。



楷書・行書体・草書体

漢代では隷書が主な字形であった。この隷書ものちに装飾化され,楷書がこれに代わった。なお,隷書をさらにくずしたところから草書が生まれ,楷書からこれをややくずした行書が生じた。これらの字体の変遷にはたえず装飾化と日常化がはたらき,このような変化は筆の運び方にもとづくものである。

【使用フォント】 青柳衡山フォントから, 《衡山毛筆フォント》, 《衡山毛筆フォント行書》, 《衡山毛筆フォント草書》を用いる。例文は,ウィキペディア李白から引用。右から,楷書体「早發白帝城」,行書体「秋浦歌 其十五」,草書体「静夜思」


変用漢字

変用漢字とは,既存の漢字の字形を表音的に,あるいは全く別の音価や意味(訓読)を与えて使う文字体系を指す。ここには,白文字,リス音節文字が属する。

白文字

現在の中国雲南省に建国された南詔王国(738~902年)と大理国(937~1253年)の有力な構成員として活動した白族が使った変用・変形漢字。中国では「方塊白文」と呼ばれている。白族は古来漢族と深い交流をもち,漢語の強い影響を受けて,多量の語彙を借用した。白族は,国家としての公用語・公用文字としての漢語と漢字を用いるほかに,南詔の中期,8~9世紀頃から漢字を使って白語を音写する方法をとり,それを漢文中に挿入した。そのような文章を「白文」と呼んでいる。

白文では,4つの原則で漢字が使われている。
1同義または近い意味の漢字で白語を書く。tsi42「十」,ku33「老」,pi35「風」(変用漢字=訓読)
2同音または近い発音の漢字で白語を書く。pɯ31pu33「不飽」(「尽きず,終わらず」の意)(変用漢字=借音)
3漢語からの借用語を漢字で表記する。tv35「東」,se35「西」,na21「南」,pɯ44「北」(借用漢字)
4漢字を変形して新字を作る。kɯ33「厚い」→哽,ku42「坐る」→踞 
変形漢字は他の変形漢字と同じように,偏または旁に音符・意符を置いた形声字(多数)または会意字(少数)の形をとっている。 1)会意字:旵tsha55(日と山)「朝食」 2)形声字 a)偏に意符,旁に音符の形:㑷 nɯ44「君の」口偏をつけて白文字であることを示す。哵 piɛr44「問う」,哽kɯ33「厚い」b) 2字を合成する。一字は音符,他の一字は意符の役割を果たす。奓 to42「大きい」。[出典] 西田龍雄(2001)「白文字」『世界文字辞典』(言語学大辞典,別巻,三省堂)

【白文唱本】 [出典] 徐琳, 赵衍荪编著(1984)『白语简志』(民族出版社)


【仁王护国般若波罗密多经】 1956年8月に大理白族自治州鳳儀県にあった薫氏の宗祠(祖先廟)法蔵寺で発見された,南詔晩期から大理国の時期に書かれた「経典」の一部。朱筆の傍注や墨筆の疏記がついていて,その中に漢字で記した白語の「注釈」も含まれていた。[出典] 中国民族古文字研究会编(1990)『中国民族古文字图录』(中国社会科学出版社)

リス音節文字

中国内のリス(傈僳)族は,新リス文と呼ぶラテン文字による表記法のほかに,雲南省西北部ではリス文(フレイザー文字)と呼ぶラテン字変形文字を,また,雲南省中部ではポラード文字を使っている。これら3種の文字のほかに,雲南省西北部の維西傈僳族自治県で使われるもう一種のリス族の文字が「リス音節文字」である。創作者の名前から「汪忍波のリス音節文字」とも呼ばれる独特な形態をもつ文字である。汪忍波は,リス族農家に生まれ,12歳で祭天古歌を通読できるようになり,のち巫師となった人物であったらしい。

