地球ことば村
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【地球ことば村・世界言語博物館】

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流浪の民の言語「ロマニ語」




「それは私が道路でさっき屠殺されたばかりの豚の皮をくちゃくちゃ噛みながらロマの王女と散歩している時のことだった。」
「COVID-19で世界中が大変なことになっているが、ゴミの山に住む子持ちのロマのババちゃんはどうしているのだろうか。某国外交官と一緒に家畜の糞尿にまみれながら彼女の家の洗濯物を桶で洗ったのが懐かしい。」

 例えばこのような私の日常の一コマをいきなり書き始めたら読者はどう思うのであろう。私自身はさっさと本題に入りたくても、私が置かれている状況の説明をしないことには読者が話についていけないかもしれない。

 今回ご厚意により「地球ことば村」に私が専門にしている「ロマニ語」という言語にまつわるエッセイを書かせていただけることになった。しかし自分にとって身近な話題を書いたとしても、そこに行きつくまでの「あらすじ」がないと話が頭に入ってこないだろう。

 そこで本題に入る前に自己紹介をしておこうと思う。しかし自己紹介で紙面が埋まってしまうのは望むところではないので、「第三者視点」で駆け足で自己紹介をさせていただきたいと思う。


これまでのあらすじ(?)

 本編の主人公はルーマニア政府奨学金を得て、トランシルバニアにある「国立バベシュ・ボヨイ大学」に留学し、西洋古典学(ラテン語と古典ギリシア語)の学士課程を修了した。その後、隣国のハンガリーの首都にある「国立エトヴォシュ・ロラーンド大学(俗に言う「ブダペスト大学」)」の西洋古典学科修士課程に進学するが、色々あって私立の語学学校で教鞭を執るチビでハゲのおっさんのロマ(「ジプシー」の正式名称)、通称「師匠」に弟子入りし、ロマの言語「ロマニ語」を教わることとなる。

 「師匠」の兄はブダペスト西駅近郊を根城にするアル中のホームレスであり、主人公は警察の厄介になりながらもホームレスとペットボトルの安酒を飲み交わしながら生きたロマニ語を学んだ。「師匠」の兄はある日公園でくたばり、「師匠」はリーマンショックで失業しドイツに移民として移り住み、物乞いやゴミ拾いをしながら教壇に立って語学教師として引き続き活躍する。一方主人公は修士課程修了後、本格的にロマニ語を研究するために、世界で最もロマニ語話者人口が多く、古いロマの文化が現在も残っているルーマニアに帰還した。そして首都にある「ブカレスト大学」に「ロマニ語学科」を立ち上げロマニ語を正式な科目として学校教育に取り入れた言語学者、通称「ロマニ語教育の父」ゲオルゲ・サラウ教授に弟子入りする。

 主人公は水道も電気もないバラックがひしめくトランシルバニアの貧しいロマの集落に2年間入りびたりロマニ語方言を研究して言語学博士号を取得。ブカレスト大学ロマニ語学科に勤務した後に母校の「バベシュ・ボヨイ大学」に戻る。

 一部のロマから誹謗中傷や脅迫を受けながら大学でロマニ語をロマに教え始めた主人公は、国を持たないロマの政治的中枢でありロマの世界で最も重要な国際会議「世界ロマ大会」を主宰する国連経済社会理事会(ECOSOC)の特別諮問機関「国際ロマ連盟(IRU)」に日本代表として加わり、ロマの国際政治の世界でも暗躍するようになった。

 レベルは高いのに若干影が薄い日本で唯一の公立の外語大「神戸市外国語大学」に客員研究員として迎えてもらいベラルーシ共和国におけるロマニ語方言の研究を始めた主人公であったが、COVID-19による影響で東欧から日本に一時帰国することになる。更に2020年8月に行われたベラルーシ大統領選後の大規模デモによりベラルーシは混乱、市民と治安部隊が衝突し死者も出てベラルーシが更に遠のいた。ベラルーシのロマの友人たちは今一体どうしているのだろうか、一体いつになったら再びフィールドワークが再開出来るのか。心配事がつきない主人公であったが、心配していてもやっぱりお腹は空くのでパソコンの前で「柿の種」をかじりながら動画を視聴したりオンライン授業をしたりして毎日を過ごす主人公であった。


