地球ことば村
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【地球ことば村・世界言語博物館】

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世界の文字

書写材料

粘土板 英 Clay tablet


メソポタミア地方は,地質学上,チグリス・ユーフラテス河の沖積層に属し,細かい粘土が上流から運ばれ沖積土となって堆積したので,粘土は無尽蔵に得られた。この地に住みついたシュメール人が用いた書写材料としての粘土板は,紀元前 4 千年紀中頃からメソポタミアで発達した楔形文字文化の広がりと共に,周辺の異民族にも導入され,そこに書かれた言語もシュメール語,アッカド語,ヒッタイト語,エラム語などで,最終的にはパピルスと革の使用が優勢になるまで数千年にわたって用いられた。→ 津本

シリア北東部テル・タバンの土器窯から出土した古バビロニア時代のさまざまな粘土板文書。→ 沼本

楔形文字粘土板文書の成立まで

新石器時代,動物や幾何学模様などの形をしたトークンと呼ばれる小型粘土製品が作られるようになり,計算具として物品の商取引や会計管理用に用いられた。中部イラクの古代都市ウルク(現代名ワルカ Warka)からはトークン入りの粘土球(表面には中身が素早く確認できるようにトークンを押し付けた)が出土している。最終的には,粘土球にではなく,粘土板にトークンの形が刻まれるようになる。そこに刻まれた記号は,絵文字,楔形文字の原型,楔形文字へと進化する過程で,記号としてだけでなく音も表わすようになる。楔形文字体系が整い,文字数が整備される一方,抽象的で複雑な表現が可能となり,前 2000 年頃には文学作品も登場した。→ 紀元前 35 世紀

トークンから文字への発達模式図 → 津本

楔形文字体系の原型は,紀元前 3100 年頃のウルク遺跡から出土した小型粘土板上に記されていた文字(ウルク古拙文字とも)で,のちにメソポタミア各地で広く用いられたと考えられている。→ ウルク文字

粘土板の形体

各書板のサイズはいろいろで,よく使われた形体は多面体シリンダーおよび凸形双面をもった長方形煉瓦であった。アッシリア王ティグラート・ピレセルー一世の 8 面体シリンダーは,1857 年イギリスの王立アジア協会が当時未解読のこのテキストを楔形文字解読の確認のために使用した〈図左〉。シュメール・ウル王シュルギ治世 47 年(紀元前 2048 年)の日付をもつ大麦の神殿所属の労働者への貸与と,他の使用人への支払いを刻んだ粘土板(イラク出土)〈図右〉。→ アルベルティーン・ガウアー

粘土板への書写

粘土板文書は,左から右に横書きに書かれた。まず,表面,下部の縁,その向きのまま裏返して裏面,上部の縁,そして左側面の順で読む。右の側面には,表面または裏面の行がはみ出して書かれることもある。図は,古アッシリア時代の私的な書簡。前 19 世紀。→ ブリジット・リオン

紀元前 3000 年頃のシュメール・第 4 期層の粘土板文書。 湿った粘土は,柔軟な線,円,曲線を記しづけるために特に適しているとはいえない。当初は二つの異なる型の尖筆が使われたらしい。一つは鋭い筆先をもつもので,線書きの絵を刻むものであり,もう一つは平らな円い筆先を持つもので,数字を記すものであった(図)。→ アルベルティーン・ガウアー 


古バビロニア時代の学校用粘土板。教師は円形のタブレットの片面に,神名や専門用語,文学の短い一節か格言を 3 行にわたって書き込み,生徒はそれを見て,タブレットの裏側に教師が書いたとおりに書き写す。図はシュメールの諺が記されている。→ クリストファー・ウォーカー

各種粘土板文書

古拙文字が主に出納に関する内容に用いられたが,楔形文字へと進化するにつれて,書かれる内容は大きく広がっていった。代表的なジャンルは,行政経済文文書,私的法文書,条約・誓約,書簡,王碑文,編年体歴史記録文書,歴史文書,文学書,科学文書などである。

文学作品

『ギルガメシュ叙事詩』

シュメール人が残した神話の一つに,ウルク第1王朝時代の実在の王ギルガメシュを主人公にした,シュメール語で語られる『ギルガメシュ叙事詩』があり,その後,メソポタミアのバビロニア,アッシリア,ヒッタイトなどの諸民族のことばに翻訳され,楔形文字で粘土板に書かれたものが残っている。人類最古の物語であり,メソポタミア文明を代表する文学作品である(全 12 書版)。特にこの中に『旧約聖書』の大洪水(ノアの箱船)の話の原型が含まれていた(第 11 書版,図下)。→ シュメール文字 | アッシリア文字

