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【地球ことば村・世界言語博物館】

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世界の文字

日本の文字 英 Japanese writing system


日本語の文字体系

現代の日本語は,普通,漢字仮名交じり文で表記されるが,日常の文字生活において,外来語を含めた日本語の文章を表記するために,様々な文字体系が取り入れられている。毎朝目にするいわゆる「サンヤツ」(三段八割)と呼ばれる新聞紙面に掲載される出版物の広告では,漢字・平仮名・片仮名・ローマ字という多くの文字体系と,縦書き・横書きという異なる文字の配列が併用され,多様な日本語の表現様式を映し出している。自国語を普通に表記する際に,仮名(平仮名・片仮名)やローマ字のような「表音文字」,それも「音節文字」と「単音文字」,また漢字という「表意文字」ないし「表語文字」,さらに数字という「表意文字」を併用する国は,現在では日本のほかには韓国(大韓民国)だけである。

サンヤツ 朝日新聞 2018 年 5 月 20 日
サンヤツ 朝日新聞 2018 年 1 月 23 日

日本語における文字体系の種類は,これにとどまらず,「英語 II では 2 月に二つの課題がでる」のように,同じ数の概念を表す際に,漢数字・アラビア数字・ローマ数字と 3 種類使われている。これらの文字体系は,語種や品詞,あるいは語ごとに選択される傾向があるが,特定の意味やイメージ,ニュアンスを与えるために,また,文字列の単調さを避けるために,あえてそれとは別の文字体系を選んで表記することもある。このように複数の文字体系が併用されていても,現実の文字生活において混乱は起こりにくい。それは,多くの日本人は「字脈」というものを経験的に習得しており,それによってその字がいかなる文字体系に属するものなのかを判断しているからである。→ 笹原(2001)

新聞における文字の使用率

つぎのグラフは,新聞において,どんな文字(ここでは活字)がどれくらい使われているかを調べたものである。調査対象は共同通信社が 1971 年 7 月 15 日から 21 日までの間に扱った 4,252 文に使われた活字である。異なり字数の総数は 2,601,延べ字数の総数は 1,001,554 である。「その他」は,長音符号などの記号類である。→ 宮島

新聞における文字の使用率
異なり字数              延べ字数

漢字

世界で使用されてきた文字の中で,日本の文字は様々な面で特異である。漢字や仮名をはじめとする日本語を表記するための文字は,出自から見るとほとんどが外国でうまれたものである。とくに漢字は,紀元 1 世紀前後に日本に伝わってから(「漢委奴國王」金印など),絵画的,符号的なものとしての受容(鏡の擬銘帯,土器の銘など)を経て,漢文や日本語を読み書きする文字として量的な増減と質的な改変が起こり,あらゆる面で多様性に満ちたものとなっている。

書体

文字に特有の線の性質の特徴やデザインの様式を「書体」と呼ぶ。手書きに端を発するものに,篆書体・隷書体・楷書体・行書体・草書体などがあり,印刷文字に由来するものに,明朝体・ゴシック体などがある。これらはいずれも共通の文字集合から生まれながら,時代・地域・目的などにより,その形態を変化させていったものである。次に,漢字における書体の差異を比較対照できる資料を挙げる。また,別掲「漢字 ― 隷書体」「漢字 ― 草書体」「漢字 ― 行書体」「漢字 ― 楷書体」参照。

「三体白氏詩巻」

図は大阪府の正木美術館に蔵されている,平安時代中期の能書小野道風による「三体白氏詩巻」で,「三体」とは「楷書体」「行書体」「草書体」のことである。→ 今野(2017)

 国宝「三体白氏詩巻」

『七ツいろは』

7 つの欄に分けられているところが『七ツいろは』という書名の由来である。一番目の欄には大きく平仮名が示され,その左右には小さくカタカナと漢字の草書体が記されている。次の欄はアルファベットの大文字・小文字がある。その次からは,漢字の「隷書体」「楷書体」「行書体」「篆書体」,一番下は紋所・模様などに用いる「角字」が記される。→ 前田武之助 編『新撰七ツいろは』(円泰堂,明治 22)NDL インターネット公開(コマ番号 3)

『新撰七ツいろは』

印刷用フォント

 印刷用フォント
現在,日本で文字が書かれる際には,手書きでは楷書体が多いが,その中でも「前」「事」「御」のような字が崩し字となって混用されることがある。印刷活字(活版印刷のほか,写真植字,DTPなどを含む)では明朝体が主流であるが,印刷用フォントは各種創り出されており,日本人の発明というゴシック体,丸ゴシック体,ナール体,教科書体,筆字体(正楷書体)なども,教科書や雑誌,テレビの字幕などに活用されている。→ 笹原


『大漢和辞典』

石井茂吉が諸橋轍次『大漢和辞典』のために製作した「石井文字」(細明朝)の部分図。全体は,大修館書店編集部編『これが 5 万字 ポスター』(大修館書店 1986)に掲載された『大漢和辞典』に収録されている親字 5 万 294 字をB全判(728 × 1,032 mm)ポスターにした 1 枚である。→ 紀田

