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【地球ことば村・世界言語博物館】

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世界の文字

シュメール文字 英 Sumerian


シュメール語の表記のための文字体系で,現在わかっている最古の文字は,前 3200 年頃のウルク『聖書』のエレク)遺跡から出土した古拙文字(絵文字)で,一般に「ウルク古拙文字」と呼ばれる。「ウルク古拙文書」には約 1,000 の絵文字が使用されていた。このウルク文字が発明され時期とほぼ同時期にエジプトの象形文字原エラム文字も発明されたと考えられる。[小林 2009]

ウルクで発明された文字が整備され,完全な文字体系に整えられるのは前 2500 年頃のことである。文字の数も約 600 に整理され,シュメール語が完全に表記されるようになった。また,同じ頃には 1 本でさまざまな形を作り出せる葦製のペンが考案されたことから,起筆が三角形の楔形になる文字が書かれるようになり,こうして楔形文字への転換が完成した。楔形文字は,文章の中で楔形文字を表語文字(一字一字が意味を持った文字),あるいは表音文字(一字では意味を有さず音のみを表す文字)と使い分けた。

ウルク文字 英 Pictogram from Uruk

ウルク文字(ウルク古拙文字とも)は,中部イラクの古代都市ウルク(現代名ワルカ Warka)遺跡から出土した小型粘土板上に記されていた文字で,のちにメソポタミア各地で広く用いられた楔形文字体系の原型をなすものと考えられている。ウルク遺跡以外に,ジャムダト・ナスル(Jamdat Nasr)で出土した粘土書板の文字は同類と考えられるので,これらを総称して原(プロト)シュメール文字(Proto-Sumerian)と呼ぶ研究者もいる。これらはシュメール文字と何らかの関係を持っていると考えられるからである。[矢島]

ウルク出土の行政タブレット [Anonymous / Public Domain / 出典]
ウルク遺跡の発掘は 1927 年以降,ヨルダン(J. Jordan)の指揮するドイツ調査団によって行われた。エ・アンナ(E. Anna)神殿遺跡を地下深く掘ったところ,のちに「ウルク第 4 層(Uruk IV)と名づけられた地層から小型の粘土書板が多数出土したが,これらには人間の頭,手,足,ヒツジなどの動物,魚,穀物を表わす穂の形,数字(半円形,円形)などの文字記号が刻まれおり,神殿奉納品の記録文書と考えられる。出土した粘土板文書の総数は,当初は 570 と報告された。その後もウルク文書の発見は続き,現在では 4,000 個ほどに達しているといわれる。右図: ウルク第 4 層出土の粘土書板

ウルク文書の文面がごく短く,多くは単語の羅列にすぎないため,ウルク文書の使用言語を明らかにすることは現在の段階ではきわめて困難である。文字記号の配列から見ると,後代のシュメール文書のそれに近いとも考えられるが,ジャムダト・ナルス文書では例外的なものも見られ,非シュメール語(原エラム語?)を使用言語としたものではないかとの推測もある。

ウルク文字が出土したウルク遺跡の「ウルク第 4 層」は,考古学的に前 3 千年頃にあたるものと推定されている。したがって,ウルク文字はメソポタミア楔形文字体系の最古形とされるばかりでなく,エジプト聖刻文字(これはメソポタミア楔形文字体系からの何らかの影響を受けていると考えられる)や東洋の漢字体系,その他の独立的文字体系のどれよりも古い文字遺物であると思われてきた。しかし,1961 年,ルーマニアのタルタリア(Tărtăria)村で,Nicolae Vlassa が溝の発掘を行い,ヴィンチャ期に属すと見られる 3 枚のタブレットが発見され,ウルク文字に先立つものではないかとの可能性が現われた。参 照 ヴィンチャ文字

シュメール文字の多義性と決定詞

シュメール文字の多義化の傾向とそれに伴う使用上の不明瞭性を除去するために考案された方法が,決定詞(determinative,限定詞とも)である。たとえば,“すき” を描いた象形文字は ain 「すき」と同時に engar 「耕す人」を表し,ともに名詞であるため判読の際に曖昧性を生ずる。このとき,この文字が「水」に属する意味で用いられているか,あるいは「人」に属する意味で使われているかを示す文字(決定詞)を添えれば,いくぶんこのような不明瞭さは除かれることになる。最初に使用された決定詞は「神」を示す決定詞 “DINGIR” で,ラガシュのウル・ナンシェ王朝の創始者ウル・ナンシェ王(前 2500 ~ 前 2470 頃)の碑文に見える。次表は,[Diringer p. 21] による絵文字と,決定詞,合成語を示す表である。

文字資料

トークンとは,原文字を含む文字の誕生以前に,メソポタミアで使われていた粘土製の計算具で,球形,円錐形など様々な形のものがあった。また,模様がついているものもあり,前者をプレイン・トークン,後者をコンプレックス・トークンという。

