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【地球ことば村・世界言語博物館】

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世界の文字

キリル文字 英 Cyrillic alphabet,仏 alphabet cyrillique。独 Kyrilliza,kyrillische Schrift,露 кириллица


キリル文字は古代教会スラヴ語の現存写本(10~11 世紀)にグラゴール文字とともに用いられているほか,中世から 18~19 世紀まで,ブルガリア,セルビア,ロシアの正教徒スラヴ人の教会用および日常の書物の唯一の文字体系として広く普及した。近現代では,その体系と字体に一定の改変を加えた諸変種が,多くのスラヴ諸語やその他の言語の文字体系として用いられている。 → 佐藤 2001

キリル文字成立の事情

キリル文字の成立について古来多くの主張がなされてきたが,現在では大多数の学者が,グラゴール文字の方がより古く,いろいろな点で体系的な一貫性をもつと考え,これをキリロス・メソディオス兄弟の所産とする一方,キリル文字アルファベットは,より後代にグラゴール文字の体系をギリシア文字ウンキアリス体(uncialis,大文字書体,アンシャル体とも)に引き写すやりかたで新しく作り直したもの,とする見方に立っている。 → 佐藤 2001

キリル文字アルファベットの文字順は,まずグラゴール文字との対応によって配列し,余りの部分はその後に適当にまとめて示す習慣である〈表 1〉。それは,グラゴール文字の場合,それぞれの字母の表す数字価により,当初の文字順の復元がかなり精密に行なわれうるのに対し,キリル文字の体系は,数字価についてはまったくギリシア語のアルファベットに従っており,文字順の決め手を欠いているからである。

〈表 1〉キリル文字・ギリシア文字・グラゴール文字対照表

キリル文字とその資料

最古の資料

欧米では 1950 年頃まで,キリル文字の最古の確実な使用例は,往時の西ブルガリア(現在のマケドニア共和国)のプレスパ(Преспа)湖の近くの村の教会跡で,1888 年に出土した天地開闢暦 6501 年(西暦 993 年)の紀年をもつ「サムイル帝の碑文」〈図 1〉とされてきた。しかし,1950 年にルーマニアのドナウ下流右岸低地のドブルジャ(Dobrogea,Добруджа)地方のミルチャ・ヴォダ(Mircea voda)村から,ブルガリアの太守ディミタル(Димитър)の事跡を記した 943 年の紀年のある石片〈図 2〉が出土し,また,1952 年はブルガリアのプレスラフの城市遺跡の小教会跡から,紀年はないものの,シメオン皇帝(864~927)とその子ペタル(Петър)1 世(在位 927~970)に仕えた高官モスティチ(Мостич)の墓碑銘〈図 3〉が発見されて,キリル文字使用例の年代は 10 世紀前半まで繰り上がった。 → 佐藤 2001

〈図 1〉サムイル帝の碑文(993 年) 〈図 2〉ドブルジャ出土の碑文(943 年)
〈図 3〉モスティチの墓碑銘(10 世紀中葉)と模写図

王女アンナの十字形墓碑

〈図 4〉王女アンナの十字形墓碑
ブルガリアのポリス 1 世(在位 852~889)は 864 年にビザンツ帝国と講和を結び,正教を国教として受け入れる一方で,ブルガリア教会の自立発展をはかった。娘のアンナも信仰心厚く二つの教会を献堂寄進している。〈図 4〉は,プレスラブ遺跡跡の教会跡から 1965 年に出土した墓碑(長さ 20 cm,最大幅 11 cm,厚さ 6 cm)で,片面に古ブルガリア語とギリシア語で「神の婢女アンナが 10 月 7 日に永眠した」旨が記され,その裏には二つの教会を指し示すアンナの像が刻まれている。 → 佐藤 1999

オストロミールの福音書 Остромирово Евангелие

『オストロミールの福音書』〈図 5〉は,執筆年代が確定していて現存する最古の写本である。内容は福音書,標準本系アブラコス(日曜祝日典礼用福音書抜粋)であり,キリストの生涯や教えについての読み物が教会暦の祭日に従って配置されている。 → 『ロシア語研究』

