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【地球ことば村・世界言語博物館】

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世界の文字

シュメール文字 英 Sumerian


シュメール語の表記のための文字体系で,現在わかっている最古の文字は,前 3200 年頃のウルク(『聖書』のエレク)遺跡から出土した古拙文字(絵文字)で,一般に「ウルク古拙文字」と呼ばれる。「ウルク古拙文書」には約 1000 の絵文字が使用されていた。このウルク文字が発明され時期とほぼ同時期にエジプトの象形文字原エラム文字も発明されたと考えられる。以下,小林(2009)による。

絵文字の祖形となったトークンと呼ばれる小形粘土製品が,ウルクのエアンナ聖域から出土している。前 8000 年紀から物品を数えたり会計管理するために用いられた,いろいろな形をした粘土製の計算具である。ウルクで絵文字が使用されはじめた前 3200 年頃,他の都市ではまだトークンを使用していた。

ウルクで発明された文字が整備され,完全な文字体系に整えられるのは前 2500 年頃のことである。文字の数も約 600 に整理され,シュメール語が完全に表記されるようになった。また,同じ頃には 1 本でさまざまな形を作り出せる葦製のペンが考案されたことから,起筆が三角形の楔形になる文字が書かれるようになり,こうして楔形文字への転換が完成した。楔形文字は,文章の中で楔形文字を表語文字(一字一字が意味を持った文字),あるいは表音文字(一字では意味を有さず音のみを表す文字)と使い分けた。[図:書記学校の生徒はまず,粘土で粘土板(タブレット)をつくり,葦を切ってつくった筆記具「スタイラス」の扱い方を学ぶ。→ ブリジット・リオン]

絵文字から楔形文字への過程を → フロリアン・クルマスは次のように表す。

楔形文字の変遷

シュメール人は,前 2000 年以降には歴史の表舞台から消え去り,代わってセム系アッカド人及びアモリ人が主役となるとアッカド語が普及したなかで,しばらくはシュメール語は中世ヨーロッパのラテン語のように文化,宗教用語として使用された。一方,楔形文字の方は紀元直後まで使用され,約 3000 年の歴史を持つ。楔形文字はメソポタミアのみならずアナトリア,シリアなどの古代オリエント世界の各地で借用され,様々な言語が表記された。アッカド語,ウガリット語,エブラ語(以上セム語),古代ペルシア語,ヒッタイト語(以上印欧語),ウラルトゥ語,エラム語,カッシート語,フリ語(以上言語系統不詳)などが知られている。→ 小林 2000

トークン

1977 年以後,シュマント=ベセラット(Denise Schmandt-Besserat)はウルク文字の起源について,次のような指摘を行っている。ウルク文字に先行する段階として,紀元前 9 千年頃からすでに,イラク,イラン,トルコ,シリア,イスラエル,パキスタン,インド,エジプトなどの広範囲にわたって記録用粘土標(クレー・トークン clay token)が記憶の補助手段として使用されていたこと,この粘土標の形状を粘土の上に移したのがウルク文字の起源,すなわち世界最古の文字の発明であるという。

トークンは,円錐・円盤・棒など単純な幾何学形をしている「単純トークン」と,羊・牝牛・犬・パンなど具体的な形を含む多様な形をした「複合トークン」とに分類される。→ 小林 2005 → 参照 The Origins and Invention of Writing

複合トークン ブッラ


トークンは直径 2 cm 前後の様々な形の粘土製品で,ブッラと呼ばれる直径 10 cm 以下の中空の土製球に収納する。ブッラの表面にはトークンの押印跡があった。トークンの中にウルク古拙文字を思わせる形をしたものが見られる。

ウルク古拙文字

ウルク遺跡の発掘は 1927 年以降,ヨルダン(J. Jordan)の指揮するドイツ調査団によって行われた。「ウルク第 4 層」( 紀元前 3200 年頃から紀元前 3000 年頃)と名づけられた地層から小型の粘土書板が多数出土したが,これらには人間の頭,手,足,ヒツジなどの動物,魚,穀物を表す穂の形,数字(半円形,円形)などの文字記号―ウルク古拙文字,ウルク文字(Pictogram from Uruk)―が刻まれており,神殿奉納品の記録文書と考えられる。小形粘土板は,ウルク遺跡以外に,ジャムダト・ナスル(Jamdet Nasr)でも同類のものが出土し,これらを総称して原シュメール文字(Proto-Sumerian)とも呼ばれる。→ 図 Diringer

原シュメール文字
Kish (a obverse; b reverse), Uruk-Warka (c and d), possibly from Umma (c) and Jemdet Nasr (f).