このトークンを保管するために,ブッラが作られた。ブッラは粘土で作られた球で,トークンを中に入れて保管することができる。しかし,中身を見るためにはブッラを叩き割らないといけなかった。それを解決すべく,トークンは粘土板に押し付けて使う印章のようなものになった。しかし,コンプレックス・トークンには細かい模様があり,十分に押捺痕が残せなかったため,トークンの模様を先を尖らせた葦ペンで粘土板に書いた。これがウルク古拙文字になっていった。[ウルク古拙文字]

ブッラ [Marie-Lan Nguyen / Public Domain / 出典]
様々なトークン [Marie-Lan Nguyen / Public Domain / 出典]

ウルク時代の円筒印章とその印象,紀元前3100年頃。ルーヴル美術館 [Marie-Lan Nguyen / Public Domain / 出典]

ウルクの粘土板(紀元前3200年から3000年頃)。ビール配達の文書; 大英博物館 [BabelStone / CC BY-SA 3.0 / 出典]

楔形文字

楔形文字は古拙文文書に見られる祖形から 90 度横向きになる。横向きになった理由はわからない。その時期は前 3000 年紀後半に起こったと考えられている。楔形文字が古代オリエント世界で,長く広く使われた理由の一つとして,書写材料の粘土板がどこにでもある泥が材料で,しかも墨を必要としない簡便さがあげられる。[小林 2009]

シュメール音節文字

シュメール音節文字の一部(母音 V,BV,DV … KV)を Sumerian Cuneiform English Dictionary から引用する。ここではフリーのユニコードフォント Sumero-Akkadian Cuneiform Akkadian を用いて音節文字・文字コード・音価・意味を示す。

シュメール数字

シュメールで用いられた数字。

バビロニア数字 [Public Domain / 出典]

シュメール語文書例

シュメールの神話

シュメール神話は最古の神話のひとつで,その後に生まれた神話に多大な影響を与えた。シュメールでは「宇宙」をアンキという。アンはシュメール語で「天,キは「地」を意味する。その宇宙つまり天地がいかに創造されたかについての物語は,粘土板にシュメール語で刻まれる前に口承された長い歴史があったはずである。しかも,シュメールでは都市国家が分立していた長い歴史があることから,「天地創造」についてもひとつの説ではなく,地域によっていくつもの伝承があったにちがいない。従って,一様ではない「天地創造」に触れたシュメール語の作品はいくつもある。

大洪水伝説

『ギルガメシュ叙事詩』第 11 書板 [BabelStone / CC0 / 出典]
シュメール起源の『大洪水伝説』は『ギルガメシュ叙事詩』第 11 書板に見える「大洪水の物語」を経て,『旧約聖書』の「ノアの大洪水」へと継承された。「大洪水」はイスラエル人の祖先が経験したことではなく,シュメール人の経験であり,シュメール人の世界観であって,大洪水を送るのは神々であった。

現在残っているシュメール語版『大洪水伝説』は前 2000 年紀前半の古バビロニア時代に書かれた粘土板で,ニップル市から出土した。物語全体の四分の一ぐらいしか残っていないので,わからない部分が多いが,アッカド語で書かれた『アトラ(ム)・ハシース物語』や『ギルガメシュ叙事詩』のなかで語られている「大洪水」の筋立てとほぼ同じと考えられている。[小林 2008]

七日と七晩の間,大洪水が国土で暴れ,
巨大な船が洪水の上を漂った後で,
ウトゥ神が昇って来て,天と地に光を放った。
ジウスドゥラは巨大な船の窓を開いた。

ビルガメシュ神の物語

『ギルガメシュ叙事詩』第 5 書板 [Osama Shukir Muhammed Amin FRCP(Glasg) / CC BY-SA 4.0 / 出典]
後代への影響が大きかった神話のひとつは『ギルガメシュ叙事詩』に結実したビルガメシュ神(バビロニア時代にはギルガメシュ神と読まれ,神であることを示す限定詞が付けられている)のいくつかのシュメール語版の物語であり,編纂は前 3000 年紀に遡る可能性が極めて高い。[小林 2008]

『ギルガメシュ叙事詩』(標準版)第 5 書板の新文書が 2014 年に刊行され,これまで全部で 302 行あると推測されていた作品が,現在では 324 行あるとされる。第 5 書板には,ギルガメシュとエンキドゥがフンババの森の入り口に立ったところから,フンババを殺し,大量の杉を伐採して帰路に着くところまでが書かれている。[渡辺]


シュメール王朝表

古代メソポタミアの諸都市の興亡を王名とともに記したものが『シュメール王朝表(王名表とも。Sumerian King List)』である。図は,『シュメール王朝表』が書写された「ウェルド・ブランデル角柱」(高さ約 20 cm)である。

王朝表 [Unknown / Public Domain / 出典]

参考サイト

[最終更新 2022/08/05]