『これが5万字 ポスター』

字体・字形

字体・字形等の関係を示したものが次の図である。実線の枠で示したのは,同じ字種として扱われる漢字の範囲である。字体の違いは,字種の違いとして表れることが多いが,複数の字体を有する字種もある。例えば,「學」と「学」は,字体は異なっているものの同じ字種とされ,点線の枠で示すように「旧字体(いわゆる康熙字典体)」と「通用字体」として区別される。また,それぞれの字体が実際に文字として現れる際には,縦に並べて示すように,同じ字体の枠組みの中で,様々な字形として具現化する。それぞれの字形には,長短,方向,つけるか,はなすか,はらうか,とめるか,はねるか等の相違が表れ得るものであって,それらのうち,横に並べて示した例(楷書体,明朝体,ゴシック体,教科書体)のように,文字に施される一定の特徴や様式の体系が書体である。

常用漢字表に掲出された 2,136 の字種それぞれには,「学」,「桜」,「竜」,「島」のように,一般の社会生活において最も広く用いられている字体,そして,今後とも広く用いられていくことが望ましいと考えられる字体が,原則として1字種につき1字体のみ採用されている。これを「通用字体」と言う。→「常用漢字表の字体・字形に関する指針(報告)」(文化審議会国語分科会平成 28 年 2 月 29 日) (50.29 MB)

字体・字形・書体等の関係

文化庁 (文化部国語課) 編による資料は,常用漢字表及び当用漢字字体表に掲げられた字体・字形と,筆写の楷書を基に設計されたいわゆる教科書体各種の字体・字形を確認,比較するために作成されたものである。→ 文化庁 (文化部国語課) 編「教科書体字体・字形比較資料 : 漢字字体関係参考資料集」(文化庁,2015)

教科書体 字体・字形比較資料(平成 27 年度使用教科書)

字体のゆれ

1 つの漢字に対して複数の字体が併存することがある。中国の六朝時代に楷書が成立して以来,「龜(亀)」「邊(辺)」など字体が 100 個に達するようなものもある。それらの字体を互いに「異体字」(異字体)と称す。そのうち字源説に即くした字体や,字書や政策で認められたなど規範性がある字体を「本字」や「正字」(正字体),あるいは清朝の字書の名を冠して「康煕字典体」と呼ぶことがある。→ 沖森

ナベの字なあに

『字鏡集』

菅原為長『字鏡集』は,鎌倉時代初期に成立したと目されている漢和辞書である。この辞書は,一つの漢字に多くの「異体字」を掲げ,また多くの和訓を示す,異体字の宝庫といえる書籍である。図は全 7 巻の巻一と巻七から引用した。→ 今野(2017) NDL インターネット公開

巻七,雑字部(コマ番号 59)巻一,天象部(コマ番号 7)

国字・国訓

和製漢字を国字と呼び,また和字ともいう。わが国特有の事柄を表す必要から生じたものである。「日本書紀」には,7 世紀の末ごろにその試みがなされたと伝えられるが,その時代のものは現存しない。造字法は,中国伝来の既成の漢字を組み合わせたものであるが,形声文字はごく少なくて,大部分は会意文字である。

『同文通考』

古くは「和字」「作り字」などの呼称もあったが,新井白石(1657~1725)が著し,新井白蛾が補って,宝暦十年(1760) 4 巻 4 冊で刊行された『同文通考』のなかで「国字」という用語が与えられた。なお,巻 4 は,日本における漢字字体や漢字の使われ方に関して,「国字」「国訓」「借用」「誤用」「譌字(かじ)」「省文(せいぶん)」の六つに分け,それぞれに該当する漢字を挙げて説明を施している。今野(2015)→ 国文学研究電子資料館インターネット公開 (コマ番号 96 以降)

『同文通考』

国訓

日本人が作った漢字「国字」であっても,たまたま中国の漢字と字体が一致した場合(「杜」〈もり)「伽」〈とぎ)など)や,中国の漢字の用法を日本で改めた場合(「詰」〈(中に)つめる〉「揃」〈そろう〉など)には,それらを「国訓」と呼ぶ。国訓とされるものの中には,日本人が作った字が,たまたま漢字にもあったという「衝突」と思われるものも含まれている。→ 同上(コマ番号 100)

『同文通考』

仮名

「仮名」とは,真仮名(まがな 万葉仮名〈借字〉)・平仮名・片仮名の総称である。「真仮名」は漢字のもつ意味を無視して表音的に用いる方式であって,漢字の用法の一種であるが,それから変形した「平仮名」「片仮名」は,漢字とは性格を異にし,1 字の単位では意味を表さず,音を表す機能だけをもち,それを連続して記すことによって日本語を表音的に表す文字として,本邦で創案されたものである。

万葉仮名

中国(六書の仮借)や先に漢字に接していた朝鮮半島での用法(吏読)に倣い,漢字の表語性を捨てて,音読みや訓読みを用いて表音的に記すことが行われた。この漢字の読みを借用した表音(音節)文字を万葉仮名と言う。『古事記』『日本書紀』『万葉集』に表れた万葉仮名は相当に整ったものである。