フンババ征伐(第 5 書版,表)フンババ征伐(裏)
大洪水(第 11 書版)

『アトラ・ハシース物語』

『アトラ・ハシース物語』は,『ギルガメシュ叙事詩』とならぶバビロニア人の考え方や感性に大きな影響を与えただけではなく,遠く現代人の想像力や世界観にも影響を及ぼしている。この神話では,人間の起源や運命,その存在理由が,素朴だが納得のいくように説明されている。物語は全体の 2/3 が復元され,かなり正確に物語の全体像を掴むことができる。書かれたのは前 18 世紀頃で,1,200 行ほどの詩が 3 枚の粘土板に分けて記されている。→ アトラ・ハシース


多言語文書

辞書

『シュメール・アッカド語辞書』 古バビロニア時代。東京大学総合研究博物館蔵

左上部拡大図全体図

祭祀文書

「ヒッタイト語とルウィ語の併記文書」(疫病に対する祭祀文書)ヒッタイト帝国の首都,ハットゥシャ(Ḫattuša,現在のトルコ共和国のボアズカレ Boğazkale,旧名ボアズキョイ Boğazköy)出土の粘土板文書は,ヒッタイトの政治と社会の様相をよく伝えている。それらの内容のなかには,宗教的,呪術的な典礼文書が多く含まれる。また,使用される言語は,ヒッタイト語に加えて,ヒッタイト語と同系の,パラー語とルウィ語,さらに当地の先住民族の言語であるハッティ語も使用され,これらの言語も多少の異体字は見られるが,同様にヒッタイト楔形文字で書かれている。→ クリストファー・ウォーカー → 拡大図面 BM108548

奉納文書

「プズル・インシュシナクの対訳奉納文書」 プズル・インシュシナク(Puzur-Inshushinak),または,クティク・インシュシナク(Kutik Inshushinak)は,古エラム時代のエラムの王である。王都スーサで出土した彼の奉納文書は,紀元前 2200 年頃のものでアッカド楔形文字とエラム線文字が併記されている。図は,左から対訳奉納文書,エラム線文字箇所拡大図,同模写図。→ エラム文字

学術書

数学書

「バビロニアの粘土板 YBC 7289」 2 の平方根の近似値は六十進法で 4 桁,十進法では約 6 桁に相当する。1 + 24/60 + 51/602 + 10/603 = 1.41421296... → バビロニア数学

医術文書

アッカド語で書かれた医術文書。熱病や皮膚病といったさまざまな病気と,それに対する治療法が列記され,最後(裏面)にこの文書を書き写した書記マディ・ダガンの名がみえる。メソポタミア 前 13 世紀 高さ 25.4 cm → 古代オリエント博物館


書簡

カルケミシュ副王印影付き書簡の本文は,ヒッタイト帝国支配下にあったシリアの住民が使っていたアッカド語楔形文字で書かれているが,粘土板中央に捺されたスタンプ印章の印面には,ヒッタイト帝国のカルケミシュ副王イニ・テシュプの名がアナトリア象形文字で刻まれている。北メソポタミア 前 1250 年頃 長さ 8.4 cm → 古代オリエント博物館

法律・契約文書

法律文書

この粘土板文書は勅令のような法律文書と考えられている。エブラの王宮文書庫から出土した法律文書は,その始めと終わりに決まり文句,「あるものがあるものに告げる」の文句で始まり,神々の名において文書で述べられた権利の保障が約束されて終わる。エブラの王がギル・ダム,イル・ダム,ナブハ・イルという人物にそれぞれの土地を与えること,ティルズとその息子がイブリウムの息子たちと共に王により財産を与えられたことなどが記されている。前 2350~前 2300 年頃 エブラ(テルマルディーク)王宮 G 址出土  長さ 13,4 cm 厚さ 3.7 cm → NHK(1986)『古代シリア文明展 海のシルクロード 』

ヒッタイト法典

ヒッタイト王国の都があったハットゥサの王宮文書庫から発掘された粘土板のなかでも,古期ヒッタイト語で書かれたヒッタイト法典は最も重要な文献資料のひとつである。→ ヒッタイト文字

婚姻文書と封筒

古代オリエント社会は契約社会であり,結婚にも,証人をたて,契約書は大切に保管された。アカブシ(Akabši)の息子がガルア(Galua)とシュー・ベールム(Šu-Bēlum)の娘タムナニカ(Tamnanika)の婚姻文書。婚姻に関する条項も記載されている。左は封筒。結婚立会人と夫の印章の押印が見られる。→ ブリジット・リオン

封筒は,書き終えて乾燥させた粘土板文書をさらに薄い粘土で覆って乾かしたものである。中身が書簡の場合は封筒には差出人と受取人の名が書かれる。中の文書が契約書の場合は,中身の文面と同じものが封筒にも書かれ,証人を含む当事者全員の印章が中の文書と封筒に捺印された。これは,中身が改竄されることを防ぐためであった。

