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【地球ことば村・世界言語博物館】

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世界の文字

彝文字


彝文字(Yi scripts,ロロ文字とも)は,彝(い)族が作り出し伝承する固有の文字を指す。中国の四川,貴州,雲南の 3 省で使われ,一般に中国では,伝統彝文または老彝文と呼ばれ,それぞれ特徴のある字形と書き順を伝承している。漢文史誌では爨(サン)文,韙(イ)書,儸儸(ロロ)夷文などと書かれる。また,彝文はピモ(畢摩,巫師)が掌握してきた文字であるため,畢摩文とも呼ばれてきたが,いまは,彝文に統一されている。

[起源]

ロロ文字が長い歴史を持つことは確かであるが,その起源に関しては,定説がない。次にいくつかの伝承をあげる。『清一統志』巻 484 では次のように書かれている。

「唐ノ阿畸アキ納后ナコウ夷ノ(ラフ族?)后[裔]ナリ,岩谷ニ隠レ爨字ヲ撰ス,蚯蚓ミミズノ如シ,三年ニシテ始テ成ル,字母一千八百四十,書ト号ス,ロロ人今ニ至ルモ之ヲ習ヒ,以テ書法ト為ス」

四川大涼山一帯に広く流布する伝説によると,ロロ文字はアシラジ(阿詩拉吉とかアシラツ阿汁拉組と書かれる)が創作したことになっている。

「昔,大涼山にアシラツという名の彝人がいた。少年の頃,深山に遊びに行くのが好きで,朝早く家を出ては,晩遅く帰ってきた。毎日出かけるのを不審に思った母親がラツのあとを追いかけていくと,ラツが大きな樹の下にうずくまって,文字を作っていた。樹の上には,鴉とも猫ともつかない怪物がいて,口から黒い血を吐いて地上にたらしていた。ラツはその血を祈禱しながら字を書いていた。彝族の文字は,それからはじまるのである。」

巫師の中には,ロロ文字の起源を孔子に結び付けようとするものがある。

「孔子様は,両手どちらでも文字を作ることができなさった。右手で漢字を造りなさったので漢字は右から左へ書き,左手でロロ文字をお作りになったから,ロロ文字は左から右へ書いて行きますのじゃ」

創作年代については,唐代,漢代,さらに遡って先秦時代やさらに進んで紀元前 4 千年の仰韶文化と同期とする意見も出されているが,多くの学者は唐代に始まり,元末明初に集大成されたものと見ている。→ 西田 2001

[字形の分類]

彝文字の字形は 1 つの文字体系として十分整理されておらず,漢字のように偏,旁,冠などに分析して特定の部首に納めにくいために,(1)字形の特徴から分類する方法と,(2)表現する意味との関連から見た造字法による分類が行われている。彝文字の最も単純な平面分析に,次のような方法がある。→ 果吉

上下結合上中下結合
左右結合左中右結合
包囲結合

表現する意味・音形と関連して造字法を考察する場合,漢字の六書を基準にすると便利である。彝文字の造字の基本は象形である。次に丁椿寿が例示する象形文字をあげる。 → 丁

彝文字の記録

ヨーロッパでロロ文字が知られるようになったのは,雲南省,四川省などに入った調査探検隊の報告書や,宣教師の記録によってであった。

ベイパー

北京の英国公使館の書記官であったコルボーン・ベイバー(E. Colborne Baber)は,1877 年から四川省を中心とする地域を探検した。その際,ロロ文字の各語(音節)毎に,その発音を大体当て嵌まる漢字で示したものを見つけた。それを引き写し,版木を彫り,刷り上げた中の 3 枚をヨーロッパに送った。また,ロロ人医者から聞き出した数詞の形と,ロロ語単語のロロ文字を記録した。これらの文献を用いてロロ文字を分析したのは,次項で述べるラクーベリである。→ Baber

ロロ文字と漢字の 2 文字対照文書

ベイバーがロロ人医者から聞き出した数詞の形と,ロロ語単語をドローヌの記録(後述)と対照したものを挙げる。

ベイパーの記録ベイパーとドローヌの記録対照(西田 2002)