「稲荷山古墳鉄剣銘」

最古の万葉仮名は,埼玉県行田市の稲荷山古墳から出土した国宝「金錯銘鉄剣」(古墳時代後期,全長 73.5 cm )に記された年号や人名に用いられた文字である。この銘文の冒頭には,「辛亥年」という干支があり,作剣年時が西暦 471 年であることを明記している。裏面「獲加多支鹵」(図右)は雄略天皇を指す。→ 平川

国宝「稲荷山古墳鉄剣銘」

『日本書紀』

『日本書紀』30 巻は,α 群(巻 14‐21,24‐27)と,β 群(巻 1‐13,22‐23,28‐29)に区分され,α 群の万葉仮名が漢音(正音)を反映しており,正格漢文で書かれているのに対し,β 群には和音が混在し倭習(漢文の誤用,奇用)が多く見られることから,前者は渡来人の執筆,後者は日本人の執筆と推定されている。【参照】京都国立博物館データベース → 今野(2015)

国宝『日本書紀』(岩崎本)

「正倉院仮名文書乙」

正倉院に,漢字を表音的に使って書かれた文書が二つ収められている。「正倉院仮名文書(甲・乙)」と呼ばれることがあるが,図はその乙にあたるものである。甲,乙ともに裏に書かれている文書などから判断して,天平宝字六年(762)以前のものと推測されている。→ 今野(2015)

「正倉院仮名文書乙」

『万葉集』

『万葉集』の表記には万葉仮名を用いるが,その表記のあり方は一様ではない。1)それぞれの漢字が意味を持って用いられており(正訓),活用語尾や付属語を表記しない形である(略体とも)。2)付属語の「乎」「尓」「目八方」が万葉仮名によって記される形(非略体とも)。3)自立語が万葉仮名で記される形。4)すべての音節が万葉仮名で表記される形。この 4)を始発として消息文(手紙の文章)を経由して,平仮名文が誕生する。→ 沖森,図:西本願寺万葉集(巻第二十より,鎌倉後期)→ 今野(2015)

『万葉集』

宣命書き

  平城京跡出土の木簡
図は,平城京跡から出土した木簡(8 世紀後半)だが,書き出しに「苦在」とあって次に,小さな字で「牟」とある。これは「苦在(くるしくあら)む」の「む」という助動詞を送ったものである(拡大図参照)。このような書き方を「宣命書き」という。中国語は助詞や助動詞にあたる単語がほとんどないのが特徴の言語で,当然,漢字にもそれにあたるものはなかった。また,中国語の動詞は活用しないから日本語の活用語尾の漢字で書けない。それらを万葉仮名で書き,名詞や形容詞や動詞の語幹にあたるところは漢字の意味を用いて書いた。
この木簡は,助詞のところを小さな字で書いている。これを「宣命書き小書体」と呼び,助詞なども名詞などと同じ大きさの字で書いたものあり,それは「宣命書き大書体」と呼ぶ。→ 平川 → 【参照】 奈良文化財研究所インターネット公開「訴苦在…」


草仮名

万葉仮名を〈楽に速く〉書くために崩して草体化したもの。これがさらに簡略化されて平仮名となる。平安時代には「さうがな」(『枕草子』)「さうのて」(『源氏物語』)とあって,平仮名や女手とは別種の書体として認められていたようである。→ 池森

「讃岐国司解申文」

藤原有年が讃岐介在任中の貞観 9 年(867)に作成した申文(個人が朝廷及び所属官司に提出する上申の文書様式)である。30.3 × 265.4 mm → 東京国立博物館インターネット公開

国宝「讃岐国司解申文」

『秋萩帖』

第1紙に「安幾破起乃之多者似呂(あきはぎのしたばいろ)」と始まる和歌が書かれていろところから「秋萩帖」の名がある。筆跡と白紙のほか藍,茶,黄,緑の濃淡のある染紙を継いだ彩りの豊かな色紙を用いている美しさから,日本の書の歴史において特に有名である。(平安時代・11~12 世紀 24.0 × 842.4) → 東京国立博物館インターネット公開

国宝『秋萩帖/淮南鴻烈兵略聞詰』(紙背)

平仮名

弘法大師空海が平仮名をつくったという説は 13 世紀末から見え(卜部兼方『続日本書紀』),以後広く行われるが,現存の平仮名文献は,その字体もまちまちであって,一通でないことなどから,一個人の作ではなく,多くの人の手を経て徐々に整備されていった,社会的産物と考えられている。成立時期は,現物の平仮名資料が,9 世紀末から見え始め,これを遡るものが見えないことから,おおよそこの時期に平仮名が生まれたと見られる。

『伊勢物語』

図は嵯峨版『伊勢物語』(1608)巻一 13 丁裏の箇所で,2 字下げているところが有名な「かきつばた」の歌である。「から衣きつ〻なれにしつましあれははるゝゝきぬるたひをしそ思ふ」と読む。当時は濁点は義務ではなかった。→ NDL インターネット公開 (コマ番号 15)

『伊勢物語』

『土佐日記』

紀貫之自筆の『土佐日記』が少なくとも 4 回書写され,現存している。図は藤原定家の筆によるものである。→ 今野(2015)→ NDL インターネット公開 (コマ番号 36)

『土佐日記』

五十音・いろは歌

江戸時代以前は,仮名文字の順序は,「いろは歌」によることが一般的であった。「いろは歌」に先立って手習いの詞として用いられたのが,「天地(あめつち)星空(ほしそら)…」であった。五十音図の成立は,平安時代の 10~11世紀とされる。