円筒印章

円筒印章は楔形文字と同じく,粘土という書写材料に適合した媒体であった。円筒印章は管玉形で中央に紐を通すための穴が貫通しており,側面を粘土の上で転がすと,浮き彫り状の文様が粘土の表面に刻み付けられる。古代メソポタミアで所有者などを示すために使用された印章であり,図や文章が書かれており,様々な情報がそこから得られる。

動物と戦う英雄を描いた円筒印章(左)とその印影。紀元前 2600 年頃の初期王朝時代,ルーブル美術館所蔵 → 円筒印章

バビロニアの王クリガルズ 2 世の役人の円筒印章(左)とその印影(右)。前 14 世紀。→ ブリジット・リオン

バビロニアの世界地図

知られている最も古い世界地図で,紀元前 600 年頃のバビロニアの世界地図。世界を “苦い水” と呼ばれる水の輪で取り囲まれた円盤として描いた地図。ユーフラテス川はバビロンを抜けてペルシア湾岸の沼沢地へ流入している。国や市は円で囲まれ,円盤のまわりには,伝統的生物の住む地域として 8 つの三角形が描かれている。粘土板はアッカド王サルゴン,洪水伝説の英雄ウタナビシュティムに言及している。長さ 12.2 cm,幅 8.2 cm ,シッパル出土,北が上。→ バビロニア文字


肝臓占い

動物から取り出した肝臓の状態を見て占う方法について記したアッカド語文書。肝臓のある部分の状態の違いがどのような兆しを示すかを羅列し,王のために外交・戦争についての結果を占った内容である。メソポタミア 前 1600 年頃 高さ 15.0 cm → 古代オリエント博物館(右)
肝臓占いの模型 古代オリエント美術部門 : メソポタミア → Louvre(下)

碑文

碑文は石製のものが多いが,上述のように古代メソポタミアには粘土製の碑文もあった。これには円筒柱,六角柱,八角柱があり,高さは 15~30 cmで,柱の中央には棒に挿して垂直に立てるための穴が貫通している。こうした柱状碑文には,王の事績や発令した命令が刻まれており,柱の周りを回るように読まれたと思われる。図は,Akkad の王 Rimush による,Marhashi および Elamite の各都市での勝利の事績リスト。 紀元前 2270 年。Clay tablet


西アジア以外での粘土版文書

粘土板を書写材料として使用する古代文明は,西アジアだけではなく,バルカン半島のヴィンチャ文化(紀元前 5000 年頃),南アジアのインダス文明(紀元前 2600~1900 年頃),ギリシアのミケーネ文明(紀元前 2000~1200 年頃)などで,独自の記号や文字が粘土板や封泥に刻まれている。

ヴィンチャ文字

1961 年,ルーマニアのタルタリア(Tărtăria)村で,Nicolae Vlassa が溝の発掘を行ったところ発見した 3 枚のタブレットがある。刻印は石の片側だけ刻まれていた。1 枚には,2 頭の動物の姿が素描されており,1 頭はヤギで,コムギの穂の描かれている。他の 2 枚の板には穴が開いているため,お守りのようなものだったのではないかと推測されている。線によって 4 つの区画に分けられ,それぞれの区画に印が刻まれている。何を表しているのかわからないものもあるが,動物,壷,植物など,すぐにそれとわかるものもある。→ ヴィンチャ文字

インダス文字

 モエンジョ・ダーロ出土の通称「一角獣」を表わす印章
(凹面)とその押されたもの(凸面)
文字が刻まれている主な遺物は,凍石製の印章で,そのハラッパー(Harappa)遺跡からの発見は 19 世紀に遡るが,それが脚光を浴びるようになったのは 1920 年代のモエンジョ・ダーロ(Mohenjo-daro)の発掘によって,インダス文明(ハラッパー文明)がインド亜大陸に独自の古代文明であることが判明してからのことである。しかし,今日に至るまで,インダス文明の研究は大きな進展を見せているにもかかわらず,その文字はいまだに解読されていない。→ インダス文字

線文字B

線文字Bは,アルファベットが使用される以前,紀元前 2 千年紀のエーゲ世界で行なわれていたミノア文字の一形態。線文字Bという名称は,この文字の発見者であるイギリスの考古学者アーサー・エヴァンズ(Arthur J. Evans)によって名づけられた。線文字Bの刻まれた粘土板(クレータ島クノッソス出土 紀元前 1400 年頃)。→ アルベルティーン・ガウアー → 線文字B

関連リンク・参考文献

[最終更新 2019/04/20]