・・・・・・・

 大きく端折ったが、まあ私の半生は大体こんなところだ。嘘っぽいが全部本当のことである。もっと詳しく知りたいと思われる方もいるかもしれないが、実は私とロマとの関わりを書いたエッセイを某武術研究家の有料メールマガジンに毎月寄稿させていただいており、そちらの方で既に色々と書いてしまった。その一部をまとめてもう少ししたら出版する予定なので、もしご縁があったら手に取っていただければ幸いである。

 もう本題に入ってもいいだろうか。今回の私の目的はロマ民族の言語「ロマニ語」を身近に感じてもらうことである。

 今でこそ東京の自宅で「柿の種」をかじって日々を過ごしている筆者であるが(ルーマニアで柿の種は手に入らないのである)、普段ルーマニアで最も大きい国立大学で教壇に立ちロマニ語を教えつつ、ゴミの山に住む戸籍すら無いロマたちからロマニ語を学ぶというはちゃめちゃな生活を送っている。

 教師、魔女、マフィア、政治家、ホームレス、警官、音楽家、娼婦、多種多様のロマに囲まれて生活している筆者は、ロマの言語のみならず伝統料理や魔術そして武術まで幅広く心得ている。私のロマに関する知識はあまりにも膨大であり、何をどこからどう紹介したらいいのか分からないというのが正直なところである。

 日本の大学に呼ばれて集中講義をする際は大体「ロマ」という名称についての説明から始めている。本当は魔術の話とかしたいのはやまやまなのだが、やはりこのエッセイでも「ロマ」そして「ロマニ語」という用語について紹介しようと思う。

 私が専門としている言語「ロマニ語」を母語としているのは「ロマ」という民族である。この民族は何百年も前からヨーロッパで様々な呼称で呼ばれてきた。最も日本人になじみが深いのは、英語から借用した「ジプシー」という名称だろう。

 「ジプシー」の語源は「エジプシャン(エジプト人)」である。世代によると思うが、きっと読者の中には学校でシューマン作曲の「流浪の民」という合唱曲を歌ったことがある方がいると思う。これはまさに「ロマ民族」をテーマにしたものである。

 その歌詞には

これぞ流浪の人の群れ
眼光り髪清ら
ニイルの水に浸されて
煌ら煌ら輝けり

とある。「ニイル(=ナイル川)の水に浸されて」の部分で彼らのエジプト起源を隠喩している。

 この歌詞のように、ヨーロッパの人々は何百年もの間ロマがエジプトから来た民だと信じていたが、残念ながらこれは間違いであった。彼らの言語「ロマニ語」を分析したところインド語派に属することが判明したのである。「ロマニ語」には彼らの旅路を示すように、接触した民の言語から借用した様々な語彙が含まれているが、エジプトの言語の要素は皆無であった。エジプト人起源説から誕生した「ジプシー」という呼称は、意味を考えると不正確であるということである。

 歴史の話を始めるとややこしいので手短にするが、インド北部のカナウジという都市で1018年に起きた侵略戦争をきっかけにして大移動をした難民の子孫がロマであるという学説が有力であり、ルーマニアでは国家教育省を通じて学校でこのように教えている。

 さて、シューマンの「流浪の民」に話を戻そう。この歌の原曲はドイツ語でZigeunerlebenという。Leben[レーベン]が「命、人生、生活」で、Zigeuner[ツィゴイナー]の部分が「ロマ」である。要は「ロマの人生」という意味だ。

 「ジタン(フランス語)」「ヒターノ(スペイン語)」といった「エジプト人」を語源に持つ「ジプシー」系の呼称と並んでヨーロッパの多くの言語で用いられているのが、このZigeunerをはじめとした「ツィガン」系の呼称である。ロシア語でもドイツ語でもハンガリー語でもルーマニア語でも、ロマは長い間「ツィガン」と呼ばれてきた。