写本は,世襲領有権をもつ最古の名門一家のオストロミール(洗礼名ヨシフ)の依頼により 1056 年 10 月 21 日から 1057 年 5 月 12 日の間に書かれた。『オストロミール福音書』は,文字と,写本における芸術的装飾の模範であり,古代ロシア文化の記念碑である。羊皮紙 294 葉に,書体はウスタフ体(後述),ニ段落構成で,サイズの大きな葉(35 x 30 cm)に書かれている。参照 → Остромирово Евангелие

〈図 5〉オストロミールの福音書(1056-57 年)

白樺文書 Берестяные грамоты

古(中世)ロシアの白樺文書(11~15 世紀)は,ロシアの諸古都市の考古学的発掘のときに発見された,白樺の樹皮に書かれた文書類である。最初に発見されたのは,1951 年ノヴゴロドであった〈図 6〉。 → 『ロシア語研究』

白樺文書の年代は考古学的手法で定められる。このうち最も有効なのは,年輪年代学の手法である(古代の橋・その他の建築用木材の伐採年代を確定するのが可能となった)。この方法が示す白樺文書の年代の精度は 20 年ないし 40 年程度である。

文字は,白樺樹皮に(通常その内側に)金属ないし骨でできた尖筆(стилос)の尖端で描かれている(押捺されている)。現在知られている白樺文書のおよそ 4 分の 1 が完全な形で伝わっている。文書の寸法はさまざまであるが,完全な文書の長さは 5 cm から 50 cm で,幅は 1 cm から 20 cm である。〈図 7〉参照。樹皮は性質上丸まるので,白樺文書は巻物の形を取ることが多い。

白樺文書の 3 分の 2 以上は個人的な書簡であり,その大部分は,日常生活での実際的な問題を書いたものである。その内容は,出来事の報告,さまざまな依頼,主人からの命令であり,商売その他の金銭的な事柄,などが記されている。書簡の書き手・受けとり手の社会的身分は極めて様々であり,文通には女性の参加が目立っている。このことは,当時の識字率がかなり高かったことを物語っている。

〈図 6〉ノヴゴロド(Новгородская)白樺文書
〈図 7〉白樺文書 644 番文書の線描

白樺文書の最も有名な書き手は 13 世紀前半の 6 歳ぐらいのオンフィム(Онфим)少年であり,アルファベットの練習をしているものである〈図 8〉。ノヴゴロドで 1956 年に発見された。裏面では,四角の枠の中に「拝啓,オンフィムよりダニールへ」と書かれ,獣の絵の上に「俺は怪獣だ」と書かれている。→ 小林 2004

〈図 8〉オンフィム少年による音節毎の文字練習 白樺文書 199 番文書

グラフィッティ граффити

〈図 9〉グラフィッティ ―
グラフィッティは「引っ掻いて書いた文字」のことで,奉納用の,ないしは宗教的・魔術的,あるいは日常的な意味の銘で,建物の壁・金属製品・容器などの上に書かれたもの。こうしたものは世界各地にあり,古代や中世の都市を発掘した際に出現する。中世ロシアでは,寺院,特にキエフ〈図 9〉とノヴゴロドのソフィア聖堂に数多く見られる。興味深いデータを含んでおり,古代の住民が実際使っていた言語を反映している。 → 小林 2004


キリル文字のさまざまな書体

11 世紀以降,さまざまな書体のキリル文字が用いられた。〈図 10〉は,上から楷書体,行書体,組み合わせ装飾文字,草書体,17 世紀の世俗書体の例である。参照 → Эволюция русских почерков
〈図 10〉キリル文字の各種書体例