音節文字資料は,汪自身が書いたとされる,歌謡形式の『傈僳識字課本』(全6冊)と『汪忍波自伝』(1~4冊)が中心で,そのほかに『祭天古歌(創世記,占卜辞,大極,歴訪)』や「駆邪経」などが知られている。しかし,いずれも実際のテキストは流通しておらず,内容もよく分かっていない。右図は,『傈僳識字課本』を公刊する際に用いた版木であり,そのため,文字の左右が逆になっている。

この音節文字の字形についてとくに注目すべきは,若干の字形を,身近で使われている漢字とナシ象形文字から借りている点である。しかし,漢字にしてもナシ象形文字にしても,本来の読み方や意味から離れて字形のみを借りて,まったく関係のない価値を与えている。たとえば,王の字形を借りて sa44 と読み,「三」の意味を与えるなど,50字を超える例がある。[出典] 西田龍雄(2001)「リス音節文字」『世界文字辞典』(言語学大辞典,別巻,三省堂)

【リス音節文字例】 [出典] 戴庆厦, 许寿椿, 高喜奎主编(1991)『中国各民族文字与电脑信息处理』(中央民族学院出版社)


変形漢字

漢字文化圏の内部には,漢字を改変した字形に,独自の象形文字を混用する水文字があり,その延長は,さらに南の広西壮族が作りだした種々の壮文字から,ベトナム民族の漢字変形である字喃へとつながっていく。その民族が作りだした字形は,漢字の形を保存しながら,漢字構成の定石をふんだ派生形態であった。それは北方民族よりももっと直接に漢字文化圏の中で生活した民族の文字表記法を示している。壮字と字喃は漢字のもつ表音と表意という2つの性格を,上手に運用して作られた文字であった。

余談ながら… この項で取り上げる各種文字の中で,𡨸喃および水字以外の諸文字を表記するには,花園明朝・今昔文字鏡などのフォント,または,漢典などのサイトで目的の字形を一字一字丹念に探す必要がある。あるいは,ある種のソフトウェアー上で,漢字の造字法を模して既存の字形を変形・組み合わせて,いわゆる外字を作成し,それを用いる方法も選択肢の一つである。

苗変形漢字

苗族の言語は3大方言, 1)湘西方言, 2)黔東方言, 3)川黔滇方言,に分けられる。現在は,ラテン文字表記法が普及する中で, 3の川黔滇方言には,ラテン文字と並行していわゆる老苗文(ポラード文字)が使われている。

一方, 1の湘西方言には,漢字を基にした独特の文字が3種類あることが最近になって明らかになった。清末に苗族の知識人が考案した変形漢字で,板塘苗文,老苗文,古丈苗文と名づけられている。初めの2つは,今でも,相当広い範囲で流通しているらしい。苗族は古来歌謡を愛する民族として知られ,古くから伝承した苗歌を記録し伝えることは,歌師たちの強い願望であった。3種の変体漢字は,いずれも,歌劇の集団が作り出したものである。[出典] 西田龍雄(2001)

【湘西方言文字】 [出典] 戴庆厦, 许寿椿, 高喜奎主编(1991)『中国各民族文字与电脑信息处理』(中央民族学院出版社)


壮文字

中国の広西壮族自治区で話される壮(チュワン)語を表記するために,いわゆる変形漢字にあたる方塊文字(壮方塊字)を使用する。この文字は,上林県はじめ特定の地区に限って,とくにその高年齢層で記憶される文字である。なお,現在,全域で拼音文字表記も普及させようとしている。

この文字が創作された年代はなお明確にできないが,唐代に刻んだ石碑に,少なからず変体字や方塊字が漢文に混ざっており,それが最も古い壮方塊字と考えられる。13世紀に登場するベトナムの字喃よりも,おそらく壮方塊字の方がより古い時代から流通しており,字喃はむしろ壮方塊字を模倣したものであった可能性が十分に考えられる。

方塊字は,古くは壮族の民謡や民間故事を記録するのに使われ,あるいは扇子に書いて愛人に贈るなどの習慣もあった。もっとも,方塊字は,方言的な差異を反映して,それぞれの土地で独特の字形が考案されていた。現代では,上林県,武鳴県などでなお使用され,とくに武鳴県では種類が多く,1千字あまりあるといわれる。

