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【地球ことば村・世界言語博物館】

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世界の文字

ウルク文字 英 Pictogram from Uruk


ウルク文字(ウルク古拙文字とも)は,中部イラクの古代都市ウルク(現代名ワルカ Warka)遺跡から出土した小型粘土板上に記されていた文字で,のちにメソポタミア各地で広く用いられた楔形文字体系の原型をなすものと考えられている。ウルク遺跡以外に,ジャムダト・ナスル(Jamdat Nasr)で出土した粘土書板の文字は同類と考えられるので,これらを総称して原(プロト)シュメール文字(Proto-Sumerian)と呼ぶ研究者もいる。これらはシュメール文字と何らかの関係を持っていると考えられるからである。[矢島]

ウルク出土の行政タブレット [Anonymous / Public Domain / 出典]
ウルク遺跡の発掘は 1927 年以降,ヨルダン(J. Jordan)の指揮するドイツ調査団によって行われた。エ・アンナ(E. Anna)神殿遺跡を地下深く掘ったところ,のちに「ウルク第 4 層(Uruk IV)と名づけられた地層から小型の粘土書板が多数出土したが,これらには人間の頭,手,足,ヒツジなどの動物,魚,穀物を表わす穂の形,数字(半円形,円形)などの文字記号が刻まれおり,神殿奉納品の記録文書と考えられる。出土した粘土板文書の総数は,当初は 570 と報告された。その後もウルク文書の発見は続き,現在では 4,000 個ほどに達しているといわれる。右図: ウルク第 4 層出土の粘土書板

ウルク文書の文面がごく短く,多くは単語の羅列にすぎないため,ウルク文書の使用言語を明らかにすることは現在の段階ではきわめて困難である。文字記号の配列から見ると,後代のシュメール文書のそれに近いとも考えられるが,ジャムダト・ナルス文書では例外的なものも見られ,非シュメール語(原エラム語?)を使用言語としたものではないかとの推測もある。

ウルク文字が出土したウルク遺跡の「ウルク第 4 層」は,考古学的に前 3 千年頃にあたるものと推定されている。したがって,ウルク文字はメソポタミア楔形文字体系の最古形とされるばかりでなく,エジプト聖刻文字(これはメソポタミア楔形文字体系からの何らかの影響を受けていると考えられる)や東洋の漢字体系,その他の独立的文字体系のどれよりも古い文字遺物であると思われてきた。しかし,1961 年,ルーマニアのタルタリア(Tărtăria)村で,Nicolae Vlassa が溝の発掘を行い,ヴィンチャ期に属すと見られる 3 枚のタブレットが発見され,ウルク文字に先立つものではないかとの可能性が現われた。(→ 別項『ヴィンチャ文字』参照)

文字資料

トークンとは、原文字を含む文字の誕生以前に,メソポタミアで使われていた粘土製の計算具で,球形,円錐形など様々な形のものがあった。また,模様がついているものもあり,前者をプレイン・トークン,後者をコンプレックス・トークンという。

このトークンを保管するために,ブッラが作られた。ブッラは粘土で作られた球で,トークンを中に入れて保管することができる。しかし,中身を見るためにはブッラを叩き割らないといけなかった。それを解決すべく,トークンは粘土板に押し付けて使う印章のようなものになった。しかし,コンプレックス・トークンには細かい模様があり,十分に押捺痕が残せなかったため、トークンの模様を先を尖らせた葦ペンで粘土板に書いた。これがウルク古拙文字になっていった。[ウルク古拙文字]

ブッラ [Marie-Lan Nguyen / Public Domain / 出典]
様々なトークン [Marie-Lan Nguyen / Public Domain / 出典]

ウルク時代の円筒印章とその印象、紀元前3100年頃。ルーヴル美術館 [Marie-Lan Nguyen / Public Domain / 出典]

ウルクの粘土板(紀元前3200年から3000年頃)。ビール配達の文書; 大英博物館 [BabelStone / CC BY-SA 3.0 / 出典]

関連リンク

[最終更新 2022/03/21]