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【地球ことば村・世界言語博物館】

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世界の文字

青銅器 英 Bronze


青銅(銅を主成分として錫を含む合金)器の中にはしばしば内壁などに銘文が鋳込まれているものがあり,このような文字を「金文きんぶん」という。金文は青銅器ができあがってから刻み付けたものではなく,製作の過程で別の工程で銘文用の型に刻み,鋳込んだものがほとんどである[1]

金文の初期のものには,殷の甲骨文字とほぼ同じ時代のものもある。しかし甲骨文字がナイフを使った鋭く細い直線を組み合わせたものであるのに対し,金文の方は筆と墨を使って銘文用の型を作るため柔らかな曲線が多く,線も肉太で,一見したところ両社はかなり感じ方が違う。それはそれぞれの文字の記録方法がちがうからで,文字の構造は甲骨文字と同じである[2]

次の周王朝(前 1122~前 256)の時代に入ると青銅器は盛んに作り出された。主として祭祀に用いられた器のもので,金文に用いられた文字の書体を大篆だいてんまたは籀文ちゅうぶんという。これらの金文の銘文は,ある個人の功績を記念して子々孫々までその器を宝用することを祈念したものが多く,大体スタイルは同じであるが,中には毛公鼎もうこうてい大盂鼎だいうていのようにかなり長文のものもある[3]

毛公鼎,西周时期,國立故宫博物院館藏 [Jason22 / CC BY-SA 4.0 / 出典]
陈介祺或其门人 [陈介祺或其门人 / Public Domain / 出典]
大盂鼎,中华人民共和国国家一级文物 [Baomi / CC BY-SA 4.0/ 出典]
大盂鼎铭文拓片 [Mountain / Public Domain / 出典]

大盂鼎:周代の中では最も大きなもの(高さ102.1 cm,上部の口径 78.4 cm,重さ 153.5 ㎏)で,その制作時期は康呈の時代(B.C. 1000 年頃)と推定される。内壁に書かれた 19 行,計 291 字からなる長文の銘文であり, 内容は,康王が優れた武将であった(人名)に父祖の官職を継ぐようにと命じ,車馬や衣服などとともに述べ 1700 人以上の人間を領民として与えた記念として,盂がこの鼎を作ったことを述べている[4]

毛公鼎:毛公鼎は大盂鼎よりもさらに長く全部で 32 行,497 字におよぶ,現存の青銅器では最長の銘文がある(高さ 53.8 cm,上部の口径 47.9 cm,重さ 34.7 ㎏,西周後期。内容は,混乱状態にあった政治を復興し,綱紀を粛正するために,周王が毛公という人物に政治を全面的に委託し,車馬や衣服などを恩賞として下賜した記念に毛公がこの鼎を作ったことが述べられている[5]

関連文献

[最終更新 2021/03/05]