地球ことば村
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【地球ことば村・世界言語博物館】

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世界の文字

書写材料

白樺 (樹皮紙 1)


日本でいう「白樺(シラカバ,シラカンバ,英 white birch)」は,温帯から亜寒帯地方に多く見られるカバノキ科(Betulaceae)カバノキ属(Betula)の植物のひとつであり,学名を Betula platyphylla という。日本では北海道・東北・甲信越に多く見られる。一説によると,世界にはカバノキ属が 40 種,分類によっては 60 種あり,日本,朝鮮半島,中国,モンゴル,ネパール,アフガニスタン,ロシア,ヨーロッパ,北米などに広がっている。→ 井上治,

明るい場所を好み,生長が速いが,一代の寿命は 70 年程度と樹木の中では比較的短い。ブナなどの暗い場所を好む樹木にとって代わられて,通常は一代限りで消えていく。高さは 20〜30 mになる。幹は 30 cm〜1 m 程でまっすぐに伸びる。枝は多岐に別れて伸び卵形の樹幹を形成する。外皮は薄く,黄色みを帯びた白色で光沢があり,紙状に剥がれる。葉は秋には黄葉する。春,芽吹く頃の白樺の幹に傷を付けると,大量の樹液が吹き出す。アイヌ民族はこの樹液を「タッニ・ワッカ」(シラカバの水)と呼び,水場がない場所で野営する際の、炊事の水に用いてきた。また,フィンランドでは,国の自然を代表するシンボルとしてシラカンバがあげられており,事実上,国の木として扱われている。→ シラカンバ

白樺分布地図 © Discover Life and original sources

紙の大量生産の登場前に,一般的に書写材料として白樺樹皮が用いられていた。書写用には,白樺の皮を剥がしその内側を用いたり,剥がした皮の外皮を除去して薄いシート状にし,乾燥させてから使用する場合がある。紙状の樹皮は,折本や巻物(巻子本)にも用いられた。→ 左図:阿部蔵之,右図: Древний Новгород


「白樺日誌」 日本

シベリア抑留生活の記録【ユネスコ世界記憶遺産】

舞鶴引揚記念館に収蔵される,瀬野修氏(舞鶴生,明治 41~平成 7)による『白樺日誌』は,3 年間のシベリア抑留生活とその間における故郷日本を想う気持ちを,和歌・俳句約 200 首にしたためた記録である。白樺の皮をノート(15 × 10 cm)代わりにし,缶詰の空き缶を切ってペン先を作り,煤をインク代わりにして書き留めたものである。→ 「舞鶴への生還  1945-1956 シベリア抑留等日本人の本国への引き揚げの記録」→

昭和 21 年 1 月の日誌から。「看病(みとり)する者もあらなく幽囚の身をかこちつゝ死にし戦友(とも)はも」「幽囚の身こそ悲しき遺言もあらずて異郷に逝く人多し」また,昭和 20 年 5 月,終戦まで軍務についていた択捉島で詠んだ句に「白かんば未だ芽吹かず鶯のしきりに鳴きて五月となりぬ」がある。→ 瀬野修


天馬図障泥 韓国 【国宝 207 号】

天馬図障泥は,韓国慶州市味鄒王陵地区皇南洞の 155 号墳 (天馬塚) から 1973 年に出土した 2 枚の白樺樹皮製の泥障 (あおり) 。しらかばの樹皮を重ね合せ,縫い目が斜格子状になるように縫製したもの。幅 75 cm,縦 53 cm。表面外周に朱,黒,白,緑色で彩色した忍冬 (にんどう) 唐草文をめぐらし,内側に白馬や花文などを描く。馬の体の所々に表現された半月形の模様は,古代スキタイ族の文化に由来するものと思われる。古新羅のほとんど唯一の絵画資料である。(6 世紀頃,国立中央博物館所蔵)→ 出典,→ 『国宝 : 韓国7000年美術大系 巻10』(竹書房, 1985)


