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【地球ことば村・世界言語博物館】

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世界の文字

エトルリア文字 英 Etruscan alphabet


起源

紀元前 1 千年紀のイタリア中・北部で栄えたエトルリア人によって用いられたギリシア系のアルファベットで,前 7 世紀から前 1 世紀に及ぶ記録を残している。この文字は時代によって 2 つの形態に分かれ,前 6 世紀以前のものを「古期(または原始)エトルリア文字(Proto-Etruscan alphabet)」,前 5 世紀以後のものを「後期エトルリア文字(Late Etruscan alphabet)」と称する。(→ 松本)

エトルリア人はイタリア半島で最初に文字を使用した民族で,それ以外の古代イタリア諸民族の文字,すなわちラテン文字ファリスク文字オスク文字ウンブリア文字ヴェネト文字レポント文字などはすべて,このエトルリア文字から派生している。一方,エトルリア人はその文字を,前 8 世紀の後半に,中部イタリアのクマエおよびその周辺に植民したエウボイアのギリシア人から借用したと見られる。エウボイア人がイタリアへもたらした文字は,西ギリシア型のアルファベットに属し,カルキス文字と呼ばれる。

エトルリア文字

古期エトルリア文字

古期エトルリア文字は,最古期の西ギリシア文字の様相を忠実に伝えるもので,文字の数は全部で 26,すなわち,22 のセム文字と,その後ギリシアで加えられた 4 個の補足文字のうちの 3 つ,すなわち Х,Ф,Ѱ を含んでいる。ここには,エトルリア人の手による改変の跡はほとんど見られない。なお,補足文字の配列順とその音価はもちろん西ギリシア型のものであるが,ただし,Х は /ks/ ではなく,一種の歯擦音(ṡ)を表す文字として稀に用いられた。この 26 の文字の中には,実際のエトルリア語の音韻的性格により表記のためには決して使われることのない 4 つの文字,D,B,S,O が含まれている。一方,セム語にもギリシア語にもなく,エトルリア語にだけ特有な摩擦音 /f/ を表すために,FH(F は wāw,下表では N-F)という表記が用いられた。なお,C,K,Q の 3 文字は,音価は一様に /k/ であるが,初期ギリシア文字の K,Q の場合とほぼ同じように,e,i の前で C,a の前で K,u の前で Q という使い分けがなされていた。

後期エトルリア文字

初期の西ギリシア文字と表面的にはほとんど変わらないこの文字体系は,前 5 世紀以後になると,かなりのエトルリア的変容を加えられることになった。すなわち,上述の 4 つの不要文字とおそらく M=/ś/ の別字として用いられたらしい Х を加えた 5 つの文字が姿を消し,さらに,FH に代わって, /f/ を表す数字の 8 に形の似た特別の文字が作られ,文字表の最後に付け加えられた。先に述べた C,K,Q の書き分けが廃れて,次第に C だけに統一される傾向が強くなっている。

初期のエトルリア文字では,語の分かち書きがなく,いわゆる「連続書体(scripta continua)」であったが,前 6 世紀以降,(:)ないし(・)によって,語(ときには音節)を分ける書法が一般化した。この書法は,古い時期のギリシア語表記にも見られるものである。

エトルリア文字表 (→ Jensen)


古期エトルリア文字の例

今日知られているエトルリア語の刻文は,数万にも達する。ところが,今もって完全な解読に達していない。文字はわかっているが,そこに書かれている未知の言語が問題だというケースとしては,ヒッタイト語およびシュメール語の例がある。しかし,両者はインド・ヨーロッパ語族に属することが判明し,解読が急速に進んだ。しかし,孤立語と分類されるエトルリア語の言語遺物は,多くは類似の墓碑銘であること,シュメール語とアッシリア・バビロニア語との対訳辞典や文法表のようなものが,エトルリアでは見つかっていないこと,などが解読の進んでいな理由としてあげられる。(→ 矢島 1978)

マルシリアーナの象牙板

エトルリア人は,ギリシア文字をできあがった文字表として忠実に受け入れ,これをただ学習の対象としただけでなく,しばしば装飾としても用いた。古い時期のこのような文字表は,全部で 8 種ほど残存しているが,その中で最も古くかつ完全な形のものは,アルベーニャ(現在のジェノアの近く)のマルシリアーナ(Marsiliana)で発見された象牙の学習用書版の縁に書かれたもので,年代は前 7 世紀前半と見られる。これはまた,現存するギリシア・ラテン系アルファベットの文字表としても最古のものである。


マリアーノの牌

アルベーニャ河流域のマリアーノで見つかった,円形の鉛の牌。外側から中心に向かって渦巻き状に続く 70 ほどの単語を含んでいる。前 5 世紀に書かれたもので神の名前,Calus,Suri(ソラのアポロ Apollo Soranus のことか?),Cautha,Maris,Thanr,Tins が含まれている。神々を意味する aiseras という語も見られる。この文書は本来,葬儀のためのものらしい。(→ ラリッサ・ボンファンテ)(図 → Diringer)


レムノス碑文

エトルリア文字とその言語が問題となるとき,しばしば引き合いに出されるものとして,有名な「レムノス墓碑(Lemnos Stele)」がある。これは,エーゲ海北部のレムノス島のカミニア(Kaminia)で 1885 年に発見された石柱の墓碑銘で,その片面には戦士の像が彫られている。年代は前 6 世紀のものとされ,碑銘は縦,横に牛耕式(boustrophedon)で書かれ,全部で 198 文字,33 語からなる。語は 2 つの点(:)で区切られる。