シュメール絵文字粘土板文書

絵文字書板(イラク 前 3000 年頃 8.8 × 12.0 × 2.1 cm)の表面は上下 3 欄,裏面は 2 欄に区分され,表面の各欄は,上らか 9,11,10 の囲みからなる。囲みには物品と数量などが刻まれる。上欄の右端の囲みには,大麦を象った絵文字が記され,そこに数量を表す円が付される。→ 平山郁夫シルクロード美術館

禿鷲碑文

ラガシュのウル・ナンシュ(Ur-Nanše)王朝の頃より表語文字の表音化が急速に進展し,シュメール文字はシュメール全土に普及しはじめる。とくに,同王朝 2 代目の王エアンナトゥム(Eannatum)の有名な猛禽類がウンマ兵の首を咥えている残酷な場面から「禿鷲碑文」(紀元前 2500 年頃)と呼ばれる碑文(Stele of the Vultures)では表音化が飛躍的に進展し,シュメール語の表記法が完成する。この頃には,文字数はほぼ 600 程度に減少し,特徴的な「楔形」文字に変形している。 参照 → ルーヴル美術館「禿げ鷹の碑」

古拙文字の報告

出土した粘土板文書の総数は,当初は 570 と報告された。その後もウルク文書の発見は続き,現在では 4 千個ほどに達しているといわれる。それらはすべて表語文字(logogram)として使用され,表音化は問題のある 2 例を除いて認められない。

ダイメルの報告

下図は → Deimel による模写図の一部で,彼はそれらから採取した 870 種の文字記号を 1922 年公刊した。Deimel, Anton (1922) Liste der Archaischen Keilschriftzeichen. (Ausgrabungen der Deutschen Orient-Gesellschaft in Fara und Abu Hatab, . Die Inschriften von Fara) (Leipzig, J. C. Hinrichschen Buchhandlung) デジタルデータ (6.44 MB)


ファルケンシュタインの報告

Deimel に次いで 1936 年,ファルケンシュタインは 920 種の文字記号を公刊した。下表は,容易に判読可能な象形文字の表である。Falkenstein, Adam (1936) Archaische Texte aus Uruk I. デジタルデータ LiSe (リンク切れ)


シュメール文字の多義性と決定詞

シュメール文字の多義化の傾向とそれに伴う使用上の不明瞭性を除去するために考案された方法が,決定詞(determinative,限定詞とも)である。

たとえば,“すき” を描いた象形文字は ain 「すき」と同時に engar 「耕す人」を表し,ともに名詞であるため判読の際に曖昧性を生ずる。このとき,この文字が「水」に属する意味で用いられているか,あるいは「人」に属する意味で使われているかを示す文字(決定詞)を添えれば,いくぶんこのような不明瞭さは除かれることになる。最初に使用された決定詞は「神」を示す決定詞 “DINGIR” で,ラガシュのウル・ナンシェ王朝の創始者ウル・ナンシェ王(前 2500 ~ 前 2470 頃)の碑文に見える。次表は,→ Diringer による絵文字と,決定詞,合成語を示す表である。

下図は → Jaritz による各種の決定詞を表す。

シュメール数字と度量衡

シュメールおよびその後を継いだバビロニアでは六十進法が用いられた。これは,60 が 10 (両手の指の数に由来)と 12 (太陰暦の 1 年= 12 ヵ月に由来)の最小公倍数であり,かつ, 2, 3, 4, 5 の最小公倍数でもあるために,約数が多く,除算に便利だからだとされる。シュメールで用いられた数字と,六十進数の掛け算,度量衡の一部を次に挙げる。→ Kramer 1963

面積の計算


度量衡


楔形文字

楔形文字は古拙文文書に見られる祖形から 90 度横向きになる。横向きになった理由はわからない。その時期は前 3000 年紀後半に起こったと考えられている。楔形文字が古代オリエント世界で,長く広く使われた理由の一つとして,書写材料の粘土板がどこにでもある泥が材料で,しかも墨を必要としない簡便さがあげられる。→ 小林 2009

シュメール音節文字

シュメール音節文字の一部(母音 V,BV,DV … KV)を Sumerian Cuneiform English Dictionary から引用する。ここではフリーのユニコードフォント Sumero-Akkadian Cuneiform Akkadian を用いて音節文字・文字コード・音価・意味を示す。