モンゴルと新疆ウイグル自治区で発見された白樺樹皮テキスト

ホンシム・ボディスン モンゴル

1970 年,モンゴルのウランバートルの西 300 km に位置するハルボヒン・バルガスの古代都城遺跡を調査した際,半壊した仏塔の中からモンゴル語で書かれた白樺樹皮写本が発見された。ホンシム・ボディスンとは,観世音に捧げられた驚くべき数のテキストの写しで,慈悲の神に対する信仰が広範囲に広がっていたことを示す。

モンゴル人,特にブリヤート人は樹木を崇拝し,白樺の樹皮に書かれたテキストは特別な宗教的重要性と力を持っていると考えている。白樺の樹皮は都合のよい書写材料であり,北部モンゴルのある地域では白樺の木が豊富なため,高価で希少な紙よりも便利であった。→ E.キオド

Praises of the Holy Qongsim Bodisung

チベット文字の学習

発掘された多くの白樺樹皮テキストの中には,モンゴル人がどのようにしてチベット文字を学習していたかを示す実例もあった。次は,アルファベット順にチベット文字が書かれた一葉である。

オブス=アイマグ出土モンゴル語白樺樹皮折本 モンゴル

1999 年 6 月,モンゴル国西端に位置するオブス=アイマグ(Увс аймаг)から,白樺樹皮の一葉一葉が互いに固着し束状になった塊りが発見された。表面にある樹皮にはモンゴル文字が書かれた「白樺文書」であった。内容は,仏教の教えを平易な言葉で述べて,さらに,明らかに俗人を対象としたものであることから,これはモンゴル人の一般家庭において毎朝読誦されていた常用聖典と思われる。この文書にはモンゴル文字に交じって,1648 年につくられたトド文字も記されていることから,筆写時期は早くても 17 世紀半ば以降であろうと考えられる。

塊状の樹皮を剥がし本来の形状に戻したのち保存処理を施した白樺樹皮は,8 片からなり,それぞれ葉の中央部が盛り上がり,その両側に文字が記され,かつ複数の小さな穴が開いている。→ 白樺樹皮資料日本モンゴル共同研究グループ

一葉一葉を積み重ねて折り,その折り山の穴に糸(おそらく獣毛製)を通して綴じた折本を作ったものと推測される。白樺文献の文字は筆画を省略しない丁寧な字体で書かれ,用筆は竹筆で墨は黒一色のみを用いている。

本来は全 28 ページであったが,1 枚目と 2 枚目の樹皮を剥離することができず,2/27,26/3 ページは読むことができない。

白樺文書 新疆ウイグル自治区

新疆ウイグル自治区北西部において発見された白樺文書が出土したところ(左)と修復後の白樺文書(右)。→ 井上治

『ダルマパダ』 コータン(于闐)

新疆ウイグル自治区の西南,タリム盆地の南辺のユルン・カーシュ河とカラ・カーシュ河に挟まれたオアシスのコータンで発見された,白樺の樹皮に書写され,書写年代も 1~2 世紀と見られている『法華経』の断片である(ガンダーラ語,カローシュティー文字 45.0 × 23.5 cm)。時代的にも最古層の仏典として世界的に貴重な写本であり,書物や写本の歴史を考える上でも重要な写本となっている。→ 京都国立博物館


バウアー写本 クチャ(庫車/亀茲)

イギリスのインド学者ヘルンレ(August Friedrich Rudolf Hoernle, 1841~1918)は,英国陸軍諜報官であるハミルトン・バウアー中尉が 1890 年の初めにクチャ近辺で入手した樺皮写本を調査し,1891 年にそれが 5 世紀のサンスクリット文書(後期ブラーフミー文字グプタ文字)であることを明らかにした。図に示した第 6 部は,「人々の災厄や苦痛を取り除く功徳」があるとされ信仰の対象となった孔雀明王の真言を含む。→ Hoernle