滞在中に,ロロ族長が所持していた 8 ページのロロ語手稿を筆写したもの。

ラクーペリ

イギリスの東洋学者ラクーベリ(Terrien de Lacouperie)は,ペイバーから贈られたロロ文字と漢字との対照文書で,ロロ文字につけられた漢字を,表音以外のものではないと考えた。そしてロロ文字の解読は,注意と時間の問題であって,この僅かな語彙が,解読の糸口を与え,しかも決定的な役割を果たすだろうと考えた。ラクーベリは,2 文字対照文書と数字と若干の語彙文書を使って次のような分析を行った。まず,表の 1 から 6 までの例から,t に対する字形(括弧内に記した太い線,Lに似た字形)を帰納できると言う。「十」を意味する文字はベイバーが医者から聞き出した字形である。表の 7 から 12 は,k にあたる字形(フに似た字形)を取り出した例である。

分析の手続きを示してはいないが,ラクーベリは次の 13 の字形を抽出して,それぞれに音価を与えている。そして,ロロ文字の全体の記号の数は,30 個以下だと思えると言う。

ラクーベリの解読は明らかに失敗であった。それは第一に資料の貧弱さに由来するが,どの文字も少数の表音要素の組合せからなり,それぞれの要素に音価を与えれば,全体をすばり解読できるという原初的な考え方にも原因があるように思われる。もしその当時,ラクーベリがロロ文字の字数が,異体字をも含めると,8000 字を上回る事実を知っていたら,おそらくこのような分析を試みなかったであろう。→ 西田 2002

ヴィアール

ロロ文字の表意文字起源説は,永く雲南の路南県で,ニー・ロロ(散尼)族と共に生活し,伝道に努めながら,ロロ族を研究したフランス人のヴィアール神父(Paul Vial)によって,早くから提唱されていた。ヴィアールは 1898 年の著書の文字の章(9 章)で,ニー・ロロ文字の中に,いまなお表意的な(象形的な)風格を保持する 44 種類の字形をあげて,その表意文字説の証明とした。→ Vial

表意的な撒尼彝文字

ドローヌ

フランス人ドローヌ(d'Ollone)を隊長とする調査隊は,1906 年 12 月から 2 年間,雲南省の東部と四川省,そしてチベットと青海・甘粛を調査探検した。帰国後,調査隊が持ち帰った資料として,『中国における非漢民族の文字』において,3 種のロロ文字と 1 つの苗文字字典(実際は漢字)について言及している。(1)甘相営(今の喜徳)の近くの独立地区で使われるロロ文字字典(1030 字),(2)昭覚の独立地域で使われるロロ文字字典(480 字),(3)威寧州の近くで使われるロロ文字字典(貴州と雲南)(250 字),(4)永寧県の近くで使われる苗文字字典(四川南部)。それぞれの地点には一見すると独特のものと思える字形と文字の配列順序がある。四川の甘相営と昭覚では右から左への横書き,行は上から下へ,貴州の威寧では縦書きで,行は左から右へ移る。

甘相営ロロ文字字典
昭覚ロロ文字字典
威寧ロロ文字字典
永寧県苗文字字典 (四川南部)

ドローヌは,ロロ文字を集めて簡単な字集を作ったが,文字の分類もやっている。甘相営の文字を用いて,基本的な字形(これを Clefs 鍵と呼ぶ)を設けて,各文字をその字形に応じて 10 種の系列に配分した。次は,漢字の六書でいう象形字を数多く含む I の鍵の文字の例である。ロロ文字はもともと象形の表意字形をもっていて,一方で,そのもとの形を保存しているものもあるけれども,他方で特定の字形が次第に変化し,かなりの範囲で表音的に使われていったと考えられる。

I の鍵を含むロロ文字

『水寧屬水潦倮儸譯語』

『倮儸譯語』は,ロロ語と漢語の対訳単語集である。上にロロ文字を表記し,それにあたる漢語を上下に対照して,その下に漢字で読み方をやや小さく記入している。図は〈身体門 195-202〉の箇所である。西田1980

「水寧屬水潦倮儸譯語」テキスト

彝文字の機能変遷

彝文字が表音節文字として使われ始めてから,かなりの年代を経ていることは,地域によって多くの異体字が現われていることから理解できる。しかし,それらの字形はもともとは表意文字として機能していたものである。彝文字の機能の変遷には,次の 3 段階が考えられる。1)表意文字の段階:おおくの表意文字が使われ,それが表意文字体系の中心をなしていた段階。2)表音節文字の段階 1:象形文字を変形しながら伝承し,1 つの音節の表記に数個の字形が,前段階の区別を反映して使われた段階。3)表音節文字の段階 2:第 2 段階の表音節字形が,1 つの音節にただ 1 字をあてる原則によって統一整理された段階。最終的には,四川涼山地区で使われる「規範彝文」が代表する。別掲 規範彝文 参照。 