文書サンプル

封筒とその中の手紙

粘土板文書を薄い粘土で覆って封筒とし,同一内容が記された(保管する場合や文書を探すときに必要)。次の例は,イラク,ドレヘム遺跡より出土した手紙。紀元前 20 世紀頃(ウル第三王朝時代)。封筒:5.1 × 4.4 × 2.7 cm(裏)模写図は表,中の手紙:3.6 x 3.1 x 1.5cm (表)

上記手紙表の転写・訳,および,上掲のユニコードフォントを用いて表示した例を示す。

エンメルカルとアラッタ市の領主

シュメール人は「エンメルカルとアラッタ市の領主」の中で,彼らなりの「文字」の起源についての考えを披露している。「文字」は使者が長い口上を覚えられないために,エンメルカルが使者の口上を復元する手段として「発明」したと伝えている。文例 → 世界の文字大事典

だが,実際には「文字」の誕生は,ものの管理,記録の必要からであった。「文字」が発明されて手紙が書かれても,使者は手紙の内容を必ず暗記して宛先に赴き,手紙を渡すとともに暗記してきた手紙の内容を口頭で伝えていた。手紙の受取人は必ずしも「文字」が読めるとは限らないからである。→ 小林 2007

シュメール文字の構成法

【漢字と同じ構成法】シュメール文字の形成過程には,漢字の六書(象形,会意,師事,形声,仮借,転注)に類似の構成法が認められる。しかし,ウルク文字の最初の段階はやはり象形であろう。「山」を表すために,山の姿を象って表現する方法である。このような方法では,シュメール文字,エジプトの象形文字,中国の甲骨文字の間に著しい類似性の見出されることがある。しかし,このような平行性はやはり部分的にとどまって,全体としては各文字体系の特徴が認められる。→ 吉川守/峯正志 → 図 小林 2005

【シュメール文字特有の造字法の例】以上の六書による構成のほかに,シュメール独自の造字法も知られている。既存の文字を上下に交差させる造字法ギリムー(gilimû),既存の文字に複数の線を加えるグヌー(gunû)と呼ばれる造字法,既存の文字を単に傾斜させる造字法テヌー(tenû),既存の文字を前後左右に 4 個並べる造字法などであるが,最後の方法は漢字の森,姦などと同種の発想である。

シュメール文字のローマ字転写

シュメール文字には同音異義文字語が多いため,ローマ字転写の際には,大体の使用頻度に従って,たとえば,u, ú,ù,u4,u5 ~ u12 あるいは u,u2,u3,u4,u5~ u12; bir,bír,bìr,bir4bir7 のように区別される。


シュメール語文書例

シュメールの神話

シュメール神話は最古の神話のひとつで,その後に生まれた神話に多大な影響を与えた。シュメールでは「宇宙」をアンキという。アンはシュメール語で「天」,キは「地」を意味する。その宇宙つまり天地がいかに創造されたかについての物語は,粘土板にシュメール語で刻まれる前に口承された長い歴史があったはずである。しかも,シュメールでは都市国家が分立していた長い歴史があることから,「天地創造」についてもひとつの説ではなく,地域によっていくつもの伝承があったにちがいない。従って,一様ではない「天地創造」に触れたシュメール語の作品はいくつもある。

天地創造

右図は,[エンリル神と鶴嘴の創造]ここではエンリル神は地から天を分け,ニップル市の「ドゥルアンキ」(シュメール語で「天と地の繋ぎ目」の意味)聖所で,「鶴嘴」をつくりだし,人間が生まれる。人間は神々に割り当てられ,都市を築き,家を建てる重要な道具である「鶴嘴」が与えられた。

ビルガメシュとエンキドゥと冥界エンリル神と鶴嘴の創造

左側の 2 図は,「ギルガメシュとエンキドゥと冥界」の断片である。発端は次のように語られている。「古の日々に,遠き古の日々に,古の夜々に,遠き古の夜々に…古に必要なものがもたらされた後で,古に必要なものが初めて秩序づけられた後で…天が地から分けられた後で,地が天から分けられた後で,人間の名が定められた後で,アン神が天をはこびさった後で,エンリル神が地を運び去った後で,エレシュキガル女神が贈り物として冥界に連れ去られた後で…」→ 小林 2008 → 図 Mythos of Origins

