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【地球ことば村・世界言語博物館】

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世界の文字

漢字 ― 行書体 英 Kanji - Semi-cursive script

楷書が一画一画をきちんと書いているのに対し,行書体ではいくらかの続け書きが見られる。しかし,草書のように,楷書と大幅に字形が異なるということはない。行書は隷書の走り書きに興る。王羲之などの書が有名。草書ほどではないが速記向きであり,楷書ほどではないが明快に判読できることから,古代中国では公務文書や祭礼用の文書に用いられた。

行書作品

詩歌の巻頭言の草稿として王羲之が著した『蘭亭序』や,北周の詩を清書した褚遂良の『枯樹賦,内乱で惨殺された甥の祭礼に備えて書いた顔真卿の『祭姪文稿』などが代表的な書作品である。日本では,空海と最澄が交わした行書書簡『風信帖』と『久隔帖』はともに国宝である。

王義之『蘭亭序』

353 年(永和 9 年)3 月 3 日に,名士 41 人を別荘に招いて,蘭亭に会して曲水の宴が開かれた。上から流れてくる觴(さかずき)が自分の前に来るまでに与えられた題で詩を作れなかった 16 人が罰酒を飲まされたという。その時に作られた詩を 1 巻に纏めて「蘭亭集」を編み,王義之がその巻頭に書いた序文の草稿が蘭亭序である。[Wikipedia: 蘭亭序]

王羲之・蘭亭序 (神龍半印本) [Wang Xizhi /Public Domain / 出典]

顔真卿『祭姪文稿』

祭姪文稿さいてつぶんこうとは唐の政治家・書家顔真卿が記した書。『争座位文稿,『祭伯文稿』とともに「顔真卿の三稿」といわれた1つ。758 年(乾元元年 9 月 3 日,現在の山西省永済市にある普救寺で記された。安史の乱で非業の死を遂げた顔杲卿,顔季明(顔杲卿の子,顔泉明の弟)ら一族,中でも「姪(1 世代下の宗族)である顔季明を追悼するため記された弔文の原稿であり,塗りつぶされた 34 文字を含め 259 文字からなる。国家に忠義を尽くした顔真卿が一族を哀悼する気持ちをも露わに記した書は中華史上屈指の名書とされ,歴代の皇帝が至宝として蔵した。[Wikipedia: 祭姪文稿]

顔真卿・祭姪文稿 [Fugu/ Public Domain / 出典]

最澄筆 尺牘(久隔帖)

 最澄(伝教大師,767~822)が高雄山寺(今の神護寺)の空海のもとにいた愛弟子の泰範に宛てた書状。現存する唯一の最澄自筆書状で「久隔清音(久しく御無沙汰を」と書き出しているところから「久隔帖」と呼ばれて名高い。この書状は,最澄と空海との親しい交わりを示すと共に,最澄の真摯な人柄と恭謙な心情をうかがわせる。文字は清澄で格調が高い「久隔帖」は江戸時代には青蓮院に伝えられており,多和文庫(香川県大川郡志度町の多和神社)を経て,美術品の蒐集家として知られる原三渓(1866~1939)が所有していた時期もあった。[奈良国立博物館 国宝 最澄筆 尺牘(久隔帖)]

最澄・久隔帖 [尾上八郎 - 和様書道史 / Public Domain / 出典]

趙孟頫『前後赤壁賦』

宋の元豊五年(1082)秋七月十六日夜,蘇東坡が月明に乗じて舟遊びして,三国の英雄曹操や周瑜の風流を偲び,自分がはかない流人の身の上であることを嘆き,無限な生命の前では古人も我も何等選ぶところが無い,儚いものであり,萬物同一であることを悟り,明月と江上の清風とを楽しみ憂いを忘れたと言う感慨を述べた名文。後赤壁賦に対し前赤壁賦がある。次の作品は,蘇東坡の『前後赤壁賦』を趙孟頫が行書で書いたもの。[Wikipedia: 赤壁賦]

趙孟頫《前赤壁賦》書於1301年[趙孟頫 / Public Domain / 出典]

空海

風信帖ふうしんじょうは,空海が最澄に宛てた尺牘せきとく 3 通の総称である。国宝に指定されており,指定名称は弘法大師筆尺牘三通(風信帖)。 参 照 弘法大師風信帖・灌頂記 国立国会図書館インターネット公開(保護期間満了)

『風信帖』(1通目) 空海筆 [尾上八郎 / Public Domain / 出典]

関連サイト

[最終更新 2022/08/05]