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【地球ことば村・世界言語博物館】

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世界の文字

インダス文字


インダス文字は,カローシュティー文字,フラーフミー文字とともにインド亜大陸において発達した 3 系統の文字の 1 つである。パキスタン・インド・アフガニスタンのインダス川,および並行して流れていたとされるガッガル・ハークラー川周辺に栄えたインダス文明期に用いられた文字である。研究が深まったとはいえ,インダス文字はいまだに解読されていない世界の諸文字の中で,最も重要なものである。(→辛島)

 モエンジョ・ダーロ出土の通称「一角獣」を表わす印章
(凹面)とその押されたもの(凸面)
文字が刻まれている主な遺物は,凍石製の印章で,そのハラッパー(Harappa)遺跡からの発見は 19 世紀に遡るが,それが脚光を浴びるようになったのは 1920 年代のモエンジョ・ダーロ(Mohenjo-daro)の発掘によって,インダス文明(ハラッパー文化)がインド亜大陸に独自の古代文明であることが判明してからのことである。しかし,今日に至るまで,インダス文明の研究は大きな進展を見せているにもかかわらず,その文字はいまだに解読されていない。

インダス文明は,研究者によって多少の差はあるが,ほぼ紀元前 2600 年から前 1800 年の間に位置づけられている。その時代に栄えた重要な都市遺跡として,ニ大都市モエンジョ・ダーロ,ハラッパーの他にも,20 世紀末にインドのカッチ湿原で発見されたドーラヴィーラー(Dholavira)は,ニ大都市につぐ大きさのものとされる。

文字資料

文字の記されている資料としては,文字の陰刻された印章,印章の捺されたテラコッタ片や土器,鋳型から作られたテラコッタ,ファイアンス(彩色陶器),金属片,青銅製品,象牙・獣骨などがある。それら遺物全体の数は,5 千近くにのぼる。下図は,トーラヴィーラーで土中から発見されたものである。これは,木製看板に文字が刻まれ,そこに石膏のようなものが流し込まれていたらしく,木が朽ち果てた後に文字だけが残ったと考えられているもの。10 文字あり,1 文字の大きさは縦約 30 cm,横約 20 cm。(写真 → Parpola 1994)

ドーラヴィーラーで発見された文字

遺物に記された文字資料のうち最も長文のものは,ファイアンス製の三角柱の 3 面に刻まれたもので 26 字を数える。

三角柱に刻まれた文字

字母数

文字資料のうち,1 面に記されたもののうち最も長いのは,四角い印章に 3 行にわたって記された 17 字,1 行で最長のものは 14 字である。最短の文字資料は 1 字のもので,全体を平均すると,文字資料の平均字数は 5 字ということになる。全体でいくつの異なった文字があるかという字母数は,どれを 1 つの文字(字母)と考えるかによって異なる。インダス文字の研究に大きな役割を果しているアスコ・パルガラ(Asko Parpola)は字母数を385とし,同じく著名な研究者であるマハーデーヴァン(Mahadevan)は 417 としている。また,ロシアの研究者,クロノーゾフ(Ю. В. Кнорозов)は 300 以上の字母を数えており,近年の考えは 400 近い字母があるとされる。次表は → Parpola から引用した。

文字の種類と特徴

仮に字母数が 300~400 とすると,表意文字にしては少なく,表音文字には多すぎるため,多くの研究者はそれを表意・表音(logosyllabic)と考えている。すなわち,表意文字の段階から,すでにいくつかの文字は表音文字へと使われだした,表音文字への変化が進行中の過渡的な段階にあるものと考えられている。資料の多くは右からの書記方向であるが,牛耕式も見られる。右図はモエンジョ・ダーロ出土の印章で,1行目は右から左へ,2行目は左から右への牛耕式。(→ Parpola 1994)

インダス文字の解読

インダス文字解読の試みは,1920 年代以降多くの研究者によってなされてきた。ハンダー(G. R. Hunter)は,言語はドラヴィダ語と考え,インダス文字は後代インドのブラーフミー文字の基になったとした。ヒッタイト文字の研究者フロズニー(B. Hrozny)はアーリア語としての解読を試みた。ヘラス(H. Heras)はドラヴィダ語としての本格的解読をめざした。

この初期の研究者の時代には,イースター島の文字(ラバヌイ文字)とインダス文字を結びつけようとしたド・ヘヴシー(G de Hevesy)(図 → Diringer)がいる。しかし,これは単なる偶然の符合であって両者の間には全く関係がないとされる。他に,後代のインドの密教で用いられたタントリズム・サインと結び付けようとしたバルア(B. M. Barua)のように,特異な試みがなされた。


解読作業に 1 つの大きな転機は,1960 年代におけるコンピュータの使用によってもたらされた。クノローゾフをリーダーとするソヴィエト・チームの研究は 1964 年に開始され,コンピューターに入力した文字資料を統計分析の手法を用いて解析をおこなった。これによって得られた文法的特徴に合致する言語としてドラヴィダ語をあげた。次に,パルポラをリーダーとするフィンランドの研究者たちは,1969 年に最初の報告書を出して以来,コンピューター利用の研究を続けている。彼らはまず,文字資料の徹底的収集と出版,それにようる字母の研究,コンドーダンス作成に精力を注ぎながら研究を進めている。

文字資料

→ Parpola 1994   

関連リンク

[最終更新 2017/02/20]