楷書体 Устав

11~14 世紀,中世ロシアの写本で用いられた楷書体(ウスタフ:「きまり」)とは,幾何学的で明瞭な外形をもつキリル文字の書体の一つで,中世ギリシア語の典礼用の書体の影響を受けて現れたものである。個々の字は分けて垂直に書かれる。11~12 世紀,書体は厳格に均整が保たれ,おのおのの字も基本的に左右対称である〈図 11〉。13 世紀に入ると,均整の度合いは変化し,字形は細くなる。さらに 14 世紀になると,前世紀の変化を受け,細長くのびた文字間隔の狭い楷書体が登場した。 → 『ロシア語研究』参考 → Устав (письмо)

〈図 11〉楷書体

行書体 Полуустав

15 世紀になると,楷書体は「行書体」へと変わっていき,これは,羊皮紙から紙へ変わったことに対応する。行書体の字母の外形は,左右の厳格な均整を欠き,楷書体の直線部分が行書体では曲線で書かれたり,丸みを帯びた線が正確な円弧の線形でなくなった。また,文字間隔が一定でなくなったり,同一の写字者によるものであっても一つの字形にいくつかのヴァリエーションがあったりする。 → 『ロシア語研究』

16 世紀最初期の活版印刷本は,写本の行書体に基づいて作られた。ロシア最初の印刷刊行本と言われるイワン・フョードロフによるもの(後述)ではこの書体が採用され,これは 18 世紀初頭ピョートル大帝の文字改革まで保たれた。

〈図 12〉行書体
〈図 13〉Gospels 1429 monk named Gabriel

草書体 Скоропись

草書体は,字母および他の記号が切れ目なく続けて書かれる書体の一つである。14 世紀から草書体の使用が確認されており,当初,草書体は事務文献(経済,行政,外交に係わる文書)において用いられていた。15 世紀末には,草書体で書かれた文学作品や典礼書が現れるようになる。 → 『ロシア語研究』

草書体の書法はさまざまで,字形は下や上に行をはみ出し,曲線や飾り書きされる。元来,キリル文字は一つの行内に字をおさめて書くのが原則であったが,行の線の中,上,前の行の方にある字母要素と続け書きしているのが特徴である。

〈図 14〉16 世紀の草書体
〈図 15〉17 世紀の草書体

組み合わせ装飾文字 Вязь

14 世紀末からビャーシと呼ばれる組み合わせ装飾文字が,写本や初期印刷本の表題に使われた〈図 16〉。字の個々の部分が短くなって別の字に組み入れられたり,それらの部分に飾りをつけられたりする。〈図 17〉は,中世ロシア語で「ツァーリにして専制君主」と書かれている。→ 小林 2004 参照 → Вязь

〈図 16〉表題に用いられた組み合わせ文字 〈図 17〉組み合わせ文字と分解例

活字印刷

ヨーロッパでは 1440 年代にグーテンベルクによって活字印刷が始められたが,キリル文字による印刷は 1491 年クラコウ(クラクフ)で出版された祈禱書が最初であった。そして,最初期のキリル文字印刷のひとつは,ベラルーシの啓蒙思想家フランツィスク・スカルィナ(Францыск Скарына 1490 年頃 ~ 1552 年頃)によるものである。スカルィナは,1517 年プラハ,東スラヴ世界において初となる聖書の「詩篇」〈図 18〉の翻訳・出版を行った。〈図 19〉は,スカルィナが出版した書籍に用いた装飾画と飾文字。 → 小林 2004,参考 → Francysk Skaryna

〈図 18〉スカルィナによる聖書 〈図 19〉装飾画・イニシャル文字

フョードロフ Иван фёдоров

ロシアで年号がわかっている最初の印刷刊行本は,1564 年モスクワ刊行の『使徒行伝』(Апостол)〈図 20〉であった。出版は,イワン・フフョードロフ(1510 頃~1583 年)とピョートル・ムスティスラーヴェツ(Пётор Мстиславец 生没年不詳)による共同作業であったが,通常,フョードロフが書籍印刷の創始者とみなされている。 → 小林

〈図 20〉フョードロフ「使徒行伝」(1564 年)