大洪水伝説

シュメール起源の『大洪水伝説』は『ギルガメシュ叙事詩』第 11 書板に見える「大洪水の物語」を経て,『旧約聖書』の「ノアの大洪水」へと継承された。「大洪水」はイスラエル人の祖先が経験したことではなく,シュメール人の経験であり,シュメール人の世界観であって,大洪水を送るのは神々であった。

現在残っているシュメール語版『大洪水伝説』は前 2000 年紀前半の古バビロニア時代に書かれた粘土板で,ニップル市から出土した。物語全体の四分の一ぐらいしか残っていないので,わからない部分が多いが,アッカド語で書かれた『アトラ(ム)・ハシース物語』や『ギルガメシュ叙事詩』のなかで語られている「大洪水」の筋立てとほぼ同じと考えられている。→ 小林 2008

七日と七晩の間,大洪水が国土で暴れ,
巨大な船が洪水の上を漂った後で,
ウトゥ神が昇って来て,天と地に光を放った。
ジウスドゥラは巨大な船の窓を開いた。

人間創造

古代メソポタミアでは,人間を創造する際の素材としては,粘土以外のものも考えられていた。『人間の創造』と呼ばれる作品では神々の血から人間がつくられている。シュメール語とアッカド語の二ヶ国語で書かれた新アッシリア帝国時代の文書が残っている。 → Kramer 1994, 1961

天と地が分かれ,神々が天と地の計画を決定し,ユーフラテス河とティグリス河の岸を確定した後で,エンリル神は神々にさらになにをつくろうとするのかとたずねる。すると,神々のなすべき仕事を肩代わりさせるために,ニップル市の「ドゥルアンキ」聖所のウズムアで 2 柱のアルラ神を殺し,その血で人間をつくろうといった。アン,エンリル,エンキそしてニンマフがこの計画にかかわって成功し,人間がつくられた場所であるウズムアにはニサバ女神像が立てられた。→ 小林 2008

ビルガメシュ神の物語

後代への影響が大きかった神話のひとつは『ギルガメシュ叙事詩』に結実したビルガメシュ神(バビロニア時代にはギルガメシュ神と読まれ,神であることを示す限定詞が付けられている)のいくつかのシュメール語版の物語であり,編纂は前 3000 年紀に遡る可能性が極めて高い。『ギルガメシュ叙事詩』に採用されたビルガメシュ神の物語は,前掲『ビルガメシュ神,エンキドゥと冥界』と,『ビルガメシュ神とフワワ』,『ビルガメシュ神と天の牡牛』,の 3 編である。→ 小林 2008

『ビルガメシュ神とフワワ』『ビルガメシュ神と天の牡牛』
参照 左図:The newly discovered tablet V of the epic of Gilgamesh 発見されたギルガメシュ叙事詩の失われた一部。博物館がクルディスタン地域で密輸業者から購入(新バビロニア時代 11 × 9.5 × 3 cm)  右図:Gilgamesh and the Bull of Heaven Sumer. c. 2600 BCE No. 31

【ビルガメシュ神に奉献された供物の記録】
ラガシュ市のウルイニムギナ王治世 2 年に,后妃シャグシャグが女神の祭(前庭の祭)のおりに神々へ供物を奉献したなかにビルガメシュ神の名と奉献物が見える(太枠内)。2 ムンドゥ量の穀物の粉,1 ドゥグ量の強精ビール,1 ドゥグ量の黒ビール,1 シラ量の油,1 シラ量のなつめやし,1 クル(シラの誤記)量のある種のデザート,1 ケシュドゥ量の魚,1 頭の山羊,ビルガメシュ神(1 ムンドゥ量= 12 シラ,1 ドゥグ量 = 20 シラ,1 シラ = 約1リットル) → 小林 2008

シュメール諸王碑文・他

シュメール王朝表

古代メソポタミアの諸都市の興亡を王名とともに記したものが『シュメール王朝表(王名表とも。Sumerian King List)』である。シュメールの神話的時代から古バビロニア時代初期までの「メソポタミアの覇権を巡る諸都市の力関係」を端的に示す文書である。ウル第三王朝時代に書かれた。

これは王朝の交代に主眼を置いた記録で,「天から都市Aに王権が降り,○○王在位●●年,□□王在位■■年,… …合計△△人の王が▲▲年統治。都市Aが滅亡すると都市Bに王権が移行,都市Bが滅亡すると都市Cに王権が移行,… …」のように記されている。図は,『シュメール王朝表』が書写された「ウェルド・ブランデル角柱」(高さ約 20 cm)である。→ 小林 2008

