外国語は天罰?

旧約聖書の創世記にバベルの塔についての説話があります。おおよその筋 書きは次のようです。
「世界中は同じことばを使って、同じように話していた。そして東のほう へ移住した人たちがバビロンの平地にやって来て、そこで天までとどくような 高い塔を建てようとした。神はそれを見て『皆一つのことばを話しているから、 このようなことをし始めたのだ。これでは彼らが何を企てても、妨げることは できない。直ぐにことばを混乱させて、互いのことばが聞き分けられないよう にしてしまおう』と計って、彼らを地上に拡散させてしまった」。
この説話の眼目は、世界に何故こんなにたくさんの違ったことばがあるの だろうかという疑問に対する謎解きです。つまり人びとは、始め一つのことば を話していたので、たいへん力があった。神はその力を恐れて、力の元になっ ていることばを混乱させた。それ以来、世界はたくさんの言語に分裂してしまっ たというのです。こうなると、私たちが日頃外国語学習に苦労しているのは、 その時の天罰だということになります。
ところで、この説話の言うように、昔、世界は一つの言語を話していて、それ がさまざまな言語に分裂したのでしょうか。実際は、その逆だったのではない でしょうか。つまり、ヒト(新人)の言語は、それが生まれた時から、それぞ れの小集団ごとにすでにたくさん存在していたのではないでしょうか。ヒトの 言語が何時どのように生まれたかは、古くからいろいろな説がありました。恋 歌が元だというロマンティックな意見、物まねから生まれたという意見などさ まざまです。しかし今日の脳科学や認知諸科学、考古学の知識からは、今まで とはまったく違った言語起源論が提案されています。それによると、ヒトのこ とばは、一番遅く見積もっても、アフリカで7万年前には生まれていたと考え られます。そしてその時、おそらくはすでにたくさんの違った幼い言語が併存 していたと思われます。もちろん、人びとがバビロンの地にやって来たときに は、たくさんのお互いに通じない小言語が話されていたのでしょう。
バベルの塔の説話にはもう一つ大切なことが書いてあります。それは、人びと が一つのことばで協力し合うとき、神が恐れるほどの社会的な力を発揮するも のだという見方です。ことばは、医術のように人を生かすことも、武器のよう に人を殺すこともできます。とりわけ団結した人びとに使われる時、ことばの 力は歴史を動かすだけの力量をもつことさえあります。18世紀の終わりに近代 的国民国家が作られたとき、新しいフランスは一番先に義務教育制度を作りま した。そしてこの制度の中心は国語でした。国民は、 一つの国語を話し、国家の礎を成す制度として同時に設立された兵役と国税の 制度を支えることが求められたのです。しかし複数の民族が一つの国家を作っ ているときは、複数の公用語を定めるという妥協をすることがあります。経済 的な交易の分野では、ことばの力はさらに威力を発揮します。ことばが通じな いと、貿易は成り立ちませんから、交易用の言語は、広く役立つものほど経済 効率がよいわけで、このことばの経済性が言語の浮沈に関わります。そのため に、ことばを統一して交易に役立てるため広域通用語という共通語が作られて きました。そういう意味では、英語が現在の世界でのグロ-バルな通用語とい うことなのでしょう。
(K.T.、言語学)