フョードロフは 1580~81 年オストログ(現ウクライナの地名)において,旧約・新約とも完全に含む初の教会スラブ語完訳版聖書『オストローグ聖書』〈図 21〉を刊行した。

〈図 21〉『オストローグ聖書』(1581 年)

いろは読本 Азбука

16~17 世紀に最も普及したのは,学習用の「いろは読本」(Азбука,Азбуковники,Букварь,)である。それらは,通常,アルファベット(音節の形でしかも綴り方の手本が示されている),ごく簡単な文法事項,そして宗教的・道徳的な訓話から構成されていた。フョードロフは 1574 年リヴォフにおいてキリル文字の教本『アーズブカ』(いをは読本)を刊行する。〈図 22〉はフョードロフによる,〈図 23〉はф. Поликарпов-Орлов による「いろは読本」。 → 『ロシア語研究』

〈図 22〉フョードロフ「いろは読本」
〈図 23〉ф. Поликарпов-Орлов. Букварь. モスクワ(1701)

18 世紀の文字改革

ロシアでは,現代の文字体系になるまでに 2 度の大きな文字改革があった。1つ目は 18 世紀ピョートル大帝期に,2 つ目は 20 世紀初頭の革命期になされた。

世俗文字 Гражданский шрифт

16 世紀の印刷文字は,手書きのキリル文字行書体を正確に再現したもので,こうした形の文字は 18 世紀初めまで保たれていた。18 世紀初め,ピョートル大帝期に,書体・字体の変化とアルファベット改革がほぼ同時に起こった。1708 ~10 年に行われた文字改革はピョートルによる西欧化の一環であり,焦点は,字体の簡素化とアルファベットの構成全体の見直しであった。 → 小林 2004,参照 → ピョートル1世

〈図 24〉初期(1708~1710)の世俗文字
この時導入されたのが,ロシア国内の非教会・非宗教的刊行物を出版する目的で作られた「世俗文字」(あるいは「非教会文字」,「民間文字」)である〈図 24〉。字体は,ラテン文字に似せて,そして主として 17 世紀末から 18 世紀初めにモスクワで使われていた,新しい手書き書体を基礎にして単純な形に設計されている。書体のデザインにはピョートル自身が指導的かつ積極的な役割を果たし,彼が校閲した文字表〈図 25〉が残っている。活字はアムステルダムとモスクワで鋳造され,この書体で組まれた最初の刊行物は 1708 年の『測地学』〈図 26〉である。参照 →
  • Гражданський шрифт

    アルファベット組成,字体は,ピョートル大帝の改革を承けて,その後アカデミーによる 3 度の改革のあとに,18 世紀後半に確定した。なお,従来の教会スラヴ語の活字体は,世俗文字導入後も教会刊行物の中で今日でも使われている。

    〈図 25〉ピョートル自身が校閲した世俗文字表 〈図 26〉『幾何学,スラヴ測地学』

    キリル文字系アルファベット

    ロシア語のほか,その組成や字形・発音などに部分的な違いを含むものの,同じようにキリル文字の体系を起源とするアルファベットをもつ言語は,ベラルーシ語,ウクライナ語などであり,いずれも正教会の宗教的伝統に連なるスラヴ人の国々の言語である。一方,革命前から多くの小数民族が,ロシア語アルファベットに倣った文字体系を採用してきた。 → 佐藤 2001

    現代ロシア語アルファベット

    現在のロシア・アルファベットの先行体系が前述のように 19 世紀初頭までに確立し,それが 1917 年の二月革命後に小規模の改良を経て現行の体系となった。〈図 27〉は,1918 年 10 月 10 日付けの「文部人民委員部による正書法新規則」の冒頭部分である。参照 → 全文