字形のほとんどが既存の漢字を採用するが,壮語にあわせて作った新しい形声字(音符と意符)と会意字(意符と意符)が中心になる。壮語は単音節を主体とする言語であるために,漢字の字形を借りて表記するのには便利であったが,2つ以上の字形全体を借りて組み合わせることが多かったため,壮方塊字一字の筆画が自然に繁雑になった。[出典] 西田龍雄(2001)「壮文字」『世界文字辞典』(言語学大辞典,別巻,三省堂)

【文字組織】

形声字: 4(fouq, 富), 5(bit, 鴨), 6(nit, 冷), 会意字: 10(gwnz, 上面), 11(ngaiz, 早饭), 簡化字: 14(mbiengj,半边,門)


【以武鸣方塊壮字】 武鳴県で用いられる方塊字の例を挙げる。[出典] 戴庆厦, 许寿椿, 高喜奎主编(1991)『中国各民族文字与电脑信息处理』(中央民族学院出版社)

関連サイト


布依字

貴州省南部に居住する布依(プイ)族の人々によって用いられた変形漢字。プイ語はチワン語とともに,タイ・カダイ語族に属する言語である。広西・貴州の境を流れる紅水河を境に以北がプイ族,以南がチワン族とされた。

【文字組織】 [出典] 戴庆厦, 许寿椿, 高喜奎主编(1991)『中国各民族文字与电脑信息处理』(中央民族学院出版社)


1)形声字: 28 (nin, 铜鼓),29 (pja, 石山),30 (pja, 魚),31 (mai. 说),32 (hau, 饭),33 (jaːŋ,马刀) 2)会意字: 34 (maŋ, 月半),35 (tum, 淹)



瑶字

湖南・貴州・広東・広西,雲南の各省。自治区に分布する瑶(やお)族は,古くから漢族との接触・交通があり漢族の文化の影響を多く受けている。様々な文章は漢字と,次に挙げるような変形漢字を用いて書かれた。

【文字組織】 [出典] 中国各民族文字与电脑信息处理 / 戴庆厦, 许寿椿, 高喜奎主编 中央民族学院出版社 , 1991

1)形声字:16 (ɕa, 𪥨女),17 (di, 母柆) 2)会意字:18 (nun, 晩),19 (nai, 羞),20 (fa, 父),21 (di, 母),22 (ɵjruɵ) 3)讹変字:23 (maːn, 晩),24 (tei, 是),25 (daŋ, 船),26 (kaːŋ, 降),27 (win, 远)


𡨸喃

ベトナム人は,漢字を儒字(chy4 nho1),ベトナム語の表記に使われた文字を𡨸(字)喃(chy4 nom1)と呼んだ。したがって,字喃を定義づけるようにいうと,「ベトナム語表記のために借用された漢字またはそれを変形した擬似漢字」となる。nom1 とは,「民間の」とか「土着の」という意味であって,要するに,字喃とは「土字」のことである。ベトナム語は,漢語と同じく単音節を基幹にする言語であるから,漢字を借りて表記するには都合がよかった。

まず,漢字をそのまま表音単位として借用する方法がとられた。いわば万葉仮名であり,漢字の構成法でいうと仮借にあたる。例:mot6「一」を書くのに「没」を借りる。ところが,これでは,その漢字が表意字として使われているのか,それとも表音として借用されているのかわからない場合が多い。そこで混同を避けるために,たとえば本字の左わきに小さな口をつける。つまり,口偏の文字は表音字なのである。また,2つの意符を組み合わせた会意文字が作られた。字喃の中で,もっとも多量に作られたのが仮借字(音符)に意符をつけた形声字であって,それが字喃の主体となった。もう一つ,省声という方法があり,これは音符の一部を省略する方法である。

【字喃フォント】 VNPF 「Vietnamese Nôm Preservation Foundation (會保存遺産喃)」で配布している字喃フォント《Nom Na Tong》を使用。例文は,日本語で『金雲翹』とも訳されるTRUYỆN KIỀU の冒頭部分である。ベトナム語には6つの声調があり,それらを表記し分けるために各種のアクセント符号を合成した字形が,ユニコード U+1E70..U+1EFF に収録されている。

