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アフリカの言語使用事情
第5回 無文字言語の世界—人の名前



梶 茂樹(かじ しげき)
(京都大学名誉教授、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所フェロー)
掲載年月日:2026年3月28日  


我々は日常、日本語、韓国・朝鮮語、漢語(中国語)、英語といった話し手の多い言語に接することが多いため、アジア、アフリカや、南北アメリカ、そして太平洋地域などに数多く存在する話し手の少ない言語に気が行くことはあまりない。第1回目にも触れたアメリカのSIL InternationalのデータベースEthnologueによれば、世界の言語の94.5%は話し手が100万人以下である (Lewis et al. 2015)。そして、それらの言語のほとんどが実は無文字言語なのである。もちろん現在は学校教育があるので、多くの人は文字を知っている。しかし文字に書くのは学校で使う英語やフランス語などであって、自分たちの言語を文字に書くことはない。正確には伝統的に無文字社会であったと言うべきであるが、しかしこの性格は現在も基本的に変わらない。

社会に文字が無いと言うと、それは文字を使う社会から文字の部分をのけた、あるいは文字の部分が欠落した社会のように思われるかもしれない。もしそのように考えると、無文字社会というのは随分と面白くない社会のように思えてくる。しかし果たしてそうであろうか。人間の社会というのは、何かが無ければ別のものがそれを補う働きをするように出来ている。従って、一見我々と同じように見えるものが、文化が異なれば別の働きをしているということはよくあることである。ここが他文化を見る場合、我々と同じだと思って漫然と見てはいけないという戒めとなる点である。

これから何回かにわたって、私がアフリカで経験し、そして調査した無文字社会の“文字”の話をしてみたい。今回は人の名前である。

人の名前と言うと、言語が異なれば発音もややこしいので綽名で呼んだり、略称を使ったりすることがよくある。しかし、それはもったいないことである。私は人名こそ無文字言語を研究する言語学者のテキスト研究に最高の題材を提供するものだと思っている。まず第一に人名の多くが諺に対応するなど内容が奥が深い。またほんの数音節だが1つの文学作品になっている。言うなれば、文字に書かれない文学である。そして何よりも無文字言語、そして無文字社会とは何かということを考えさせてくれるものである。

私が人の名前に興味を持ったのは、1976年に初めて調査ということでアフリカのコンゴ(当時ザイール)に行きテンボ語の調査を始めた時である。村での調査に一区切りをつけ、ベースにしていた研究所に帰るために道路沿いのバーで迎えの車を待っていた時である。私がカウンターに座って店のオーナーのおじさんと話をしていると、私の後ろを1人の女性が表から入ってきてそのまま裏口の方に抜けて行った。バーと言っても民家に簡単なカウンターをつけてビールを売っているだけなので、近所の人は用事があれば勝手に人の家に入ってくる。その時、オーナーのおじさんが私に、この女性を知っているかと尋ねた。私は知らないと答えると、ndáményaaという名の人だよと教えてくれた。

これには驚いた。ndáményaaの意味が分かるのである。n-ta-á-mény-a-a(私-否定-遠過去-知る-強調-動詞語尾)と分析できる。意味は「私は(ちっとも)知らなかった」ということである。

どういうことかと言えば、女性は(男性もだと思うが)結婚前は結婚ということ、そして将来の夫(あるいは妻)に期待を抱いている。しかし実際に結婚してみると、ひどい夫だったということがある。酒癖が悪い、人は殴る、お金は持って帰らないなど。そういう場合、子供(特に女の子)が生まれると、母親がこの名前を子供に付けるのである。私は知らなかった、私の夫がこんなにひどい人間だったということを、ということである。言っているのは、「私は知らなかった」ということだけであるが、これには、もちろん、もし知っていたら結婚しなかったでしょうという意味が込められている。ただし表現はされていない。これは夫が考えなければならない部分である。なにしろ、「私は知らなかった」ちゃんがいつも目の前にいるのである。これは単なる子供の名前ではない。子供の名前を借りた妻の夫に対するメッセージである。まるで手紙を書くように名前を付ける。

ここで、文字の役割を話し言葉と対比して考えてみよう。話し言葉には大きな制限が2つある。1つは近くの人は聞こえるが遠くの人には聞こえないという空間的制限である。もう1つは、その場にいる人は聞こえるが後から来た人には聞こえないという時間的制限である。文字というのはこの2つの制限をうち破る役割を持つ。手紙や回覧板のように文字に書けば遠くの人にも内容を伝えることができる。つまり空間的制限をうち破ることができる。そして文字に書いて残しておけば後から来た人もその内容がわかる。つまり時間的制限をうち破ることができるのだ。

