地球ことば村
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【地球ことば村・世界言語博物館】

NPO(特定非営利活動)法人
〒153-0043
東京都目黒区東山2-9-24

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「ことば村の歴史について語る座談会」①
地球ことば村・世界言語博物館はどういうふうにして始まった?


 2017年12月22日(金)夜、ことば村メンバーが何人か集まって「ことば村の歴史について語る座談会」を開きました。参加者は、小幡由紀子さん、堀江正郎さん、新井明男さん、佐野彩さん、長谷川明香の5人です。


長谷川:
今日は、年末のお忙しい中集まってくださってありがとうございます。2017年12月15日(金)にNPO法人「地球ことば村・世界言語博物館」は14周年を迎えました。2018年の12月15日の15周年に向けて、ことば村のこれまでを振り返りこれからを考えていくために、今日は、地球ことば村とご自身の出会いを教えていただいたり、活動を振り返ったりできたらと思います。宜しくお願いします。
 さっそくことば村の歴史を振り返ってみたいんですが、そもそもどうして地球ことば村という団体ができたのでしょうか? 私は、2006年から2007年くらいに初めてお邪魔したので、ことば村が出来上がる前のことはよくわからなくて・・・。

佐野:
14周年のFacebook記事(2017年12月15日投稿)を見ると、小幡さんが故・阿部年晴先生(「地球ことば村・世界言語博物館」初代理事長、埼玉大学名誉教授)とお会いになったことがきっかけだそうですね?

小幡:
そうなんです。それが最初の出会いでした。

堀江:
何かの講演会でお会いしたんですか?

小幡:
いえ。そうではないんですよね。どうお話ししたらいいのか・・・。阿部先生とお会いする前にさかのぼって話をすると、本当の最初のきっかけは私になるんだと思います。というのも、私はもともと詩を書いていたので、ことばについては昔から関心がありました。それともう一つは、登校拒否のこどものカウンセリングをやっていたこともあって・・・。

新井:
ことば村サイトのメンバー紹介にも書いてありましたね。

小幡:
ええ。それで、登校拒否のこどもの問題の一つは「ことばだな」と考えていました。そういった子には自分の思いをうまく言語化できない子が多いんですよね。思いは非常に強くあるんだけれど、それを人に説明することばが見つからない。これは外国語とか多言語とはまた別の切り口なんですけど、そういった意味のことばにもともと関心があったんです。

長谷川:
初めて知りました。

小幡:
で、そういう基礎があったところに、新聞だか雑誌だかで「言語が消滅していく」という記事を読んで、「もし自分がその言語を話すたった一人の最後の話者になったらどういう気持ちになるんだろう?」と考えました。明確にはわからなかったけれど、わからないながらに、すごく大切で大変なことなんだろうなって気持ちを強くもちました。

佐野:
そうだったんですね。そこから阿部先生に繋がっていくんですか?

小幡:
ええ。私の学生時代の一つ上の先輩に佐々木健一先生(東京大学名誉教授)という美学がご専門の先生がいらっしゃいます。最初にことば村の理事になってくださった方なんですが、その方に「少数話者言語・文化の専門の方を紹介してほしい」ってお願いして、それで阿部先生に繋がるんです。「おもしろい人がいますよ」って。

佐野:
じゃあ、イベントでとかではなくって、佐々木先生のご紹介で個人的に出会われたんですね!

小幡:
そうなんです。だから、最初は曖昧模糊としていて、何をしたいのかっていうのが私自身よくわからないような状態でお会いしたんです。

堀江:
そういう経緯だったんですね。その後、阿部先生と小幡さんが中心となって話し合われ、最終的には2003年12月15日にNPO法人「地球ことば村・世界言語博物館」が認証されますよね。初めて阿部先生と話し合われてからはどれくらいの準備期間があったんですか?

小幡:
ええーっと、初めてお会いしたのはたぶん認証される1年半前ですね。阿部先生ってみなさんご存知のように慎重な方で、「しっかりと考えを練ってから進めていこう」とおっしゃって。4、5回話し合いを重ねて、最終的に「よし! それじゃあ申請しよう!」となったのですが、そうおっしゃってくださったきっかけが特に印象に残っています。私が阿部先生に「〈世界の子守唄〉のような企画はどうだろう。お母さんが子どもに語りかけるものをいろんな言語、いろんな文化で集められたらおもしろいんじゃないか」と話をしました。それが先生に強く訴えるところがあったみたいで。

堀江:
え! それが最後の一押しに!?

小幡:
そうみたいなんです。もちろんそれまでに色々と考えてくださって、お気持ちが固まりつつあったところだったとは思います。そんなタイミングでこの一言がぴったりとはまったみたいでした。

新井:
そうだったんですね! 子どもを寝かしつけるときに歌う唄って、世界に多くあると思うんですが、その共通性と違いを見ていくのもおもしろそうですね。でも、まだそういうイベントは実現していないですよね・・・?

小幡:
そうなんです。まだやっていないんです。イベントを開催するとなると、中々難しくて。でも、やりたいって前から言ってくださっている方もいらっしゃるので、その方や理事らで案を練って進めていけたらと思っています。

長谷川:
おもしろそう! ぜひ実現したいですね。子守唄とは違いますが、以前に「日本語とその隣人たち―身近な危機言語と文化」(2008年12月7日)というシンポジウム&コンサートをやりましたよね。そのときはアイヌと八重山の民族音楽を聴く機会があって。入口のところで小物も販売していましたよね。私もアイヌの首飾りを買った記憶があります。いわゆる「学術的な話」だけでなく、体験できる機会を作っているというのも、ことば村という市民も参加している団体の強みではないかと思うんです。コンサートとか朗読の会とか、最近だと「いろはかるたを楽しむかい(会)?」(2014年から)だとか。そういう活動もこれからも大切にしていきたいですね。

新井:
ちょっと私から質問していいですか?「地球ことば村・世界言語博物館」っていう名前はどうやってつけたんですか?

小幡:
えっとですね・・・、2003年に法人にするにあたって正式についたんだと思います。そのための相談を唐須教光先生(現顧問、慶應義塾大学名誉教授)らも交えて恵比寿の会議室を借りてやったんです。そのときにまず阿部先生の「言語はまずもって語られることば、声としてのことばだ」というご指摘が土台となって。さらに、「それってやっぱり村ですよね。共同体としての村。みんなのことばが響きあう村として活動しよう」と、「ことば村」という名前がまずできたんです。そこに、「人類のあらゆることばを扱うのだから」と唐須先生がおっしゃって、「地球」を頭につけて「地球ことば村」になりました。それから、その頃までにずっと話に出ていた少数話者言語、危機言語についても何か盛り込みたいと。そういった言語を読める、広報するような形で活動していくという一つの柱もはっきりしてきていたので、副理事長の永松慧一さんが「だったら、「世界言語博物館」をくっつけたら?」とおっしゃって。「世界言語博物館」って名前は、永松さんが前から抱いていた構想にもありましたし。インターネット上でヴァーチャルな世界言語博物館を目指そうという気持ちも込めて、最終的に「地球ことば村・世界言語博物館」という名前ができたんです。

長谷川:
発起人の方々の思いがつまった名前なのですね。

(つづく)

《文責:長谷川明香》