【文語文訳】
月晧晧と中天に
金の誓ひに翹は和す
心中縷々と打明けて
百年同心彫り刻めり
【口語文訳】
月夜は空高く明るく輝いていました。二人は同じ誓いを幾度も交わし,互いの胸の奥にある言い尽くせない気持ちの数々を,絹糸を吐き出すように少しずつ何度も何度も繰り返し,語り合いました。このようにして,「結婚」という言葉は二人の生涯に渡り,骨まで刻み込まれたのでした。
[出典]【文語文】阮攸 著;竹内与之助 訳『金雲翹』(講談社, 1975)【口語文】グェン・ズー 原作;レ・スァン・トゥイ 越英訳・脚注;佐藤清二, 黒田佳子 英和訳『トゥイ・キォウの物語』(吉備人出版, 2005)

【参照】 世界言語博物館「世界の文字」チューノム


水文字

水文字は,日常言語の表現にはほとんど使われず,巫師の占いなど,使われる範囲が限定されていることのほか,漢字の字形を逆さまにして使うことや,独得の写実的な字形を混用している点に,その特質がある。

【水文字フォント】 今昔文字鏡 に収録されている。

『都勻県志稿』巻五「夷文」の項に掲載された水文字・漢字対照資料

【参照】 世界言語博物館「世界の文字」水文字


カイダー字

カイダー字という象形文字が使用されたのは主に沖縄の与那国島と竹富島であった。言語を完全に表すのではなく,主に数量や所有関係を表すために,人頭税の時代に記録として使われたものである。数量記号の中に明らかな漢数字の混入も見られる。

1910年代にはまだ使われていたと思われるが,1930年代にはすでにまれであった。現在,カイダー字が使われていた時代を覚えている人は老人に限られ,その数はきわめて少ないし,書かれたものは籠の蓋や板札と紙数枚ずつしか残っていない。

カイダー字の種類は, 1)家紋のように屋号を示すダーハン(家判), 2)スーチューマに基づいた数量を示す文字,そして 3)島民が独自に作った象形文字である。

下図は,ある一家が5月29日に保有していたもの,あるいは寄付したものの記録と思われる。[出典] マーク・ローザ(2009)「八重山象形文字・カイダー字の新しい発見」『月刊みんぱく』(国立民族学博物館,2009年7月,通巻382号)

【カイダー字フォント】 マーク・ローザ氏によるカイダー字フォント(ベーター版)を使用。ユニコード版が予定されている。

【参考文献】

派生文字

既存の漢字の字形をもとに,それをくずして新しい字形を造り出した文字体系。仮名,女文字が属す。

女文字

中国の湖南省江永県を中心地として生まれ,伝えられた女文字(現地では「女書(ニューシュ)」)は,漢字を学ぶことができなかったこの地の女性たちの,自らの思いを文字で表現したいという強い要求により生まれた。この女性のみが使う文字は,1980年代の初め頃から学界に知られるようになった。

文字資料には『三朝書(サンジャオシュー)』とよばれる冊子がある。『三朝書』は,結婚式の3日目に,結婚する娘の母・叔母・姉妹・義理の姉妹などが,別れの悲哀や結婚後の幸せを祈る歌を書いて贈る冊子である。下図は,1991年1月,黄甲嶺郷鳳田村にて発見されたもの。14.0 cm x 24.2 cm 右:表表紙,左:3|2ページ。[出典] 遠藤織枝,黄雪貞編集(2009)『消えゆく文字―中国女文字の世界』(三元社)

字形は全体で約1千字あり,その80%以上が漢字と対応する。残りの20%弱は,あるいは漢字を任意に改変したものか,あるいは,創作文字であろうといわれる。そして,本来の表意字形が,約400音節を書き表す表音節的機能を与えられている。

