地球ことば村
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【地球ことば村・世界言語博物館】

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方言を書く・読む・聞く

―やっかいで 魅力的な言葉―


現在は福岡の地方都市に住んでいるが、東京で暮らしていた数年前まで速記者 だった。だから言葉への関心は強い。というより、だからこそ速記者になった、 というほうが正しい気がする。速記者というのは、基本的に対談とか、講演、 座談会、会議など、言葉が発せられる現場へ出向き、言葉を速記文字で書きと め、それを文章に起こすのが仕事である。また、テープから文章を起こしもす る。

田中角栄氏の母のことば

数多くのテープ起こしの仕事のうち、忘れられないものは、田中角栄氏のご母 堂へのインタビューである。ほんの短いインタビューだったにもかかわらず、 それを文章にするのにはえらく時間がかかった。彼女が生まれ在所(新潟県の どこか?)の言葉で語っていたからである。

内容は昔の食生活について。自分たちのかつての日常食は少しの米にキビやヒ エ、あるいは刻んだ野菜を混ぜたかて飯で、白米のご飯などは容易に口にでき なかった、というふうなことだった。

話の大意は、まぁわかる。わかるけれども、これを表記するとなるとどう書け ばいいものやら、まったく手も足もでず困り果てた。方言を文字化することの 難しさを厭というほど思い知らされたのだが、とにかく聞こえた通り書くしか ない、と肚をくくって原稿をつくったのだった。

自分のお国言葉だから 読めた小説

大西巨人氏に「神聖喜劇」という長編小説があることは、かなり以前から知っ ていた。しかしこれは長編というよりむしろ巨編というべき小説で、しかも軍 隊小説だという。私には体力がない(本を読むにも体力が要る)し、女性だか ら軍隊のことなど理解できるはずがない、恐らく生涯この本を手にすることは ないだろうとほぼ確信していた。ところが、仕事でどうしてもこの作品に目を 通さなければならなくなった。やむなく読み始めたのだが、この小説の舞台は 対馬で、登場人物の会話の殆どすべて九州弁なのである。最初のうちこそゆっ くりとページを繰っていたものの、だんだんめくるスピードが速くなっていっ た。こんな言い回しのニュアンス、九州以外の人にはとてもわからんやろ、福 岡は柳川生まれの私にゃ分かるもんね、てなもので、一生縁がないだろうと考 えていた壮大な小説を面白く読んでしまったのである。私にとって、「神聖喜 劇」は、何よりもまず九州弁の会話の見事さによって、深く印象づけられてい る。

母の筑後弁のやさしさ

つい先ごろ八十四歳で他界した母は筑後弁しか喋らず、かなり長い期間、関東 で生活した私の耳には新鮮に感じられる言い方を折々にしたものだった。そう いったもののひとつを紹介すると・・・ 母はくしゃみのことをクセンと言っていた。「さっきクセンが出よったが、風 邪ひいたっじゃなかろね」という具合に。私たちがそばでくしゃみをすると。 母は「ゴリン」と言う。クセン(九銭)にせめて5厘を足してやろうというの である。母がくしゃみをした時、祖母がそう言っていたのだろうか。 その時は何でもなく聞き流していたのだが、今となってはずいぶんやさしい心 映えのように思われ、ひたぶるに懐かしい。

(石田柳子)