『金光明最王経音義』

聖武天皇が国ごとに国分寺と国分尼寺を建立することを命じた際に,国分寺の塔に金字で書かれた『金光明最王経』を安置することを定めた。その経典に使われている漢字を抜き出して,発音や和訓を注記した注釈書が『金光明最王経音義』である。音義の前には,万葉仮名で書かれた現存最古の「いろは歌」が置かれている(図 1)。図 2 には,「次可知濁音借字」とあって,濁音が示され,それに続いて,2 種類の符号によって [ng / n],[ng / u] また [n / m] が異なることを記している。→ 今野(2015)

『金光明最王経音義』

「あめつちの歌」

西本願寺本三十六人家集に収められた源順(みなもとのしたごう,911~983)の家集『順集』の中に「あめつちの歌」と呼ばれる沓冠歌 48 首がある。沓冠歌は,一首の順字と尾字とを揃えてつくられた歌のことを指すが,下に示すように,「あめつちほしそら」以下の 48 の仮名を首尾に置いてつくられている。→ 今野(2015),→ 田中親美 編『西本願寺本三十六人集』(日本経済新聞社,1960)【参考】『源順集』国文学研究電子資料館インターネット公開(コマ番号 21 以降)

『順集』
[翻字]

五十音と梵字

五十音の成り立ちに梵字が深く関わっていた。現在の「あいうえお」「あかさたな」の配列に安定するのは,江戸時代に入ってからである。

『吽字義』

  『吽字義』(高野版)
弘法大師空海『吽字義』は,日本語の五十音成立の様子までうかがえる著作である。阿吽の呼吸で知られる「阿」と「吽」は,サンスクリット語の最初の音「a」と最後の音「n」に漢字をあてたものである。「阿」はすべてのはじまりを,「吽」は終息を意味する。図は,高野山もしくは同じく和歌山の根来寺あたりで刊行されたものである。印刷博物館所蔵。→ 『印刷博物館 = Printing Museum news』(凸版印刷印刷博物館, No 38, 2010)遍照金剛 撰『吽字義」NDLインターネット公開


『悉曇初心抄』

正智房著『悉曇初心抄』寛永 10(1633)は,梵語の読み方や発声法を学ぶ書である。梵字にはアイウエオ順にカタカナがふられている。→ 同上『印刷博物館』(No 41, 2011) 【参照】『悉曇初心鈔 / 正智房』早稲田大学図書館古典籍総合データベース (コマ番号 11)

『悉曇初心抄』

変体仮名

現在変体仮名と呼ばれている文字は,現在の平仮名にとっての異体字として扱われる。平仮名は万葉仮名から派生した音節文字であり,その読みは字母(その仮名の元となった漢字)の字音あるいは字訓が,字体は草書体をさらに崩したものがもとになっている。変体仮名という呼び名は近代に入って平仮名の字体の統一された後につけられたもので,元来,平仮名・変体仮名という区別はなく,近世までの平仮名使用者は様々な種類の平仮名を同時に用いて使いこなしていた。

『読方入門』

明治 17 年に文部省編集局が発行した,小学校一年生用の仮名(平仮名・変体仮名),カタカナの読み方教科書。NDL インターネット公開 (コマ番号 17)

『読方入門』

變體假名及び手本

星野天知『新式女子書簡習字 : 附・手紙の作法』(博文館, 大正 2) NDL インターネット公開(コマ番号 81)

『新式女子書簡習字』

藤田壮介『描かれた徒然草』変体仮名でめぐる資料あれこれ(5)→ 『国立国会図書館月報』 685 号 2018 年 5 月

描かれた徒然草

片仮名

万葉仮名の字体を崩す方式(=草体化)によって平仮名が生まれたが,もう一つ,万葉仮名の漢字の全角を用いず,筆画をはぶいて<楽に速く>書く工夫がなされた。この<省画化>の原理によって,できたのが片仮名である。片仮名のことを「略体仮名」と呼ぶこともある。片仮名という文字体系の成立時期は,平安時代初期(9 世紀前半)頃と見られている。→ 沖森

仮名は,その表音文字としての働きを高めるために,いわゆる五十音にはない発音に対して,符号を付してより正確な音を表す努力が続けられてきた。今日でも,鼻濁音に「カ゚」のような表記が見られる。宮古方言を表す文字「宮古仮名」には,シ゚ /s/,ス゚ /ʑ/,ム゚ /m/,ウ゜/v/,キ゚ /kï/ が見られる(柴田武「琉球宮古語の音韻体系と〔宮古仮名〕」『言語学論叢』11(1971)。ほかに,アイヌ語の /tu/ に「ト゚」,英語の /la/ に「ラ゚」,漫画などでは特殊な音声(擬音声)表す「あ゙」「え゙」のような工夫が見られる。

大福光寺本『方丈記』

『方丈記』は鴨長明が 1212 年に表わしたと考えられている。「片仮名漢字交じり」で書かれており,和漢混淆文の先駆とされる。→ 文部省 編『日本国宝全集 第38輯』(日本国宝全集刊行会, 昭和 2-14)NDL インターネット公開 (コマ番号 21)