女文字には,もとの漢字を類推させる文字が多い。その特徴を3つあげる。 1)漢字全体をそのまま借用し,形を斜めにしたもの。これらの中には,漢字の元の形と反対方向の斜めになっているもの,または,漢字を変形したあとで結合したものがある。 2)漢字を少し変えたもので,見れば読めるもの。 3)漢字から借用した痕跡はあるが,変異がおおきいもの。つぎに,表音文字としての特徴として, 1)女文字の造字構成部分や単字に表意機能がない, 2)ある単字あるいは構成部分を音符として文字の土台を作り,そこから字群を形成するのが一般的な造字法である, 3)漢字と異なり,字形と字義の間に直接の関係はない,があげられる。

【女書之歌】 次は,胡慈珠(女書)と周碩沂(漢字)が共同で作った「女書之歌」の一部である。長い物語や伝記を延々と歌い継いでいくもので,日本のご詠歌に近いといえる。ことばは7文字を一まとまりとして右上からの縦書きで記す。

【訳】 美文名文は世に多いが/これほど立派な文はまだ見ない/中国女性は文才があり/今も昔も勉学好きだ/女文字を手にとって細かくみると/一字一行おろそかにせずきちんとかいている/女性は役に立たないとだれかはいうが/女性は前から天の半分を支えている/封建の不合理な社会のせいで/女性は代々いじめらて苦しめられてきた…
[出典] 遠藤織枝(1996)『中国の女文字 : 伝承する中国女性たち』(三一書房)

参考文献

関連サイト


変体仮名

現在変体仮名と呼ばれている文字は、現在の平仮名にとっての異体字として扱われる。平仮名は万葉仮名から派生した音節文字であり、その読みは字母(その仮名の元となった漢字)の字音あるいは字訓が、字体は草書体をさらに崩したものがもとになっている。変体仮名という呼び名は近代に入って平仮名の字体の統一された後につけられたもので、元来、平仮名・変体仮名という区別はなく、近世までの平仮名使用者は様々な種類の平仮名を同時に用いて使いこなしていた。

【変体仮名フォント】 下記の例は,今昔文字鏡に収録されているフォントを用いた。


変体仮名を出力するフりーフォントは多数あるが,その中の一例を挙げる。Koin変体仮名外字明朝
【使用例】

擬似漢字

既存の漢字の字形または構成原理を模倣して,新しく創造した文字。10世紀頃になって漢字に似た文字,すなわち擬似漢字は登場しはじめた。それも3種類の文字が続いて出現した。10世紀の遼の契丹文字(大字 920 年,小字 924~925?年),11世紀の西夏文字(1036 年),12世紀の金の女真文字(大字 1119 年,小字 1138 年)がそれである。これらの文字の登場は,新興国家の誕生と独自の文化の誇示であり,漢民族に対する対抗意識の発露に違いなかったが,漢字が自国語の表記には適当ではないという実用的な判断もあったのであろう。

擬似漢字の成り立ちの違いから3種類に大別できる。 1)漢字の偏,旁,冠などにあたる部分を,漢字の形そのままに使っている型(𡨸喃)。 2)何らかの既存の文字の字形を模倣したのか,今までにない独創の字形を作ったのかは別にして,ともかく漢字とはちがった字形を採用している型(契丹小字,西夏文字)。 3)その両者の混用型(女真文字,水文字)。

契丹文字

契丹小字の字形は漢字と似たところがあるが,契丹人自体の独創であると考えられる。しかし,契丹文字の文字要素は,その性質が表音字形である点で漢字や西夏文字とは大いにちがっている。契丹文字にも表意字があった。その表意字の字形は,おそらく契丹人が漢字を参考にして創り出したものと考えられるが,一字一音ではなく一音多字の性格をもっている。したがって,契丹小字の文章は,名詞に「てにをは」をつけた形や,動詞語幹に語尾がついた形を一まとめにして,漢字風に組み合わせて書かれている。それが,契丹小字の大きい特徴である。