チベットの樹皮写本

密教経典

中華人民共和国チベット自治区のラサにあるチベット博物館に所蔵されるチベット仏教経典。(11 世紀頃 皮表紙 ページサイズ 15.6 × 15.3 cm  サンスクリット語;シャーラダー文字)→ Kawasaki → 西藏博物馆

紺紙金泥経典

チベット経典は一般には手漉きの紙に印刷したものが多い。高級なものまたは信仰の対象としては紺紙金・銀泥で浄書される。製法はヒマラヤ山中に生えるチャンバカ樹(瞻蔔華,金香木:モクレン科)の樹皮を薄く削いで,それを溶いた藍に膠を交ぜた液で染め,次に乾燥させて紺紙を作り,その上に竹ペンを用い金泥(金の粉末を膠で溶いたもの)で文字を書きその上を動物の角や牙で磨く,こうして紺紙金泥という写経の基本形態ができあがった。→ 北村太道 → 片野 孝志


ダルガ女神賛美 ネパール

白樺の樹皮に,中心から外へ渦巻状に書かれたダルガ女神の賛美歌。魔よけや呪文として使われた。(サンスクリット語・デーヴァナーガリー文字 30.5 × 24.5 cm 19 世紀 ケンブリッジ大学所蔵)詳細な説明は,次のサイト上の「Open Digital Library」をクリックすると表示される。New materials; bark

バミヤン洞窟地帯で発見された仏典 アフガニスタン

アフガニスタンのバミヤン洞窟地帯で,白樺樹皮にカローシュティー文字が記されS字型に三つ折に畳まれた 5 世紀のものと思われるガンダーラ語仏典写本が発見された,次の図は,樹皮が塊となった状態の文書(図 a)を,超音波加湿器を用いて一枚一枚剥がして(図 b,c),元の折り畳まれた物体の正確な順序でパッケージ内に保存した(図 d)過程を記録したものである。→ Batton

図 a図 b
図 c
  図 d

カシミールの樹皮写本

ギルギット法華経写本

1931 年,カシミールのギルギット近郊にあるナウプルの僧侶の住居であった遺跡から発見された写本群に混じって,法華経の写本も発見された(グプタ文字)。大部分が腐敗や変質に強い白樺の樹皮に書かれており,当地の寒冷な気候も手伝って,現代まで保存された。このギルギット・サンスクリット語法華経が,6 世紀後半から 8 世紀初頭にかけて,パローラ・シャーヒ王朝治世のギルギットの仏教文化の中にしっかりと根付いていたことを示している。経典の伝承は、法華経の写本を書写する営みによって洗練されていった。→ 創価学会「法華経写本シリーズ」


シヴァ派経典

樹皮紙の上に,シャーラーダ文字で書かれたサンスクリット語によるヒンドゥー教シヴァ派の経典の一部。17 世紀頃。Birch bark manuscript


ノヴゴロド白樺文書 ロシア

古(中世)ロシアの白樺文書(Новгородская берестяная грамота ,11~15 世紀)は,ロシアの諸古都市の考古学的発掘のときに発見された,白樺の樹皮に書かれた文書類である。最初に発見されたのは,1951 年ノヴゴロドであった。 白樺文書の年代は考古学的手法(年輪年代学)で定められる。この方法が示す白樺文書の年代の精度は 20 年ないし 40 年程度である。

文字は,白樺樹皮に(通常その内側に)金属(図上)ないし骨(図下)でできた尖筆(стилос)の尖端で描かれている。現在知られている白樺文書のおよそ 4 分の 1 が完全な形で伝わっている。文書の寸法はさまざまであるが,完全な文書の長さは 5 cm から 50 cm で,幅は 1 cm から 20 cm である。樹皮は性質上丸まるので,白樺文書は巻物の形を取ることが多い。

