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【地球ことば村・世界言語博物館】

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世界の文字

漢字 ― 草書体

正体(せいたい,正書体・標準体とも)とは,各時代の正式書体のことである。周代は籀文,秦代は小篆,漢代は隷書,そして六朝時代は楷書が正体に昇格する。金石などに文字を刻するのは永久に遺こすことを目的にしているため,使用される書体はその時代の正体である。

行書・草書は正体を速書きするための俗体(補助体とも)として位置づけられ,正体に昇格することはなかったが,隷書の俗体として成立した草書は,逆にそのもとになった隷書に影響を及ぼして行書の発生を促し,行書もまた草書とともに隷書に影響を与えて楷書発生の要因となった。

隷書体から草書体・行書体・楷書体へ

隷書から楷書が生まれる以前に草書があった。草書は行書から生まれたとする見方は誤りで,草書は行書から生まれたものではない。秦の俗体字が隷書に変わる過程の中で,早くもくずし文字の草書体の出現が認められるが,簡牘の例では前漢時代に隷書に混じって草書が使用されている(図:居延漢簡 前漢後期)。

ただし,この時期の草書は,東晋時代頃に始まる幾字かを連ねて書く草書体のいわゆる連綿体とは異なり,1 字ずつを分離して書くもので,これをとくに章草と呼んでいる。章草は隷書を補助する一種の簡便な書体として,主に文書の起草や写し,書翰などに用いられており,章草の形成過程では,官府の書記官である史(し)や書佐(しょさ)の存在が大きかったと推測される。(永田)


草書作品

王羲之「十七帖」

宋拓(そうたく)王羲之十七帖(おうぎしじゅうしちじょう)巻首にある「十七」の 2 字をとって十七帖と呼ばれ,東晋王羲之の草書の最もすぐれた帖として世に書中の龍といわれている。内容はいずれも尺牘(手紙)でその大部分は当時蜀にいた周撫にあてたものと推定されている。 有名な蘭亭叙と同じく唐の太宗が王羲之の書を集めたときに編集したもので,末尾に「勅」とあり,跋語によって,褚遂良(ちょ すいりょう)といった唐初の能筆家に命じて臨搨させ,弘文館の子弟に与えて習字の手本に供されたことが窺える。これがいわゆる館本とよばれ十七帖中最高のものとされている。なかでもこの帖は墨色も古く欠けた所も少ないので,石に刻して間もない時に刷ったと考えられ,現在十七帖中屈指の名帖である。京都国立博物館

王羲之『遊目帖』

遊目帖(ゆうもくじょう)『游目帖』とも書く。本帖は,羲之が益州刺史・周撫に宛てた尺牘 11 行で,蜀郡への憧れを寄せている。王羲之

孫過庭『書譜』

『書譜』(しょふ)は垂拱 3 年(687 年),孫過庭自ら著した書論(運筆論)で,著者自身が書いた真跡が台北国立故宮博物院に所蔵されている。最初の行に「書譜巻上 呉郡孫過庭撰」,最後の行に「垂拱三年写記」とあり,全文 369 行で 3,727 字ある。巻の前後には「政和」・「宣和」・「双龍」の印があるが,これは徽宗の鑑蔵印である。孫過庭 (『臨書を楽しむ 1』二玄社,2003)

懐素『草書千字文』

懐 素(かい そ)は中国・唐代の書家,僧。字は蔵真(ぞうしん)。『草書千字文』(そうしょせんじもん,『千金帖』(せんきんじょう)・『小草千字文』とも)は,貞元 15 年(799 年)の小字の草書千字文である。(『書道技法講座 27』二玄社)

懐素『自叙帖』[狂草]

『自叙帖』は,張旭と並び,狂草(草書体をさらに柔らかく崩した書体)の代表的作品とされている。内容はその名の通り懐素自身の学書の経歴を書き記した自己宣伝文である。自叙帖

智永『眞草千字文』

智永(ちえい,生没年不詳)は,中国の陳より隋の時代にかけて活躍した僧であり,書家である。書聖王羲之の 7 世の孫にあたる。智永は出家し,陳代には呉興(浙江省湖州市呉興区)の永欣寺に住していたが,隋代になって長安の西明寺に移り住んだ。家伝した王羲之の書法を最も能くし,なおかつその書体を研究し,とくに草書に優れた。永欣寺の閣上に 30 年閉じこもって『真草千字文』800 余本を臨書し,江東(長江下流域)の諸寺にそれぞれ 1 本を施入したという(右図:関中本)。智永の『真草千字文』は,日本に伝わる真蹟本として著名である(左図)。真草とは,真書(しんしょ,楷書)と草書の 2 つの書体のことを指す。(『書の歴史』二玄社 2012)

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[最終更新 2017/12/20]