国宝『方丈記』大福光寺蔵

『今昔物語』

『鈴鹿本今昔物語』(12 世紀初めごろ)は,「漢字片仮名交じり」ではなく「片仮名宣命書き」で書かれている。「今ハ昔」と始まり「トナム語リ伝ヘタルトヤ」で終わる形式をとる説話集で,書き始めの「今ハ昔」が書名となったものと思われる。→ 今野(2015)【参考】京都大学貴重資料デジタルアーカイブ公開

国宝『今昔物語』(鈴鹿本)

仮名文字協会

漢字の使用は「わが国の教育上容易ならざる大欠点である」と唱えるカナ文字論者山下芳太郎は,大正 9 年(1920)仮名文字協会(現在の財団法人カナモジカイの前身)を設立し,同 11 年には機関誌「カナノヒカリ」を創刊した。→ 紀田

『カナ ノ ヒカリ』創刊号

鉄道掲示例規

鉄道省は掲示板の左右横書きの混在の解消のため,昭和 2 年 4 月 7 日,仮名文字協会の建議により「鉄道掲示例規」を制定し,駅名標は「表音式左横書きカタカナ」表記とすることになった。しかし,わずか 3 ヶ月後に鉄道大臣小川平吉の一言で従来の「右横書きひらがな」に戻されてしまった。小川の主張は「日本の文字は今日迄右から」書いており「別段是に対して不便不自由を訴えて来る者もない」というものであった。【参照】「駅名左書中止問題に就いて」『鉄道従事員諸君へ』。図は『The Rail』100号(2016)より引用。

駅名左ガキ問題ノイキサツ

ローマ字

ローマ字は日本語の表記体系の中では,補助的なものであるが,外国語の原語表記や駅や案内板のローマ字表記,略語などを通して,日常生活でも身近に用いられる文字である。ローマ字表記は平仮名や片仮名とも異質な文字列となるため,表記上の特殊効果が見込まれ,広告やファッション,商品名などに多く用いられている。日本におけるローマ字使用は,室町時代末,フランシスコ・ザビエルをはじめとしたポルトガル人宣教師が来日したことが契機となる。

明治初年までのローマ字

『キリシタン版平家物語』

来日したイエズス会宣教師たちの教科書として役立たせたいという目的で出版された書籍があった。下記『平家物語』の扉には「日本のことばとイストリアを習い知らんと欲する人のために世話に和らげたる平家の物語 ... 1592」と記されている。今日の日本人から見ると,当時の話し言葉を知るうえでの貴重な資料といえる。→ 『ハビヤン抄キリシタン版平家物語』亀井高孝, 阪田雪子 翻字(吉川弘文館, 1966)

『キリシタン版平家物語』扉紙巻首

『天草版イソポ物語』

『天草版イソポ物語』の扉紙には次のように記されている。「エソポのファブラス ラテンを和して日本の口となるものなり。〈装飾模様〉イェズスのコンパニャのコレジォ天草に於いてスペリオレス〈長老たち〉の御免許としてこれを版にきざむものなり。御出生より 1593」→ 『天草版イソポ物語 : 大英図書館本影印』(勉誠出版, 1976)

『天草版イソポ物語』

ローマ字交じりの都々逸本

酒気亭香織によるローマ字交じりの都々逸本。酒気亭香織『支那西洋国字度々逸初編』明治 4 年 NDLインターネット公開

『支那西洋国字度々逸初編』

ローマ字の綴りかた

明治 18年(1885),羅馬字会(外山正一ら)が発足し,「羅馬字にて日本語のの書き方」で発表された綴り方をヘボン「和英語林集成」第三版(1886)が採用した。これがヘボン式である。ヘボン式は,音韻体系に配慮しつつも,音声学的な表記に重点をおいたものである。日本語を十分に知らない英語圏の外国人にとっても,日本語の発音を再現しやすいものとなっている。→ 沖森

これに対して,田中館愛橘は 1885 年「本会雑誌ヲ羅馬字ニテ発兌スルノ発議及ビ羅馬字用法意見」を『理学協会雑誌』に発表し,五十音図を重視した日本式の綴り方を提唱する。日本式は,五十音図を知っていて,母音と子音に当たるローマ字を覚えれば表記が類推可能で日本人にとっては表記しやすいものである。

この二つの表記は並び行われ,ヘボン式のローマ字ひろめ会の機関紙『ROMAJI』(1905 年 10 月 13 日創刊)と日本式の日本のローマ字社『ROMAZI SEKAI』(1911 年 7 月創刊)との対立となって続いていく。