 この「ツィガン」という名称はどこから来たかというと、ギリシア語の「アツィンガノス(アシンガノス)」である。これは英語だとuntouchable「触れてはならぬ」に相当する。「アツィンガノス」の「ア」の部分はギリシア語の「欠性辞」であり、英語のun-に相当する。現代では「欠性辞」が「欠」けた「ツィガン」という語形が用いられているが、古い文献には「アツィガン」と書かれている。ヨーロッパ人が彼らをこのように呼んだのは、異教徒で自分たちと異なる生活様式を持つロマを異端視したからであろう。

 いずれにせよ、「ジプシー」も「ツィガン」も現在では「侮蔑的」であるとして、用いてはいけないことになっている。新聞やメディアで用いられるのは専ら「ロマ」である。

 ではこの「ロマ」という名称はどこから来たのか。

 実は、「ロマ」というのはロマニ語における彼らの自称である。「ジプシー」だの「ツィガン」だのは、ロマ以外の人間が彼らを指すのに用いた名前に過ぎず、彼らは自分たちのことを昔から「ロマ」と呼んでいた。

 この「ロマ」という名詞について「ロマニ語で『人間』を表す」と説明されることがあるが、これは不十分である。

 ロマニ語には「人間」を表す単語が二種類ある。一つが彼ら自身を指す「ロマ(単数形はロム)」、もう一つはロマ以外の人間(非ロマ)を指す「ガヂェ(単数形はガヂョ)」である。「ガヂェ」には肌の色や国籍に関わらず、ロマ以外の全ての民族が含まれる。「ロマ」は「ガヂェ」という単語と対になってようやっと理解できるのである。

 上記の「これまでのあらすじ(?)」に「国を持たないロマの政治的中枢でありロマの世界で最も重要な国際会議『世界ロマ大会』を主宰する国連経済社会理事会(ECOSOC)の特別諮問機関『国際ロマ連盟(IRU)』に日本代表として加わり」という投げやりな一文があった。この「ロマ」という名称を正式な名称として定めたのが、まさにこの「世界ロマ大会」である。

 ロマは独自の国を持たず、世界各国で暮らしている。グローバル社会に対応すべく、各国のロマの代表者が人類史上初めて顔を突き合わせて話し合いをしたのが1971年のことである。ロンドンで行われたこの寄合を「第一回世界ロマ大会」と呼ぶ。

 この「第一回世界大会」では「『ロマ』という正式名称」の他、「ロマの世界共通歌『ゲレム ゲレム』(国歌に相当)」、「ロマの世界共通旗(国旗に相当)」などが採択された。現在も「世界ロマ大会」は国を持たないロマの最大の会議であり、政治的中枢である。

 なお、ロマ全員が自身を「ロマ」と呼んでいるわけではない。ロマの中には「シンティ」「マヌシュ」「カレ」といった、別の自称を持つ一部少数集団がいることもまた事実である。またここ20年くらいの話だが、東欧各国から多数のロマが西欧に移民として渡り時々迷惑をかけるため、「ロマ=やんちゃ」というイメージがついてしまった。先祖代々西欧に住んでいるロマは、近年の東欧からの移民のロマと差別化を図りたいがために「ロマ」という名称を用いることを快く思わないことがある。

 筆者は彼らの呼称問題にあまり関心が無い。なぜならば私が扱うのは彼らの言語だからである。彼らの言語は彼らがどのような自称を用いているのであれ「ロマニ語」と呼ばれている。専門家はこの言語を英語でRromani、Romani、Romanyと書くが、これは「ロマニ語」のことをロマニ語で「ロマニ チブ」と言うことから来ている。「ロマニ」というのが「ロム」の形容詞であり、「チブ」が「言語・舌」を示す。

 ちょっと難しい話になるが、専門家の一部がRを二つ重ねて書くのは元々のこの音が「そり舌音」であり、方言によって発音が異なるからである。しかし、一番の目的は「ローマ」や「ルーマニア」との混同を防ぐことであろう。例えば、以前旧ソ連圏の学会に参加した時、現地の先生に「彼らがロマと名乗るのはRomania出身だからだろう?」と聞かれてびっくりしたことがある。ロマは確かにルーマニアに多いが、関係はない。

