nƂΑ
言語学者・文化人類学者などの専門家と、「ことば」に関心を持つ一般市民が「ことば」に関する情報を発信!
j[
悤

【地球ことば村・世界言語博物館】

NPO(特定非営利活動)法人
〒153-0043
東京都目黒区東山2-9-24-5F
TEL:03-5798-2828
http://chikyukotobamura.org
info@chikyukotobamura.org

世界の文字

漢字 ― 楷書体

楷書は,漢代の標準的な書体であった隷書に代わって,南北朝から隋・唐にかけて標準となった書体である。行書体が確立した時代に発生したため,これらの中では最後に生まれたとされている。唐時代までは「楷書」とは呼ばれず,「隷書」「真書」「正書」と呼ばれていた。書体の名称として「楷書」という用語が普及した時期は宋時代以降である。 現時点で最古の楷書は,1984 年に発掘された呉の朱然墓から発見された名刺である。しかし,それ以後も,隷書と楷書の両方の特徴をもつ中間的な書体が並行して行なわれていた。これを今隷と呼ぶ。北涼時代の写経に例が多いので北涼体と呼ぶこともある。また,中国では楷隷,晋楷とも呼ぶ。当時は,楷書の字形が標準化されていず,異なった字形の文字が多かった。この多数の異体字を六朝別字と呼び,専門の字典として碑別字がある。

牛橛造像記

龍門石窟(りゅうもんせっくつ)は中国河南省洛陽市の南方 13 キロ,伊河の両岸にある石窟寺院。「龍門石窟」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。龍門石窟で最も早く造営されたのは「古陽洞」で,そこには北魏の長楽王の妻尉遅(うつち)氏が夭折した息子牛橛(ぎゅうけつ)への供養として作った弥勒菩薩像を始めとする多くの仏像が安置されている。この供養によって息子の永遠の眠りと,一族が安楽に暮らせるようにと願をかけた「牛橛造像記」が初期の楷書で刻まれている。(阿辻)

王羲之『黄庭経』

中国,東晋(317~420)時代の道教経典。黄庭(脾臓のシンボル)を中心とする道教的身体構造論に基づき,五臓神をはじめとする人体に宿る八百万の神々の観想と呼吸法の実践とによって,不老長生を得て神仙となれることを説く。王羲之の書跡で著名な《黄庭(外景)経》と東晋期の上清派道教徒がそれを基に改作し,より宗教的価値が高いという主張をこめて命名した《黄庭内景経》との 2 種類のテキストがある。【麦谷 邦夫】 (王羲之 [著] ; 飯島太千雄 編著『黄庭経集』雄山閣出版, 1997)

王羲之『楽毅論』

楽毅論(がっきろん,永和 4 年(348 年))戦国時代の燕の宰相であった楽毅の言行を,三国時代の魏の夏侯玄が論じたもので,羲之の小楷として第一位に置かれる。羲之の書法を最も現していると言われる摸本が数種類あるが,日本では光明皇后の臨書したものが正倉院宝物として遺されている。正倉院 楽毅論

欧陽詢 九成宮醴泉銘

唐の太宗は貞観 6 年夏,隋の仁寿宮を修理して造営した九成宮(離宮)に避暑した。そのとき,たまたま一隅に醴泉(れいせん,あま味のある泉。甘泉)が湧き出たので,これは唐の帝室が徳をもって治めていることに応ずる一大祥瑞であるとし,この顚末を記して碑に刻することとなり,勅命により魏徴が撰文し,四大家(欧陽詢・顔真卿・柳公権・趙孟頫)の一人欧陽詢が書いた。全 24 行で,各行 50 字あり,篆額に「九成宮醴泉銘」とある。欧陽詢の書として最も有名であり,書体は隋代に行われた方形から脱して特色ある長方形を成し,王羲之の楷書を脱して隷法を交え,清和秀潤な風格がある。陝西省麟游県に現存する。欧陽詢 (『書道技法講座1』二玄社 1980)

趙孟頫 楷書玄妙観重脩三門記巻

宋代には天慶観と称されていた蘇州城内の道観が,元の至元 25 年(1288)に玄妙観と改称されて,額を賜ったため,三清殿と三門が重修された。そこで,牟ゲンが撰文し,趙孟頫(1254~1322)が揮毫した碑文の原稿である。三門記以外に,「玄妙観重脩三清殿記」も現存している。本巻は 49 歳から 56 歳の間の書写と考えられるもので,趙孟頫の典雅な篆額を巻頭に見ることができる。東京国立博物館

顔真卿 多宝塔碑

『多宝塔碑』(たほうとうひ)の建碑は天宝 11 年(752 年)。題額は徐浩の隷書,碑文は真卿 44 歳のときの楷書,撰文は岑勛による。題額の隷書は「大唐多宝塔感応碑」の 8 文字,碑文の初行には「大唐西京千福寺多宝仏塔感応碑文」とある。この碑は長安の千福寺に勅命により建立したもので,僧・楚金(698年~759 年)が千福寺に多宝塔を建立した由来を記した碑である。現在は西安碑林に移されている。現存する真卿の作品の中では最も若いときのもので,後年のいわゆる「顔法」と称される風骨は未だ十分に発揮されていないが,碑字にあまり損傷がなく,旧拓もあるため楷書の手本として広く用いられている。顔真卿 (『書道技法講座 41』二玄社,1980)

柳公権 金剛経

『金剛般若波羅蜜経』(こんごうはんにゃはらみつきょう,『金剛般若経』とも)は,長慶 4 年(824 年)の最も早期の楷書作品である。唐代の拓本一本が存在するのみで,これは 1908 年に発見された敦煌文献の一つである。石碑から名筆を拓本に取ることは唐代に広く普及したが,現存する最古の拓本は,『温泉銘』・『化度寺碑』とこの『金剛般若波羅蜜経』の唐拓 3 種であり,極めて貴重である。款記に「長慶四年四月六日,柳公権が僧・録準公(ろくじゅんこう)のために書き,邵建和(しょうけんわ)が刻した。」とあることから公権の書と考えられている。毎行 11 字。パリ国立図書館蔵。柳公権 (『書道芸術4』中央公論新社,2001)

関連サイト

[最終更新 2017/12/20]