ROMAJI 創刊号ROMAZI SEKAI 1924 年 1 月 20 日

ローマ字学習表

明治初期のローマ字学習表。「横文字便覧」大阪心斎橋筋大野木市兵衛一宝文堂(一枚刷 和紙 147 × 730 mm)→ 惣郷

ローマ字学習表

江戸文字

御家流
江戸文字の源流は,崩しの規則性を定めた「御家流」という書体にあり,この「御家流」そのものを基礎にする書体と,楷書を基礎にしながら「御家流」の影響を受けつつ発達してきた書体に大別される。現在,江戸文字と呼ばれる書体を大きく分けると「勘亭流」「寄席文字」「相撲文字」「千社札(教義の江戸文字)」の四種類がある。そのうち,歌舞伎の「勘亭流」は御家流に一番近く,また寄文字の「橘流」も勘亭流を基にしたとされるので,基礎は「御家流」といえる。いっぽう,相撲字の「根岸流」,そして「狭義の江戸文字」は楷書を太く書くことを基礎にしており,江戸の社会で日常的に使われていた「御家流」の影響を受けつつ発達してきた書体である。右図:『御家流消息往来御手本』江戸期,一般的に売られた手本集。中橋広小路町松坂屋版 → 橘(2007)

勘亭流

江戸文字の特徴は,縁起を担いで線を太くし字面を黒々と仕上げるところにある。図は歌舞伎番付。 → 竹柴蟹助(1967)『勘亭流教本』(グラフィック出版)

『勘亭流教本』

寄席文字

新宿末広亭ポスター。→ 橘(2014)

新宿末広亭ポスター

相撲文字

ごく限られたスペースに膨大な情報を,しかも一目でそれとわかるランクづけを施して凝縮してみせる番付表。文字は番付の下位になればなるほど小さく細長くなり,ほとんど可読性の限界に挑戦する。右の円内は,番付の西方最下段の部分を原寸の 2 倍に拡大したもの。→『芸術新潮』1993 年 7 月号

平成 5 年夏場所番付表

千社文字

神社仏閣へ参詣すると,寺院の山門や本堂の天井などに,情緒ある書体で人名が和紙に木版で手摺りされた,不思議な魅力を持つ札が貼られている。これが,江戸時代に生まれ,明治・大正に発展,流行した「題名納札」一般にいう「千社札」(せんしゃふだ,せんじゃふだ)である。伝統的な千社札には機能で大きく分けて「貼り札」「交換札」「連札」の三種類がある。
「貼り札」(図上)は,神社仏閣へ参拝の際,社寺から御朱印または御宝印を御経帳にいただき,しかるべきところに許可を得て貼る「貼り札」が千社札の原型である。
「交換札」(図中)は,貼り札を貼り歩く同好の士が生まれ,彼等が行き会うようになると,名刺代わりに札を交換するようになった。そして,浮世絵版画の技術の発達とあいまって,次第にその意匠に凝るようになり,信心とは別に工夫を凝らして洒落た札を作った。
「連札」(図下)は,交換札を交換する「交換会」ができ,貼り歩くサークルである「連」単位で,より贅を尽くしたものを作って交換し始めた。→ 橘(2014)


古活字版

室町時代の末,朝鮮から招来された印刷機により活字印刷が試みられ,その後,後陽成天皇によって,慶長勅版本と言われる木製活字印刷が刊行された。この時期に活字で印刷したものを古活字版(古活字本)と呼ぶ。以下の図及び解説は, 天理大学附属天理図書館 編『近世の文化と活字本 : きりしたん版・伏見版・嵯峨本・・・ : 天理ギャラリー第 122 回展』(天理ギャラリー, 2004)による。

きりしたん版

イエズス会巡察使ヴィアリニャーノは自ら派遣した天正少年使節の帰国にあたり,西洋印刷機をわが国に輸入し,教義書の他,コレジョの教科書,宣教師の日本語学習書などを印刷,出版した。これは天正 19 年(1591)から約 20 年間九州各地や京都で出版される。この書物群を「きりしたん版」と呼ぶ。『こんてむつすむん地』は,16 世紀スペインの修道士が著したポルトガル語による信心・修得の書『罪人の導き』の抄訳(長崎日本イエズス会学林刊 慶長 15 年 1610)。日本語活字を使用したもので国字本と呼ばれる。。NDL インターネット公開 (コマ番号 4)

重文『こんてむつすむん地』

慶長勅版

天皇の勅命により刊行された書物。後陽成天皇,後水尾天皇が刊行した 10 数種類の古活字版をさす。『勧学文』(慶長 2 年 1597)は,唐代の白居易,宋代の皇帝真宋らの学問を勧める詩文を集録した書。『長恨歌』『琵琶行』(慶長 8 年 1603 )はともに白居易の代表作。【参照】早稲田大学図書館古典籍総合データベース『勧学文』同『長恨歌』

『勧学文』『長恨歌』

伏見版と駿河版

豊臣秀吉没後,徳川家康は五大老の筆頭として伏見にあり,大政を総覧していた。やがて関が原の戦いへとむかう頃であったが,この時に家康は僧元佶に木活字 10 万個を与え,兵法書や政治書を開版させた。この一群の書物を伏見版という。『孔子家語』(慶長 4 年 1599)は,諸書に記された孔子に関する記事を集め編纂したものである。また,駿河隠遁後も家康は活字出版を続け,林羅山らに命じて朝鮮活字と同じく銅活字を鋳造させ『大蔵一覧集』『群書治要』を出版した。これを駿河版とよんでいる。『群書治要』(元和 2 年 1616)は,『周易』『尚書』など中国古典から治世の要に関係ある語を摘抄して編纂したものである。