ここに記された文字は,西ギリシア系アルファベットのカルキス文字に由来するもので,小アジアではプリュギア文字にかなり近いけれども,それ以上にエトルリア文字に酷似していることが古くから注目されてきた。レムノス碑文の存在は,古くから唱えられてきたエトルリア人の小アジア起源説の 1 つの有力な証拠とも見られてきたが,その詳細は今なお謎に包まれている。

後期エトルリア文字の例

ピルジの書板

カエレ(現チェルヴェテリ)の外港ピルジ(Pyrgi ラテン語名ピュルギ)で 1964 年に発見された,3 枚の金の延べ板に刻まれた文である。3 枚のうち 2 枚はエトルリア語で,1 枚はフェニキア語(右図)である。書板の年代は前 500 年前後である。最も長いエトルリア語の文は 16 行,36(あるいは 37)語で,フェニキア語の文と対応しているが,ロゼッタ石とは違い,逐語訳されているわけではない。Cisra(カエレ)の支配者テファリエ・ウェリアナウ(Thefarie Velianas)による,女神ウニUni(フェニキア語の文ではアスタルテ女神= Štrt に対応する)に感謝を捧げる奉納文がフェニキア語に自由訳されているのである。(→ ラリッサ・ボンファンテ)


Avele Feluskeの石碑

トスカーナ地方のヴェトゥローニャより出土した石碑。紀元前 600 頃。後期エトルリア文字に見られる /f/ を表すために作られた 8 に似た字形が用いられた最も初期の例。
“veleś feluskeś tuśnutn(ie) panalaś mini muluvaneke hirumina phersnachs” ‘To Aulus Feluske, glory! (... panalaś?) Me dedicated Hirumina from Perusia’ (‘To Aulus Feluske, glory! Herminius from Perugia dedicated me’) (→ Boufonte)


ピアチェンツァ肝臓

北部イタリアのピアチェンツァで 1877 年に発見された,羊の肝臓青銅製模型である。文字や綴りの特徴から,研究者は前 150 年ころに作られたものと考えている。縁の部分は天空の分割に合わせて 16 の部位に分割されており,肝臓の中心部はさらに 24 部に,外側は 2 部に分割されている。ほとんどは省略形ながら全部で 52 人の神の名が記されている。(→ ラリッサ・ボンファンテ)

ブロンズ製の肝臓模型は,臓卜術の教材とされた。臓卜術とは本来の意味では,神々に捧げられた生贄の肝臓を調べ,そこから人知の及ぶ限りの兆しを読み取ろうとする術である。卜占術と儀式を執り行ったのは,長い時間をかけて学習して修行を積んだ数人の専門家だった。(→ ドミニク・ブリケル)


ペルージアの境界石柱(キップス)

中部イタリア,ウンブリア州の州都ペルージアは,エトルリア文明が栄えた町で,出土したキップス(cippus)と呼ばれる境界石柱には,その 2 つの面に明瞭に刻まれた 46 行,130 語の銘文がある。これはウェルティナ一族とアフナ一族との間の所有地をめぐる契約書であった。前 2~前 1 世紀のもの。(→ ラリッサ・ボンファンテ)


青銅鏡

エトルリア青銅鏡の線刻の模様は,ほとんどのギリシア鏡の立体的模様や支えと好対照をなしている。エトルリアの鏡はアルカイク期からヘレニズム期(前 530 年ころ~前 200 年)に至るまで途切れることなく,線刻模様と,しばしば銘文とを伴っている。おそらく鏡は結婚式の時や特別の折に,女性に与えられたのであろう。ほとんどの残存する贅沢品と同様,それらは持ち主の墓で発見されている。左図は,タンクウィル・フルニ所有であった青銅鏡。男女の会話図。鏡の銘は「私は(鏡)・タンクウィル・フルニの」。前 300 年ころ。直径約 16 cm。右図は,キウージ出土の青銅鏡。前 3 世紀。śuthinaの刻印がある。また,これには,一度墓所に奉納されると,再利用とか窃盗を防ぐために,その反射面に śuthina という決まり文句が刻まれている。


サルコファゴスと納骨容器

エトルリア人男女の名前はまた,かつて一族の墓に納められていた墓碑,サルコファゴスゥ(石棺),納骨容器にも現れる。キウージ出土の印象的なテラコッタ製サルコファゴス(約 180 × 120 cm)はヘレニズム期,前 150 年ころの作である。優雅に装い,贅沢な装飾品をつけた貴婦人がくつろいでいる。彼女への墓碑は,大きな古典期の文字で柩本体の下右端に seianti hanunia tlesnasa と彫られている。(→ ドミニク・ブリケル)


骨壷

エトルリア文字が刻まれた骨壷 紀元前 3 世紀イタリア,トスカーナ州キウージ出土。(→ Diringer)


Arringatoreブロンズ像

雄弁家として知られているイタリアの Arringatore の等身大のブロンズ像(179 cm)。 ウンブリア州のペルージャで発見される。前 100 年頃。(→ Bonfante)

ブッケロ(エトルリア陶器)

雄鶏のかたちしたブッケロ(Bucchero)花瓶,あるいはインク壷の周りには,エトルリア・アルファベットが刻まれている。 ラツィオ州北西部にあるヴィテルボにて出土。前 600 年頃。(→ Bonfante)

関連リンク

[最終更新 2018/06/20]