 なお、方言によっては「ロマニ チブ」は「ロマニ シブ」とも発音される。だが、いちいち数ある方言形を上げるときりがないので、筆者が「ロマニ語では~という」と書いた場合、数ある語形の中から歴史言語学的に古い語形を厳選していることを断っておこう。「世界共通歌」の名前も方言によっては「ヂェレム ヂェレム」「ジェレム ジェレム」とも発音されるが、面倒なのでいちいち言及しない。なんでこんなことを書くかというと、希に「角先生の書いた『ニューエクスプレス ロマ(ジプシー)語』を読みましたが、他の英語の書籍には違うことが書いてありましたよ」といった指摘をうけることがあるからである。ロマニ語は単一の言語であるが、ロマニ語の本を読む際はそれがどの方言を扱っているのか、注意しないといけない。

 残念なことに、日本ではよほど関心がある人でない限り「ロマ」や「ロマニ語」が何だか分からない。おぼろげながら「ジプシー」「流浪の民」「ボヘミアン」あたりのイメージが頭にあっても、それが「ロマ民族」と結びつかないのである。

 このため、筆者は日本で彼らの言語を説明する際に「ロマ(ジプシー)語」といった書き方をすることがある。「ロマ語」でも「ロマニ語」でもどっちでもいいので、是非その言語の存在だけは知っていただければ幸いである。

 せっかくだからロマニ語のあいさつを紹介しておこう。ロマが最も重要と考える概念はお金でも健康でも愛でもなく、「バフト(幸運)」である。何故かというと、「バフト」さえあれば他のものは後からついてくるからである。なんなら「知恵」よりも「バフト」の方が大切であることをほのめかすロマの寓話もある。

 実はバフトはトルコ語からの借用語である。筆者の想像だが、トルコあたりに移動した時にロマは「人生つれえな。色々頑張ってるけどどうにもうまくいかねえな。運要素あるなこれ。」と思ったのだと思う。こうしてできた挨拶が

テ アヴェス バフタロ/バフタリ!「幸いあれ」

である。相手が女性の場合は「バフタリ」を用いる。「タヴェス・・・」と書いてある本もあるが、それは上記の形にエリジオンという音声変化が起きた形である。なお、相手が複数の場合は男女関係なく「テ アヴェン バフタレ!」と言う。

 「テ アヴェス バフタロ/バフタリ!」は会った時にも、乾杯をする時にも用いることができる。別れ際に言ってもそこまで不自然ではない。

 次回があるかどうかはさておき、今回は「ロマ」と「ロマニ語」という二つの用語について簡単に説明した。このエッセイを読んで少しでも「ロマ」と「ロマニ語」に興味を持ってくれた方がいればうれしく思う。

 この辺でそろそろ筆を置いて、再び「柿の種」に取り掛かりたいと思う。

 幸いあれ!

2020年9月23日 東京
角 悠介


角 悠介(すみ ゆうすけ)・・・言語学博士。ルーマニア国立バベシュ・ボヨイ大学「日本文化センター」所長。神戸市外国語大学客員研究員。ルーマニア国立ブカレスト大学ロマニ語学科助教を経て、2020年現在ルーマニア国立バベシュ・ボヨイ大学でロマニ語学を担当する傍ら、ベラルーシ共和国のロマニ語方言の研究を行う(科研費助成事業)。ルーマニア国家文化省認定ロマニ語翻訳資格を有する他、ロマニ語オリンピック県大会試験官、国家教育省主催夏期ロマニ語講座講師等を務める。国連経済社会理事会(ECOSOC)特別諮問機関「国際ロマ連盟(IRU)」日本代表。著書:「ニューエクスプレス ロマ(ジプシー)語」(白水社)


★ ロマニ語について詳しくは、世界のことば「ロマニ語」をご覧ください。