『孔子家語』『群書治要』

駿河版銅活字

 重文「駿河版銅活字」
駿河版の印刷に使用した銅活字約 11 万本はその後火災に遭い焼けたりしたが,残存したものは一時南葵文庫に保管され,昭和 15 年(1940)に凸版印刷(株)の所有となる(約 38,000 本)。さらに昭和 37 年,駿河版銅活字として重要文化財の指定をうける。→ 印刷博物館 = Printing Museum news (凸版印刷印刷博物館, No 10, 2003)


嵯峨本

慶長・元和年間,京都嵯峨で出版された本阿弥光悦流の書体を持つ一群の書物を嵯峨本と呼んでいる。光悦自らが版下を書いたとするものを特に「光悦本」という。わが国出版史上最も美しく,気品漂う書物といわれる。光悦流活字で墨色は漆黒。具引を施した厚手の料紙に形木で摺出した雲母の草花模様はすこぶる重厚華麗。

『徒然草』

表記法

縦書きや横書きなど,文字を配列する方向のことを「書字方向」というが,日本語は,書字方向の自由度が高く,バラエティに富む点で,現行の文字体系の中では世界的に稀有の存在である。現代のシステムは,縦書き(左へ行移り)主体・左横書き併用,左横書き主体・縦書き(左へ行移り)併用があり,同一紙面・誌面で記事・コラムごとに違うシステムが共存していることも多い。日本語の表記は,各単字の正立像は回転させず,そのままで縦書き・横書きに用いられる。→ 屋名池

文字の配列

日本語を縦書きするのは,日本語が文字を用いるようになってからこのかたずっと使われ使われ続けてきている。イエズス会の宣教師フランシスコ・デ・ザビエルがローマのイエズス会長ロヨラへ宛てた 1549 年 1 月 14 日付書簡で,なぜ日本人は文字を縦に綴るのかとのザビエルの問に,日本人パウロは次のように答えたと記している。「人間の頭は上にあり,その足は下にある。故に,人は文字を書く時,上から下へ書き下すべきである。(比屋根安定『聖サヸエル傳』日独書院,1934)」横書きを用いるようになったのは,右横書きも左横書きも,横書きする外国語の文字との関わりから生じたものである。現代のシステムに定着するまで,様々な様式が試みられた。

『横文字独学』

幕末から明治にかけての,西洋文化の直輸入をめざした人々も,日本語はあくまで縦書きという観念に支配されていた。『横文字独学』(明治 4 年 1871)欧文との共存をはかって登場した新しい書字方向は,左横書きの欧文に合わせるため和訳の箇所を縦組み(正確には縦組みを横に転倒させたもの「横転縦書き」)としたものである。最初から横組みにすることなど,思いもよらなかったのであろう。→ 惣郷

『ウヰルソン第二リードル独稽古』

横転縦書きは,明治 30 年ぐらいまで続いたが,外国語の発音を示すカタカナや語義の注など,便宜的な部分が一部横書きとなった。その部分を「尻上がり」もしくは「尻下がり」に組んで,アクセントを示した例もある。→『ウヰルソン第二リードル独稽古』(明治 18 年 1885)→ 紀田 惣郷

『ウヰルソン第二リードル独稽古』『横文字独学』

『和英商賈対話集 初編』

この書籍は,長崎奉行所内にあった活字版摺立所が閉鎖された後,インデルマウルによって設けられた出島印刷所で本木昌造らが印刷したと考えられている(安政 6 年 1859)。欧文,カタカナは鋳造活字であるが,訳文は木版で印刷されている。→ 『印刷博物館 Printing Museum News』No. 39 (2010)

『和英商賈対話集 初編』

映画チラシ

昭和 8 年(1933)9 月上映「キングゴンク」のチラシ。ここでは,「右横書」・「縦書」併用の例が見られる。『SY ニュース 13 号』→ 府川充男 撰輯(2005)『聚珍録 : 圖説=近世・近代日本〈文字-印刷〉文化史 第3篇(假名)』(三省堂)

「キングゴンク」チラシ

近代日本語の書字方向の流れ

江戸以前の縦書き専用から,現在の左横書き(縦書き併用)に至る約 200 年間の書字方向の流れを図示すると,図のようになる。→ 屋名池

書字方向の流れ

横組・縦組

「横組」とは,文字組版において,文字の中心を縦方向にして,読む向きを横に並べて版面を構成すること(左綴じ)。手書きの場合には 横書きといい,反対に,縦方向に版を組むことを「縦組」(右綴じ)という。文字の書字方向と組版には,緊密な関係があるが,ラテン文字・インド系文字(左横書き,左綴じ)・アラビア文字(右横書き,右綴じ) など横書きを用いる言語圏では,特に「横組み」という意識は薄いであろう。

季刊誌「たて組ヨコ組」(1983~2002)は名前のとおり,40 ページの冊子が 20 ページずつ縦組みのページと横組みのページに分かれている。→ アルシーヴ社 編『たて組ヨコ組 Morisawa quarterly』25号(モリサワ,1989)