グデア王円筒碑文

グデア王はエンギルス神のために,ラガシュ市のギルス地区(現代名テルロー)にエニンヌ神殿を建立する次第を「円筒碑文 A」「円筒碑文 B」に書き記した。これらの碑文は,エンギルス神自らがグデアの夢に現れ,神殿建立を命じることからはじまる長い話で,最古の文学作品ともいわれている。当時,記念物として「合成獣の模型」などを都市や建造物の門前に設置することがおこなわれていたようである。「円筒碑文 A」第 25 欄 24 行以下に次のように書かれている。

兵器庫,その(エニンヌ神殿の)戦闘の門に,彼(グデア)は勇士・六つ頭の牡羊とサグアル(山)を据えた。都市のほうへの(エニンヌ神殿の)正面,恐怖を吹き込まれた場所に,彼は七つ頭の犬を据えた。シュガラム,光輝の門に,彼は竜となつめやしを据えた。東正面,決定する場所に,彼はウトゥ神の象徴,野牛の頭を据えた。→ 小林 2008 → 図 (Kramer 1994, 1961)

エアンナトゥム王の戦勝碑断片

前 2450 年頃のラガシュの王エアンナトゥム(Eannatum)王(図右)とウンマとの戦いを浮彫の図像とシュメール語王碑文で記録した断片(図左)。上段にエアンナトゥムと密集戦団,下段は戦車に乗るエアンナトゥムが描かれ,背景にはシュメール語王碑文が刻まれている。→ 小林 2009

エアンナトゥム王の丸石碑文

ド・サルゼックの発掘でラガシュ市のギルス地区から発見された丸石碑には,王の戦勝を讃えた碑文が彫られている。左図のような写真の状態では読めないので,「粘土板読み」と呼ばれる現代の学者が右のように碑文を手写する。右図は,碑文翻字 1 欄 1 行から 5 欄 8 行まで。

エアンナトゥムは驚くべき山エラムを武器で倒した。その死骸の塚を築いた。ウルア市の章標とその先頭に立つエンシ(=王)を武器で倒した。その死骸の塚を築いた。
ウンマ市を武器で倒した。その死骸の塚を 20 築いた。ニンギルス神のために彼の愛する耕地グエディンナを取り戻した。ウルク市を武器で倒した。ウル市を武器で倒した。キウトゥ市を武器で倒した。ウルアズ市を征服した。そのエンシを殺害した。ミシメ市を征服した。アルア市を破壊した。(3 欄 12 行~4 欄 19 行)

エンメテナ王の回顧碑文

エンメテナ王はラガシュ市と隣国ウンマ市の争いを振り返った「回顧碑文を」円錐碑文 B(高さ 21.5 cm)と呼ばれる粘土製の壷に記した。ラガシュの王たちの戦いは不正を繰り返すウンマを征服する戦いであって,正義はラガシュにありとの考え方に貫かれている。「回顧碑文」を記すことで,神々にご覧いただくだけでなく,末代までの人間に伝えることをエンメテナは意識したのではないだろうか。→ 小林 2007

シン・イッディナム王円筒碑文

イシン・ラルサ時代(ウル第三王朝が滅亡する前 2000 年前後から前 1750 年頃まで)のラルサ王国第 9 代王シン・イッディナム(在 前 1849~43 年)の円筒碑文。この時代,日常的にはセム系言語のアッカド語が話されていたが,シュメール語も文語として用いられた。この碑文もシュメール語で記されている。碑文は全 70 行あり,上半分第 1 欄 34 行,下半分に第 2 欄 36 行を刻む。

碑文は「シン・イッディナム,力強き男,ウルの扶養者,ラルサの王,シュメール・アッカドの王,太陽神ウトゥのエ・バッバル神殿を建立し,神々の神殿祭儀を再興した王」(1 ~ 9 行)とはじまり,天空神アン,至高神エンリル,月神ナンナ,太陽神ウトゥに正義の支配を許された王が神々の指示に従い,ティグリス河の大規模工事を実施し,王都ラルサへの恒常的な水の供給に成功したことを述べる(10 ~ 50 行)。→ メソポタミア文明の光芒