白樺文書の 3 分の 2 以上は個人的な書簡であり,その大部分は,日常生活での実際的な問題を書いたものである。その内容は,出来事の報告,さまざまな依頼,主人からの命令であり,商売その他の金銭的な事柄,などが記されている。書簡の書き手・受けとり手の社会的身分は極めて様々であり,文通には女性の参加が目立っている。このことは,当時の識字率がかなり高かったことを物語っている。→ 『ロシア語研究』

白樺文書データベース

次の白樺文書データベースサイトは,白樺文書の写真,転写,古代ロシア語・現代ロシア語への翻訳,および文書に関する基本情報を含む。

Древнерусские берестяные грамоты

文書 1 所領地からの貢祖収入記録

1951 年 7 月 25 日に発見された最初の白樺文書で,長さ 38 cm,幅 13 cm という大型のものだが,5 箇所に大きな欠損部分があり全文は読み取れない。内容は,フォマという土地領主が村から徴収する典型的な封建地代収入の記録である。年代は 1409~1422 年と見做される,白樺文書は発見された順に番号が割り当てられ,これは文書番号1となった。→ 松木栄三(1992)

Грамота № 1

文書 9 手紙

《ゴスチャッタよりヴァシリイへ。父が私に呉れたものも,親族からもらったものも,彼[夫]は自分のものにしています。今では彼は新しい妻を迎え,私には何一つ渡しません。私を追い出して,別の[女]を迎えたのです。こちらに来て,どうか助けて下さい。》年代 1177~1197 年。→ 松本 同上

Грамота № 9

文書 109 手紙

《ジズノミルよりミクラへの書。お前はプスコフで女奴隷を買ったが,今,私はこの女奴隷の件で公妃に逮捕され,私に代わって親衛隊員[調査を]委任された。[女奴隷を売った]かの男が[他の]女奴隷も所有しているかどうか,今すぐ手紙を送って確かめてくれ。それからまず馬を買い,それに公の部下[の親衛隊員]を乗せて,対決にいかせるようにしてほしい。もしお前がその金を受け取っていないなら,彼から何も受け取るな。》年代 1096~1134 年。→ 松本 同上

Грамота № 109

文書 199~208, 210 少年オンフィムによる文字練習

白樺文書の最も有名な書き手は 13 世紀前半の 6 歳ぐらいのオンフィム(Онфим)少年であり,アルファベットの練習をしているものである。ノヴゴロドで 1956 年に発見された。樹皮製籠(幅 12 cm 程の楕円形)の底板は強化のために文字を練習した跡のある 2 枚の長方形樹皮が十字形に張り合わせられ,裏面には,四角の枠の中に「拝啓,オンフィムよりダニールへ」と書かれ,さらに,獣の絵の上には「俺は怪獣だ」と書いている。→ 小林潔

Грамота № 199

文書 200 には,騎馬の戦士が馬の足元に横たわる敵に長い槍を突き立ている絵を描き,この騎乗の英雄の横に「オンフィム 」と説明を入れている。少年の名前は文書 203 で「主よ,汝が下僕オンフィムを助けたまえ」(Ги помози рабу своему Онфиму)という短文にも書付けられている。この短文は中世ロシアでは一種の署名としての機能をもっていた。中世社会に固有の教会的性格の濃いものであれ,ノヴゴロド市に貴族,司祭,商人等の子弟教育を中心にした何らかの学校が存在していたことは疑いない。オンフィム少年の絵(文書 202,203)には友達と思われる子供が描かれている。

Грамота № 200 Грамота №203
Грамота № 202

文書 292 カレリア語による呪文

1957 年に発見された白樺の樹皮に,キリル文字で記されたカレリア語による 3 行の呪文があった。それは,13 世紀初期のものと考えられ,バルト・フィン諸語の現存するテキストとして最古のものとされる。そこで,カレリア文字フィン (tuohikirje, tuohiraamattu,英 birch-bark letter of Novgorod,露 новгородская грамота на берёсте)とも呼ばれる。呪文は,「神の矢(=稲妻)は十の名を持つ,その矢は神に属す,神は審判し導く」というような内容である。 → 松村一登