【契丹文字フォント】 右側の出力には BabelStone Khitan Large / Small Glyphsを用いた。


韓国国立中央博物館所蔵『契丹小字七言絶句銅鏡』

【参照】 世界言語博物館「世界の文字」契丹文字


西夏文字

西夏国の皇帝,李元昊は,国定文字として西夏文字を公表した。この文字の創作者たちは,野利仁栄をはじめ,いずれも中国文化圏の中で育った学者であって,幾人かの漢人が文字の創作に参画していた。漢人は,中国においては立身の望みを失しない,むしろ中国に対し反感をもつ人々でもあった。その感情は西夏文字で「漢」つまり中国を意味する字形をあえて小偏と虫の旁を組み合わせた形,つまり,「小さい虫」にしていたところに極端に表れている。西夏は独自の文字文化圏を作りだしたが,文字の字形をみると,筆画自体は独自のものであるが,漢字を模倣して,そして基本的には漢字の構成法六書を応用してその字形をつくっていた。下記の出力には西夏文字フォント XXXtan を用いた。

一方,西夏文字には漢字とちがった特徴がいろいろ認められる。まず,西夏文字には象形字形がほとんどないという特徴がある。さらに,単字体が以外に少ない。これらは,漢字を模倣したのと,西夏文字の創作者が概念の特異な意味分析を得意としていたためといえる。西夏人は文字構成の基本を会意文字と形声文字においた。たとえば,漢字では木と林と森は,単体字と複合字の関係にある。木は樹の形を象った象形字であり,それを2つ組み合わせて林,3つ組み合わせて森であり,いずれも会意字である。

西夏文字の場合は,木を表現するの複雑な字形を考案した。この字形が何を根拠として作られたのかはわからないが,象形的ではない。林と森は漢字と同じようにやはり複合字系で表されたが,そこには漢字のように木という要素を全く含んでいない。森は,群れを表す冠とその下に「集まる」を組み合わせた会意字形から成り立つ複合字であるが,木にあたる字形はまったくない。この種の例は,豊富にある。つまり,西夏文字では,基本字形の作り方が全く独特のものであり,会意文字に見られる意味分析の仕方もまた奇抜であって素晴らしいものであった。下記の出力には, BabelStone Tangut Nishida1966 を用いた。なお,このフォントは,西田龍雄「西夏文小字典」『西夏語の研究』(座右宝刊行会,1966)を基に作成されたものである。

【参照】 世界言語博物館「世界の文字」西夏文字


女真文字

言語の体系から見ると,契丹語と女真語は,ともにアルタイ系言語であって,契丹語は蒙古語系,女真語は南トゥングース満州語系に属す。女真語の多くの単語は,対応する満州語形を一々指摘できるほど,両者は近い。これに対して,西夏語は,漢蔵語族のチベット・ビルマ語派に属する言語で,契丹語や女真語とは系統的にかけ離れた存在である。

このような帰属関係の相違は,各言語の単語構造にもっともよく現れ,各々の文字の性格もまた,当該言語の単語構造の差異を強く反映している。西夏語の単語は,基本的には単音節であり,西夏文字の一字は,その単音節を表記する。動詞が接頭辞をとって,二音節になる場合もあるが,その場合も西夏文字2字を使って書き表す。ところが,女真文字の場合は,多音節形式の単語の方がずっとよく使われている。女真文字は,音節数とは関係なく,もっぱら単語の意味を書き表す表意単位が中心であった。したがって,女真文字の読み方は,いわば漢字の訓読みのようなものであったとも考えられる。右図の出力には,女真フォント Jurchen を用いた。

【参照】 世界言語博物館「世界の文字」女真文字


則天文字

中国史上唯一の女帝となった則天武后(623~705年),本名武照(ぶしょう)は,新しい王朝の最高権力者となった自分の権威を,王者だけに使用できる神聖な文字で示そうと意図した。この「則天文字」,あるいは「則天新字」という文字を実際に作成したのは武照の従姉の子にあたる宗秦客といわれ,作られた字数について説が一定していないが,主として年号や皇帝に関する用語に使う文字が多い。新規の造字とはいうものの,ほとんどが既成の漢字の偏や旁を適当に組み合わせたものである。たとえば武照の“照”として作られた曌は,皇帝の実名だから他人が使うことは許されない彼女専用の文字だが,それは「明」と「空」から成っている。文字の構成の背景には,自分が天空に明るく輝く太陽のように地上を永遠に“照”らしたいという思いが込められているのであろう。