経済文書

ウル第三王朝のシュ・シン王が,ウルの司祭,アバカラからの献納を受け入れたという趣旨の文書。粘土板は縦 4.1 cm,横 3.3 cm の長方形。楔形文字文面は,表には 6 行にわたって献納物のリストと献納者の名が記され,反対側に受領者である王と書記の名,贈り手の官吏の名を刻んだ印章が押捺され,その下にこれを受け入れた月と年が 3 行に記されている(下記転字と訳参照)。→ 丸田 正数 1971


1 itu ezen dŠu-dšin  シュ・シン神王の祭りの月,
2 mu é dŠaráシャラ神殿が
3   ba-dù  建てられた年。

粘土板に書かれた処方箋

19 世紀末の第一次ニップル調査隊がシュメール語で書かれた処方箋の記録(前 2000 年頃)を発掘している。治療には薬が使われた。植物ではからし,いちじく,柳なと,動物では亀の甲羅や蛇など,無機物では塩や原油など,多様な原料が使われていた。また,内服薬ではビールを媒材として使っている。なお,ソーダ灰と脂肪を含んでいる自然物を加えて,外用薬として石鹸を作ったようだ。石鹸は「聖婚儀礼」で身体を清める際にも使われていた。→ 小林 2007 → 図 Kramer 1963

カネフォロス

頭上に籠を載せた人をギリシア語でカネフォロス「籠担ぎ」という。古代ギリシアでは神殿に供物を運ぶ女性を指したが,シュメールのカネフォロスは神殿建立のために煉瓦を籠に入れて運ぶ人であった。

カネフォロスは,神殿や宮殿などの記念的建造物を建設した際に,そのことを後世に伝える「定礎埋蔵物」(現代の定礎碑につながる)として,施主が工事のはじめに基礎部分に納められた。→ 小林 2005 → 図 人間と文字

ウル第三王朝の王ウル・ナンムの姿をかたどった楔釘形の神殿定礎像。日干し煉瓦の入ったバスケットを頭上に載せて運ぶ伝統的な職人風スタイルで現されている。紀元前 2112 ~ 2095 年。初期シュメール文字で(右上から左下に進み 2 段に分けられている)愛の女神イナシナに捧げる神殿建設の奉納文が記されている。

書名目録

ニッブル市の学校図書館から 62 の作品(うち,20 あまりの作品は現存が確認されている)を列挙した「書名目録」が出土している。「書名目録」が必要なほど多数の文学作品があって,それを読む人がいたということを意味する。シュメールの文学の種類には神話,叙事詩,讃歌,知恵文学などがあったが,大多数は詩の形式であった。創作にはナル(讃歌を歌う歌手)や書記たちがかかわったようである。模写図で,はみ出している文字は粘土板の側面に書かれている部分である。(左・表面,右・裏面)→ 小林 2005 → 図 Kramer 1963

語彙集

アッカド期の諸王朝では楔形文字を用いて公文書を作成した。そのため,書記にはシュメール語・シュメール楔形文字の運用能力が求められた。そこで,シュメール語の訓練・研究を援助するためにバビロニアの筆記者により,シュメール語・アッカド語語彙対照リスト,文法書などが作られた。下図左は,ウルクのエアンナ神殿の図書館に収蔵されていた,前 1 千年紀中頃のシュメール語・アッカド語語彙対照リスト。2 つの欄から成り,それぞれの欄には,中央にシュメール語の語彙,左には音節文字で示されたその発音,右にはアッカド語の訳が書かれている → 楔形文字を読む。中央の図は,Chicago syllabary(Hallock, Richard T. The Chicago Syllabary and the Louvre Syllabary AO 7661. Assyriological Studies (AS) AS 7), 右図は Nippur grammatical text と呼ばれるものである。参照 → Sumerian Mythology


銅製アマル・シン銘入碗

アマル・シン(在位 2046 ~ 38 年)は王朝の創始者ウル・ナンムの孫にあたる。父王シュルギは半世紀の治世の間に,ウル第三王朝の政治と文化に繁栄と安定をもたらした。息子のアマル・シンはシュルギの跡を継いで王となったが,兄弟間の争いにより殺害された。父王に倣い,自らを神格化し,「四方世界の王」を名乗った。

イラク ウル第三王朝 前 21 世紀後半 高60 口径 16.5 cm
銘文「アマル・シン,ニップルにて エンリル神に,名を呼ばれし
者。エンリ神殿の守護者。力強き男,ウルの王,四方世界の王」

参考サイト

[最終更新 2018/10/20]