Грамота № 292

文書 354 手紙

《叩頭,オンツイフォルより母上様へ。1 ルーブルを都合して共同所有者のユーリイの所へ行くようにネストルに命じて下さい。ユーリイに頼んで馬一頭を買ってもらって下さい。次にアンブロシイと一緒にステパンのところへ行き,持分を受け取り,彼にも 1 ルーブルを取らせて,もう一頭の馬を買って下さい…》幅約 5 cm,長さ 25 cm ほどの長方形の文書であるが,余白が不足して文の末尾部分は樹皮の裏側に書かれている。年代 1340~1383 年。 → V. L. ヤーニン

Грамота № 354

文書 419 折本

この本は端のところに縫い目の穴跡を残した 3 枚の二つ折り樹皮からなっている。最初の 4 ページは空白で,テキスト部分を保護するいわば表紙の役目をしている。後の 7 ページには書き込みがあり,最後のページもまた空白になっていて裏表紙の役をしている。書き込みのある最初のページ(図上中央右)の冒頭には,羊皮紙本の装飾カットを真似た,絡み合ったリボンのごとく単純な模様の飾りがついている。

このテキストの所有者は,晩禱(晩の公祈祷)のなかの最も難しい下りを記したこの豆本を一種のカンニング・ペーパーとして使ったものであろう。→ V. L. ヤーニン 

Грамота № 419
本文 2 枚の実物。 → Древний Новгород

刑務所警備員からの手紙 ラトビア

ラトビア・トゥクムス美術館所蔵 EUROOPAN HISTORIAN TALO


オガム文字とルーン文字 ヨーロッパ

古代ケルト人は樹木のもつ魔術的な力に対する信仰の表れから,彼等が使用した古アイルランド語を表記するオガム文字(Ogham)一字一字に綴りがその文字で始まる樹木名を当てた。アルファベットの最初の文字の名称は「新しい始まり・浄化」といった意味を持つ白樺(Beith / Beth,英 birch-tree)である。それは,冬至が過ぎ太陽の半年が始まる 12 月 24 日から 1 月 20 日の白樺の月にあたる。図:Ireland Calling


オガム文字という名称そのものは,伝説上ルーン文字を作ったといわれるゲルマンの神オーディンにあたる神の名オグマ(ゴールの雄弁の神オグミオスと同系)からつけられたものである。ルーン文字は,北欧の海賊バイキングたちによって使われていた文字であり,その使用範囲は広く,今日のフランスからバルト海周辺諸国にいたるゲルマン人居住地域である。→ 矢島,図はゲルマン・ルーン文字。

ルーン文字の B は,白樺・ポプラを意味するゲルマン祖語(Berkanan),古英語(Beorc),古ノルド語(Bjarkan)の名称に因る。始まり・ 成長を見守る・母親的な役割,おせっかい・世話焼きなとが解釈の例とされる。 → Berkanan → ブライアン・フラウド


シラカバにことばを喋らせた男 カナダ

メソジスト派宣教師であった J. エヴァンズ(1801~1846)は,カナダのマニトバにおいて,アルゴンキン語族に属するクリー語(西部の平原クリー)を表記するためにクリー文字を創案して,インディアンに教えた。これが成功し,またたくまにクリー・インディアンは焦がした木切れでシラカバの皮に伝言を残すことを覚え,エヴァンズは「シラカバにことばを喋らせた男」として知られるようになった。おそらく 1841 年頃のこととされている。エヴァンズは,煙突の煤と魚油で作ったインクを使い,シラカバの皮に印刷を始めた。→ Jefferys Rev. James Evans Teaching Indians His System of Cree Syllabic Writing


関連リンク

[最終更新 2018/10/20]