地球ことば村
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【地球ことば村・世界言語博物館】

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日本とその周辺の言語

日本列島とその周辺にはいくつかのことばが使われています。これらのこ とばはどれもお互いに似ているのに、どのことばがどこから分かれ出たという 親族関係は見あたりません。お互いに孤 立しているように見えます。ただ南西 諸島に使われている琉球語だけは、日本本土でいま 使われている日本語と親族関係があるとすれば、それは比較言語学の方法を使っ て証明することができます。琉球語と日本語を一括りにして広域日本語という ものを考えれば、この二つの言語は広域日本語の姉 妹言語として、互いに方言同士であると言うことができます。しかし琉球語が 日本語から分かれた方言のひとつであるということはできません。

日本語の西には朝鮮語があります。ここで朝鮮語とは、韓国の国語である韓国 語と朝鮮人民民主共和国の国語である朝鮮語を合わせて一つの言語として、さ らにそれらの諸方言をまとめて名付けた言語名です。朝鮮語は日本語と古くか ら関係の深い言語で、新羅(しらぎ)以来、朝鮮語としてまとめられた諸言語 に中には、古くから大小さまざまな言語があったのでしょう。分かっている限 りでは、プヨ・ハン諸語と言われる古い言語群がかつて存在したらしく、高句 麗(こうくり)や百済(くだら)、少し下っては渤海(ぼっかい)の言語も、 もともとはこの言語群に属していたと思われます。日本語の元になった言語も その一つだったかもしれません。

朝鮮語の西南には中国の諸言語があります。今日の中国では、漢語や広東語の ような大方言が圧倒的な支配力をもっていて、その他は25の民族の言語文化が 公認されているに過ぎません。しかしかつては多数の異言語の集団があちこち に住んでいたと思われます。そしてその一部が日本列島に移住して日本人と日 本語を構成する要素になったことも十分に考えられます。

日本列島には、日本国が出来るはるか以前から、異言語をもつ民族集団が住ん でいました。その集団はおそらく複数だったでしょう。しかしいま残っている のはアイヌ語だけです。そのアイヌ語も明治以降の 「北海道開拓」の結果、日常生活用の言語としてはもはや使われていません。 しかし豊かな民族文化に支えられて、多くの口承文学として伝承され、研究さ れています。また日用言語として復活しようという運動もあります。

北海道東北部を含めた西オホ-ツク地域には、かつてオホ-ツク文化が栄えて いたことが考古学的に証拠立てられています。この文化の担い手が誰だったか は、今のところ正確にはわかりません。しかし多くの研究者は、それが今日の ニヴフ人(=旧称ギリヤ-ク人)であったのではないかと考えています。彼ら は今ではサハリン(樺太)北半分とアム-ル河下流に住んでいます。ニヴフ語 は、オホ-ツク文化が栄えた時代、つまり日本の平安時代に見合う時代には、 北海道東北部で話されていたと思われます。それは日本の諸言語のひとつであっ たらしいのです。

千島列島ではアイヌ語が使われていました。千島の北端とカムチャトカ半島の 南部にはアイヌとは違う諸民族が住んでいたようです。そのうちで今も知られ ているのはイテリメン語を話す民族です。この人たちは今ではカムチャトカ半 島の割に北でコリャ-ク人たちに近い地域に住んでいますが、彼らが南から、 つまり半島南部から今の地域に移住してきたという説もあります。すると、こ の人たちもかつては日本列島の住民であったということができます。

間宮林蔵がサハリン島を通ってアム-ル下流に旅をしたとき、樺太ではアイヌ に通訳を頼みましたが、いざアム-ル河に行くとなると、通訳をニヴフに変え ます。ニヴフは、韃靼(だったん)人と言われたアム-ル河に住むツング-ス 系の人びとのことばを林蔵に翻訳してくれました。アム-ルのツング-ス人は 河口から中国東北部の黒竜江にかけて住んでいて、さまざまな方言のツング- ス語を話しています。とりわけアム-ル中流の南側から日本海沿岸にかけて、 古いツング-ス系の民族集団が住んでいます。ウデヘと自称しています。ウデ ヘ語には古いツング-ス系の特徴に混じって、もともとそこに住んでいたと思 われる、もっと古い民族の言語らしい要素が見られます。この人たちの生活領 域は、佐渡島の向こう岸の森の中とでも言っておきましょうか。最近では観光 的な交流も始まっています。

中国東北の黒竜江省には古くからツング-ス系の人びとが住んでいます。例え ばホジェン語を 話す人たちや、わずかですがマンチュウ-語を話す人たちです。 また中国東北の西にはモンゴルが住んでいます。彼らの生活範囲は広く、内蒙 古自治区だけでなく、モンゴル国とブリヤ-ト共和国、カルムィク共和国に及 びます。モンゴル語を話す人びとと日本との交流は古くから多岐にわたってい ます。日本列島周辺とは離れた地域ですが、13世紀にモンゴルがサハリンを 支配下に置いたことがあるという歴史的事実を含めて、直接の接触があったと 考えられます。

日本語の起源については古くからいろいろな説があります。しかしここでは、 日本語は、日本列島の西部でプヨ・ハン諸語のいくつかの小言語を中心にした 混合言語として日本列島内部で誕生したと想定しておきましょう。諸言語の混 合が始まったのは縄文文化が弥生文化に交替した時期と重なっていたのではな いでしょうか。この混合にあたって基底になった言語は、縄文時代にかけて行 われていた言語でしょう。縄文文化は日本列島を北東から西へ中心を移してい ますが、どの時期の縄文諸語がクレオ-ル的日本語の基底になったかは想像を 超えます。一方、日本列島の北辺に続縄文文化を作っていた人びとの言語が縄 文諸語を継承したものである可能性もあります。今日伝えられているアイヌ語 の祖先がその縄文諸語の一部をなしていたかもしれません。アイヌ文化が13 世紀以降の成立したとしても、アイヌ語がより古い淵源をもち、縄文諸語と何 らかの歴史的関係をもったと考えることも出来ましょう。しかし、だからこそ アイヌ語は、クレオ -ルとして成立した日本語とは系統的な関係はないでしょ う。総じて、日本語は固有の孤立した言語で、東北アジアの孤立した諸言語の なかの一つであると位置づけられます。

《金子亨:言語学(2005年掲載)》