「たて組ヨコ組」25 号表紙

振り仮名

振り仮名とは,文字,主に漢字に対してその読み方を示すためにその字の周りに添える文字「読みとしての振り仮名」のことをいう。活版印刷において基本的な本文の大きさであった五号格の活字の振り仮名に七号格の活字を用い,その別名が「ルビー(Ruby)」であったため,印刷物の振り仮名を「ルビ」ともいう。振り仮名のもう一方の用法「表現としての振り仮名」は,漢語で記しておいて,振り仮名はその意味の和語によってするというものも多く見られる。特に小説などの表現技法としてよく用いられる。また漫画や小説,歌の歌詞などでは,特殊な効果を狙って,漢字や外来語で記したものを全く別の振り仮名で読ませることもある。以下,振り仮名の使用例をいくつか挙げる。

書籍の帯

今野真二『振仮名の歴史』の帯(俗に腰巻)に記されたキャッチコピーが,振り仮名の性格と機能を十分に表現している。

『振仮名の歴史』の帯

『節用集』

『節用集』における振り仮名の使い方は次のとおりである。図左側 2 行目下段「兵庫ヒヤウゴ」「氷室ヒムロ」のように漢字に振り仮名がつけられたかたちが辞書登録の単位で,それに『未明ビメイ 早旦サクタン也』の「早旦也」(「ソウタン(早旦)」は〈早朝〉の語義をもつ漢語)のように「注」にあたるもの が付けられることがある。最終行「旱天ヒデリ」では漢字の左側にも「カンテン」と振り仮名が付けられている。その前後の「盡日ヒネモス 終日」,「晝ヒル 日午」では「終日」に「シウジツ」,「日午」に「ジツゴ」と左振り仮名が付けられており,こららの漢字は「左右両振り仮名」が付けられている。→ 今野(2015)→『節用集 : 易林本』(日本古典全集刊行会, 昭和 4) NDL インターネット公開 (コマ番号 116)

『節用集』左右両振り仮名の例

『志無也久世無志與』

ネイサン・ブラウン訳による,日本で最初の全訳新約聖書『志無也久世無志與』(シンヤク ゼンショ)(明治 12 年 1898)マタイによる福音書 1, 1-9。ここでは,人名等にローマ字による読みを付している。→ 明治学院大学図書館デジタルアーカイブス公開

 
『志無也久世無志與』

「假名讀新聞」

横浜毎日新聞会社から発行された新聞。仮名垣魯文が編集したとされる。ほぼ全部の漢字に振り仮名が付けられた表記を総ルビという。明治前期のこのような大衆向けの新聞を「小新聞(こしんぶん)}という。→ 沖森

「仮名読新聞」

「假名讀新聞」のチラシ。→ 宮武外骨『文明開化 2 廣告篇』(半狂堂, 大正 14-15)NDL インターネット公開 (コマ番号 25)

「仮名読新聞」のチラシ

文字遊び

文字遊びとは,文字の読み方,配列,形,意味などを利用して,それらを再構築することで,そこに本来とは異なる意味を見出していく遊びといえる。子ともの文字の記憶術として用いられたり,洒落として楽しまれたりしているものがある。次に例を示す。

「四方読新歌字盡」

「四方読新歌字盡」は,上下左右中央の文字を組み合せて歌にする文字遊び。→ 佐藤為三郎 編『現今児童重宝記 : 開化実益』(此村彦助, 明治 19)NDL インターネット公開 (コマ番号 56)

「四方読新歌字盡」

譃漢字

図右に示した例は,「春・夏・秋・冬。暮」の各々に人偏を付け,「春浮気(はるうわき),夏は元気で秋鬱(ふさ)ぎ,冬は陰気で,暮はまごつき」ともじる。図左では,「人」を組み合せて「つきあたる」「ひとごみ」「けんくは(喧嘩)」「ちうにん(仲人=仲裁者)」の 4 つの譃漢字をつくり,「人と人つきあたる也ひとごみでけんくはこうろん中がちうにん」という和歌を添える。→ 今野(2009)→ 小野篁『小野嘘字づくし』(吉田桂之助,明治 20) NDL インターネット公開 (コマ番号 右 2,左 5)

小野嘘字づくし

八重襷

八重襷(やえだすき)は冠(かんむり)と沓(くつ}とが同じ音字仮名をもつ複数の俳句・雑俳を材に,これらを縦・横・斜めに交差させ図形詩にしたものである。図は『崑山集』(慶安四年 1651)に載っている回文の一例。 → 国文学研究資料館 崑山集(コマ番号 620)翻字はことば遊び魔辞句大事典による。

「野菊廻文」堺住人小西茂左衛門宗利翻字

当て字あて読み

漢字には,1 つの字体に対して,原則として音読みと意味とが備わっている。当て字は,そうした音・義によらずに漢字が語の表記に用いられている。また,語の意味や語源から見れば,それにそぐわない漢字が用いられることがある。それらには,漢字表記と語との間に不整合感が意識されることがある。

『麁想案文当字揃』

図は,馬琴 戯作, [北尾重政] [画]『麁想案文当字揃』(鶴屋喜右衛門,寛政 10 年 1798)。 NDL インターネット公開(コマ番号 6)

麁想案文当字揃

『当て字・当て読み漢字表現辞典』

この辞典の例文採録に当たって利用した資料は,小説・雑誌・漫画・歌詞・古文などに広範囲にわたっている。→ 笹原 (2010)

「ひと」の当て字の例

関連リンク・参考文献

[最終更新 2018/06/20]