ではこのテンボ語の名前を考えてみよう。その子は小さいうちは近場をウロチョロするだけであるが、大きくなれば広い範囲を移動する。これは話し言葉の持つ空間的制限をうち破っている。またその子はあと数十年生きるわけであるから、これは話し言葉の持つ時間的制限をもうち破っている。我々は文字というものをインクの染みのように考えているが、そういったグラフィックな存在ではなく機能を考えれば、人の名前も立派に文字の役割を果たしていると言えないだろうか。

もう1つ例を挙げるとbálumé babíka「男は耐えねばならない」というのがある。これは 1 つの文になっている。妻がいろいろ問題を起こすのであるが、男というものはそういうことで動じてはいけないという意味である。これは上の「私は知らなかった」とは逆に、夫が妻を非難する名前である。誰かがこういう名前を子供に付ければ、世間の人は、あの人は奥さんで苦労しているんだなと同情を集めることになる。

無文字社会の人名というのは、内容が豊富なので、研究者の多くのは、愛、嫉妬、死、お金など、その内容で分類しようとする。しかし私は「名前はメッセージだ」と考え(梶 1987)、誰が誰に発したメッセージであるかを考え、人名をメッセージの発信者と受信者の関係で分析できると思っている。メッセージの発信者は命名者であり、メッセージの受信者とは、命名者が一言言いたい相手である。ただ、こういう考え方をするのは、世界では私(と私の研究に影響を受けた少数の人たち)だけだ。

人には様々な人間関係があるので名前もそれに応じて多様である。もう1つだけ例を挙げるとbwira búbúya「良い友情」というのがある。これは格言bwira búbúya búkulu kú búuma「良い友情は兄弟関係に勝る」の主語の部分を取ってきたものだ。ある男性がお金に困って兄弟に、悪いけど少しお金を貸してくれないかと言うのだけれども、誰も貸してくれない。しかし友達が貸してくれた、ということで、日本流に言えば、遠くの親戚より近くの他人ということである。兄弟というものはお互い助け合って一族を盛り上げていかなければならない。しかし私は兄弟が悪くてそうはできないと、この男性は兄弟を非難する。しかし口に出しては言わない。たとえ口に出して言っても、それは一瞬で消え去る。しかし子供の名前に埋め込めばどうであろうか。その子が生き続ける間、ずっと言われ続けるのだ。「名前は記録する 」(梶 2016)のである。

人が子供に名前を付けた時、こういうことがあって、こういう風に思ったので、こういう名前を付けました、とは誰も言わない。ある日、突然メッセージが飛んで来る。その時になって始めて、アイツ、オレのことそんな風に思っていたの、ということになるのである。

このようにテンボ族の村では無言のメッセージが大量に飛び交っている。ここでは親族・家族間のものだけを示したが、近所のオジさんやオバさんに向けたものも多い。これは、名前というのは、たんに人に付けたレッテルだと思っていれば見逃してしまうことだ。

ここで読者は1つ疑問に思われたかもしれない。日本などでは、名にあやかってとか、名は体を表すなどと言い、人とその名前との間に強い結びつきを感じるのが普通だからである。しかしテンボ族のような社会では、人とその名前の間には何の関係もない。親の誰かに対するメッセージ伝達の手段に使われているにすぎない。名は体を表わさないのだ。


文献

- 梶 茂樹1985「テンボ族における個人名—言語人類学的考察—」,『季刊人類学』第16巻1号, pp.47-88, 講談社.
- 梶 茂樹1987「名前はメッセージだ」, 米山俊直(編)『アフリカ人間読本』, pp.57-58, 河出書房新社.
- 梶 茂樹 2011「無文字社会の“文字”たち」,『世界の文字を楽しむ小事典』(町田和彦編), pp.78-82, 大修館書店.
- 梶 茂樹 2016「名前は記録する 」, 『世界の名前』pp.137-139, 岩波新書.
- Lewis, M. Paul, Simons, Gary F. and Charles D. Fenning (eds.) 2015 Ethnologue : Languages of Africa and Europe (Eighteenth Edition). Dallas : SIL International.