彝語文献

ロロ語の文献の中には,石印本や木活字本も少数刊行されているが,その大部分は,手書き本である。

手書き本

手書き本の多くは,主にロロ族が隆盛した明代に書かれたものらしい。次の,京都大学文学部に所蔵される手書き本は,縦罫の間にロロ文が書き込まれ,行は左から右へと移動する。大部分が 5 字ごとに中を朱で埋めた△符号を挿み,句の切れ目を示している。

ロロ文字経典→ 西田 1980
『際祖大経』の「死亡起源篇」
ロロ文字経典 → Wikiwand Yi people
家系図 → Wikiwand Yi people
ロロ文字の手書き本 → 『中国民族古文字图录』

「天文历算の書」 → 『彝文典籍图录』

「婚姻の図」 → 『彝文典籍图录』

骨片資料

骨片に刻まれた彝文字が雲南省弥勒県東山彝区で発見されている。これらは主に神事で用いられたものだが,年代などは不詳。

羊肘卜骨卜骨

布帛資料

ラクーペリが『英国王室アジア学誌』(JRAS, vol. 14, 1882)に寄稿した「サテンに書かれたロロ写本について」で,ヨーロッパに来た最初のロロ文字資料として,赤と青のサテンに書かれた写本を紹介した。縦に毛筆で墨書され,行は右から左へ移る。八つ折になった折本で,全体はかなり長く,5750語(字)が記録されている。これは,ベイバーが四川・チベットに旅行したときにロロ族の族長から得たものをラクーベリに贈られたものであった。現在英国博物館に所蔵されている(Or. 3662)。

金属資料

成化鉮銘文

彝文字がいつぐらいから使われるようなったのかは不明であるが,漢字との併記により、記された時代が分かる最も古い彝文字は明代の銅鉮に刻まれた「貴州水西安氏成化鐘銘文」(1485年)である。(高 135 cm,口径 110 cm,厚 1 cm,重量約 300 kg)この銘文から少なくとも明代までに彝文字が一つの文字の体系として成立していたことを知ることができる。彝語と彝文字 図版 → 馬學良

明成化鉮成化鉮銘文(上段:彝文 下段:漢文

太守安氏の墓誌は,ロロ文と漢文の両方が同じ碑面に刻まれているが,ロロ文の方が多く,同じ内容が記されているわけではない。昭覚独立ロロ文は,右から左への横書きで,行は上から下へ移る。→ 『中国民族古文字图录』,天子万年墓碑 → 『彝文金石图录』

太守安氏の墓誌 天子万年墓碑

水西大渡河建桥碑 (明の万暦 25 年,1546)

全景 拡大図

岩壁・石刻資料

鐫字崖碑 せんじがいひ

明代には,数多くはないけれども,ロロ文字の碑文がつくられている。つぎは,雲南省禄勧にある鐫字崖碑(1533)である。これは,33 行からなる横長の碑文で,現存する最古のものとされている。縦書きで行は左から右へ移る。

鐫字崖碑 『中国民族古文字图录』

长寿桥碑记『彝文金石图录』

彝文と水書

西田は,彝文と水書の関係について次のように述べている。「貴州省の彝文と水書(水文字)の関係は見逃すことができない。筆者は,彝文と水書は起源的に共通したところがあり,一部で連繋していると考える。貴州省で通用した占ト書などは,象形文字文献として,言語を越えて普及したのではないだろ うか。」→ 西田 2001。図は,13 世紀頃の宗教手抄本(30 cm × 20 cm,約 100 ページ,粗棉紙)。別掲 「水文字」 参照。

水書とよく似た字形の変体彝文

彝文の書き順

彝文資料の大多数は上から下への縦書きで,左から右へ行を移す左縦書型であるが,中には右から左への右書型もある。横書きにも左から右への左書型と右から左への右横書型が存在する。

下記の例は,左縦書型(1)を右に 90 度傾けた右横書型(2)にした形である。書き順を縦書きから右に回して横書きにすると,各々の文字の字形そのものも横向きに回転して用いる例もある。図 → 果吉

縦書き → 果吉横書き → ドローヌ

関連リンク・参考文献

[最終更新 2018/05/20]