鄭樵『六書略』に引かれた則天文字。[出典] 阿辻哲次(1989)『図説 漢字の歴史』(大修館書店)

【使用フォント】 ユニコードのCJK統合漢字拡張Bをカバーするフォントを用いる。例:《花園明朝B》, 《MingLiU-ExtB》,《Adobe-Japan 1-6》

U+66CC
𠑺
U+2047A
U+57CA
𡆠
U+211A0
U+56DD
U+3007
𠁈
U+20048
𢘑
U+22611
𠀺
U+2003A
𡕀
U+21540
𡔈
U+21508
𠡦
U+20866
𠙺
U+2067A
𥢓
U+25893
𨭻
U+28B7B
𨲢
U+28CA2
U+5700
𤯔
U+24BD4
𢈗
U+22217
𠤵
U+20935
𠩍
U+20A4D

関連サイト


国字

和製漢字

和製漢字を国字と呼び,また和字ともいう。(注) それは,中国と日本とでは生活慣習などが種々異なること等のために,わが国特有の事柄を表す必要から生じたものである。「日本書紀」には,7世紀の末ごろにその試みがなされたと伝えられるが,その時代のものは現存しない。造字法は,中国伝来の既成の漢字を組み合わせたものであるが,形声文字はごく少なくて,大部分は会意文字である。

【国字の構成方法】
会意峠 込 榊
形声働 腺 𩾌 鋲
象形 (ゲレイン ローマ字の「G」を象る)*『今昔文字鏡』フォント
指示 (姓(もぎき)「木」から「人」(枝)を取り除いたもの)*『今昔文字鏡』フォント
合字灸 麿
その他俣(「俟」が変化したもの) 匁(中国での「錢」の崩し字から 枠(「椊」の略字からか)

【使用フォント】 通常使用するフォントで表示可能。

おもかげ なぎ とうげ かみしも しつけ さかき はたけ
はたけ つじ しぎ 鮟鱇あんこう むしる すべる はたらく
とても やがて キロメートル キログラム センチメートル

上記のように名詞・動詞・副詞など各品詞に及んでいる。それらのうち,「鮟鱇」などは数少ない形声の国字で,音のみを示し,訓はない。また,「働」は音も訓もともに示し,漢字の本家中国に逆輸入された珍しい例である。[出典] 鈴木修次 [ほか](1989)編『角川最新漢和辞典. 新版』(角川書店)

古くは「和字」「作り字」などの呼称もあったが,江戸時代に新井白石によって「国字」という用語が与えられた。早稲田大学図書館古典籍総合データベース:同文通考. 巻之上,中,下 / 白石 撰 巻之下



朝鮮製漢字

韓国の国字は既に存在している漢字の音で表現できない音を表すことが出来るように作られた文字,吏読などで使われた慣用句を書くため作られたもの,そして韓国の固有の文化の概念を表す文字などに区分される。それ以外に既存の字に新たな音とか訓を付けて使用することもある。[出典] Wikipedia 《朝鮮における漢字

【使用フォント】 ユニコードのCJK統合漢字拡張Bをカバーするフォントを用いる。例:《花園明朝B》,《MingLiU-ExtB》,《Adobe-Japan 1-6》

답 /dap/水田(韓国で田は畑の意味)
시 /si/主人の家
조 /jo/姓の一つ(曹の略字)
㕦/夻화 /hwa/怒り
부 /bu/労務者(功夫の合字)
탈 /tal/変事/病気
𡅕희 /hui/嬉しさ/長寿を祈ること(とは別)
편 /pyeon/
뿐 /ppun/…だけ/…まで

【朝鮮製漢字例】[出典] 青山秀夫, 熊木勉 編著『朝鮮語漢字語辞典』(大学書林, 1999)

【関連サイト】


参考文献

漢字データベース・サイト

関連サイト

[最終更新 2014/03/08]