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【地球ことば村・世界言語博物館】

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世界の文字

サポテカ文字


サポテカ文字(Zapotec)は,メキシコ南部のオアハカ盆地で,前 6 世紀頃から始まり,後 8 世紀まで続くが,それ以後は,線形的な文字配列をやめ,主に場面による情報伝達を利用し始めた。中心となるオアハカ中央盆地では 570 の石碑があり,628 の暦の文字が同定されている。西のミシュテカ・アルタ(Mixteca Alta,高地)では 20,ミシュテカ・バハ (Mixteca Baja,低地) では 91,ミシュテカ・コスタ(Mixteca Costa,海岸部)では 57 の石碑が知られている。(→ 八杉)[右図:葬儀用の壷。300~650 高さ:23 cm]

サポテカ語は,ミシュテカ語とともにオトマンゲ語族に属する,ともに声調言語であって,紀元前 8 千~前 5 千年頃の共通の祖語は原オトマンゲ語であった。ミシュテカ語とサポテカ語が分岐したのは,前 4100~前 3700 年頃とされている。サポテカ語とミシュテカ語は同じ言語体系を有するが,文字遺物の種類も異なり,時代も異なっているから,言語の比較研究におる文字の解明はあまり実を結んでいない。(→ 植田)

文字資料

サポテカ文字(I 期 前 600~前 200)

この期の資料は,「踊る人」と名づけられている石彫類である。300 ほどある石碑には,裸で踊っている人を表したような人物像が彫られているが(裸でペニスが切られているものが多く,捕虜を表すと見られている),中にはいくつかの文字を伴うものがある。文字資料に,260 日暦と365 日暦という,以後メソアメリカのいたるところで使われる暦の文字が生起する。それらは,暦の日が示す日に起こった出来事か,その日に生まれたことに因む人名を表すものと思われる。(→ 八杉)

サン・ホセ・モゴーテの石碑 3 号 モンテ・アルバン「踊る人」

同じ“踊る人”の石板 55 番の文字と,モンテ・アルパン 17 号石碑の文字を比べてみると興味深い。左側の石碑の文字は 2 列に並んでおり,この配列は,のちのマヤや他のメソアメリカの文字にも受け継がれている。左の「モンテ・アルパン 17 号」の記号は,1~5 は「日の文字」,6 は「風」,7 は「いけにえ」,8 は前置詞toや for,9 は「風の神」を表す。右の「踊る人」の文字では,2 は「虎またはジャガー」の日の記号,3 は「終わり」あるいは「捕獲」,4 は「いけにえ」,5 は「前置詞」,6 は「風の神」,7 は「ブーツ」あるいは「コパル樹脂あ食物を焼くための容器」を意味するという。(→ 植田)

モンテ・アルバン石碑 17 号と「踊る人」55 号

サポテカ文字(II 期 前 200~後 100)

50 あまりの石彫類には,征服した場所を示す絵文字に文字テキストが伴っているものがある。文字の定義に合う線状性を見せる長文のテキストも存在する。暦の文字が主であるが,それ以外の文字は,I 期,II 期あわせて約 80 である。

暦の文字には数字がつくが,II 期までの数字は,5 を表す棒の上に 1 を表わす丸が置かれている。丸は棒の上にある。これに対して III 期では,丸は棒の下に置かれようになり,大きな変化が起こったことが想像される。

サポテカ文字(II 期)石版 14 号

サポテカ文字(IIIa 期 200~450)

この期の文字は,人物像に文字テキストがついたものが主である。文字の数は 80 前後である。暦の文字を入れても 100 くらいしか文字がない。左の「モンテ・アルバン石碑 1 号」には,左にサポテカの王が豪奢な頭飾りをつけ,ジャガーのクッションに座っている。この王は,被っている頭冠から「空の鳥」と呼ばれていて,太陽神の神官であり,大地の代表者として何らかの儀礼をおこなっている。「5 のトルコ石」の日に始まる年にいけにえを捧げ,「7 の結び目」の日に祈りを捧げ,「8 の空」の年に太陽の運行を観察し,「12 のジャガー」の日に火をおこす。「6 のトルコ石」の日に始まる年に太陽の神殿にいき,捧げ物をし,神託やお告げをきき,占をする。この儀礼は「8 の鍋」の日に終わる。と解釈する説がある。(→ 植田)

モンテ・アルバン石碑 1 号 モンテ・アルバン石碑 6 号

サポテカ文字(IIIb 期 450~700,IV 期 7050~1000)

この期は,場面が主体になり,夫婦を表すと思われる人物が向かい合った図が主で,それが上下 2 段または3段に描かれており,系譜を表すと見られている。文字は,暦の文字が人の名前と時を記すために用いられている。場面からテキストを読むミシュテカ絵文書の先駆けとなるものと思われる。(→ 八杉)

サポテカ文字(IV 期)サアチラの石碑 1 号

サポテカ文字は,1 つから 4 つ結合して 1 つの文字群を形成している。文字の中には,明らかに多義のものがある。たとえば,丘の文字といわれる文字は,地名ばかりか人名を表す文字の一部として用いられている。おそらく,基となるサポテカ語が声調言語であることの特徴を利用したものと思われる。

サポテカ文字(IV 期 700~1000)

この石造記念碑は,前の時期のそれとは違って極めて小さく,ほぼ 40~50 cm ほどの高さしかなく,また,元来は墳墓に置かれていたもので,前述の“踊る人”や「征服碑板」のように,公共建造物に人の目に付くように配置されていたものとは異なっている。王朝系譜図はいくつかの枠によって分けられているが,このノリエーガの例では,3 段になっている。下の方の出来事の方が時間的に古く,順に上に読んでいく。1 つの枠の中にも,いくつかの出来事が描かれている。読み方はユニークで,下段の枠は右から左へと読み,中段は左から右へ,上段は右から左へと読む方法,つまり,古典ギリシア時代のプーストロフェドン(牛耕式)の読み方をする。

ノリエーガの墳墓より出土した「王朝系譜図」

ニュイニェ文字

ニュイニュ(Ñuiñe)とはミシュテカ・バハ(低地)のことであり,ミシュテカ高地とトラシュカラ(Tlaxcala),プエブラ(Puebla)の間にある文字を指す。その多くが暦の文字である。400~700 年に通用したといわれる,サポテカ文字の系統である。

ニュイニェ文字

関連リンク

[最終更新 2016/12/20]