    〈図 27〉正書法に関する布告 1918 年 10 月 10 日付

    現代ロシア語字母表

    現代ロシア語で使用されるキリル文字は〈表 2〉に示す 33 文字である。書体は,立体・斜体・筆記体の 3 種が用いられる。

    〈表 2〉現代ロシア語の字母表
    使用フォント:立体・斜体 Times New Roman,筆記体 Russkopis

    〈表 3〉に,スラヴ諸語で用いられるキリル文字アルファベット(小文字)を示す。ロシア語アルファベットに加えて用いる文字を赤字で示す。

    〈表 3〉スラヴ諸語の字母表

    旧ソ連内の少数民族の文字体系

    旧ロシア帝国内の非スラヴ系民族で,革命前からロシア語アルファベットに倣った文字体系を用いてきたのは,ヤクート人,ハカス人,チュヴァシュ人などであるが,革命後にはそのような少数民族の数は一気に増大し,旧ソ連内のウズベク人,カザフ人,タタール人,アゼルバイジャン人,モルダヴィア人,タジク人など,大人口の有力民族の多くを含む 60 以上に達した。旧ソ連の外では,旧モンゴル人民共和国がロシア・アルファベットに倣った文字体系を採用した。 → 佐藤 2001

    しかし,旧ソ連の崩壊とともに,これらの諸民族の中にはロシア文字系のアルファベットを捨てて,それ以前の伝統的な文字体系に戻る動きが生じ,それはとくにモンゴルなど,旧ソ連の外およびロシア連邦外の共和国において著しい。しかし,すでに 50 年以上の実績を持つ合理的なロシア文字系アルファベットを旧式の文字体系に戻す試みは多くの場合失敗し,かつて独自の文字使用の長い伝統をもつモンゴルですら,実生活では従来のロシア文字系アルファベットの使用を続けているのが実情である。

    〈表 4〉は,スラヴ系以外の諸民族が用いるロシア文字系アルファベット(小文字)である。ロシア語アルファベットに加えて用いる文字を赤字で示した。

    〈表 4〉非スラヴ諸語の字母表

    ロシア手話 Жестов язык

    ロシア手話の例を〈図 28〉に掲げる。

    〈図 28〉ロシア手話

    テキスト入力

    ユニコード

    ユニコードのキリル文字系列の配列は〈表 5〉のとおりである。配列は次のとおり分類される。基本キリル文字 (U+0400..U+04FF),補助キリル文字 (U+0500..U+052F),拡張キリル文字 A (U+2DE0..U+2DFF)縮小補助文字で他の文字の上にルビのように付随して用いる,拡張キリル文字 B (U+A640..U+A69F)初期キリル文字・各種補助記号等。

    現時点では,全てのキリル文字をカバーするセリフ体フォントは存在しない。なお,酒井純はセリフ体フォントの公開を予定している。(「拡張キリル文字群を含むUnicodeフォントの作成について」『神戸親和女子大学言語文化研究 9』)

    〈表 5〉ユニコード表

    入力方法

    ロシア語用キーボード〈図 29〉を設定すると,タスクバーにはロシア語を表す「RU」が表示される。仮想キーボードおよび入力方法については 多言語環境の設定 を参照。Windows では,アゼルバイジャン語,ウクライナ語,ウズベク語,カザフ語,セルビア語,タジク語,タタール語,トルクメン語,バシキール語,ベラルーシ語,ブルガリア語,ボスニア語,マケドニア語,モンゴル語,ヤクート語のキーボードを設定することができる。

    〈図 29〉ロシア語キーボード

    KOI8-R

    上記ユニコードの普及の一方,現在でも用いられる伝統的な文字体系が数種類あり,中でも広く使われ続けているのが KOI8-R というロシア語のキリル文字を扱うよう設計された,8 ビットの文字コードである〈表 6〉。ブルガリア語も扱える。ここから派生した KOI8-U には,ウクライナ語の文字が追加されている。最初の KOI-8 符号はソビエト当局により 1974 年に設計された。KOI8はロシア語で Kod Obmena Informatsiey, 8 bit (Код Обмена Информацией, 8 бит) の略であり,「情報交換用符号、8 ビット」という意味である。

    〈表 6〉KOI-8(ASCII のキリル拡張版)

    関連リンク・参考文献

    [最終更新 2018/08/20]